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ウエストミンスター盤のロジンスキー

2008年11月24日 13時27分49秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

【ブログへの転載に際しての付記】
当該CDの表紙の画像を挿入してみました。まだ、操作法がよくわかっていないので、位置を決められませんが、とりあえず試してみます。



 以下は、MCAビクターから1997年6月21日に発売されたウエストミンスター・レコードのCD復刻盤のために書かれた「ライナー・ノート」です。ロジンスキー指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団によるフランク『交響曲 ニ短調』『交響詩《呪われた狩人》』の2曲を収録したものです。執筆は1997年4月30日となっています。


●確固とした造形に支えられた熱気を聴く
 ロジンスキーは、第2次世界大戦後まもなくアメリカでの職を失ってしまい、1950年代の終わりには世を去ってしまったため、比較的忘れられがちな指揮者の一人だ。だが、その実力は生前から高く評価されており、当時のアメリカの新興レコード会社ウェストミンスターは、アメリカを追われたロジンスキーの録音を、ロンドンとウィーンのオーケストラとの共演でいくつか残している。今回のフランクも、その中の1枚だ。ウェストミンスターの他には英EMIに数枚の録音がステレオ録音で残されている程度だから、ウェストミンスターへの一連の録音が、ロジンスキーの芸風を幅広く聴くには最もまとまったシリーズと言ってよいだろう。いずれも、音楽に対する信念を最後まで貫き通した人の演奏として、気迫のこもった演奏ばかりだ。
 ロジンスキーはきびしい練習で有名だったが、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生んだと言われている。だが、ウェストミンスター録音での相手となったロンドンのオーケストラは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。底光りのする音が聞こえていた。それは、いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なる。私たちは、そうした指揮者の音楽がしばしば空回りしてしまうイギリスのオーケストラの特質を、いくつか聴いている。だが、ロジンスキーの演奏からは、細部の検討を積み重ねた末の、充実した響きに支えられた音楽の、ずしりとした手応えが聞こえていた。
 そのことは、ウィーンのオーケストラとのフランク「交響曲」にも言えることだ。序奏部を聴いただけで、表情の変化のきめこまかな動きの見事さに驚かされる。主部に突入してからは、ロジンスキーの独壇場だ。個性的なテンポのうねりやアクセントが、その場の即興ではなく、各セクションがピタリと揃って、グサリと打込まれるのは、ロジンスキーの演奏の大きな特徴だ。内にある〈音楽〉の根源的な生命力を、オーケストラが、技術とのバランスで保っている時の独特の緊張を、しばしば感じることができる。これは、優美さに安住していない時のウィーンのオーケストラの、独特の魅力を引き出した演奏だ。
 最近でこそ、こうした〈ていねいな〉演奏はあたり前になり、むしろ、時として、ていねいさばかりが耳について、全体を大きく流れる音楽の勢いが失せてしまった演奏さえ表れるようになった。ロジンスキーの残した演奏は、そうした演奏スタイルが、どこから発信されなければ、私たちの心に届く音楽になり得ないかを考えるよい機会となるだろう。
 「呪われた狩人」は、冒頭の金管の響きですぐ気付くが、フランスの多くの指揮者が演奏するようなラテン的な響きとずいぶん異なる。とかくフランス系の音楽と見られがちなフランクの作品に横たわるドイツ・オーストリア圏の音楽美学が、「交響曲」以上に顕著に表現された演奏だ。




 

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