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日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

白い杖

2014年11月19日 | Weblog
白い杖

白い杖を持った人がエスカレーターに乗った。自分もいちど真似をしてみたが、恐ろしくてとてものれたものでは無い。すぐ目を開けた。
人間は五感から入ってくる情報に対処しながら生活しているが、どれほど情報が目から入ってくるものだろうか。90パーセント以上ではないか。
白い杖を持った人は目からの情報が入ってこない。
これほど不自由な事は無い。

ところが人体には不思議な力が備わっていて、それをおぎなおうとする。どこかに欠陥が出ると、それを補おうとするメカニズムが働く。
例えばが視力に変わって聴力で補っていこうとする。
何がどうあれ視力を失うと言う事は不自由である事に違いない。
目が見えているだけでも幸せだと思わなければならないのに、普段はそれが当たり前で、ありがたみは感じない。
という事は与えられた条件を、人はそのまま受け入れると言うことなのであろうか。そこには感謝とか不自由とか言う概念は入り込まないのだろうか

学問は人間らしい生活のために

2014年11月17日 | Weblog
学問は人間らしい生活のために

何の学問でも究極は人類の幸福を実現することにある。
だから専門分野に分かれているとしても、最終目標は人類の幸福と言うところに収斂していくだろう。

経済学が金銭的な価値を重視して金には換算し得ない自然環境などを除外して、強者も弱者も同じ土俵において競争すればうまくいくというのは、一面的な見方である。学問の最終目標からはずれている。

他者との競争ばかりに邁進する市場経済理論は人類の共生き哲学思想に合致するだろうか。人類の共存共栄を実現するだろうか。

人類は人類単独で存在し得ない。自然との共存が不可欠である。とすればあらゆる学問は自然との共存の上になくてはならない。経済学が単なる学問で終わるのではなく、人類の幸福に直結した学問であってほしい。

取材は1人で

2014年11月16日 | Weblog
取材は1人で

、自分の殻に閉じ籠って、自分との対決をしながら何かを作り出そうとすると、自分以外の人間はどんなしたしい友人であれ、知人であれ邪魔者以外の何物でもない。

創作すると言うのは自分との戦いである。その戦いに関係を持つものは全て敵である。そう思うから、またそう実感するから僕の旅はいつも1人旅である。

家内と2人旅をするときは創作半分、談笑半分で没頭できたものでは無い。悪く言えば母ちゃん孝行だけである。作家がホテルに缶詰になってる心境はよくわかる。女房を含めて友人知人を同行するのは創作旅では邪魔でしかない。ただし遊びは別である。



資本主義下で

2014年11月14日 | Weblog
資本主義下で

自由主義経済の下で競争に勝った者も、負けた者も命がある限り生きていかなければならない。極端な格差がついてそのまま放置すれば敗者は生存が許されないような状況下に置かれやすい。
経済的格差の程度の差が極端になると、革命が起きて、社会体制のあり方が問われる。
飢えて死に直面している人間が増えれば増えるほど、社会は不安定になる。そのようになりやすい社会体制は根本から考え直さなくてはならない。
まじめに働く普通の人間が、生存ぎりぎりの線上に置かれないように、政府は最大の調整機能を果たさなくてはならない

受刑者に個室ベッド

2014年11月12日 | Weblog
受刑者に個室ベッド

3食テレビつきベッドしかも個室。国がこんな事をして良いのか。何のために収容しているのか。ホームレスのことも考えてやるが良い。

受刑者の待遇であるが、悪いことをして人に迷惑を掛けたのだから、厳しい環境において、反省させるのが筋である。
受刑者の待遇改善を金を掛けて、する必要がどこにあるのか。刑務所側は再犯防止だとか、社会復帰に役立つとか言うが、元々犯罪者なのだから、社会的制裁という厳しさがあってしかるべきである。

ましてや網走送りともなればそれなりに悪いことをしたはずである。寒冷だから、高齢者だからと言って同情する必要はない。悪事を働いておいて居心地の良い環境を望むなんてとんデモナイ事だ。どこに反省があるのか。我が身を切って血のにじむ想いで更正するのが当然の責務だ。行った事、犯罪が劣悪な環境に身を置くと言うことが前提になっている。
曖昧なことをせず、犯罪者に対しては、償いをさせるべく贅沢な環境に置くべきではない。それは自分がまいた種で己が招いた罰である。

二つの墓0

2014年11月11日 | Weblog
二つの墓

香川県佐柳島では2つの墓があるらしい 。埋葬する埋葬墓 魂を祀る参り墓
此の考え方は明らかに肉体と魂を分けて考える事だ。
ここまではっきりと分けなくても、1つの墓に遺骨と魂を入れておくというのが現代の墓に対する考え方だ。
それを別々に分けて肉体用、魂用と分ける考えが面白い。ここでは人間は肉体と精神、魂と にはっきりと分けられている。そして墓参りは二つ参ることになる。埋葬墓と参り墓。
霊の存在を信じるとか信じないとか,言う人が多いが、みな同じ事を考えている肉体墓だけだったら 墓参りの必要はないのだ。勿論位牌の必要もない。寺の存在も意味がない。
そのうちに人間の肉体も精神もしんじなくなって、死んだらすべてが終わりと言う時代が来るかも知れない。まるで平安や鎌倉時代に逆戻りするみたいである

蔵王堂に参る6-31

2014年11月10日 | Weblog
蔵王堂に参る

600年代に役小角が開山したとある。仁王門をくぐると、左右に5mをこす仁王がにらみを利かしている。
本当の大きさや立派さには目を見張る。蔵王堂本堂は日本で2番目に大きい木造建築だそうな。こんな山奥にどうして建てたのか。

