何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

泉橋寺 (木津川)

2018年06月16日 | 寺社巡り-京都

【京都・木津川市】奈良時代の天平十二年(740)、泉川(現木津川)に架けられた泉大橋を守護・管理するため、高僧行基により創建された橋守寺院。 泉大橋は、聖武天皇による恭仁宮造営に関わって、平城京と恭仁宮とを繋ぐ交通の便を図る事を目的として架けられた。
泉橋寺は行基が造営した四十九院の一つで、創建時は泉橋院と呼ばれて寺勢を誇った。 平安末期の武将・平重衡の南都攻めの際の戦渦に依って伽藍を焼失したが、鎌倉時代、般若寺の僧・真円上人によって再興され、その時地蔵菩薩石仏の造立が発願された。
鎌倉時代徳治三年(1308)、地蔵石仏は13年の年月をかけて造立され、地蔵堂に鎮座した。 「山城大仏」と呼ばれる丈六の地蔵石仏は、高さ約4.58m。 室町時代の応仁の乱(1467~1477)の戦火で地蔵堂と共に焼かれて大きく損傷し、それ以来露座のままとなっている。 現在みる地蔵石仏の頭部と両腕は、損傷から約200年後の江戸時代元禄三年(1690)に補われたもの。

雨が降る中、JR木津駅から国道24号線を歩いて泉橋寺に向かった。 木津川に架かる長い泉大橋を渡っているときに何度も強い横風を受け、傘を持って歩くのに難儀した。
泉大橋を渡り切って堤防の上の道を進むと、集落の中に大きな石造地蔵像が見えてくる。 門前に着いた頃、雨が小降りになった。 まずは境内を拝観させて頂こうと、山門袖塀の通用口から入り、何度も声を掛けたが応答がない。 止むを得ず、山門に置かれた柵越しに境内を撮影させて頂いた。
門前左手の基壇の前に棟門のような簡素な門が建ち、檀上積の基壇の上に日本最大とされる丈六の地蔵石仏がどっしりと露座している。 基壇上に残る礎石の遺構から、当時は荘厳な地蔵堂に木津川を向いて鎮座し、渡河する人々の安全を静かに見守ってきたのだろう。 それにしても、応仁の乱の戦火で地蔵堂が焼かれて以来、540年以上もこうして露座しているお姿は少し悲しい....合掌。
 
門前に「泉橋寺地蔵尊像」が鎮座し、「泉橋寺」の寺号標石が立つ

門前に露座する大きな地蔵石仏と御堂と祠
 
切妻造桟瓦葺の辨財天を祀る祠            切妻造桟瓦葺の御堂

御堂に鎮座するのは獅子像が守る香炉(と思う)、側面に菩薩を示す「大慈尊」の刻

門前で大きく枝を広げている松の老木

切妻造本瓦葺の山門(薬医門)....袖塀を設け左側に通用口がある

山門から眺めた境内

露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の仏堂
 
本堂前庭に石仏や石造物が佇む/木津川の土手から眺めた十三重石塔....初軸の月輪に梵字また基礎に格狭間
 
壇上積の基壇上に露座する大きな地蔵石仏....手前に棟門風の門と切妻造銅板葺の手水舎/「洗垢」と刻まれた手水鉢

地蔵石仏は鎌倉時代徳治三年(1308)の造立....永仁三年(1295)から石材の切り出しが始まり、13年後の地蔵堂上棟の時期に完成した

室町時代の文明三年(1471)、応仁の乱の戦火で地蔵堂が焼かれ、石仏も損傷を受けて露座になった
  
江戸時代元禄年間に頭部と両腕が補われた....右手に錫杖、左手に宝珠を持つ/地蔵石仏の前に佇む造立年不明の2基の石燈籠.....竿に「地蔵尊」の刻

基壇上の地蔵堂跡に礎石の遺構が並ぶ

蓮華座に整然と並べられた小さな薄肉彫りの石仏群

地蔵石仏前に置かれた石造りの常花(花瓶)と前机....前机下に線香炉

蓮華座上に整然と鎮座する石仏群
  
錫杖と宝珠を持つ舟形光背地蔵石仏/二尊石龕仏いずれも尊名は分からず

境内の石造物群....石仏が積上げられた千体仏塔や2基の五輪塔が見える....1基は重文に指定されているが、多分手前の大きな台座に立つ五輪塔と思う

木津川の土手から眺めた泉橋寺の全景
コメント
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