対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

時間の同調の定義と偏微分方程式について

2008-07-06 | アインシュタイン

 「動いている物体の電気力学」(1905年)(『相対性理論』アインシュタイン/内山龍雄訳 岩波文庫 1988)を理解するには、いくつも乗りこえなければならない局面がある。はじめてこれを読んだとき、さっぱりわからなかったのは、ローレンツ変換を導いていくときに、偏微分方程式が提示してあることだった。それ以前に、物理の教科書や一般向けの解説書で、微分方程式による説明など読んだ記憶がなかった。この微分方程式がわからないのである。

 時間の同調の定義と偏微分方程式(岩波文庫の27ページ)
 
 こんど読み直した。やはり、わからない。ここには4つの式がある。1式から2式の移行はわかる。また、3式から4式への移行もわかる。しかし、2式から3式への移行がたどれないのである。ページの中央の2つの式である。
 『基礎からの相対性理論』(桂愛景著 サイエンスハウス 1988)を参考にして、やっと理解できた。微分方程式の疑問は解けたが、別の疑問が出てきた。

 どうもこの微分方程式は「動いている物体の電気力学」のなかに存在していないかのように扱われていることである。

 内山龍雄は、変換公式の導き方について、訳者補注で、次のように述べている。

 10.変換公式の導き方について
 x、y、z、tとξ,η,ζ,τを結ぶ関係式を導くことについて、原論文の説明には少々、説明不足のために理解しにくいところがある。そこで、ここに少し説明を加えて、原論文の推論を繰りかえすことにする。

 この補注は、アインシュタインが微分方程式をベースに変換式を導いている箇所につけられているものである。しかし、内山は、微分方程式について、何もふれることなく、説明を加えている。まちがった説明ではないが、原論文の推論の繰りかえしではない。ずれているのである。たとえば、モーツアルトを聞きたいのに、ベートーベンをきかされるといった説明なのである。

 また、内山は、まえがきで次のように述べている。

 一般に自然科学に関する論文は、それを理解するためには、多くの予備知識が必要である。なかでも物理学の論文を読むには、数学に関する予備知識までも要求される。さらに相対性理論は、特にたくさんの数学的準備を必要とする。ところが、本書にとりあげた相対性理論の第1論文は、この予想に反して、初等数学の知識だけあれば、その基本的な考えが理解できるという、まことに珍しい、そして本書の目指すこと(原論文を「鑑賞」すること――引用者注)にまさに適合した貴重な論文である。アインシュタインの論文はどれでも、大変に簡明で、理解しやすい。しかしこの第1論文は、特にそうである。彼は、初歩的ともいえる、基本的な事項の再検討から出発し、中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている。その説明は、出発点となる前提から、目指す結論に到るまで、両者を結ぶ最短コースをたどって、実に平明な、しかし説得力にあふれた論旨で、読者をゴールまで引きずっていく。この論文は物理学の論文の模範として、それを志す者は必ず一読すべきものであると思う。これは科学論文として最高の傑作であり、その論旨の展開の美しさは芸術作品と称えても、決して過言ではない。

 「中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている」。信じられない紹介である。

 アインシュタインが、「初歩的ともいえる、基本的な事項の再検討から出発」しているのは事実だが、「中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている」わけでは決してない。事実は、大学生でもわかりにくい微分方程式を用いて、ローレンツ変換の公式を導いているのである。

 ローレンツ変換を微分方程式を使って導いたことが、1905年の「動いている物体の電気力学」を特徴づけているのである。

 アインシュタインは、これとは違うローレンツ変換の導き方を、『特殊および一般「相対性理論」について』の付記で示している。「ローレンツ変換の簡単な導き方」1918年である。

 こちらには微分方程式はなく、初等数学を使って導いている。その意味では簡単な導き方である。それでも中学生にはわからないだろう。高校生なら理解できるかもしれない。

 1905年の「動いている物体の電気力学」の導き方は、「ローレンツ変換の難解な導き方」といえるだろうが、アインシュタインは、わざとこの導き方を提示したわけではない。このときは他の選択肢はなかったのである。

 しかし、この導き方はこの論文だけでなく、相対性理論からも忘れられていったように思われる。

 アインシュタインの2つのローレンツ変換の導き方や教科書・一般向けの解説書の説明を見ていて、わたしは、湯川秀樹の『旅人』を思い出した。                  

 未知の世界を探究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探究の結果として、できるのである。目的地がどこにあるのか、まだわからない。もちろん、目的地へ向かっての真直ぐな道など、できてはいない。
目の前にあるのは、先人がある所まで切り開いた道だけである。この道を真直ぐに切り開いていけば、目的地に到達できるのか、あるいは途中で、別の方向へ枝道をつけねばならないのか。
   「ずいぶんまわり道をしたものだ」
というのは、目的地を見つけた後の話である。後になって、真直ぐな道をつけることは、そんなに困難ではない。まわり道をしながら、そしてまた道を切り開きながら、とにかく目的地までたどりつくことが困難なのである。

 ローレンツ変換の導き方が、簡単になるのは、「後になって、真直ぐな道をつける」ことだからである。
 アインシュタインが「とにかく目的地まで」たどりついたとき、そこには微分方程式によるローレンツ変換の導き方があったのである。

 それを思いついた「時」を、想像してみよう。1922年の京都講演には次のような「ある麗しい日」の記憶が語られている。その日の夜に思いついたと限定できるのではないだろうか。

