怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

高野秀幸×清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」

2024-05-11 18:13:42 | 
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をもじった何とも人を食った題名の本ですけど至って真面目な内容です。

高野秀幸は肩書的には冒険家かつノンフィクションライターになるのか。出世作と言うか私が高野さんを知ったのは「謎の独立国家ソマリランド」。これは講談社ノンフィクション賞を受賞していて評判になりました。私もこのブログでレビューしているのでよろしければ読んでください。
清水克行は歴史家で日本中世史が専門。著書の「喧嘩両成敗の誕生」で評価されましたが残念ながら私は今回初めて知りました。清水さんは法律がどのように機能しているかを見るのに貴族の日記などから事例を拾い集めるアプローチをとっている。成文法の法解釈ではなくどのように機能しているか見て当時の社会事情を探っている。
こんな異色の組み合わせですが、面白い対談になっています。
鎌倉殿の13人の影響もあって鎌倉時代から室町時代の歴史がどうなっているのか分かりやすく書いてある新書本を手に取っているのですが、政治の流れはともかく当時の人々がどういう心情でそういう行動をとり政治が動いているのかがイマイチ腹に落ちない面がありました。中世の人々はどういう心性で生活をしていて争いごとはどういう価値判断で解決されていくのか?
ところが、日本の中世、室町時代の日本人と現代のソマリ人が非常に似ていると言うのです。
表向きは国家としての法律があり、支配者層はその法に基づき秩序を保っているのですが、住民の側では別の論理があって、その論理に基づくルールと秩序には支配者層も踏み込めない重層的な構造になっている。アジア・アフリカ諸国の現実では表向きは西洋式の近代的な法律があって、実際には伝統的と言うか土着的な方や掟が残っていて、矛盾していたりぶつかり合っていたりする。複数の秩序がせめぎあっている。中世の日本も幕府法などの公権力が定めるほうがある一方で、それとは別次元の村落や地域社会や職人集団の中で通用する法慣習があって、訴訟になると互いに都合のいい法理を持ち出して正統性を主張する。お互いに顔の見える社会ではお互いの監視が効いて地域の治安が保てれている。そう考えてみると見えてくることがある。逆に都会の方が顔が見えない社会である意味力のあるものがやりたい放題できるので危険な世界。
因みにソマリアの内戦も応仁の乱も戦争の中心が都だったのが共通点で、都がいくら荒廃しても誰かが完全制圧するまで戦場は移ることなく長引き外部勢力も介入してきて、戦争の構図が複雑になって訳が分からなくなってくる。結果ダラダラと戦いは続き終わりが見えなくなる。
室町時代には徳政一揆が頻発するのだが、単に借金棒引き清算の動きではなくて、農村の食えない人たちが首都の富を奪いに襲ってくる略奪行為。応仁の乱の間には徳政一揆は全く起きないのだが、乱の間は略奪集団が足軽に姿を替えて京都を襲っていたから。食いつめものが首都の富を争奪すると言う面ではソマリアも同じ。足軽の認識を改めなくてはいけないのだが、戦国武将が喰いつめものを足軽として統制下に置くことにって一揆も収まっていくのか。
当時は関所と山賊は紙一重で、山賊みたいな連中がかってに立てた関所があちこちにあった。略奪しないかわりに縄張りを無事通過するための通行料を支払わせる。これはソマリアでもアフガニスタンでも一緒。信長が関所を廃止して楽市楽座にしたと言うのは跋扈する山賊?地方軍閥?を取り締まる治安維持活動だったのか。
ソマリアでもアフガニスタンでも内戦のさなかにイスラム主義過激派が出てくるのだが、軍閥が抜港し内戦が続き生活が成り立たなくなって、もうどうにでもなれとなった時カオスよりも専制が選ばれイスラム主義が台頭してくる。その様子は信長が台頭してくる時と似ているとか。信長は正義とか公平を重視しているのだが、その点もイスラム主義と似ている。まあ、信長の台頭についてはもっといろいろな要素があると思うのですけど。
日本の中世は文書としての記録が結構残っていて、それはソマリアではない。日本の公家は熱心に日記を書いていて、それは毎年同じように宮中行事を続ける必要があり、子孫のために備忘録として残していた。ただ江戸時代の様に膨大な文書がある訳ではなく中世の史料は主だったところは大体本になって刊行されている。だから今の中世史研究者は崩し字が読めなくても論文が書けるとか。中世史の古文書は適量で一人の研究者が一生かけてざっと見ることが出来るぐらいの量が残っている。近世史になると量が膨大になって活字化されていない文書もどこかの蔵とかにかなり眠っている。さすがに古代になると文書として残っているものは少なくて、限られた文献を考古学知見とともにどう解釈するかという世界になるみたいですが、在野の研究者としてはそこが色々解釈できて面白いのでしょう。
二人の話はここには書ききれないのですが、日本の中世、ソマリアにとどまらずにどんどん展開していくので、知的刺激に満ちています。
文庫本で約400ページ、詳しい用語解説もあり、ボーナストラックの文庫化記念対談もついていますので840円はお値打ちですけど、私は図書館で借りました。



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