日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

見物

2012年05月03日 | Weblog
見物

さあ買ってらっしゃいみてらっしゃという大声にひとが集まらないが、音楽が流れると別な反応を示す。
ショッピングセンターの1角で舞台を組みたていすを並べてイベントがあった。
何事かと思い」舞台近くにいた。いざ始まってみると歌入りのCDを流し口パクで身体をリズム7にあわせて揺すっている。

「なーんだ。この事が」僕は立ち去りかけたが、椅子に座ってきいていたおばちゃんが「あほくさ。みてられんへん」捨て台詞を残して出ていってしまった

人権

2012年05月02日 | Weblog
人権

人権人権とかしましい時代ではあるが、人権ほど中身に定義が難しいものはない。
中身は人それぞれで全く相反する人権の意味を主張するものも大勢いる。だから人権を定義することは難しいのだ。
ただはっきりしていることは、殺人犯罪で恣意的に殺された者には人権を取り戻す権利がある。無実で落ち度のない人の人権はどんなことをしても守らなければならない。回復させなければならない。これは被害者重視の主張ではない。人権回復の正当な権利である。
そんな殺人犯にも人権があると一般には思われているが、それは理論上のことで、現実には恣意的殺人を犯した段階で、人権喪失も同然である。従って加害者の人権は忖度する必要はない。被害者の無念さと遺族の悲しみは最高に尊重されなくてはならない。
自分の欲望のために、無実の人を殺した人間は社会から抹殺すべきである。それは当然の社会正義であり、また社会の義務である。

ところが昨夜読んだ理趣経に物事の分別は良くないと書いてある。何故なんだ?この疑問をこの書のなかで解き明かし納得出来るだろうか。?今はその気に成れないが。

大飯町の原発再開説明会

2012年05月01日 | Weblog

大飯町の原発再開説明会

福島のみならず原発立地地域の住民の苦悩がよく分かった。誰しも現実生活に追われているから、安全が確信できれば、1日も早く再稼動して以前の日々の暮らしを取り戻したいのは、当然のことである。しかし住民の中には、地縁血縁ののために苦しい胸の内を抑えている人がいる事を知った。

滋賀県と京都府両知事は再稼動を良としない。滋賀県知事が言うように、風向きによっては琵琶湖が放射能汚染される危険性は十分ある。いったん汚染されると琵琶湖を水源としている1450万人は生活水を奪われて住めなくなる。それは子々孫々に至るまで続くだろうから、電力不足などと比べて物の比ではない。
安全の確信もないままに再稼動という恐ろしいことを政府はを始めようとしている。
立地の大飯町と福井県の同意だけで再開というのは、絶対無理がある。
滋賀県や京都府の両知事が言うことを、政府がまずやるべき事である。
大飯町にたった一回の住民説明会だけで同意を得ようとしたことは、誰が描いたプログラムあるいはロードマップなのだろうか。愚かさにもほどがある。
住民をなめているのとは違うか。
福井県に立地する原発はまさに、関西圏全体に関わる大問題である。それも準備万端整ってというならまだしも、今から二,三年先に免震棟が出来るというのでは、誰も納得しない。それは福島事故を見れば一目瞭然だからだ。

政府首脳と関西圏の知事首長とは考え方を交代したほうがよい。ということは政府はいかに愚かしい計画しか持っていない、考えつかないというお粗末さを露呈した。

政権交代があったとき、もっとましな政党だと思ったが、それはこちらの過ちだった。次回の選挙では期待を裏切った民主党には絶対1票を入れないことにした。ぼろぼろに敗退することを希望する。