カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「救われる」とはどういうことか ー キリスト論の展開(6)

2019-06-25 22:25:40 | 神学


 6月の学びあいの会は「キリスト論の展開」の第三回目であった。朝方の地震と大雨の中でおこなわれたが、出席者の顔ぶれはいつもと変わらない。今日のテーマは救済論だった。
 救われる、救済される、とはどういうことなのかを考える機会となった。仏教が輪廻からの脱出、業からの解脱が目標なら、キリスト教は救済が目標の宗教だ。キリスト教はユダヤ教、イスラム教とならんで救済宗教と呼ばれるが、ではキリスト教では救われるとはどういうことなのか。

Ⅰ 2種類のキリスト論

 S氏は川中師に倣って、キリスト論には広義・狭義のに二種類があるという。1つはいわゆる狭義のキリスト論で、「受肉のキリスト論」と呼ばれる。イエスとは誰か、何者だったのか、と問う普通のキリスト論だ。細かい議論はあったものの、カルケドン公会議(451)以降特に進展はなく、新しい教義は出されていない。
 第二の広義のキリスト論とは救済論のことだ。イエス・キリストは何のために人になられたのか、その使命は何であったのか、と問う。「過越のキリスト論」と呼ばれることが多い。キリスト論がなぜ救済論を含むのか、ここは岩島忠彦師の説明をみてみよう(岩波キリスト教辞典)。

 岩島師によると、救済論 soteriology は、キリストによる救いの業を論じるキリスト論、救いへの人間の参与を論じる恩恵論(秘跡論)の両方を含むが、神学科目としてはキリスト論が救済論と呼ばれているようだ。
 救済論はキリスト教神学すべてに関連しているわけだから、キリスト論に限定されるものでもないようだ。旧約聖書(ユダヤ教)では神の選民にたいする救いの約束とその成就が中心テーマで、出エジプトがその象徴的出来事だ。新約聖書では、原罪・贖罪・受難と十字架の死・義認(義化)・神と人との和解など、新しいテーマが展開される。
 キリストによる人類の救済は特に教義として確認されることはなかったが、われわれがいつも唱えている使徒信条、または、ニケア・コンスタンチノープル信条がキリスト教の信仰箇条と見なされている。現代では、救いとは、罪や地獄からの救いという消極的理解から、救いとは「歴史の完成」であるという積極的理解まで含むようになってきているという。また、人間だけが救われるのか、魂を持たない動物などは救われないのか、などという素朴が疑問に答えるために、救いは万物に及ぶという宇宙論的救済論が支配的になってきているという。この辺は岩島師に特徴的な説明なので、もう少し丁寧に見ていこう。

Ⅱ 新約聖書の救済論

 新約聖書では、イエス・キリストが救い主である、というテーマが一貫して流れている。聖書のどこを読んでもこのテーマは変わらない。
 救いという言葉には「~からの解放」という意味と、「~への解放」という意味の2つの側面がある。前者は救いの消極的側面で、罪・悪の束縛、サタンの支配からの解放とか、贖罪・贖い・犠牲などという言葉で説明される。後者は救いの積極的側面で、神との和解、一致・平和・交わり、神の子とされる、神の賜物を受ける、などという言葉で説明される。意味する範囲は広く、深い。それは、救いとは、ある出来事、行為、というよりは、ある関係、相互作用を示しているからかもしれない。 神学は、キリストは如何にして救いを実現されたか、を問うてきた。新約聖書が明らかにしているのは、受難・十字架の死・復活、によってであるという。過越キリスト論と呼ばれる。「新しい過越」による救いの実現を描いているのが新約聖書だという説明だ。

Ⅲ 教父たちの救済論

 教父といっても、ギリシャ教父、ラテン教父、使徒教父(使徒時代の教父で、新約聖書に収められなかった文書の執筆者たち)がいて整理が難しい。教父学という学問分野もあり、多くの著作集などが刊行・邦訳されているようだ。グレゴリウス一世を最後のラテン教父というなら、大体キリスト誕生の一世紀から7世紀くらいまでの教父たちのことのようだ。共通する主な特徴をあげてみよう。

