カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

イスラムはよそ事か ー イスラム概論1(学びあいの会)

2021-04-27 11:55:17 | 神学

 第3回目の緊急事態宣言が出た翌日の4月26日に学びあいの会が開かれた。今回は他教会からの参加者も含め10名以上が集まった。テーマがイスラムに変わり、報告者のS氏が日頃開陳しておられたイスラムに関する自説(1)をまとめて報告されることになったからであろう。今日は興味深い報告ではあったが、会の後に定例化していた質疑や会食には誰一人残らなかった。宣言で会食自粛が求められているのだから当然と言えば当然であった。集まれたこと自体奇跡だったのかもしれない。

 S氏の発表は「イスラム概論」と題されており、以下のような章立てで、6回にわたって話されるという。

1 イスラムとは何か
2 予言者ームハンマド
3 聖典ーコーラン
4 共同体ーウンマ
5 聖法ーシャリーア
6 宗派(正当と異端)ースンニ派とシーア派
7 神学ーカラーム
8 神秘主義ータッサウフ
9 政治
10 歴史
11 イスラムとキリスト教
12 補足ー現代の中東情勢

 これだけの内容を半年で話されるのだから急ぎ足になるだろうが、話がどのように展開するか楽しみである。

 さて、内容の紹介に入る前に、この緊急事態宣言の中でイスラムを論ずることの意味を考えてみたい。イスラム論は、論者の思想的立場を明確にしておかないと、すぐにイデオロギー論(存在拘束論)に陥るか、Wikipedia風の一見中立的な、しかし無味乾燥な辞書的描写になってしまいがちだからだ。
 氏はなぜイスラムを今取り上げるのか。氏から直接聞いたわけではないが、二つの視点から推測してみたい。第一は社会的視点からの意義で、第二はカトリック者としての宗教的視点からの意義だ。
 第一の社会的視点から見れば、現代の日本にとりイスラムは喫緊の重要課題ではないといえよう。確かに、外国人労働者の中にイスラム系の人が増えているようだがそれはあくまで外国人労働者問題の中に位置づけられており、イスラムそのものが日本の文化や社会を脅かしているとは捉えられてはいない。「イスラム国」(ISIS)による中村哲氏殺害事件、後藤健二氏殺害事件とか報道されるが、日本人(研究者)のイラン・トルコびいき、エジプト・サウジ嫌いの風潮の中でなにか遠いところの出来事としてしか報道されない。よそ事なのだ。いくらイスラムについての理解を深めたからと言って自分の日常生活に変化が起きるわけではない。

 第二の宗教的視点からの意義はあるのか。キリスト教から見てイスラムは世界三大宗教の一つで、啓示宗教として仲間であり、世界規模で見れば信者数はいづれキリスト教を超えるだろう、と言われても、イスラムはキリスト教の「敵」ではないのかという根本的な問いへの答えにはならない。S氏は「イスラムの影響力は増大しているからイスラムを理解することはキリスト教徒にとって大切」と述べているが、問題はその具体的な中身だ。

 S氏は、第二バチカン公会議で新たに打ち出された「諸宗教の対話」を理由に挙げている。カトリック教会はかっては他宗教に対して排他的だといわれてきたが、第二バチカン公会議では諸宗教を尊重し対話する重要性を指摘した(『教会憲章』第2章「神の民について」の第16項は「キリスト教以外の諸宗教」と題されている)。「教会はイスラム教を尊重する。彼らは唯一の神・・・天地の創造主、人々に話しかける神を礼拝している」と述べ、「救いの計画には・・・イスラム教徒が含まれる」とし(24頁)、イスラムとの対話の重要性を肯定した。

 この辺のイスラム研究の意義については、最近の新書本にいくつか目を通してみたが、あまり統一的な見解はないようだ。以下によく読まれる参考文献を挙げてみた。私も一応ざっと目を通したが、最大のポイントは、「中田・飯山論争」だろう。イスラム研究は、カリフ制を認め、イスラム国を認めなければできないのか、それとも価値中立的で実証的な学問なのか、という問いだ(2)。

井筒俊彦『コーランを読む』岩波
中村広次郞『イスラム教入門』岩波
佐藤次郞『キーワードで読むイスラーム』山川
小杉泰『イスラームとは何か』講談社
菊池章太『ユダヤ教・キリスト教・イスラーム』ちくま
ひろさちや『キリスト教とイスラム教』新潮
松山洋平『イスラーム思想を読み解く』ちくま
中田考『イスラーム入門』集英社
中田考『イスラーム学』作品社 2020
飯山陽『イスラム教の論理』新潮
飯山陽『イスラーム教再考』扶桑社 2021

 S氏がイスラームを取り上げるのは実は個人的事情もあるようだ。若い頃中東に長く駐在し、イスラームを頭だけではなく肌で理解してこられたようだ。そういう意味でも氏のイスラーム論は興味深い。
 本論に入る前に、用語の整理をしておきたい。まずはイスラームとイスラムの区別だ。長音記号の有無だが、現在はイスラームという訳語で落ち着いたようだ。また、イスラームとムスリムの区別も、いろいろ議論があるようだが、本稿ではイスラームは宗教、ムスリムはイスラームを信じている信者という意味で使いたい。だからイスラーム「教」とはあえて言わない。

(中東の地図)

 


1 教会の月報など時々発表されていたので氏がイスラムに関心を持っていることは知られていた。例えば私も教会での氏の発表をこのブログで紹介したことがある(2017年5月14日 イスラームの豆知識)。
2 中田考・飯山陽『イスラームの論理と心理』晶文社 2020

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