ダブルブッキング
遅れることはあっても早くなることはない。けれども、ぼくは落ち着かなくて、目と鼻の先にあるプネ駅へは一時間以上も前に着いた。
インドでは何が起こっても不思議ではない、というのが僕のインド観である。前回のインド訪問で僕はのことをしっかり頭に叩き込んでいる。あつものに懲りてなますを吹いているが、そのくらいでちょうど良いのが、インドの旅のタイムスケジュールだ。
列車は定刻より1時間遅れで発車した。僕は車番を間違わないように何回も自分の名前が書かれているデッキの入り口に貼ってある、座席シート表で座席を確認した。33番。これが僕の席である。
33番へ行ったら若い女がでてきて、ここは違うという。チケトに表記された番号を示してここだと、いったら他の席だという。念のため僕はもう1度予約シートを見に行ったら、その女の連れあいに出会った。彼はミスターの席はこの列車の33番だと言った。彼と一緒に座席に着くと女はもう何も言わなかった。やれやれ。これで明朝8時から9時にバンガロールにつく。約1000キロの旅だ。
地図で見ると、プネからバンガロールまでは近いが、走れば1,000キロメートルの旅である。下関から東京へ行く距離だ。さすがにインドは広い。冷房は穏やかに効いていて居心地がよい。ああ、極楽。
先程は駅まで歩いて10分もかからないというのに、汗だくになった。インドは日が昇ると暑い。日が沈むとさわやかになり、夜から朝にかけてはかなり気温が下がる。昼は35度以上あっても、真夜中になると25度以下まで下がることだってある。ファンを回したりエアコンをつけたりしたままで、水シャワーを浴びて、そのまま部屋に入ると寒くて身震いすることも何回かあった。
ビヤ樽は僕にチケットを見せてくれと言った。僕はチケットを出しながら自分の座席は33番だと指さした。彼は2人分のチケットを示しながら、34番、33番だという。
あれ、ダブルブッキングじゃないか。今さら俺の席だと言われてもハイハイというわけにはいかない。僕は少々あわてた。が、彼にとにかく座っていて、車掌がきたら聞いてみようと提案した。彼もそうだといった。
なりは粗末だが、乗客にあれこれ説明していたから、てっきり車掌だと思ったので、この問題についてその彼に話をしたが、要領を得ない。彼は車掌の補助員で毛布やシーツを配りに来た。そうだったのか。だからわからないはずだ。僕は納得した。
その後でチケットチェックに来た人は制服を着ていた。
ビヤ樽は車掌にしきりに説明している。車掌は33.34と書いたチケットを見ながら、うなずいている。僕は自発的にチケットを見せて33は僕の席だと主張した。しばらくすると車掌は46番に移ってくれと言った。ただそれだけをいって詳しい説明をしなかった。
どんな席かわからなかったが、僕はしぶしぶ荷物を持って46番を探したら、なんと1人用のシートである。これはありがたい。
座席を寝台に作りかえ、毛布を重ねて枕を高くして横になった。ここは列車の出口に1番近いところなのでエアコンが効きすぎている。そういうマイナス面もあるが、窓の位置がちょうど顔の位置で、
寝ながらにして外の景色が楽しめる。エアコンのため窓を開けるわけにはいかないが、サンシールの張ってある窓からは、外の景色がみんな黄色がかって見えた。
やっと落ち着きを取り戻した僕はシートの移動について考えた。ムンバイで取ったチケットは2人用寝台である。つまり4人掛けのうちの1人が僕である。この一画はすでに新婚旅行の若夫婦が二席をとっており、残る二席が僕と他の1人という形になっていた。
そこへビヤ樽夫婦が来たのである。チケット売り場では、気を利かして
夫婦に33.34番の席を売ったもんだ。そこで彼は僕に座席ののチェンジを申し込んだのだ。だが僕は意味が分からないから、ここは僕のシートだと一歩も譲らず頑張った。インド英語を解し得ないとこんな馬鹿みたいなことが起こる。
