何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

安福寺 (木津川)

2018年06月20日 | 寺社巡り-京都

【京都・木津川市】平安時代の長保三年(1001)、「往生要集」を著した天台宗の僧・恵心僧都(源信)により創建された。 宗旨は法然の弟子の証空を祖とする西山派の浄土宗で、本尊は阿弥陀如来坐像。
阿弥陀如来坐像は、東大寺・興福寺を焼き打ちにした平重衡命終の引導仏と伝わる。
安福寺は平重衡が処刑された木津川畔に鎮座し、境内には平重衡の供養塔と伝わる「十三重石塔」がある。 平重衡は平清盛の五男で、東大寺や興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にしたが、寿永三年(1184)に一ノ谷の戦いで源氏に敗れて捕虜となり、翌年の文治元年(1185)、南都僧都の要求により木津川の河原で斬首された。 寺の近くに重衡の首を洗った池と伝わる直径約1.5mの「首洗池」と称する池がある。

降り続く雨の中、大智寺から国道24号線を横切り、さらにJR奈良線の踏切を渡って安福寺に着く。
境内を囲む白壁の築地塀の前に、桜の老木が大きく枝を広げている。 山門をくぐって境内へ....正面に「哀堂」と呼ばれる近年の建築とみられる本堂、右手に白壁の庚申堂、左手に庫裡が建つ。
山門を入った直ぐ左の四半敷の参道脇に「平重衡卿之墓」と刻まれた古びた標石があり、その奥の一郭に、檀上積の基壇上に平重衡の墓とされる十三重石塔が立つ。 十三重石塔が立っているのは、平重衡の胴体が埋葬された所だそうで....合掌。
十三重石塔の傍の塀際に、石仏と石造物が鎮座しているが、静かに平重衡を見守っているのだろう。

白壁の築地塀に囲まれた境内....門前に樹齢70年~80年のソメイヨシノの古木

切妻造桟瓦葺の山門は薬医門....袖塀に通用口

入母屋造桟瓦葺の本堂....平重衡の死を地域の人たちが哀れんだことから通称「哀堂(あわんどう)」とも呼ばれる

中央間は引戸の舞良戸、脇間に花頭窓、水引虹梁の中部に刳抜蟇股が乗る

周囲に擬宝珠高欄付切目縁を廻らす....大棟・平降棟・隅降棟・稚児棟の先に獅子口、流れ向拝屋根の隅に獅子の留蓋瓦

広くない境内に本堂、右手に庚申堂そして左手に庫裡が建つ

寄棟造桟瓦葺の庚申堂....大棟・隅降棟に鳥衾を乗せた鬼瓦....堂内に本尊靑面金剛明王像を安置

四半敷の短い参道の脇に「平重衡卿之墓」と刻まれた標石....奥に石造物と石仏が鎮座している
 
平重衡の首から下(胴体)が埋葬されていると伝える墓(供養塔)の十三重石塔/檀上積基壇の上に立つ十三重石塔....初層軸部に金剛界四仏の種子を薬研彫り

塀際にひっそりと佇む石仏と石造物
  
五輪塔の笠石を4つ重ねたとみられる石塔/丸彫りの地蔵菩薩尊像/舟形光背の石仏....左手で薬壷を持っているようにみえるので薬師如来像と思う
 
確か庫裡の脇に置かれた飾手水鉢(と思う)/何の石碑かな?

平重衡の供養塔越しに眺めた境内
 
小さな庭の石組と手前に飾手水鉢....三尊石を表しているにかな?/桟瓦葺屋根の庫裡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする