怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

名古屋市立大学「お城」連続講座第3回

2024-02-12 18:09:34 | Weblog
新聞で名古屋市立大学寄付講座(名古屋近世学)開設記念の連続講座第3回「家康の城の特色」の募集記事を見たので、申し込んだら運よく当選。友人を誘って行ってきました。

名古屋市教育センターで13時開演で12時開場だったのですが、お昼を食べて12時40分ごろに会場到着したら受付に長蛇の列。今はちょっとしたお城ブームなのでみんな関心が高いのかお昼もそこそこの人が多いみたいで出遅れました。なんとか後ろの方に空きを見つけて着席しましたが、時間までどんどん人が入ってきます。
教育センターは定員800人。なんでも最初の浅井学長の挨拶によるとこの連続講座、人気が高くて段々収容人員の多い会場にしたのですが、それでも今回は定員の倍の応募があったとか。当選したのは幸運でした。確かに会場の座席はほぼ全部埋まっていて盛況です。

最初は石垣が専門の佐賀大学教授の宮武正登さんの講演。家康は城作りが下手と言われているけど決してそんなことはない。石垣を見てみると家康の作った城は先進的な手法をきちんと取り入れている。石垣を見て時代が一番わかるのは角隅。戦国後期に急速に石垣が発達するのですが、野面積みでも次第に算木積みの手法が取り入れられてくるようになり、角の線がきれいになってくる。当初は自然石を積み上げただけでデコボコなのだが次第に形が整ってくる。長い石を交互に積み上げ間に敷石を入れて補強する。その積み方によって時代が分かるのだが、例えば岡崎城の一部の石垣では途中で明らかに不連続な面があり下部は家康の時代の積み方。不連続なところを見ていくと石垣の経てきた時代の変遷が分かる。今の大阪城は夏の陣後に徳川が再建したものですが、発掘により埋まっていた大阪時代の石垣が出て来て時代の変遷が分かる。時代とともに石垣の石の加工技術が上がってきて表面が平らに加工され隙間なくきれいに積み上がるのだが、石垣の土木技術と石の加工技術は別なので、一番肝心なことは積み方みたいです。
う~ん、石垣一つでも奥が深い。後で千田先生が言っていましたが、石垣だけで1時間講演する宮武先生はすごい!
第2部は千田先生の講演。奈良大学教授だったのですが、23年の9月から名市大の教授になりました。愛知県出身で名大付属中高卒業なのでやっぱり名古屋がよかったのでしょうか。最近ではお城の専門家と言うことでテレビの歴史番組の出演も多く、お城ブームに乗って売れっ子です。そのためかステージ慣れしていて愛想を振りまき、受け狙いのギャグもふんだんでした。
家康の城と言えば何といっても名古屋城なのですが、この名古屋城は馬出が沢山作られ重厚な枡形虎口と言い極めて戦闘的な城。しかし本丸南の馬出は残念なことに大正時代に撤去されてしまったとか。また当初建設している時には豊臣の脅威が大きかったのですが、建設途中には豊臣をほぼ大阪に押し込めており、城の位置づけも戦闘色が薄まっている。実は名古屋城天守西側の石垣に穴を埋めた跡があるのだが、これが何か不明だったのが、お濠の調査によって基礎が見つかり西側に小天守を建てる予定で天守とつなぐ通路を作るための穴だったことが分かった。結局西側小天守は必要ないと言うことになり、謎の穴を埋め後だけが残り今に至ったと言うことです。さすがお城研究の第一人者、話は面白く話題豊富で引き込まれました。
今回は第3回と言うことで徳川の城についてでしたが、第1回、第2回の信長の城、秀吉の城についての講演も聞きたかったと思ってもこれは後の祭りでした。
最後に第3部として宮武教授、千田教授が出て来てお城談義。

会場からあらかじめ出されていた質問に答える形でフリートークなのですが、ちょっとびっくりしたのが質問のほとんどは十代の人から。会場を見渡せば圧倒的に高齢者が多かったと思いますが、同じような質問だったら出来るだけ若い人の質問を優先したと言うことなのでしょうけど、熱心なお城ファンの若者も多いみたいです。
千田教授は盛んに名市大のPRをしていましたが、学長も来ていたことだし赴任したばかりなのでヨイショに励んでいました。
講演会はほぼ2時間30分でしたが、内容豊富で興味深く講演を聞くことが出来ました。

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