学びあいの会で仏教を勉強している。会のあとの雑談で、日本では神仏習合だから神道のこともわからないと仏教のこともわかりづらい、という話でもりあがった。例えば、お稲荷さんは仏教なの、神道なの、とか、恵比寿さんは仏教なの、神道なの、という話になる(注1)。そこで雑談の中で出てきた議論を少しまとめ、手元の本を読んで補ってみた。雑談だからそれほど根拠のある話ではないので、お気に障る話があったらご勘弁願いたい。
キリスト教からの神道論は大きく見て二つあるようだ。一つは16世紀の「キリシタン論」であり、もう一つは明治期の「耶蘇教論」だ。キリスト教が神道を見る目には変化があるようだ。キリシタン時代には、神道は仏教とは別物で、教義的にもそれほど強敵とは思っていなかったようだ。明治以降は神道は最初は宗教として、戦後は習俗の衣をかぶって、キリスト教に対峙してくる。この変化は神道がキリスト教を見る目にも影響を与えているのかもしれない。また、キリスト教からみれば、キリスト教は神道がもつ(とされる)日本的霊性とは何かを学びなおす機会なのかもしれない。現代の文脈で言えば、靖国神社問題などに対する態度ではクリスチャンのあいだにも意見の違いがある。われわれはカトリックとして神道をどう理解しているのだろうか。
カトリックの神学者は神道とは何かという問いはあまり掲げないようだ。それは、われわれの中に神道についての共通理解がありそうで、ないかららしい。神道に教義があるか、という問い以前の問題として、カトリック信徒の神道理解にあまり共通性がないからだろう。たとえば、「神道」をカト研の皆さんはなんと読んでいるだろうか。なんと発音しているだろうか。「しんとう」と清音か、「しんどう」と濁音か。「ジンドウ」から「シントウ」への読み方の変化に神道の性格の変化を見る専門家もいるようだ。ここでは普通にシントウと清音で読んでおこう。
定義的に言えば、神道は「民族宗教」で、祖先崇拝と自然崇拝(アニミズム)を中心とする「神祇信仰」(注2)と言えそうだ。しかし、この定義はすぐに難問にぶつかる。それは、日本の民族宗教は「神仏習合」であり、神道と仏教は区別できない、神道は仏教にのみこまれてその一部に過ぎない、という考え方が一方にあり、他方、神道と仏教は明確に区別される「神仏隔離」が特徴だという考え方もあるからだ。明治期の廃仏毀釈・神仏分離、つまり、仏本神迹(本地垂迹)から神本仏迹への変化は、神仏習合が日本の宗教だとは言えない証拠だという考え方だ。16世紀のキリシタンは神道と仏教をわけて考えていたようだ。わたしどもの教会にもキリシタン研究に詳しい方が何人かおられ、こういう神仏隔離説をとる方がいるという。
キリスト教が日本に伝えられたのは、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549年だ。宣教師と日本人によるキリシタン信仰は1639年の完全鎖国までほぼ100年間にわたり続く。キリシタン論では、ハビアンの『妙貞問答』(1605)やルイス・フロイスの報告書『日本史』が取り上げられるという。これらの本によれば、当時のキリシタンや宣教師たちも、日本の宗教についてはどちらかというと神仏隔離説の立場に近かったようだ。具体的には「吉田神道」こそ日本の神道の代表で、教義上の強敵だと考えていたようだ。吉田神道は、神道は仏教から独立した信仰であると主張することを特徴とする。キリシタンの神道論とは吉田神道論といって良いらしい。
次に話題になったのは、神道の定義に関わる「カミ」概念だ。万葉仮名では「迦微」と書いたらしいが、普通は「神」と表記される。記紀を学んだ国学の本居宣長風にいえば、森羅万象すべてがカミで、人間も自然もモノ(物)もすべてカミとされる。キリスト教のGodのような創造神ではない。教会でわれわれが使う「神」と、神社で日本人が祈る「神」は同じではない。キリスト教のGod(父なる神 名前を持たない)もユダヤ教のヤーウエもイスラムのアッラーも同一人物で、おなじ神のことを指している。しかし、神道では八百万の神々と言われるように神はたくさんいて、しかも皆死んでしまっている。神道のカミは死者のカミだ。一神教のGodは生きている神だ。神という言葉が紛らわしいという点は改めて論じる必要はないであろう(注3)。
教義的には神仏習合説は、「本地垂迹説」、「中世日本記説」、「天台本覚説」の三本柱から成り立っているという(注4)。本地垂迹説とは、インドにいた仏や菩薩が日本にやってきてカミガミになった、という説だ。本地とはインドのこと。垂迹とは動き、移ることを意味する。中世日本紀説とは記紀を本地垂迹説で説明することだ(キリスト教で言えば予型説だろうか)。例えば、天照大神は大日如来だとされる。天台本覚とは、誰でも仏性を持っていて仏になれるのだから修行なんかして苦労する必要はない、という考えだ(注5)。仏教には体系化した教義はないというのが我々の今の印象だが、神道においてはなおさらという感をぬぐえない。それでも、本地垂迹説こそ神仏集合説の基本だと考えて良さそうだ。
義江によれば、本地垂迹説は、記紀のケガレ観念、密教化した仏教、怨霊信仰、浄土信仰、を基礎に持っており、平安末期から室町時代にかけて成立した考えだという。普遍宗教とは異なる「基層信仰」だという。日本的霊性の基層になっているという意味であろう。かれは、神々はホトケになりたかった、と述べている。神は菩薩だった(注6)。
中世の神道は両部神道(真言神道)を中心に発展したようだが(注7)、ここでは近世の神道である吉田神道(唯一神道)をキリシタンがどう見ていたかをみてみよう。
吉田兼倶(1435-1511)は「根本・枝葉・花実説」を唱えたという。神道は根本、儒教は枝葉、仏教は花実とし、儒教と仏教は神道の分枝に過ぎ無いとした。本地垂迹説の否定で、神本仏迹説と呼ばれるらしい。また、「天道思想」とも呼ばれるようだ。天道とは吉田神道の大元尊神(国之常立神)のことで、仏教儒教をも統合する宇宙の根源原理のことのようだ。ハビアンの『妙貞問答』によれば、キリシタンはデウスを天道と呼んでいたという。天道観念が持つ創造神的性格が日本人をキリスト教に強く引きつけたという説もあるらしい。逆に、キリスト教がもつ霊魂不滅観は神道の担い手たちを引きつけたようだ(注8)。
キリシタンによる神道の評価は仏教に比べれば低かったらしい。仏教のような思弁性・抽象性がなく、多神教的であり、現世利益追求型であり、陰陽道など土俗信仰を含んでいるとみたようだ。他方、神道の担い手側からはこのキリスト教の神観念(創造神・救済神)は驚くべきものとして映ったようだ。細川ガラシャ(明智玉)もこういう世界の中でキリスト教に近づき、洗礼を受けたようだ。吉田神道の流れの者がキリスト教に近づいた例は多いらしい。ちなみに高山右近は幼少時に洗礼を受け、神道の影響はないらしい。
江戸時代に入り林羅山らの儒家神道が生まれてくると神道は次第にキリスト教との関わりを持たなくなる。次に両者が出合ったのは1868年の王政復古の号令の発布後だ。神仏判然令のあと「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れる。キリスト教への弾圧もおこる。しかし、結果的に神道の国教化政策は失敗する。伊藤博文らを中心とするこの間の経緯はよく知られている。仏教や神道を国教化する代わりに、いわば「天皇教」が構想され、天皇制の構築が始まる。神道は国教にはなれなかった。そのかわり、神道は宗教ではないという神道非宗教説が臆面も無く打ち出されてくる。
明治政府は宗教の自由をうたいながら実際はキリスト教は耶蘇教だとして弾圧を続けた。カトリックとしては、浦上四番崩れと、ペトロ岐部と187殉教者の列福は忘れられない。キリスト教が公然と活動できるようになたのは、1873年のキリスト教禁制の高札撤廃の後である。高札が撤廃され、プロテスタントを中心とする宣教が始まるのは熊本バンドなどが旧士族に受け入れられていってからのことだろう。やがてキリスト教は文明開化のなかで、西欧文明の宗教として受容されていった。内村鑑三の無教会主義など新しいキリスト教も生まれてくる。
他方、神道は仏教から独立しようと努めてきた。われわれが今見ている神道は仏教と切り離された神道だ。教派神道のみならず、神社神道も明治以降人為的に作られた神道だ。だが、雑談では、キリスト教から見れば、現在の神道はまだ二つの難問を解決できていないようだと、話が熱を持った。一つは、仏教の影響を受けている両部神道や吉田神道から自立した神道というものが本当にあり得るのか、という問題だ。神道は本当に仏教から切り離されているのだろうか。神仏分離は成立しているのだろうか。第二の問題は、神道は宗教ではなく習俗だと本当にいえるのか、という点だ。神道は日本固有の民族宗教だというのなら、現在の神社神道は宗教ではないのだろうか。キリスト教から見れば神社神道は宗教にしか見えない。
ということで、雑談はおもしろかった。それにしても皆さん学識のある方ばかりで、学ぶことが多い。
注1 今すぐ思い浮かぶ神様としては、八幡さま・お稲荷さん・天神さま・明神さま・道祖神・お蚕さまなど。また、仏さまは身近なところにたくさんありそうだ。お地蔵さん・観音さま・大黒さま・恵比寿さま・弁天さま・如来さま・薬師さま・明王さま・お不動さん・金比羅さま・韋駄天・閻魔さま・達磨さん・太子さま・お大師さま・権現さまなど。「さま」と「さん」をどう使い分けているのかわたしにはわからない。八幡さんとは言わない気がする。
注2 伊藤聡『神道とはなにか』2012
注3 カトリックでは、デウスやGodを「天主」と訳していたが、あるとき「神」に変更した。その経緯や是非については現在でも議論が続いているようだが、いまさら訳語をもとに戻すわけにはいかないようだ。残念なことである。「教皇」と「法王」という訳語も同じようになんとか教皇で統一してほしいものである。
注4 義江彰夫『神仏習合』1996
注5 死んだら仏になるというのが今の日本人の死生観だろう。人は死ぬと霊魂が肉体から抜けて幽霊となって暫くはその辺にふらふらと浮いている。やがて三途の川を渡って極楽に行き、仏様になる。残された我々は「ゆっくりお休みください」とか言って、死者は仏になると思っている。また、葬儀(告別式)では、弔辞は参列者に向かってではなく、正面の祭壇に向かって読まれる。まるで祭壇の周りに霊魂がふわふわと漂っているかのように話しかける。これは仏教の死生観ではない。現代日本の、作られた、死生観だ。仏教は死後の世界の存在を認めない。輪廻思想を持っているからだ。日本の現在の仏式の葬儀には儒教と神道の影響がみられるという(例えば、お通夜で遺体を自宅に安置したり、会葬者に浄めの塩を渡したりする)。
注6 天皇家は神道の総元締めみたいに思われているが、明治維新までは実は仏教徒であり、皇居には仏壇があり、仏を拝んでいたという。これは、天皇家の誰かが個人としてキリスト教の洗礼を受けることもあり得ると言うことなのだろうか。
注7 両部とは、密教の胎蔵・金剛の両界のこと
注8 『日本思想大系 25 キリシタン書・排耶書』 1970