今日は、ベートーベンの「レオノーレ序曲第3番」が初演された日です(1806年、ウィーン)。
ベートーベンは、1814年に唯一の歌劇「フィデリオ」を上演したが、これは元々は「レオノーレ」と呼ばれる歌劇で1805年に上演された。このときの序曲は「レオノーレ序曲第2番」である。3回上演されたが、評判が上がらず打ち切られた。そのため、翌1806年、改訂版を作り上演した。この時の序曲が「レオノーレ序曲第3番」である。これも成功せず、2回で上演が打ち切られた。それから8年後、更なる改訂を加え、タイトルも変え上演された。歌劇「フィデリオ」の誕生である。今度は、16回も上演されるほどの大成功となった。この時の初演では、序曲に「アテネの廃墟」の序曲が使われ、第2回公演から使われたのが、「フィデリオ序曲」である。では「レオノーレ序曲第1番」はどうしたのかというと、これは1807年に作曲されたが、初演されたのは作曲者の死後の1828年で、この時作品番号は138と最後の作品番号が打たれた。このように歌劇「フィデリオ」は全部で4つの序曲が作られ、最終版では「フィデリオ序曲」で開始し、No.16の前に「レオノーレ序曲第3番」が演奏される形になった。なんともややこしい歌劇「フィデリオ」の序曲である。
「レオノーレ序曲第3番」であるが、多少音楽を聴き始めベートーベンの音楽に夢中になり始めた頃の高校時代であったが、あるとき周囲のもので、この「レオノーレ序曲第3番」の名を言うものがいた。第3番というからには1番2番もあるわけで、第3番が何を意味するのか分からないといった所だった。この名を口にしたものは自分より下なのに良く知っているなあなどと、そんなことを思ったのをこの作品名を見ると思い出します。それからは、誰にも負けないくらいベートーベンを知りたく思い、生誕200周年記念で発売されたレコード全集(12巻87枚)を買うまでになりました。そしたら、そこには宝の山と言うか、本当に人類の遺産とも言うべき偉大な精神の調べがありました。そしてますますベートーベンをいろいろ勉強したくなり、また自分でも演奏できたらと思ったのがこの頃だったと思います。
ベートーベンは、1814年に唯一の歌劇「フィデリオ」を上演したが、これは元々は「レオノーレ」と呼ばれる歌劇で1805年に上演された。このときの序曲は「レオノーレ序曲第2番」である。3回上演されたが、評判が上がらず打ち切られた。そのため、翌1806年、改訂版を作り上演した。この時の序曲が「レオノーレ序曲第3番」である。これも成功せず、2回で上演が打ち切られた。それから8年後、更なる改訂を加え、タイトルも変え上演された。歌劇「フィデリオ」の誕生である。今度は、16回も上演されるほどの大成功となった。この時の初演では、序曲に「アテネの廃墟」の序曲が使われ、第2回公演から使われたのが、「フィデリオ序曲」である。では「レオノーレ序曲第1番」はどうしたのかというと、これは1807年に作曲されたが、初演されたのは作曲者の死後の1828年で、この時作品番号は138と最後の作品番号が打たれた。このように歌劇「フィデリオ」は全部で4つの序曲が作られ、最終版では「フィデリオ序曲」で開始し、No.16の前に「レオノーレ序曲第3番」が演奏される形になった。なんともややこしい歌劇「フィデリオ」の序曲である。
「レオノーレ序曲第3番」であるが、多少音楽を聴き始めベートーベンの音楽に夢中になり始めた頃の高校時代であったが、あるとき周囲のもので、この「レオノーレ序曲第3番」の名を言うものがいた。第3番というからには1番2番もあるわけで、第3番が何を意味するのか分からないといった所だった。この名を口にしたものは自分より下なのに良く知っているなあなどと、そんなことを思ったのをこの作品名を見ると思い出します。それからは、誰にも負けないくらいベートーベンを知りたく思い、生誕200周年記念で発売されたレコード全集(12巻87枚)を買うまでになりました。そしたら、そこには宝の山と言うか、本当に人類の遺産とも言うべき偉大な精神の調べがありました。そしてますますベートーベンをいろいろ勉強したくなり、また自分でも演奏できたらと思ったのがこの頃だったと思います。