【長野・上田市】鎌倉時代建久年間(1190~1199)の創建で、熊野本宮大社(紀州)の分霊を勧請したのが始まりとされる。 当初は熊野社といい、別所温泉の産土神として信仰された。
江戸時代天和二年(1682)に現在地へ移転した。 現在の一間社春日造りの本殿は、江戸時代天明八年(1788)に造営されたもので、建築様式や精緻な彫刻などが優れた貴重な建築物とされる。 明治十一年(1878)に熊野社から別所神社に改称され、その際8社が合祀された。 御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命ほか。
常楽寺参道の脇から入る参道の入口に、杉の巨木に挟まれるように明神鳥居が立つ。 「本朝縁結大神」の額が掛かる鳥居の前に、猿田彦大神と刻まれた文字庚申塔と2基の石燈籠、そして直ぐ後に狛犬が鎮座している。
杉並木に沿って続く参道の奥の40段ほどの階を上ると、正面に仏堂風の拝殿、右手に広い間口の神楽殿、そして拝殿後方に、玉垣に囲まれた江戸後期建立の「一間社隅木入り春日造」の本殿が建つ。
拝観を失念したが、本殿背面に3つの木造の祠があり、「男石・女石・子種石」が祀られている。 縁結びの神を祀っていることから、後に鳥居に「本朝縁結大神」の額が掲げられたようだ。
壁がない広い間口の神楽殿の舞台に上がる。 天井を見上げると、化粧屋根裏天井の梁と桁はいずれも湾曲した木材が巧みに組まれていて、まさに古民家の造りで趣がある。 また、背後の壁面が大きく開口していて、別所温泉の温泉街が見下ろせるようになっている。
境内左手の小高い樹林の中に、神門と屋根のある玉垣に囲まれた皇大神宮ともう1社の境内社が並んで鎮座している。 皇大神宮は神明造、もう1社は流造の屋根で、皇大神宮は大棟に内削ぎの千木と6本の堅魚木を乗せている。
帰り際、ふと神楽殿に目を遣ったら、中年のカップルが舞台に設けられた腰掛に座って別所温泉街を眺めていた。
参道入口に立つ文字庚申塔と2基の石燈籠と....参道に立つ明神鳥居に「本朝縁結大神」の額....鳥居後方に狛犬が鎮座
天保十四年(1843)造立の石燈籠/享和二年(1802)造立の猿田彦大神の自然石型文字庚申塔....上部に月輪の線彫り
寛政九年(1797)造立の石燈籠/昭和五十年(1975)造立の阿形吽形の獅子の狛犬
石段を上がった入口から眺めた境内/境内入口に立つ石燈籠....天明元年(1781)の造立
正面に拝殿、右手に間口が大きく開いた神楽殿が建つ
入母屋造桟瓦葺の拝殿....簡素な唐破風の向拝、周囲に組高欄を巡らす
唐破風屋根に獅子口が乗り、兎毛通は波と亀の彫刻....水引虹梁の上に三つ巴が彫られた板蟇股/二軒平行垂木、組物は出組、蛇腹支輪を設けている....正面は全面腰高格子戸
屋根を設けた玉垣の中に鎮座する一間社隅木入り春日造の本殿....天明八年(1788)の建立/二軒平行垂木、組物は三手先、支輪の位置や扉の脇や脇障子などに精緻な彫刻が施されている
社殿左側の末社群....大沢社、大岩社、北山社、大峯社、鼎社、雨宮社、下宮社?、愛宕社、水沢社?、角宮社/社殿右側の末社群....廣田社、八幡社?、諏訪社、日月社、山祇社、伊鹿社、香取社,熊野社?、藤田社?
切妻造桟瓦葺の神楽殿....両側の建物は控室や道具収納庫またお囃子が行われる所のようだ
頭貫、梁、桁はいずれも湾曲した木材が使われている
化粧屋根裏天井の梁と桁は湾曲した木材が巧みに組まれている....神楽殿内に末社が祀られている
神楽殿背後の壁面が大きく開口....腰掛が置かれ、別所温泉の町並みが望める
境内右手の小高い樹林の中に鎮座する2つの境内社
境内社の入口参道に建つ木製の神明鳥居
切妻造桟瓦葺の神門(棟門)と瓦屋根を設けた玉垣に囲まれて鎮座する皇大神宮
皇大神宮は神明造の屋根で、大棟に内削ぎの千木と6本の堅魚木が乗る/組高欄付き廻縁を巡らす、階段下に小さな浜床を設けている
火袋以外は自然石を巧みに用いた2基の石燈籠....文久四年(1864)の造立
皇大神宮の右手に鎮座する境内社....切妻造銅板葺の神門(棟門)と銅板葺屋根を設けた玉垣に囲まれている
流造の屋根で、組高欄付き側縁奥に脇障子/虹梁中備に板蟇股、階段下に浜床を設けている
神楽殿の舞台から中年カップルが別所温泉街の景色を眺めている