カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

イエスに関する源泉資料ー学びあいの会(4)

2018-09-25 15:28:13 | 神学


 久しぶりの学びあいの会は振替休日にぶつかり、天気もよかったにもかかわらず、いつもの顔ぶれが集まった。
 今回の題材は、川中師の上智大学神学夏期集中講座「新約聖書とイエス」の続きである。いわゆる「史的イエス論」である。最近の研究成果を師がまとめられたもののようで、師の独自の見解が展開されているわけではなさそうだ。それでも、カトリック教会が史的エイス研究をどう見ているかを垣間見ることはできそうで、とても興味深かった。議論はかなり細かいが、基本的な点だけを要約してみたい。

2 イエスに関する源泉資料

 イエスは文書を残さなかった。書いただろうが、残っていない。だから、イエスの思想を知るためには、使徒や福音書記者らの文書から見ていくほかはない。だが、イエスが語った思想と、使徒たちが理解したイエスの思想、福音書記者たちが伝えようとした教えが、必ずしも一致しているわけではなさそうだ。
 かって、福音書は使徒マタイ、ペテロの書記マルコ、パウロの同伴者ルカ、使徒ヨハネによって書かれ、中身は一言一句神の言葉で満たされ、編集の手は加わっていない、と教えられていた。だが実際には福音書は編集された伝承の塊であることがわかってきた。この伝承の塊からイエスの本来の思想を抽出することが、後世の追加された神学的主張を取り除くことが、信仰の強化につながるとというのが史的イエス論の主張のようだ。

 源泉資料とは Quelle のことだ。英語で言えば Spring。 「泉」という意味もあるが、「源」という意味もある。イエスに関する資料は、キリスト教以外のものと、福音書を中心とするキリスト教のものがあり、前者はイエスが実在の人物であったことを明らかにし、後者はナザレのイエスという人物の言動と、それに付け加えられた記者たちの神学的主張である。

2・1 キリスト教外資料

1)ローマの歴史家

 資料論では、タキトゥス(56-118)とヨセフス(38-100)の名前が必ず出てくる。特にヨセフスは特別に重要らしく、かれの『ユダヤ古代誌』と『ユダヤ戦記』は資料中の資料のようだ。

a) スエトニウス(70-130)『皇帝列伝』の「クラウデゥス伝」(ca.120)(注1)
使徒言行録(使徒行録、使徒行伝)18・2にはクラウディウス帝によるユダヤ人のローマ退去命令(49AD)の話が出てくるが、このクラウディウス伝には、「ユダヤ人たちはクレストウスの扇動で絶えず騒擾を起こしたから、クラウデゥスはかれらをローマから追放した」とある。クレストウスとはキリスト教徒という意味だ。
b)タキトウス 『年代記』(115-117)
ローマ市の64ADの大火とネロのキリスト者迫害、キリストによる「有害な迷信」と、ポンティオ・ピラテゥスによるキリストの処刑の話が記されている。
c)フラウィウス・ヨセフス 『ユダヤ古代誌』
ヨセフスは第一次ユダヤ戦争(66-70)のガリラヤの司令官(マサダの陥落は73/74年)。次の文章はいろいろなところで引用される有名な文章のようだ。
「さてそのころ、イエスという賢人ー実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならばーが現れた。彼は驚くべき業を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。・・・」
 これは専門家の中では「フラウィス証言」と呼ばれるらしく、「イエスという賢人」とか「キリスト者となずけられた族」という表現があり、さらに、イエスの兄弟ヤコブにも言及している。紀元1世紀末、パレスチナで起ころうとしている暴動を記録するときなぜイエスに言及する必要があったのか、が論点らしい。もちろん「かれを人とよぶことが許されるならば」は後世のキリスト者による原文への挿入・改ざんであろう。写本の時におこなったのであろう。古スラブ語訳のフラウィス証言(11/12世紀)にはこういうキリスト教的文言は入っていないという。
 イエスは実在しなかったという過去数百年繰り返されてきた主張が誤りであることを、タキトウスやヨセフスが示している。


2・2 キリスト教資料

1)基礎資料:福音書

福音書は当然資料の第一に来るが、特にマルコ福音書の優先性は圧倒的である。とにかく一番古い。マタイもルカもそれぞれ独自にではあれマルコを下敷きにしていることがわかっている。

a)二資料説 

 新約聖書学者たちは文献資料は「10文書」あると考えているようだ。イエス伝承のなかでイエスの言葉や業とされるものが、たったひとつの資料に書かれているよりは複数の資料に書かれている方が信憑性が高いと考えられる。だから複数の資料を比較するわけだ。
 二資料説(Zwei-Quellen-Theorie)とは、マルコ資料(マルコ福音書)とQ資料(Q語録資料)のことで、特殊資料とはマタイ特殊資料とルカ特殊資料をさす。特殊資料とは、編集の手が加わっていないマタイやルカに固有の伝承をさす。聖書学者のチャールズワースは「多様な証言という基準」(Multiple attestation)という言葉を使って説明しているので、こちらの説明をみてみよう(注2)。

