文春の編集後記は「社中日記」ってタイトル、社員が実名で登場していた、当時の社長は池島信平だったかな、半藤一利は言語不明瞭だが昔落語を修行したと言ってみんなを驚かせた、ある時「宿帳に本名を書いたら宿泊を断られた、社中日記のせいだ、どうしてくれるんです?」と電話して来たのは湯川豊(いっしょにいたのは田中健吾他数名だが名前忘れた)、後に愛知県で議員になった佐藤観樹はサトカンと呼ばれていた(もう時効だから書いてもいいよね)
ある時こんなのがあった
「***(名前忘れた)が平家物語を読んでるんだよ」
「それがいつも同じところなんだ」
「斉藤実盛が白髪を黒く染めて勇躍出陣するところだって」
みんな「あっ」と思ってそっちを見た、昭和の斉藤実盛がそこで本を読んでいた・・・(これが「決まってる」と思う私は古いんだろな)
筒井康隆「乱調文学大辞典」の「浅学非才」=①自分のことを謙遜して言う言葉(ウロ覚え)②筒井康隆のこと、これ私は大笑いだったけど他ではあんまし受けてない
丸谷才一が大野晋の「日本語タミル語起源説」をマジで評価してるのはいささか意外、確かにあの二人は仲よかった、丸谷は野坂昭如のわいせつ裁判、大野は狭山の誘拐事件に関わって、日本の司法現場が言葉というものをいいかげんに扱ってる、そのせいで無用の冤罪が生じてることに心底怒り狂ってたのだ(と文春で読んだ)、だけど日本語が南インドから中間の東南アジアと中国をすっとばして飛んで来たかどうか、それはまた別の話、そもその説って大野のオリジナルじゃない、若い研究者(名前忘れた)の学説をパクっただけって話じゃなかったの?(それ検証したのは中村彰彦だったハズ)、そっちはWikiにも出てない、完全に忘れられたんだろか?