小説の面白さは、身につまされることと我を忘れることということを聞いたことがある。
これは定年退職をし、外郭団体で隠居のような生活を送っている私にとってまさに身につまされる小説。団塊の世代がちょうど主人公と同じ世代になることもあってよく売れています。
でも、ちょっと身につまされすぎて途中で読むすすむことが辛くなるほど切ない。

主人公は東大法学部を卒業し、メガバンクに就職し、バリバリ仕事をして順調に出世したのだが、最後は出世競争に敗れ子会社へ転籍。
う~ん、銀行って国家公務員の上級職と一緒でどんどん振り落とされて、子会社に飛ばされるんですよね。いわゆるボード入りして取締役になるのは同期で一人か二人かというとこ。
その子会社を63歳で定年退職するところから話は始まるのですが、退職当日の送別のセレモニーは「生前葬」みたいだという感想。まあ、歯の浮いたような送別の言葉とともに花束貰ってハイヤーで送ってもらうなんて恥ずかしいことですよね。私もそれが嫌で3月31日には職場の人たちと大宴会してヘロヘロで帰りましたけど。これはこれで迷惑だったかな。
前半は退職後の無聊を如何ともしがたく煩悶している姿の描写。マイナスオーラーを出しまくって家でぐじぐじしているとあまりにも情けない。
家にいてお中元を受け取るのだが、今までは山ほど来ていたものが今年は2つだけ。つくづくそう言う類のものは会社の役職に来ていたものと思い知らされます。まあ、私は仕事柄そういうものには縁がなかったので退職しても何にも感じませんでしたけど。代わりに株主優待株を持っていましたので優待品がお中元、お歳暮代わりだったんんでこれは今もいただけます。
40過ぎてから資格を取って美容師として働いている妻からは何もすることなく家にいるとうっとうしがられ、旅行でも行こうかと言っても1泊ならば行ってやってもいいよと言われる始末。恥を忍んでハローワークにも行くのですが、東大卒の銀行の本部部長という経歴から恐れをなされて逆に断られてしまいます。ボードまで行かなくてもそれなりの学歴と職歴ではちょっとそこらの中小企業に入るのも敷居が高いみたいです。
仕方ないから最初は嫌っていたフィットネスクラブとかカルチャースクールに行くのですが、平日の昼間には当然ながらジジババばかり。年寄ファッションに身を包み、終わってランチでジジババ話をする。最初はそういうところを嫌悪していたのですが、徐々にそれもありかとなじんでいく。
そのうちあまりにも暇なのでもう少し何かしなくちゃと大学院入学を目指す。ところがそのために行ったカルチャースクールの受け付けのバツイチアラフォーの女性と食事をする機会があって舞い上がる。こうなると気持ちは止まらないんでのめり込んでいくんですよね。と言っても食事をするぐらいですけど。妻も娘もあまりに覇気のない姿に恋でもしたらとけしかける始末なので、丁度いいタイミングだったんですけど、家族にそんなこと言われるのもなんだかな~そういうのは家族から勧められるものでもないでしょう。まあ、娘には女性にとってめし付き一般親父はありがたい存在だからと鋭く指摘されるのですけど。
でもやることもなくて暇を持て余しこうなっていく心の動きは本当に身につまされます。
ところが話はここから急転直下、激しく転回していきます。
フィットネスクラブで知り合ったIT会社の社長さんから経歴を見込まれて顧問就任を打診されます。こうなったら張り切ること。大学院もフィットネスジムもカルチャースクールも、そして彼女もどうでもよくなってしまいます。必要とされるところで働くということは大変な喜びということでしょう。
いみじくもなじみのママさんから就職する前はスーツが息をしていなかったけど今はスーツが息をしていると言われます。何となくわかるな…
そうやって張り切って仕事をし、社長からも高く評価されていたのですが、突然社長が急死。取締役たちに請われて社長を引き受けることに。
話はそこから二転三転していくのですが、これ以上書いてしまうと興味をそぐので、あとはどうか実際に読んでみてください。
最後はちょっと悲惨な結果になって故郷の盛岡に一人帰っていくのですが、私は実家にはもう呆けた母しかいなくて、15分以上話していると頭が癇癪起こしそうなので顔は出すけどなるべく15分以内で帰るようにしているんですけどね。
それにしても免許職種とか手に職ある人たちは定年関係なく体が動く限り活躍する機会があるのですが、事務職でジェネラリストでキャリアを積んできた人は熟練も企業内ドメスティックにとどまり他所ではなかなか通用しないし、評価されない。企業を離れるとともにどこからも必要とされなくなってしまうのも仕方ない。
この小説にはいろいろな格言も出てきて結構胸に突き刺さるのも一興です。
ちょっと紹介すると
年齢や能力の衰えを泰然と受け入れることこそ、人間の品格
会社人間としてやり切った、思い残すことはないという感覚を持てないので成仏していない
オヤジの話は若い男と違って面白いとかもあるし、メシ付き一般オヤジは女の子にとって切るにはもったいないだけ
かけがえのない人は「友達としてみている人」のこと。
定年前は朝まで飲んで定年後は朝から飲んで
思い出と戦っても勝てない
私は定年後の今も一応働いているけど残りは1年半。半分「終わった人」から全部「終わった人」になります。成仏しているようなしていないような。幸いなことにテニスの事務方をやっているので、かろうじてその分だけは必要とされているかも。それにしても人生の軟着陸は難しそうです。
