対話とモノローグ

        弁証法のゆくえ

アインシュタインがヘルムホルツから引き継いだもの

2009-05-10 | アインシュタイン

 G・ホルトンの「アインシュタイン・マイケルソン・〈決定的〉実験」(『アインシュタイン研究』所収参照)を読んでいた。その中に、シャンクランドのインタヴューに答えた次のようなアインシュタインのことばが引用されていた。 

 自分の問題と格闘し、解を見出すためにあらゆることを試み、そしてついに得られた解は、きわめて遠周りをしたやり方でもたらされることが多い。これが正しい描像である。

 これは、アインシュタインが研究の心的過程をふりかえって述べたものである。湯川秀樹の「旅人」の精神と同じものだと思う。また、ヘルムホルツの「登山者」の精神と同じだと思う。
 
 ヘルムホルツは、マックスウェルの電磁場理論を改作してドイツに導入した科学者で、弟子にはヘルツがいる。アインシュタインは1899年の手紙の中で、ヘルムホルツの本に言及して、「ヘルムホルツの考えの独創性と独自性をますます尊敬するようになった」と記している。(安孫子誠也『アインシュタイン相対性理論の誕生』参照)

 ヘルムホルツの「登山者」。ハンス・セリエ『夢から発見へ』( 田多井 吉之介訳 1969年)のなかに引用されていたヘルムホルツのことばが強く印象に残っている。

 アインシュタインがヘルムホルツから引き継いだものは、熱力学や電磁気学だけではない。なによりも研究の姿勢そのものだったと思う。

 道を知らないで、苦しみながら上にゆっくり登り、もう歩けなくなって自分の足跡をもう一度たどらねばならない。だが、考えてみたら、幸運からか、ともかく新しい道筋を見つけ、またほんのちょっと進み、とうとう長くかかってたどりついたところ、正しい登山の知恵さえ心得ていたら、それを登ればよかったんだという広い道がそこにあるのを知って恥かしくなる。こんな山をさ迷っている人に自分をたとえてもらって、いっこう差し支えない。私の仕事について、読者には当然、自分の誤りについて何もいわなかった。そして、困難なしに高い頂上に登れる大きな道しか書きはしなかった。


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