おれたちは夫婦連れだから同一区画の上下で寝台が欲しいんだ。君は1人ものだから、チェンジしてくれても実害はないはずだ。俺達は別々の席よりはこのほうがいいんだよ。
言葉が分かれば、たったこれだけのことなんだ。が、意味がよくわからなかったばかりに、ダブルブッキングだと車掌にクレームを言わなくちゃなんて大げさな自分に僕は苦笑した。結果として僕は得をした。
ひとりで景色を楽しみながら体を横にして、ペン走らせることができたから、コルカタからムンバイまでの2,000キロを二晩列車で過ごし、さらにムンバイについてからは、その晩の夜行バスで13時間かけて、徹夜でアウランガバードまで走った。なれない土地でスケジュールに縛られて、すべてを忘れて突っ走った。当然疲れた。特に睡眠不足からくる神経の高ぶりは簡単には鎮まらなかった。不便、暑い、汚い。そのどれもがいらだちの原因だった。
だが今は違う。エアコンのよく利いた1人用の寝台で景色を楽しみ、列車に揺られながらエッセーを書く。暑かろうが、寒かろうが、汚かろうが、清潔だろうが関係ない。このコンパートメントこそが地獄の中の極楽なのである。
列車は1時間遅れのままで走っている。18時だというのにまだ日が暮れない。もう少し立てば真っ赤な火の球となって地平線に落ちていくことだろう。外は何百キロ走っても似たような風景だ。果てしなく続く平野は熱帯の樹木と、畑と、実った小麦と、レンガ造りの粗末な家いえ。
暑さにもめげず働く真っ黒な農民の姿。川もなければ海もない。何の変哲もない画一風景。林もなければ森もない。そのくせ所々に蛍光灯の明かりが見えるのは、何かアンバランスでユーモラスだ。列車は荒野を疾走している。初めて極楽の旅をさせてもらった。これもインドの旅なんだ。旅にも色々あるなー
遅れることはあっても早くなることはない。けれども、ぼくは落ち着かなくて、目と鼻の先にあるプネ駅へは一時間以上も前に着いた。
インドでは何が起こっても不思議ではない、というのが僕のインド観である。前回のインド訪問で僕はのことをしっかり頭に叩き込んでいる。あつものに懲りてなますを吹いているが、そのくらいでちょうど良いのが、インドの旅のタイムスケジュールだ。
列車は定刻より1時間遅れで発車した。僕は車番を間違わないように何回も自分の名前が書かれているデッキの入り口に貼ってある、座席シート表で座席を確認した。33番。これが僕の席である。
33番へ行ったら若い女がでてきて、ここは違うという。チケトに表記された番号を示してここだと、いったら他の席だという。念のため僕はもう1度予約シートを見に行ったら、その女の連れあいに出会った。彼はミスターの席はこの列車の33番だと言った。彼と一緒に座席に着くと女はもう何も言わなかった。やれやれ。これで明朝8時から9時にバンガロールにつく。約1000キロの旅だ。
地図で見ると、プネからバンガロールまでは近いが、走れば1,000キロメートルの旅である。下関から東京へ行く距離だ。さすがにインドは広い。冷房は穏やかに効いていて居心地がよい。ああ、極楽。
先程は駅まで歩いて10分もかからないというのに、汗だくになった。インドは日が昇ると暑い。日が沈むとさわやかになり、夜から朝にかけてはかなり気温が下がる。昼は35度以上あっても、真夜中になると25度以下まで下がることだってある。ファンを回したりエアコンをつけたりしたままで、水シャワーを浴びて、そのまま部屋に入ると寒くて身震いすることも何回かあった。
ビヤ樽は僕にチケットを見せてくれと言った。僕はチケットを出しながら自分の座席は33番だと指さした。彼は2人分のチケットを示しながら、34番、33番だという。
