西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ヨハン・セバスティアン・バッハ

2007-03-21 10:09:26 | バロック
今日は、ドイツの作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハの生誕日です(1685年)。
手元のバッハに関する本にバッハの家系図が載っています。これを見ると、最初にファイト(-1577以前)という人が出ています。そして点線でつながれてヨハン(1550頃ー1626)、次に実線でつながれて(ここからはっきりしているということでしょうか)クリストフ(1613-61)、ヨハン・アンブロジウス(1645-95)、そして次が我がヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)となります。ベートーベンは、「バッハはバッハ(小川、の意)ではなく大洋だ」と言いましたが、もちろんこれは音楽史上のバッハの位置を言うのでしょうが、大バッハに至る家系図を見ると、一つの流れのようにおのずと考えられ、このベートーベンの言葉を思い出してしまいます。この奔流ともいうべき大バッハからはまた更に音楽家が数多く出ています。20人子供がいて、うち11人がバッハのあとに残ったと言うことですが、そのうち6人が音楽家として名を成しているということです。実にこのような意味からも、私は大バッハを「大洋」と呼びたく思います。
バッハといえば、オルガン曲を思い浮かべるほど、バッハとオルガンは繋がっていますが、「トッカータとフーガ」(BWV565)は青年バッハの最も後世に知られた名曲と言っていいでしょう。また「小フーガ ト短調」(BWV578)も有名です。オルガン曲の中の名曲をあげていったらきりがないことになるでしょう。およそ250曲もの作品を書いているのですから。
バッハの作品は、後世BWVの整理番号が付けられていますが、最後は1080です(最近は、そのあとの番号を付ける傾向もあるようですが)。そして、最後の2つ、1079と1080は楽器指定されていない特殊作品を持ってきていますが、また最晩年を飾る作品でもあります。BWV1079が「音楽の捧げ物」、BWV1080が「フーガの技法」です。これら2つの曲は、受ける印象は随分と違ったものですが、私はバッハの最高の作品と思っています。カンタータが、受難曲が、管弦楽曲が、器楽曲があるではないかと言われそうですが、バッハ65年の総決算がここにあるのではないかと思います。このうち、特に「フーガの技法」は難解な作品に思えます。現代音楽同様、私には理解できるものではないように思いますが、その曲の持つ凄さは感じているつもりです。

バイオリンを勉強すると、誰しも「メヌエット」を習いますが、私は習い始めてバッハのこの曲を弾けるようになった時、とても嬉しく思いました。その後、「ガボット」や「ブーレ」なども習いました。また、後には「2つのバイオリンのための協奏曲」や「バイオリン・ソナタ 第4番」なども勉強しました。名曲と推薦のレコード(CD)をあげる本がよく書店に出ていますが、ある音楽評論家が、ある楽曲の(バッハのインベンションだったか)、の推薦のレコードについて、それはあなたがピアノで弾いた演奏です、のようなことを書いていたのを思い出します。私は、バイオリンを演奏する時、その言葉を思い起こし、それを目指して演奏しようといつも思っています。

リヒテル

2007-03-20 10:36:16 | 音楽一般
今日は、ロシアのピアニスト、スヴャストラフ・リヒテルの生誕日です(1915年)。
彼の名前を見ると、いつもこの人はドイツからロシアへ行った人の子孫なんだろうなと思います。それはともあれ、私はリヒテルの演奏でその曲の良さを知ることがたびたびありました。もっとはっきりいえば、彼は間違いなく20世紀最高の演奏家の1人だと思っています。リヒテルの演奏するベートーベンの「熱情ソナタ」がその出会いの最初でしょうか。ライブ録音だったと思いますが、この演奏は、作曲者がこのような演奏を望んでいた、と思わせるようなものに私には思えました。私が最初に出会ったベートーベンのピアノ・ソナタは実は彼の演奏のこの曲だったのです。これは大変ラッキーなことだったと思っています。リヒテルは、なぜベートーベンのソナタを全曲残してくれなかったのだろうといつも残念に思っています。バッハのあの素晴らしい「平均律」の録音は全曲一気にしたのにと。特に、32番のソナタは正式に録音したのがあるのだろうか。31番は実演を放送したのをテープに録音した覚えがあります(今どこにそれがあるのやら、今度見つけたらCDに録音し直そうと思っています)が、ベートーベンのピアノ・ソナタの締めくくりとも言うべき、最高の作品32番はどうなのか、もし残っていないなら(どこかで見たようにも思いますが)とても残念なことです。またベートーベンのピアノ協奏曲もぜひ全曲録音して欲しかったですね。
代わりといってはなんですが、リヒテルはシューベルトの作品を、他の演奏家が録音してレコードを出す以前から多く取り上げて、出していたように思います。前にも述べましたが、シューベルトのピアノ・ソナタの絶品とも言うべき21番、これを残してくれたことには大きな感謝の気持ちを持っています。19番もあります。だけどその間の20番は、同様に傑作なのになぜ録音しなかったのか、いまもって私にはわかりません。中期の作品もリヒテルは割りと多く録音を残しています。他の演奏家では聞けない作品に対する透徹度が感じられる名演奏群と思っています。
しかしリヒテルの録音で、どうしても触れないわけには行かない名演奏があります。それはベートーベンの「三重協奏曲」です。これは20世紀の産んだ名盤といってよいでしょう。カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で、独奏者は他に、オイストラフとロストロポービチです。何という奇蹟の組み合わせなのだろうといつも思ってしまいます。「英雄交響曲」と「熱情ソナタ」に挟まれた作品番号56を持っていて、その両端の曲に作曲者の力の多くは注がれたのかなという感じがしないでもないですが、ベートーベンがこの作品を残してくれたのは、20世紀にこの偉大な演奏家4人を巡り合わせるためだったのかとさえ思ってしまいます。ベートーベンはピアノには素人の演奏家を想定してこの曲を作ったらしく技巧はそれほどのものを求めてはいませんが、ここでのリヒテルの演奏は、いかにもリヒテルらしい何度聴いても納得しうる名演を聴かせてくれます。最近の演奏を優れた録音で聴くのも良いですが、20世紀の名盤とも言うべきこの演奏はぜひ知って欲しいと思います。



ドボルザーク「チェロ協奏曲」

2007-03-19 10:08:37 | 国民楽派
今日は、チェコの生んだ最高の作曲家ドボルザークの「チェロ協奏曲」が初演された日です(1896年、ロンドン)。
ドボルザークといえば、誰しも「新世界交響曲」を思い浮かべ、彼の最後の交響曲ということもあり、確かに代表作たるべき作品ですが、私はこの「チェロ協奏曲」をもって彼の最高の作品と考えたい。「チェロ協奏曲」は、そのスケールの大きさ、内容の密度、彼の故国への深い思い、これらの点から見て素晴らしい作品であると思います。ブラームスは、この作品を指して、私が作曲したかった、のような言葉を残したという風に聞いていますが、彼の言葉を待つまでもなく偉大な作品であると思います。折に触れ何度もこのレコード等を聴いてきました。今その第2楽章が頭の中で鳴っています。ドボルザークの偉大な人間性を聞けるようで嬉しく思います。
カラヤン・ファンである私はここでも彼の唯一の録音を第1の名盤に上げたいと思います。独奏者はロストロボービチです。カラヤンが、大きく腕を振り上げた写真がレコードのジャケットに使われていました。因みに、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」がフィル・アップされていますが、もちろんこれも名演奏です。
同じく、ロストロボービチが独奏したジュリーニ指揮の演奏も素晴らしいものと思います。これは映像とともに鑑賞することができ、独奏者の並々ならぬこの曲への思い入れを見て取ることができます。私は、LD(レーザー・ディスク)を所持していますが、今はDVDでも出ているのだろうか。
ドボルザークは「新世界交響曲」が群を抜いて有名ですが、他にもスラブ舞曲はじめ優れた管弦楽曲をたくさん書いており、また室内楽曲も数多くあります。他に、歌劇もたくさん書いていて、宗教曲、歌曲にも聞いてみたい作品はたくさんあります。これからもまだ知らないドボルザークの作品に出会えることを楽しみにしている所です。