①反グノーシス主義 使徒教父たちは、受肉や受難も仮象にすぎないとした「仮現説」 docetism を批判した。キリストがこの世界を救われるとした。
②和解の救済論 キリストによる神と人間の和解を強調したパウロの獄中書簡(エフェソ書、コロサイ書など
③最後のアダム論 パウロは、キリストを第二のアダム、最後のアダムと呼び、人類の救い主とした④教育者としてのキリスト アレキサンドリアのクレメンス(150-215)は信仰を覚知(グノーシス)まで高めることを目指し、信仰が持つ教育的意義を強調した。かれのグノーシス主義の評価は別として、第二バチカン公会議ではかれのケリグマ論は影響が大きかったようだ。

4 贖罪の思想史

 救済論の中で贖罪論の持つ意味は大きい。というより、かっては救済論は贖罪論と同義だったようだ。現在はむしろ「復活論」を中心とした救済論の議論が重要になってきていることを考えると、贖罪論の比重の高さは奇異に思えるほどだ(1)。

 贖罪 atonement  とは、死や罪、不幸からの救済という意味だが、もともとは身代金を払って捕虜や奴隷を買い戻す、解放するという意味だ。奴隷制度を持たなかった日本社会にはこういう制度は定着しなかったので、現代の日本でもなかなかすんなりとは理解されない考え方だ。
 贖罪という考え方は旧約聖書にみられ、新約聖書にも引き継がれたようだ。だが、イエスが自分の「死」を「罪」の「贖い」であると直接説明している箇所は福音書にはないようで、これは極論すれば、パウロの神学といってよいのではないか。パウロは生前のイエスを知らない。イエスの公生活がどんなものだったか知らない。パウロは「伝承」からこの贖罪論を受けつぎ、展開したように思われる。

①アウグスティヌス(354-430)の原罪論
 贖罪思想の源泉は原罪論だ。創世記に描かれる人間と神との関係の破綻が始まりだ。アウグスティヌスはこの原罪論の確立者とされる(2)。以後、贖罪は受難と死が中心となる。罪の犠牲に焦点が合わさってくる。

②カンタベリーのアンセルムス(1033-1109)
 「スコラ学の父」と呼ばれるようだ(3)。その論文、「なぜ神は人なったのか Cur Deus homo ?」は、贖罪論では重要な論文で、原罪でも有効だという。アンセルムスは普通「理解せんがためにわれ信ず」という言葉で知られているが、信仰と理性的探究の関係を明らかにし、信仰における理性の重要性を指摘している(4)。

③トマス・アクィナス(1225-1274)
 トマスの救済論はカトリック教会の救済論の基本となっている。流れとしてはアウグスティヌスにつながるという。
「キリストの十字架は、功徳、償い、犠牲、贖い。キリストは自由と愛をもって十字架を引き受けられ、神はこれをよみせられた。キリストは人類の愛のために死んで、神はよみがえらせた」(『神学大全』(5)。

④マルティン・ルター(1483-1540)
 ルターはスコラ神学に反発しつつもそれを「栄光の神学」とよび、自らの神学を「十字架の神学」と呼んで区別した。スコラ神学では十字架と死は贖罪と結びついていた。だがルターによれば、パウロは、十字架は「弱さ、愚かさ」を示し、同時に「賢さ、強さ」を示すという十字架の逆説を述べていたという。十字架は贖罪とは直ちには結びつかないという。これは「信仰義認論」につながっていく。ルターはコリントへの手紙などをそのように読むようだ。もちろん普通は十字架と死をともに贖罪と結びつけて理解し、説明する人も多い。つまり、キリストの十字架は罪人の贖いとして払われた代償の死のことであるという理解だ。十字架の神学の議論は終わってはいないようだ。

⑤自由主義神学
 自由主義神学とは何かは難しい問題だが(6)、贖罪論との関係に限定すれば、「キリストは倫理の師」という主張を掲げているのが特徴のようだ。ギリシャ教父の教育論に近い主張だ。

Ⅴ 結び

1 救済論の重点の変化

 救済論には、受肉・公生活・十字架・復活という4つの側面があるが、その強調点は時代と共に変化してきた。

 古代ー受肉
 中世ー十字架
 現代ー公生活と復活

つまり、中世以降は救済論は贖罪の思想が中心となる。特に十字架が強調されてきた。イエスの公生活はほとんど無視されてきた。キリスト論と救済論が分離してしまうのだ(7)。

2 原罪と受肉との関係

 救済論で繰り返し問われてきた問いに、「もしアダムが罪を犯さなかったら、キリストの受肉はあったか?」というものがある。
 アウグスティヌスやトマス・アクィナスは当然NOと答える。原罪がなければ受肉はなかったはずだから、「原罪は幸いなる罪」 felix culpa という考えだ。
 だが、ドゥンス・スコトゥス(1263-1308)はなんとYESと答える。なぜなら、キリストの受肉は贖罪のためではなく、創造の完成のためだから、という考えだ。この考え方は、カール・バルトやカール・ラーナーなど現代の神学者たちにも引き継がれている。もちろん、スキレベークス(1914-)のようにトマス的な考えをとる神学者もいるという。

 S氏は、第二バチカン公会議以降のキリスト論はさまざまで、これという定説はないという。これはおそらく川中師の評価でもあるのだろう。
 そこで、このあと、「現代のキリスト論」へと続いたが、要約は次回にまわしたい。



1 聖堂の十字架は磔刑像が多いが、復活のキリスト像を掲げる教会も多い。磔刑像を怖がる子どもたちがいるというのもあながちばかにできないのかもしれない。
2 加藤信朗『アウグスティヌス『告白録』講義』 知泉書館 2006 は、アウグスティヌスの原罪観を解説しているが、確立者・完成者という評価ではなさそうだ。
3 スコラ学 scholasticism には中世のスコラ学と19世紀以降の新スコラ学がある。スコラ学とはある特定の思想や学問ではなく、中世の学校(schola)での学習の「方法論」のことをいう。哲学・神学・医学・法学などで、対立する意見や問題を探究するための弁証法的手法のこと。具体的には「講読」と「討論」を通して知識を獲得する方法のことをいう。現代風に言えば実証的・経験的ではない方法論と言った方がわかりやすいか。
4 信仰は、理性的判断、合理的判断を排除するという誤解が現在でも見られる。残念なことだ。なお、この論文は私は読んだことはない。
5 3巻48とあるが、どの部分からの引用かは確認できなかった。
6 自由主義神学は19世紀の新しい神学だ。啓蒙主義思想の中で生まれ、その源は、カントの批判哲学・ヘーゲルの弁証法哲学・シュライアーマッハーの自由神学だという。基本的な特徴は、近代科学や世俗化を肯定し、聖書や教会の歴史的・批判的研究を奨励する。いわゆる「史的イエス」研究はその代表的成果である。他方、バルトらの弁証法神学はそれが持つ楽観的な進歩主義、教会と国家の同一視などをきびしく批判しているようだ。例えば日本では、長老派の、バルト流の東京神学大学系統の神学者と、組合派の同志社大学系統の神学者のの対立として現れてくるようだ。あまり単純な類型化は好まないが、著名な佐藤優などの貢献は大きい。
7 パウロは、イエスに会っていないとはいえ、イエスの公生活には不思議なほど言及しない。ベトレヘムで生まれた話から、突然ゴルゴタの十字架の話になる。キリスト論(ベトレヘム)と救済論(ゴルゴタ)が分離してしまっているようだ。

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