カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

聖書とイエスー岩下壮一師の史的イエス論(3)(学びあいの会)

2018-06-28 10:28:18 | 神学

 岩下壮一師を取り上げることに若干不安がないわけではない。わたしは岩下神学をきちんと勉強したことはないし、岩下師はもうかれこれ100年も前の人だし、そもそもネオトミストで今更、といわれるのはわかっているからだ。だがわれわれはある時まで,第二バチカン公会議のあとでも、師の『カトリックの信仰』を公教要理代わりに読んでいた。史的イエス論争を俯瞰するためにもこういう議論があったのだということを書き留めておきたい。

 岩下師の史的イエス論批判は部分的にではあるが『カトリックの信仰』の第8・9章「御託身」のなかで、「近代主義と高等批評」に言及が見られる。また、『信仰の遺産』に収められた「キリストを見直す」論文なども高等批評批判と読める。

 まず、「御託身」という言葉だが、これは現在は「受肉」と訳されている。英語では Incarnation だ。「託身」が何故どのような経緯で「受肉」という訳語に変わったかはわたしはわからないが(注1)、「ご託身」とは言えても、「ご受肉」とは言えないので、私は何か居心地が悪い。

 高等批評という言葉も最近はあまり聞かないが、聖書研究、特に共観福音書研究における一つの研究手法のことで、higher criticism, historical criticism の訳語らしい(注2)。要は聖書の文学的・歴史的研究の方法のことのようだ(注3)。

 また、岩下神学における「近代主義」という言葉も、極めて強い近代主義批判の意味が込められている特徴的な概念である。岩下神学は時代的制約もあり、激しい宗教改革批判、ルター批判、プロテスタンティズム批判に貫かれている。
 また、本書は、カントやルナンなど西洋哲学を主観主義として批判するが、直接的には和辻哲郎『原始キリスト教の文化史的意義』(1926)を批判の対象としている(注4)。

 さて、岩下師は「史的イエスか信仰のキリストか」論争をどうみていたのであろうか。


自らはカトリック教会の信者だと称する近代主義者が、いわゆる「信仰のキリスト」と「歴史のキリスト」とを対立せしめて、歴史的にはキリストは単なる人間にすぎず、この歴史的人物を神格化したのは、初代信徒の情熱的瞑想の作為だと主張するのは、結局キリスト教全部を何ら客観的現実に基礎を有せざる宗教的想像に帰するもので、教会からは異端として排斥されたのは当然の運命である・・・今日の否定的高等批評の祖は、決してライマールスではなくルターその人である。

 激しい、厳しい批判である。岩下師が念頭に置いているのはおそらく「第一の探究・イエズス伝」の時代の著作であろう。時代的制約は明らかである。だが、復活論ではなく、託身論をもって史的イエス論を批判していくという視点には、目が開かれる思いである。

次の文章も厳しい。

試みにシュバイツエルの浩瀚な『イエズス伝研究史』の結論を読んでみたまえ。如何に高等批評の描き出したイエズスの姿が非現実的なものであったか、近代人が己の姿をイエズスの裡に見いだすに汲々として歴史を枉曲せる結果その真相を把握するに失敗せるか・・・著者は正直に告白しているではないか。(注5)

 イエス伝研究による「史的イエス論」はこのシュバイツァーをもって終わることを岩下師は知らない。だが、「イエス伝」では「信仰のキリスト」に到達できないことを岩下師はすでに知っていたとも読める。

 次の文章は「キリストを信じうるか」という昭和13年の論考である。

「かかるが故に高等批評がその誇りとせる歴史的考証や博言学的詮索を以てキリストの神秘を探らんとせるは、水面に映る月影を掬して天上の名月を掌中に納め得べしと夢想せるに異ならぬ・・・彼らが結局「歴史のキリスト」と「信仰のキリスト」とを対立せしめて、後者を神話の域に葬り去らんとしたのは当然の帰結である」(注6)


