【京都・木津川市】社伝では、平安時代貞観十八年(876)の創建とされ、「木津の御霊」といわれ木津郷の産土神(氏神)として永く祀られてきた。 幾たびかの戦火に遭ってきたが、江戸時代の享保年間(1716~1736)に再建され、御霊神社に改称された。
現在の本殿は享保十五年(1730)の建立。 木津三社の一社(他は岡田国神社、田中神社)で、かつては大路村にあったが、木津ニュータウン開発に伴って社有地を売却し、昭和五十八年(1983)、現在地(木津宮ノ浦)に造営、整備された(三社いずれも移転)。 祭神は天之穂日命、天津彦根命、活津彦根命。
安福寺から右隣に鎮座する御霊神社に向かっていると急に雨脚が強くなってきた。
土砂降りの中、道路に面して建つ大きな朱塗りの鳥居をくぐり、玉砂利を敷き詰めた広い境内に入る。
境内の中央に砂を円錐状に盛り上げた「立砂」があり、頂部に紙垂の付いた青竹が立てられている。 正面に唐破風向拝の拝殿、拝殿左右に吹き放ちで照り屋根の宮座、そして右側宮座の手前に身舎に裳腰を付けた社務所が建つ。
拝殿の右横を通って、後方の本殿に向かう。 15段ほどの石段を上がると、屋根のある小さな明神鳥居と小さな狛犬とを従えた流造の本殿が建つ。 近づこうとしたら急に雨が激しくなってびしょ濡れになったので、止む無く石段から少し遠目で本殿を撮り、急いで社務所に避難した。
インターネットで木津川市の「御霊神社」について調べると、この地域に同じ神号の神社が2つあり、歴史や由緒が混乱しているようで少し戸惑った。
道路から眺めた境内全景....正面に拝殿、拝殿の左右に氏子詰所の宮座、手前右に社務所が建つ
独特の字形の「御霊宮」の額が掲げられた鮮やかな朱塗りの明神鳥居
切妻造桟瓦葺の手水舎....屋根の留蓋瓦は鬼の顔だがユニークで、どことなくムツゴロウの顔のようだ!
玉砂利を敷き詰めた広い境内の中央に設けられた「立砂」....頂部に紙垂を付けた靑竹が立つ
基壇上に建つ切妻造銅板葺で照り屋根の拝殿...正面五間で朱塗りの組高欄付き廻縁
鬼板が乗る唐破風の向拝....正面の貫に大きな刳抜蟇股、虹梁の上に板蟇股、柱上に平三斗/脇間は全て蔀戸
流造銅板葺の本殿....殿前に屋根を設けた小さな朱塗りの明神鳥居が立つ
大棟に外削ぎの千木と5本の堅魚木が乗る....向拝の柱下に浜床/殿前に小さな狛犬が鎮座
ご神木の2本の老杉..手前の石碑は移転の顛末を記した造営碑の「昭和造営記録」/本殿左手に鎮座する外削ぎ千木と2本の堅魚木を乗せた社は摂社か?
拝殿の左右に切妻造銅板葺で照り屋根の宮座が建つ(写真は左手の宮座)....柱上に舟肘木
社務所の入口で雨宿りしながら眺めた拝殿
境内右奥に宮座....右隣に切妻造桟瓦葺で身舎に裳腰を設けた社務所