怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

商店街はなぜ滅びるのか

2012-09-06 20:47:25 | 
光文社新書だとおもって、字も大きくて読みやすいと思ったらちょっと違います。
新鋭社会学者である著者の初めての単独の著書なので、気合が入っているのか、それなりに言葉は学術的で参考・引用文献もたくさんでてきます。

商店街は、古くからの門前町とかは別にして、ほとんどは20世紀になって人為的に作られたものということから、どう繁栄して、衰退していったのか、そして未来はあるのか再生できるのかということまで書き進んであります。
今まで商店街というものをその生成から体系的に記述したものがあまりなかったので、その論理は新鮮でした。
しかしこの本を読むのなら最初に「あとがき」から読んだほうがいいかもしれません。
著者は北九州市の酒屋の長男として生まれ、両親の働く姿を見て育っている。しかし著者は両親の酒屋を疎んじていた。父親がサントリーやキリンのTシャツを着て日本酒メーカーの前掛けを働く姿がいやだった。いつも家の中はうるさく、一家団欒の食事は望むべくもない、家の中には在庫があふれ狭いスペースで生活していた。
それでも子どもたちは著者が東京の大学院まで進学したように何不自由なく育てられた。しかし、著者はサラリーマン家庭に憧れ、スーツを着た父親とそれを待つ母親が当たり前の家庭とおもっていた。だからか進学して上京していった。
両親はその後酒屋を廃業してコンビニを経営している。還暦を過ぎてもバイトを使い24時間営業のコンビニを経営するため汗水流して働いている。
この両親に対する複雑な想いに決着つけたかったのが本書を書く大きな動機になっている。
実は私も父はしがない自転車屋をやっていた。朝早くから夜遅くまで店を開け、夕食時にはいつも誰かが店番に立ち、一家団欒などなかった。夜中とか早朝でも牛乳配達とか新聞配達の人がオートバイが壊れたから直してくれと戸を叩く事もあった。
私も商売をつごう等とはまったく思わず大学に行き(かせてもらい)、公務員になってしまった。今、父は自転車屋を廃業し、脳卒中で倒れてしまい、そして生まれ育った商店街が見る影もなく衰退しているのを見ていると想いは著者と同じで複雑なものがある。
今あるほとんどの商店街の発生は第一次大戦後の昭和不況において農村からの流入人口が受け皿として零細小売・サービス層に従事したことから始まる。零細小売業者が生き残るためには同業者同士の組織化により参入障壁を設けるのだが、新規参入が多くなかなか機能しない。そこで異業種同士が連帯し、それぞれの店が専門性を身につけ「商店街」として組織することによって消費者への利便性を高め、横に地をはう百貨店として、地域住民に新しいインフラとして機能するようにした。
戦後、日本経済が高度成長していく中で、政府は零細小売業を保護し、一方で百貨店法で大規模店を規制し、一方で商店街振興組合法により商店街を保護した。商店街は高度成長の分け前を享受する形で安定し、発展した。
しかし、やがてダイエーの中内功が切り開いていった流通革命によって、スーパーマーケットと対峙することとなる。商店街は既得権を我が物顔で追求する守旧派勢力になってしまった。そしてそれは日本経済がオイルショック後構造改革を迫られ、規制緩和の声によって否定されていった。
さらに零細小売商の生き残り戦略としてコンビニが出てきたとき、巨大資本の論理によって零細小売商は染め上げられることになった。商店街は内部から崩壊していったのです。
それでは商店街には未来はないのでしょうか。著者はここで地域の協同組合に対して小売免許を与えることで持続可能性のある地域商業を構想している。ここから居場所や出番が失われがちの若者に、出番を、事業を行う機会を作り出したいという。
著者は東日本大震災以降の商店街の蘇生を見て発想したとおもう。
しかし、私は実家の寂れた商店街をどうすれば再生できるかを考えるにつけ、いささか理想論に過ぎるような気がする。津波ですべてが灰燼に帰した場合を一般論には昇華できない。不動産の問題、期待所得の問題、家族の問題など課題は多い。それでもどこかで再生できる道はないか、考えていかなくてはいけないと思う。
777円ならお買い得の商店街を論じようとする時の必読の本でしょう。
コメント
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