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自然の中で見つけたステキなモノ

長崎街道歩き4 破籠井~鈴田峠

2010年07月28日 | 旅のお話

破籠井(わりごい)バス停傍にある案内標示

またまた長崎街道のお話です。5月4日、前日の東長崎~久山間の街道歩きに続き、この日は私の両親と兄ファミリーの3家族、総勢8名で破籠井~鈴田峠間を歩くことになりました。まずは朝8時半に西諫早にある実家に集合し、兄ファミリーとの集合場所である破籠井バス停へ向かいます


実家から30分ほど歩くと、破籠井のバス停に到着!兄ファミリーと合流し、いよいよ街道に入ります。

ここが街道の入り口です。民家の横の細道を辿っていくと・・・

ずっとアスファルトだった道が一変してたくさんの緑の木々に覆われた山道に!落ち葉でふわふわの旧長崎街道。こりゃ脚にも良さそうだ~

こうしてみると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。どこからか現れた二羽の鶏たちは、まるで私達を歓迎しているかのようでした



昔のままの街道をしばらく歩いていると、足元に真っ白なギンリョウソウ(銀竜草)を発見 これ、とっても変わった植物でしょう?数年前に植物図鑑でこのギンリョウソウの姿を見たときからずーっと実物を見てみたかったのですが、この街道でようやく対面を果たすことができました しかし生物のU先生によると、案外どこにでも生えていて、さほど珍しくない植物なのだとか。腐生植物(菌根を形成し、生活に必要な有機物を菌類から得ることで生活する植物)としてはもっとも有名なものの一つで、4~8月にかけてこの姿が見られるそうですよ。ちなみに別名はユウレイタケ。確かに色素がないから幽霊っぽくも見えますよね

私がギンリョウソウとの感動的な対面を果たしている間に、他のみんなはすたこらさっさと行ってしまいました 早く追いつかなきゃ~

しばらく歩いていると、大きな岩を発見 この日街道好きの義姉が持参した本に載っていた「どんばら岩」を探しながら歩いていたのですが、どうやらこの岩がそうのようです。

「どんばら」とは妊婦さんのお腹のことだそうで、今はバラバラに割れてしまっていますが、昔は一つの大きな岩だったそうで、ちょうど街道に突き出るような状態だったことからその名が付けられたのだとか。ご覧の通り、小2の姪っ子がすっぽりと入る大きさですが、周囲にはなんの説明も書かれていないので、知らなければ通り過ぎてしまいそうです。

さらにしばらく歩いていると、大渡野(おおどの)番所跡に到着!ここは佐賀藩の番所で、日野という場所にあることから日野番所とも呼ばれているそうです。

そしてここが江戸時代に大村藩と佐賀藩諫早領の藩境となった鈴田峠で、今でも大村市と諫早市の境となっています。案内板によると、長崎へ向かう諸大名や長崎奉行、江戸へ向かうオランダ商館長一行や、なんと象までもがこの道を通ったのだそうです。さらにあのオランダ商館医のシーボルトもこの峠で大村藩役人の出迎えを受けたんですって。今この街道を通る人はほとんどいませんが、当時は異国の文化も入り混じってとても賑わっていたのでしょうね~

番所を過ぎて旧大村藩である大村市へ。緑の道をてくてく下ります。

お!民家が見えてきたぞ~!ようやく峠を越えたようです。

道をさらに下っていくと、キリシタン大名大村純忠の家臣として活躍した渡辺伝弥久の墓を発見 もうちょっとまわりをきれいにしてあげたらいいのになぁ。

こちらは普通の民家のようですが、この立派な石垣はかなり歴史が古そうです。この美しい藤棚も昔からあったのかなぁ

さらに街道を進んでいくと、ちょっぴり長めの階段を登った先に古い神社を発見 この神社は大神宮といって、江戸時代にキリシタンの焼き討ちに遭い焼失した古松権現という神社を、藩主大村純信が再建し、明治時代には他の神社も合祀したため大神宮となったのだとか。なかなか趣のある佇まいです 少し高い場所にあるので、ここからの眺めもなかなかいいですよ~

大神宮の近くのバス停からバスに乗り、諫早の栄田町で下車したあと、西諫早の実家まで歩いて帰る途中に、岩茶屋跡を発見 ここでもところてんが振舞われていたんですって。昔から通りなれた道だったのですが、長い間この目印には気が付きませんでした。視点を変えるといくらでも新たな発見があるものですね~

街道歩きに始まり街道歩きに終わった今年のゴールデンウィーク。とっても健康的で、とっても経済的で、とっても有意義な過ごし方ができたと、我がファミリーは大満足のようでした さてはて、お次はどこを歩こうかな?次回はもう少し涼しくなってから歩きたいと思います