あれ、ダブルブッキングじゃないか。今さら俺の席だと言われてもハイハイというわけにはいかない。僕は少々あわてた。が、彼にとにかく座っていて、車掌がきたら聞いてみようと提案した。彼もそうだといった。
なりは粗末だが、乗客にあれこれ説明していたから、てっきり車掌だと思ったので、この問題についてその彼に話をしたが、要領を得ない。彼は車掌の補助員で毛布やシーツを配りに来た。そうだったのか。だからわからないはずだ。僕は納得した。
その後でチケットチェックに来た人は制服を着ていた。
ビヤ樽は車掌にしきりに説明している。車掌は33.34と書いたチケットを見ながら、うなずいている。僕は自発的にチケットを見せて33は僕の席だと主張した。しばらくすると車掌は46番に移ってくれと言った。ただそれだけをいって詳しい説明をしなかった。
どんな席かわからなかったが、僕はしぶしぶ荷物を持って46番を探したら、なんと1人用のシートである。これはありがたい。
座席を寝台に作りかえ、毛布を重ねて枕を高くして横になった。ここは列車の出口に1番近いところなのでエアコンが効きすぎている。そういうマイナス面もあるが、窓の位置がちょうど顔の位置で、
寝ながらにして外の景色が楽しめる。エアコンのため窓を開けるわけにはいかないが、サンシールの張ってある窓からは、外の景色がみんな黄色がかって見えた。
やっと落ち着きを取り戻した僕はシートの移動について考えた。ムンバイで取ったチケットは2人用寝台である。つまり4人掛けのうちの1人が僕である。この一画はすでに新婚旅行の若夫婦が二席をとっており、残る二席が僕と他の1人という形になっていた。
そこへビヤ樽夫婦が来たのである。チケット売り場では、気を利かして
夫婦に33.34番の席を売ったもんだ。そこで彼は僕に座席ののチェンジを申し込んだのだ。だが僕は意味が分からないから、ここは僕のシートだと一歩も譲らず頑張った。インド英語を解し得ないとこんな馬鹿みたいなことが起こる。
おれたちは夫婦連れだから同一区画の上下で寝台が欲しいんだ。君は1人ものだから、チェンジしてくれても実害はないはずだ。俺達は別々の席よりはこのほうがいいんだよ。
言葉が分かれば、たったこれだけのことなんだ。が、意味がよくわからなかったばかりに、ダブルブッキングだと車掌にクレームを言わなくちゃなんて大げさな自分に僕は苦笑した。結果として僕は得をした。
ひとりで景色を楽しみながら体を横にして、ペン走らせることができたから、コルカタからムンバイまでの2,000キロを二晩列車で過ごし、さらにムンバイについてからは、その晩の夜行バスで13時間かけて、徹夜でアウランガバードまで走った。なれない土地でスケジュールに縛られて、すべてを忘れて突っ走った。当然疲れた。特に睡眠不足からくる神経の高ぶりは簡単には鎮まらなかった。不便、暑い、汚い。そのどれもがいらだちの原因だった。
だが今は違う。エアコンのよく利いた1人用の寝台で景色を楽しみ、列車に揺られながらエッセーを書く。暑かろうが、寒かろうが、汚かろうが、清潔だろうが関係ない。このコンパートメントこそが地獄の中の極楽なのである。
列車は1時間遅れのままで走っている。18時だというのにまだ日が暮れない。もう少し立てば真っ赤な火の球となって地平線に落ちていくことだろう。外は何百キロ走っても似たような風景だ。果てしなく続く平野は熱帯の樹木と、畑と、実った小麦と、レンガ造りの粗末な家いえ。
暑さにもめげず働く真っ黒な農民の姿。川もなければ海もない。何の変哲もない画一風景。林もなければ森もない。そのくせ所々に蛍光灯の明かりが見えるのは、何かアンバランスでユーモラスだ。列車は荒野を疾走している。初めて極楽の旅をさせてもらった。これもインドの旅なんだ。旅にも色々あるなー