シェーンベルク「清められた夜」

2007-03-18 14:03:08 | 20世紀音楽
今日は、シェーンベルクの弦楽六重奏曲「清められた夜」が初演された日です(1902年、ウィーン)。この曲は、後に弦楽合奏曲として書き改められました。
カラヤンは、LP4枚組のいわゆる新ウィーン学派3人の作品をまとめて録音したことがあります。このセットは、当時の評論家諸氏のどぎもを抜いた素晴らしい演奏だったように思います。まだマーラーの交響曲を録音する前ということもあり、予想もしていなかったということもあるでしょう。グラモフォンでは、他に弦楽四重奏曲数をラサール弦楽四重奏団で、またリート集をフィッシャー・ディースカウでほとんど同じ時期に出しました。私はこれらのLPは新ウィーン学派を理解する最初の1歩と思い、今でも大事にしていますが、今以って彼らのいわゆる現代音楽は私の理解を超えているというのが正直な所です。ベルクのバイオリン協奏曲やウェーベルンの作品はいいなどという言葉を聞き、少しずつ理解しようと努めていますが、残念ながら今のところよくわかっていません。3人の中ではウェーベルンあたりからと思ったりしますが、私自身の中で、彼らの理解が熟するまで自然に待ちたいと思っています。何も焦ることはないですから。現代音楽へのスタンスは今のところそのような次第です。



ヴェルディ「アッティラ」

2007-03-17 18:06:08 | オペラ
今日は、ヴェルディの9番目のオペラ「アッティラ」が初演された日です(1846年、ヴェネツィア・フェニーチェ座)。
ヴェルディは先にも記したように生涯に26のオペラを書いたが、概ね3期に分けることができる。26のうち、第15作「スティフェリオ」までが第1期、第16作「リゴレット」から第23作「ドン・カルロ」までが第2期、そして第24作「アイーダ」から最後の第26作「ファルスタッフ」までが第3期である。数を書けば、順に15作、8作、3作となる。
第1期だけを考えると、第9作目の「アッティラ」は、その次の第10作「マクベス」には遠く及ばないが、成功作と看做されて良い。それはただ時のイタリアの政情によるといえよう。第3作「ナブッコ」がそうであったように、この劇中の「全世界の人々に訴えよ、我がイタリアはまだ我々のものではないのだ」との歌は謝肉祭で賑わう町の観客たちに深い感動をもたらしたということだ。
異民族フンの王アッティラは、452年イタリアに侵攻し、ベロナ、ミラノなどを掠奪した後、ローマ教皇レオ1世の説得により撤退する。その後、史実では、アッティラは病死するのであるが、劇では暗殺されたとした。
アッティラは、ワーグナーの長大な「ニーベルンクの指輪」の原作ともいうべき「ニーベルンゲンの歌」などの伝承文学にもエッツェルの名で登場している。
ヴェルディは、このオペラの成功を思いがけぬものと考え、それを「多分みなこの曲を本当に理解していないからではないか」と疑い、また友人のこれまでで最高の作品との褒め言葉にも「私は決してそうは考えていない、それは時が明らかにするだろう」と言っている。