 つまり、師の史的イエス論、というよりはイエス伝論の評価は、徹底的に否定的である。よくぞここまでと思われるほどの評価だが、この評価をそのまま批判しても意味は無い。これらの文章はほとんどが学生相手の、しかも当時の「諸大学高専でのカトリック研究会の学生向け」(編者序)の草稿や筆記から成っているという。しかも、昭和13年と言えば、国家総動員法が公布・一部施行され、宗教団体法公布の前年である。師の講義がどのような環境の中で誰に向けてなされたのかの検討なしに、師の議論を闇雲に批判しても得るところはないだろう。むしろ、この時期にこういう議論が展開されていたことを記憶しておかなければならないと思う。

 「史的イエス」「信仰のキリスト」論争が、戦前の日本で、ヨーロッパから遠く離れた日本で、こういう形で論じられていたことに、私は驚きと喜びを覚える(注7)。


注1 託身という言葉は三省堂の『新明解』にはない。さすが『広辞苑』第7版にはある。なお、正教会では「藉身」(せきしん)と訳しているらしい。
『カトリックの信仰』のなかで、「御託身」論は第8章、第9章の2章にわたって説明されている。これは第1章が「天主」論で、カトリック信者の「信ずべき事」つまり「信条」として「使徒信経」が説明されているからである。(師はカトリックの教えを三つに分けている:信ずべき事すなわち信条・守るべき事すなわち戒律・聖霊を蒙る道すなわち祭祀)。史的イエス論でも信条は重要な論点のようだ。
 信条はキリスト教でもすべて同じではない。信条によって宗派やゼクテが分かれていく。歴史的には、どの信条を使うか、内容や表現をどうするかで、血で血を洗う争いもあったようだ。例えば、ルター派のアウクスブルク信仰告白、イギリス長老派のウエストミンスター信仰告白などが思い浮かぶ。
 われわれのごミサでも、私の教会では「信仰宣言」でこの4月から「使徒信条」を唱えるようになった。皆さんの教会では「ニケア・コンスタンチノープル信条」を今でも唱えていますか。私は昔から使徒信条派なので暗唱しているが、ニケア・コンスタンチノープル信条はまだ覚えられない。「陰府に降り」はやはり唱えたいがカト研の皆さんはどうですか。どちらを唱えるかは司祭の判断なのだろうが、お祈りも主祷文や天使祝詞と同じであまりちょこちょこ変えて欲しくないものである。
注2 文学社会学の一つの手法にまで拡大解釈されることもあるようだ。
注3 様式史批判、編集史批判と呼ばれる手法もその中に入るのかもしれない。今のところイエスが書き残したと思われる文書は見つかっていないので、これからもいろいろな手法が出てくるであろう。イエスはそもそも読み書きができたのか。イエスの旧約聖書に関する知識は口伝なのか、写本を自分で読んで学んだのか。史的イエス論はケリュグマの視点を外すと結局袋小路に入ってしまう。
注4 「キリストの真理はすなわち、彼ら自身がキリストについて勝手に作る真理(?)なのである。救い主は自分自身である。まず、「信仰のキリスト」と「歴史のキリスト」という対立を作っておいて、各自勝手にその間に自分に一番都合のいい説明をつける」(336頁)。和辻哲郎論は別に行わねばならないが、ここでは高等批評として和辻批判をおこなっている。和辻哲郎を全面否定しているわけではないと思われる。
注5 「キリストを見直す」『信仰の遺産』26頁
注6 「キリストを信じうるか」 同上41頁
注7 とは言ってもこの論争に関する岩下師の議論はあまりにも時代的制約が大きすぎる。そのまま受け取ることはできない。とはいえ、戦後の日本のカトリック教会は、第二バチカン公会議までは、恐らくは1970年代前半までは、こういう神学的世界に住んでいた。現在の日本の司教団の司教様方も、世代的に見て、知らない世界ではないはずである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする