事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

逝って来ます2

2007-10-21 18:33:40 | 事件記者の物語

 図書館で新聞を調べて来ました。

 アラさんの命日は昭和41年2月1日に間違いございません。

 翌週2月8日からヤジさんが復帰されました。結局レギュラーとしてオープニングに「矢島 藤岡琢也」の字幕があったのは2月15日以後の7回だけだったのでした。そっか、そうだよなあ、ヤジさん、あなたにとってはそんだけの番組だったんだ、納得・・・

 そう、考えてみれば当たり前ですよね、こんな重大なこと調べずに書く人がいるわけはない。この事実を疑う私の以前の記事は削除すべきかもしれないけど、ミステリ好きというものが、いかに簡単にミスディレクトされるかを示すいい例なので、このまましておきます。どうせ私ごとき、どれほど間違ったって別にキズつくわけじゃないもんね、またこの記事でキズつく人も自分以外にいないハズ、41年前のことなんだから。

 ただ自殺を伝える朝日(亡くなった翌日は特に何もなしの訃報だけ、危うく見落とすとこだった)の記事は、その原因を「過労」と断定しています(この記事は確か文春の「新聞エンマ帖」でもホメられていた、いつもながらつまんないこと記憶してる)。
 これが、新聞しか調べない後世のレポーターの唯一のネタになって、青俳という劇団に不当な罪を負わせる元になったんではないでしょうか?
 その後、新聞には載らなかったけど、奥さんの証言が信用できるかどうか、週刊誌でけっこう話題になってたんですよ-これこそまさしく私が言っても絶対信用してもらえないだろけど・・・・・

 それともう一つ、朝日の記事ではガンさんが気になることを言っています。

3月に事件記者が終ったら民放へ移籍する話があって、あの日もアラさんは仲間の人たちとその時の構想について積極的に話していた

 なるほどね、ガンさんはもうその時ガンさんをやめると決めていた、アラさんが話してた仲間の人たちというのはべーさん、八田さん、クマさん(それにディレクター?)で、彼らはセイカイどんが抜けるだろうからその穴埋めにヤジさんを呼ぼう-とか言ってたのじゃないのかな?アラさん、それなら自分はいなくても大丈夫かと・・・・・

 ワーッ、また完全な妄想になってしまった-つかこの時点つまり2月14日はヤジさんがレギュラーになった日ではないか、わからないよ、何だか・・・・


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