Q マタイとルカが用いたと推定されているイエスの言葉資料
S ヨハネによって用いられたと考えられている「しるし資料」(Sとはセーメイアでしるしのこと しるしとは奇跡を含む)
P1 パウロによるイエスについての言及とイエスの言葉の引用ないし暗示
Mk マルコ福音書
J1 ヨハネ福音書の第1版
M マタイだけによって受けつがれた諸伝承
L ルカだけによって受けつがれた諸伝承
A 使徒行伝の著者によって保存されたイエス伝承
J2 ヨハネ福音書の第二版(7・53~8・11は除く これは大事な除外項目)
T トマス福音書 

(MとLは川中師がいう特殊資料)
以下の表はマルコ・マタイ・ルカ相互の共通項目数を整理したものだという。

            マタイ  マルコ  ルカ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三つに共通        330  330   330
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マタイ/マルコ      180  180
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マルコ/ルカ          100   100
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マタイ/ルカ       230      230
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
独自な部分        330   50   500
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 共観福音書に共通した項目数を多いと感じられるだろうか、少ないと感じられるだろうか。

b) ヨハネ福音書の特殊性

①共観福音書との年代的な齟齬がある。例えば、イエスによる神殿商人追放の話は、マルコ福音書ではイエスの受難直前の話だが(マルコ11/15-19)、ヨハネ福音書ではイエスの公的活動の開始期の話になっている(ヨハネ2・13-22)。また、イエスのエルサレム行きは、マルコではただ一回のエルサレム行きだが(10・32)、ヨハネでは三回のエルサレム行きとなっている(2・13-4・54,5・1-7・9,7・10-20・29)。
②ヨハネ福音書固有の資料がある。「しるし資料」(Zeichen-Quelle)と呼ばれる(2・11,4・54、12・37、20・30)。たとえば、ヨハネ福音書2・11では、「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナでおこなって、その栄光を現された」、20・30では「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない」。しるし Semeia 概念はヨハネ福新書の特徴のようだ。

2)イエスの言葉

a)アグラファ(Agrapha) :福音書以外における生前のイエスの言葉。書簡などに残っている。例えば、1テサロニケ4・15 「主の言葉に基づいて次の言葉を伝えます。主が来られる日まで生き残る私たちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません」。使徒言行録20・35 「受けるよりは与える方が幸いである」もそのひとつらしい。
b)パウロ書簡と福音書に共通するイエスの言葉
パウロ書簡と福音書にも共通する言葉が記されている。主の晩餐については1コリント11・23-25とマルコ14・22-26,福音宣教者のロジスティックというか生活必需品の援助について1コリント
14とルカ10・7,離縁の禁止に関しての1コリント7・10とマルコ10・12など。

 このように新約聖書のテキストは、イエスに関する歴史的事実とその後の神学的主張とが入り交じっていることになる。
 川中氏はこのように文書資料を整理している。基本3資料(マルコ福音書、マタイ特殊資料、ルカ特殊資料、二つのキリスト教外の資料(タキトゥスとヨセフス)、そして10個の独立した文書資料だ。聖書学者はこれらをベースに研究を進めているらしい。
 ところが、資料と言っても文書以外の資料もあるようだ。チャールズワースは考古学の成果をあげている。パレスチナという土地を「第五の福音書」とよび、その地形や文化を検討する。実物教材とよぶ考古学的発掘調査で見つかった当時の網、ボート、剣、衣服、外套、ベッド、金貨、銀貨を紹介している。イエスが生きていた世界を理解しようとする。イエスの生きていた世界は紀元後70年(神殿破壊)以前の第二神殿時代のなかの一時期というというきわめて特殊な時代だ。イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だった。イエスはキリスト教徒ではない。考古学的研究はこの時代のユダヤ教の「清浄」観念の重要性を明らかにし、イエスの処刑をこの清浄観念への挑戦の帰結とも示唆している。仏教風に言えば「お清め」への挑戦である。文書以外の資料の話も面白そうなので、別の機会に勉強してみたい。
 長くなったので続きは次回にまわしたい。それにしても、文字だけではなく、ほかの方のようにきれいな写真でも入れて少しは読みやすくしたいと思うのだが、なにぶんgooブログへの写真の挿入の仕方が分からない。困ったものだ。

注1 ca. とは circa のことでaboutのこと。ラテン語。歴史物にはよく出てくる表記。
注2 J・H・チャールズワース 中野実訳『これだけは知っておきたい 史的イエス』2008 93頁。なお、カト研の皆さんの中でもトマス福音書なんて聞いたことがないという方がおられるかもしれない。これはナグ・ハマディ文書(1940年代にエジプトで発見される)のなかで第二写本の第二文書として収められているコプト語の文書だという。福音書といってもイエスの語録集らしい。グノーシス主義がベースにあるという。わたしはもちろん見たことはない。また、Q資料については繰り返し出てきているので改めて説明する必要はないであろう。

 

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