 けれどもこの光速不変は既に私たちの力学で知っている速度合成法則と相容れません。何故にこの二つの事柄はお互いに矛盾するのであろうか。私はここに非常な困難につき当たるのを感じました。私はローレンツの考えをどうにか変更しなければならないことを期待しながら、ほとんど一年ばかり無効な考察に費やさねばなりませんでした。そして私には容易にこの謎が解けないものであることを思わずにはいられませんでした。
 ところが[スイスの]ベルンにいた一人の私の友人[ミシェル・ベッソー]が偶然に私を助けてくれました。ある麗しい日でした。私は彼を訪ねてこう話しかけたのです。
 「私は近ごろどうしても自分にわからない問題を一つ持っている。今日はお前のところにその戦争を持ち込んで釆たのだ」
 と。私はそしていろいろな議論を彼との間に試みました。私はそれによって翻然として悟ることが出来るようになりました。
 次の日に私はすぐもう一度彼のもとに行ってそしていきなり言いました。
「ありがとう。私はもう自分の問題をすっかり解釈してしまったよ」
 私の解釈というのは、それは実に時間の概念に対するものであったのでした。つまり時間は絶対に定義せられるものではなく、時間と[光]信号速度との間に離すことの出来ない関係があるという事柄です。以前の異常な困難はこれですっかりと解くことが出来たのでした。
 この思い付きの後、五週間で今の特殊相対性原理が成り立ったのです。(「如何にして私は相対性理論を創ったか」安孫子誠也著『アインシュタイン相対性理論の誕生』参照)
 

 「時間と[光]信号速度との間に離すことの出来ない関係がある」という解釈の核心は、「時間の同調の定義を表した偏微分方程式」のことだったのではないかと思うのである。

 「時間の同調の定義を偏微分方程式に表す」過程をみておこう。

 「時間の同調の定義を偏微分方程式に表す」過程(桂愛景『基礎からの相対性理論』の113ページ)

 このように詳しく式が書いてあるとありがたい。式の移行をたどることができる。ここでは光の速さはcではなく、Vで表示してある。また、原‐7式とは岩波文庫での2番目の式である。桂愛景は次のように強調している。「一言だけ申し上げれば、本書が多くの数式で満たされ(結果としてむずかしそうな外観を呈し)ているのは、本書をできるだけやさしくしようとする意図によるものだということです」。その通りだと思う。
 
 さて、「動いている物体の電気力学」の原稿を、アインシュタインは棄てているようである。『神は老獪にして…』(アブラハム・パイス著/西島和彦監訳 産業図書1987)に、次のようにある。

 1943年の秋、アインシュタインは、当時プリンストン大学の図書館の司書であった、ジュリアン・ボイドの訪問を受けた。ボイドの訪問の目的は、6月論文(「動いている物体の電気力学」のこと――引用者注)の原稿を戦時公債売出しのための寄付として書籍・著者戦時公債委員会へ提供するように、アインシュタインに依頼することであった。アインシュタインは、出版した後で最初の原稿を棄ててしまったと返事をしたが、原文の写しを手書きで書いてもよいと付け加えた。この申し出は喜んで受け入れられた。アインシュタインはこの仕事を1943年11月21日に完成させた。委員会の主催で、この原稿は、1944年2月3日カソザス・シティで、カンザス・シティ女性市民クラブとカンザス・シティ戦時財政委員会の女性部門の後援のもとに、競売に付された。650万ドルでカンザス・シティ生命保険会社が入札を勝ちとった。その折に、アインシュタインとヴァレソティン・バーグマンの‘二重ベクトル場、と題する最初の不完全原稿が500万ドルで競売された。この出来事のすぐ後で、原稿は両方とも国会図書館に寄贈された。

 着目したいのは次である。

 6月論文の写しがどのようにして生まれたかを、へレン・ドゥカス(アインシュタインの秘書――引用者注)が私に話してくれた。彼女はアインシュタインの隣にすわり、原文を彼に口述したとのことであった。ある箇所で、アインシュタインはペンを置き、へレンの方を向き、そして彼女が口述したばかりのことを本当に自分が言っていたのかとたずねた。そうであることが確認されたとき、アインシュタインは「私はそのことをもっと簡単に言えたはずだ」と言った。

 「ある箇所」がどこかは、語られていない。しかし、わたしには、「時間の同調の定義を偏微分方程式に表す」場面だったと思われるのである。

参考文献

 アインシュタイン/内山龍雄訳『相対性理論』岩波文庫1988
 桂愛景『基礎からの相対性理論』サイエンスハウス 1988
 アインシュタイン/金子務訳『特殊および一般「相対性理論」について』白揚社 1991
 安孫子誠也『アインシュタイン相対性理論の誕生』講談社現代新書 2004
 アブラハム・パイス/西島和彦監訳『神は老獪にして…』産業図書1987




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2 コメント

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内山 相対性理論 (フータ)
2020-12-19 23:14:11
内山 相対性理論の微分方程式が分かりませんでしたが、ピッタリの解答があり感激しました。
さらに同じ飛騨在住の様で、私は飛騨でも南端の下呂市金山町(巨石群にもいらっしゃったようで)で、年齢も私が一つ下です。
今後とも色々ご教示の程願います。
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わかりにくい偏微分方程式 (kiichiro)
2020-12-21 09:55:08
12年前の記事ですね。参考にしていただいて感謝しております。
ついでに言えば飛騨出身ですが、いまは尾張に住んでいます。巨石群には感動しました。


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