長野県の田中知事、宮崎県の東国原知事、大阪府の橋下知事、それに名古屋市の河村市長、阿久根市の竹原市長とマスコミをにぎわす首長が続出している。本書は彼らを劇場型首長と位置づけ「本来、政治は人々の利害や価値の調整をするものであるにもかかわらず、一般の人々にとって分かりやすく劇的に見せる政治手法を用いて、自分の政治目的を実現しようとする首長」と定義している。その共通している戦略とは「自分の立ち位置を一般の人々の側とし、既得権にしがみつく既存勢力、たとえば国、役人などを敵として設定し、自分をそれと戦うヒーローとして、政治・政策課題の解決を進めようとする政治スタイル。その時、一般の人々と自分をマスメデイア、特にテレビを利用して直接結び付け、政治政策課題を単純化したり劇的に見せることにより幅広い支持を得ようとする政治手法をとる。」と定義されている。

ここから、田中知事、東国原知事、橋下知事さらには河村市長、竹原市長の登場から現在までを分析しています。
案外、田中知事は(特に1期目は)先進的だったのですが、長野県という地ではあまりにもその個性は都会的で文化度が高かったのか、マスコミ対策がうまく行かず新聞を敵に回し、議会、職員とも折り合えず、県民の支持を失い混乱の中で選挙に負けています。
東国原知事は言われるほど実際に何をやったかとなりますが、宮崎の広告塔としては十分すぎるほど働いたのでしょう。その経済効果は何百億円?でもそれだけです。
橋下知事は現在進行形なので評価が難しいのですが、きちんと結果を出そうとしているのですが絶えず敵を作らないといけないみたいです。敵を殲滅したらどうなるのでしょうか。
河村市長と竹原市長は住民の議会への不満、官民格差への不満をエネルギーとしたポピュリズムで共通している。それにしても竹原市長の軌跡を追っていくとあまりにも独善的、法律も裁判所も関係ないという感じです。単なる「変人」という域を超えています。
河村市長は「(いい意味での)人たらし」とある人が書いていましたが、後教授が「政治家のセンスはよいが、行政の長としての資質が不十分」として離別して行った様に、近しい人が次々と離れていっているのは否めません。
現在進行形なのですが、劇場型首長をどう考えるのか一度頭の中を整理するには、200ページちょっとで読みやすいこともあっていい本です。ちなみに著者は宮崎公立大学の教授ですが、名古屋市民としては当事者として一連のリコール、トリプル選挙の騒ぎを体験しただけにまた違った感覚があります。外から見る市長と内から見る市長はだいぶ違うみたいです。

ここから、田中知事、東国原知事、橋下知事さらには河村市長、竹原市長の登場から現在までを分析しています。
案外、田中知事は(特に1期目は)先進的だったのですが、長野県という地ではあまりにもその個性は都会的で文化度が高かったのか、マスコミ対策がうまく行かず新聞を敵に回し、議会、職員とも折り合えず、県民の支持を失い混乱の中で選挙に負けています。
東国原知事は言われるほど実際に何をやったかとなりますが、宮崎の広告塔としては十分すぎるほど働いたのでしょう。その経済効果は何百億円?でもそれだけです。
橋下知事は現在進行形なので評価が難しいのですが、きちんと結果を出そうとしているのですが絶えず敵を作らないといけないみたいです。敵を殲滅したらどうなるのでしょうか。
河村市長と竹原市長は住民の議会への不満、官民格差への不満をエネルギーとしたポピュリズムで共通している。それにしても竹原市長の軌跡を追っていくとあまりにも独善的、法律も裁判所も関係ないという感じです。単なる「変人」という域を超えています。
河村市長は「(いい意味での)人たらし」とある人が書いていましたが、後教授が「政治家のセンスはよいが、行政の長としての資質が不十分」として離別して行った様に、近しい人が次々と離れていっているのは否めません。
現在進行形なのですが、劇場型首長をどう考えるのか一度頭の中を整理するには、200ページちょっとで読みやすいこともあっていい本です。ちなみに著者は宮崎公立大学の教授ですが、名古屋市民としては当事者として一連のリコール、トリプル選挙の騒ぎを体験しただけにまた違った感覚があります。外から見る市長と内から見る市長はだいぶ違うみたいです。