「タイスの瞑想曲」

2007-03-16 11:01:08 | 音楽一般
今日は、マスネの歌劇「タイス」の初演された日です(1894年、パリ・オペラ座)。有名なマスネの「瞑想曲」はこの「タイス」中の管弦楽曲です。この曲は本当に名曲だと思います。バイオリンの曲集にもあり、私も勉強しました。メロディーが浮かんできます。
辞典を見ると、マスネは数多くの歌劇、管弦楽曲、歌曲を残していますが、私はこの作品以外ほとんど知りません。CD店では、歌劇「マノン」や「ウェルテル」などを見かけることもありますが、今のところ所持していません。レコードで組曲「絵のような風景」やオペラ・アリア集を持っていたかな。そんな所で、あまり楽曲はこの曲以外には頭に残っていません。
さらに辞典を見ると歌劇の項には「エロディアード」「ル・シッド」「サフォー」「クレオパトラ」など歴史上の人物に題材を得た作品があり、少し興味をそそられます。また組曲にも、「ハンガリーの風景」「ナポリの風景」「アルザスの風景」などがあるようで、聞いてみたい気がします。
解説に、近代音楽の動きからは保守派とみなされとありますが、門下からピエルネやシャルパンティエが出たということですから、やはりフランス音楽史の中では、知っておきたい作曲家です。



ベートーベン「第4交響曲」

2007-03-15 15:30:44 | 古典派
1807年の今日、ベートーベンの「第4交響曲」がウィーンのロプコヴッツ侯爵邸で初演されました。第3「英雄」と第5「運命」の間に挟まれたこの曲は、シューマンによって「北欧の2巨人によって囲まれたギリシアのか弱い乙女」と形容された。「か弱い乙女」の表現があっているかどうかは各人の判定に回すとしても両端が巨人であることは否定し得ないであろう。
ところで、ロプコヴッツ侯爵であるが、彼はボヘミア出身の貴族で、自身バイオリンを演奏した音楽愛好家で、ベートーベンからは多くの作品を贈られる仲であった。彼は、自邸にオーケストラを持ち、よくベートーベンの作品を演奏した。「英雄」交響曲は1805年4月に初演されたが、実は前年の暮れにこのロプコヴッツ侯爵邸で私的な初演がなされている。9曲の交響曲のうち、第3・5・6の3つまでもが彼に献呈されている(うち第5・6の2つはラズモフスキー伯爵との共同献呈)。ロプコヴッツ侯爵は、ベートーベンを生活の上でも支えていて、1809年には、ルドルフ大公、キンスキー侯爵と共に年金を与えることに尽力したが、ロプコヴッツ侯爵は1811年夏に破産してしまった。それからは、ナポレオン戦争後の貨幣価値の暴落で、ベートーベンの生活は更に苦しくなってしまったということだ。
ロプコヴッツ侯爵には、他に弦楽四重奏曲の作品18の6曲と第10番「ハープ」などが献呈されている。

テレマン

2007-03-14 10:45:28 | バロック
今日は、ドイツの作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマンの生誕日です(1681年)。辞典によると、ドイツの後期バロックの大作曲家とあり、名声はかの大バッハを凌いだ、とあります。今では、バッハを凌ぐなど、考えられず、音楽史では正当な評価がなされていますが、当時はそのようだったということです。
テレマンというと、クラシック・レコードをたくさん聴くようなになった時、レコード店で「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」のLPがならんでいたのを思い出します。アルヒーフだったと思います。レコード2枚組で3巻になって出ていました。欲しいと思いましたが、結局買わなかった思い出があります。今でも持っていたいと思いますが。もちろん今はCDで探せば昔の数分の1くらいの値段で買えることでしょう。
テレマンはわずかですが、レコードを所持し、聴いています。なぜ「ターフェルムジーク」のLP6枚を買わなかったかですが、ちょっとテレマンに付き合っていたら大変だ、というのもあります。その作品は、あらゆる分野にわたり、数千曲あるということです。千数百曲ではありません。数千曲です。あるとき、テレマンが、どのくらい作曲したかと聞かれ、そんなのわかるはずない、といった逸話が伝わっています。このようなものすごい音楽家がいたのですね。

大学時代友人に、どんな作曲家が好きかと聞いたら、「あまり知られてないけど、テレマンが好き」といった人がいました。テレマンの名を見るたびにその友人の言葉を思い出します。



