今日2月14日は灰の水曜日なので、ごミサに出てきた。いつも通り多くの方が来ておられた。「灰の祝福」があるのでミサの流れは通常とは少し異なる。
今年はB年だが灰の水曜日なので福音朗読はマタイ6:1~6,16~18が読まれた。「施し・祈り・断食」について教えるイエスの言葉だ。「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」という話だ。「灰の祝福」では全員額に灰(1)を回心(2)のしるしとして受けた。四旬節の始まりだからだ。
今日は大斎なので、断食を守らなければならない。大斎は灰の水曜日と聖金曜日の年に二回しか定められていないので、結構みなさん守っておられるようだ(3)。断食といってもまったく一日中食事をしてはならないというわけではなく、60歳以上の高齢者は免除されていると聞く。わたしの家では3食ちゅう1食抜いて、肉類を避ける、という程度のことしかしていない。
四旬節は復活祭前の回心の40日間だ。回心のしるしとして「善行・祈り・節制」が求められる期間だ(4)。「枝の主日」まで長い期間を静かに過ごしたい。
【灰の水曜日 (聖書と典礼)】
注
1 灰は前年いただいた棕櫚の枝を先週教会に持ち寄って焼いて祝福を受けたもの。私どもも1年間飾っていた葉の枯れた枝を典礼委員にお渡ししてあった。
2 回心は改心ではない。英語ではconversionというらしい。神に心を向け直す、という意味が込められているという。
3 四旬節中は告解(ゆるしの秘跡)も受けなければならないのだが、こちらはあまり守られていない印象がある。かわりに黙想会や共同回心式に出て、神や信徒と和解する途を選ぶ信者が多いと聞く。告解をする人が減っている、告解の回数が減っているという問題については改めて考えてみたい。司祭の守秘義務、児童虐待、教会法と世俗法の関係など難しい問題が控えているようだ。
4 イスラム教のラマダンに似ている印象を持つが、中身は異なるようだ。期間も、期間中の過ごし方も含めて、中身は少し異なるようだが、「善行・祈り・節制」の期間である点は同じようだ。