これは定年退職をし、外郭団体で隠居のような生活を送っている私にとってまさに身につまされる小説。団塊の世代がちょうど主人公と同じ世代になることもあってよく売れています。
でも、ちょっと身につまされすぎて途中で読むすすむことが辛くなるほど切ない。

主人公は東大法学部を卒業し、メガバンクに就職し、バリバリ仕事をして順調に出世したのだが、最後は出世競争に敗れ子会社へ転籍。
う~ん、銀行って国家公務員の上級職と一緒でどんどん振り落とされて、子会社に飛ばされるんですよね。いわゆるボード入りして取締役になるのは同期で一人か二人かというとこ。
その子会社を63歳で定年退職するところから話は始まるのですが、退職当日の送別のセレモニーは「生前葬」みたいだという感想。まあ、歯の浮いたような送別の言葉とともに花束貰ってハイヤーで送ってもらうなんて恥ずかしいことですよね。私もそれが嫌で3月31日には職場の人たちと大宴会してヘロヘロで帰りましたけど。これはこれで迷惑だったかな。
前半は退職後の無聊を如何ともしがたく煩悶している姿の描写。マイナスオーラーを出しまくって家でぐじぐじしているとあまりにも情けない。
家にいてお中元を受け取るのだが、今までは山ほど来ていたものが今年は2つだけ。つくづくそう言う類のものは会社の役職に来ていたものと思い知らされます。まあ、私は仕事柄そういうものには縁がなかったので退職しても何にも感じませんでしたけど。代わりに株主優待株を持っていましたので優待品がお中元、お歳暮代わりだったんんでこれは今もいただけます。
40過ぎてから資格を取って美容師として働いている妻からは何もすることなく家にいるとうっとうしがられ、旅行でも行こうかと言っても1泊ならば行ってやってもいいよと言われる始末。恥を忍んでハローワークにも行くのですが、東大卒の銀行の本部部長という経歴から恐れをなされて逆に断られてしまいます。ボードまで行かなくてもそれなりの学歴と職歴ではちょっとそこらの中小企業に入るのも敷居が高いみたいです。
仕方ないから最初は嫌っていたフィットネスクラブとかカルチャースクールに行くのですが、平日の昼間には当然ながらジジババばかり。年寄ファッションに身を包み、終わってランチでジジババ話をする。最初はそういうところを嫌悪していたのですが、徐々にそれもありかとなじんでいく。
そのうちあまりにも暇なのでもう少し何かしなくちゃと大学院入学を目指す。ところがそのために行ったカルチャースクールの受け付けのバツイチアラフォーの女性と食事をする機会があって舞い上がる。こうなると気持ちは止まらないんでのめり込んでいくんですよね。と言っても食事をするぐらいですけど。妻も娘もあまりに覇気のない姿に恋でもしたらとけしかける始末なので、丁度いいタイミングだったんですけど、家族にそんなこと言われるのもなんだかな~そういうのは家族から勧められるものでもないでしょう。まあ、娘には女性にとってめし付き一般親父はありがたい存在だからと鋭く指摘されるのですけど。
でもやることもなくて暇を持て余しこうなっていく心の動きは本当に身につまされます。
ところが話はここから急転直下、激しく転回していきます。
フィットネスクラブで知り合ったIT会社の社長さんから経歴を見込まれて顧問就任を打診されます。こうなったら張り切ること。大学院もフィットネスジムもカルチャースクールも、そして彼女もどうでもよくなってしまいます。必要とされるところで働くということは大変な喜びということでしょう。
いみじくもなじみのママさんから就職する前はスーツが息をしていなかったけど今はスーツが息をしていると言われます。何となくわかるな…
そうやって張り切って仕事をし、社長からも高く評価されていたのですが、突然社長が急死。取締役たちに請われて社長を引き受けることに。
話はそこから二転三転していくのですが、これ以上書いてしまうと興味をそぐので、あとはどうか実際に読んでみてください。
最後はちょっと悲惨な結果になって故郷の盛岡に一人帰っていくのですが、私は実家にはもう呆けた母しかいなくて、15分以上話していると頭が癇癪起こしそうなので顔は出すけどなるべく15分以内で帰るようにしているんですけどね。
それにしても免許職種とか手に職ある人たちは定年関係なく体が動く限り活躍する機会があるのですが、事務職でジェネラリストでキャリアを積んできた人は熟練も企業内ドメスティックにとどまり他所ではなかなか通用しないし、評価されない。企業を離れるとともにどこからも必要とされなくなってしまうのも仕方ない。
この小説にはいろいろな格言も出てきて結構胸に突き刺さるのも一興です。
ちょっと紹介すると
年齢や能力の衰えを泰然と受け入れることこそ、人間の品格
会社人間としてやり切った、思い残すことはないという感覚を持てないので成仏していない
オヤジの話は若い男と違って面白いとかもあるし、メシ付き一般オヤジは女の子にとって切るにはもったいないだけ
かけがえのない人は「友達としてみている人」のこと。
定年前は朝まで飲んで定年後は朝から飲んで
思い出と戦っても勝てない
私は定年後の今も一応働いているけど残りは1年半。半分「終わった人」から全部「終わった人」になります。成仏しているようなしていないような。幸いなことにテニスの事務方をやっているので、かろうじてその分だけは必要とされているかも。それにしても人生の軟着陸は難しそうです。