メンデルスゾーン「バイオリン協奏曲」

2007-03-13 11:35:47 | ロマン派
今日は、メンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲 ホ短調」が初演された日です(1845年、ライプチヒ)。この曲は、ベートーベン、ブラームスのそれと共に「3大協奏曲」などとも言われるバイオリン協奏曲の傑作です。私はこの曲の出だしのソロの主題部分を聴くと、いつも女性的な曲だなという印象を持ちます。それはともあれ、これは全体のバランスというのか、とてもよくできた傑作だと思います。上にあげた3人の作曲家は、いずれも一つしかバイオリン協奏曲を書いていないと長らくいわれていました。しかし、このメンデルスゾーンは若い時(13歳!)にもう一つ書いていて1つだけではないことがわかりました(もう50年以上も前ですが)。そしてこの作品は、あまりパッとしない曲のようで見つからなかった方が良かったという人もいます。しかしこのような習作があってこそ、名曲ができるのだと思います。ブラームスだったら、破棄したでしょうが。
以前、中学生時代の音楽のノートをぱらぱらと捲ったら、この曲の第1楽章を聴いたようなことが書いてありました。全く記憶にありませんでした。普通、後に音楽関係に進むほどの人だったら、このような曲を聴けば、それがきっかけで何か楽器を始めるとかということもあるでしょうが。しかし、音楽の問題集などを勉強するのは好きでした。今は、高校入試に音楽や美術などは考えられませんが、当時はありました。しかし、なんでいろいろな調があるのか、よくわかりませんでした。今も分からないというべきですが。しかし最近ある記事を見てはっと思いました。シャープが多くつくほど神に近くなり、フラットが多くつくほど人間らしくなる、というものでした。長年の疑問を簡単に言われた感じで、ちょっと驚きましたが、少し疑問が解けたような気がします。試しに、ブルックナーの第9の第3楽章を見るとシャープが4つで終っています。ベートーベンの「英雄」交響曲はフラット3つの変ホ長調ですね。この2つを出して納得すると単純すぎると言われそうですが、自分では何かヒントを与えられた気がします。今書いてあった新聞を見つけようとしましたが、見つかりませんでした。とにかくこう教えてくれたのは、今をときめくバイロイトでも日本人として始めて指揮したO氏なのですから。記事が見つかったらまたその時書きたいと思います。



クナッパーツブッシュ

2007-03-12 10:29:51 | 音楽一般
今日は、ドイツの指揮者ハンス・クナッパーツブッシュの生誕日です(1888年)。なくなったのが1965年ですから、もう40年以上前です。私が、この指揮者の名前を知ったのは、ブルックナーの交響曲を熱心に聴くようになってからだと思います。すなわち、クナの8番は絶対に聴くべきだ、とかそんな言葉を聞いたからだと思います。クナッパーツブッシュ(人によってはクナッペルツブッシュという人もいます)がミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したブルックナーの交響曲第8番は名演である、ということです。買い求めました。白いジャケットに入った2枚組(LP)です。それを聴いて本当にこれは素晴らしいと思ったかどうか、また今も思っているかどうかはなんとも言えませんが、ブルックナーのいろんな演奏を聴いてみたいと思い、コレクションに買ったのだと思います。まだ、といっても買ってから随分経ちますが、その演奏の良し悪しを理解するほど聞いていないのかも知れません。
クナというと、吊りズボン姿が目に浮かびます。またこの人の逸話で、ウィーン・フィルハーモニーを指揮するときでしょうか、私もその曲を良く知っている、君たちも良く知っている、だから練習はもうしなくてよい、とか言ったという話があります。指揮者ってそんなものなのかなと思いました。カラヤンは決してそのようなことはしないでしょう。学生オケであるかのごとく、ベルリン・フィルの楽団員たちにパート別に演奏させたりしたという話もありますから。
その後、クナのブルックナーの9番も買い求めたように思います。あと7番も。やはり、音楽評論家が良いというのですから、良いものだと思っています。これからも折に触れて、クナのブルックナーを聴いてみたいと思います。