仁王は左右からそこを通る者をにらみつけている。子供などはその
形相が怖いと言うし、僕も一瞬そう思ったから怖いというのが実感だ。
だが仁王は門をくぐる者に怒りを向けているのではなく、仏法の教えを邪魔する者たちに怒りをむけて、仏法の守護をしているのである

3体の蔵王像は、役の行者がこの地で感得して祀っものらしい。
蔵王権現。その名も厳し。平生は秘仏である。
今日はその秘仏のご開帳とあって、ご尊像を目の前で拝めて
、焼香ができたのは幸いだった。
生まれて初めて蔵王権現を拝んだ。

役小角と言う名前は日本歴史で学んだし、京都清水寺にある音羽の滝の前にお祀りされてあるセイタカ、コンガラ童子を引連れた不動明王の1連の並びにその石像がある。

山岳信仰、山伏の修験道の始祖である。どのような神秘な力を得たのだやろうか。役小角は別名、神変大菩薩、と言う諡を天皇から賜っている。
今でこそケーブルも通っているが、彼が活躍した時代では、山深いところと思われていたのではないか。
吉野は義経と静御前の話。後醍醐天皇の話など、きっと神変大菩薩が、呼びよせたのだろうと想像するだけでも興味が湧く

大阪弁

2014年11月08日 | Weblog
大阪弁

岩手、花巻でNHKテレビで久々に聞く大阪弁はなんとも懐かしく暖かい。それは父の言葉であり、母の言葉であり、私を育む音楽である。見知らぬ土地に来てそういうことを痛感した。


悪魔と善魔

2014年11月07日 | Weblog
悪魔と善魔

僕が確信を持っているのは霊の存在である。霊とは何か。それは一見脳の働きのように見えるが、それを超越するところにある、精神全体を指す。
輪廻転生を信じる僕はこの世で肉体を失っても、精神は残り、それも以前の程度、つまり、みがかれた魂の段階に従って善魔と悪魔に分けられる。それを判別するのはさらに霊格の高い善魔すなわち神によってなされ、分けられた段階に応じて居場所が決定されるが、その所行は、その霊の格や質によって悪魔となって、世人に害を与え悩ませる。(魂の段階説))

不慮の事故で踏切りで事故死した霊は余程の供養がない限り、地縛霊となって、事故現場にとどまり、霊格の弱い人がいたら、引きずり込んで、似たような事故死を起こす。世間では踏切のあるところで事故があると、あの踏切は人を呼ぶ、というが、これがそれにあたる。

不慮の事故によって肉体を失った霊は悪魔となって手を変え、品を変え次々と不幸をもたらす。現世での人々の精神状態を見てみると、大抵の場合、ねたみ、妬み、理由のない悪口などで、常にマイナス感情に覆われている。極端な言い方をすれば、現世の人を不幸に陥れることに快感を覚えるという、たちの悪いものだが、それが精神界に帰った時は必ず悪魔世界の住人になる。そして無意識のうちに悪事は働く。

一方善魔のほうは魂の段階説では少なくとも天上界にある霊であり、その最高のものは神霊である。

世人はこんなことに無頓着であり求めようとはしないから悪魔対善魔の対決は圧倒的に悪魔の方が多く軍配が上がる。これは悲しむべき事柄であるが、現実世界では、人々が精神革命起こさない限り、変わりようがないというのが僕の味方である。
要するに現実界は悪魔に人々が苦しめられている構図であり、その救済は神霊による救済を願い、それにふさわしい霊格を作ることであろう。



火宅の人々

2014年11月05日 | Weblog
火宅の人々

我々がこの世に生まれ出ると言う事は、もうそれだけで、火宅の人になる資格が10分あるということだ。
地位を求めて、名誉を求めて、金を求めて、ヨーイドンを始めるから、我より先に走るやつは、足を引っ張って、同じレベルのものは突き放して、後を追いかけてくるやつは、踏んづけて蹴飛ばし人生コースを夢中になって走っている。こんな状態に巻き込まれて、どうして心豊かな人生が送れようか。これは火の上を裸足で走るようなものである。


シーウイ

2014年11月04日 | Weblog

シーウイ

1991年に、シーウイの生涯が映画化された、という話を聞いた。僕はその映画を見たくて、複製版のビデオあるいは、DVDをどこで、買ったらいいのか、探した。
宿の主人に聞くと、シーロム通りの つたや が、良いという。時計を見ると、9時を回っていた。夜はめったに繁華街にでない僕も、きょうばかりは、つたや、まで走った。
スリウオン通りで、バスを降りて、パッポンを通り抜け、シーロム通りに出た。分かりにくかったけれども、何とかこの大通りを、向こう側にわたって、ビデオかDVDを探し求めたが、店員は、それは売っていないという。
バンコクのシーロム通りの つたや で売っていないとするならば、日本で つたや に、問い合わせで、日本で買えばよいと思い、その日は手ぶらで帰った。
そして今日、僕は京都の今出川交差点で つたや を発見し、かなり食いさがって、探し求めているビデオか、DVDをほしいと求めたが、結局なかった。
なによりも驚いたのは、つたや では、いま海外出店はしていないそうである。
ということは、バンコク、シーロム通りにある、つたや は偽物であるということになる。タイでは、著作権的な発想があまりないから、何でも真似をする。つまり、コピー商品を作る、ということは聞いていたが、お店の名前まで丸ごと使っているということは、驚きを通り越してあきれた。とは言えひょっとすると、バンコクに進出した つたや が撤退したときに、この店の看板や商標権をそのままにして、引き上げたとも思い直してみた。
 これじゃあ、シーウィの生涯のビデオやDVDを探しても話にならない。僕はあきらめた。

「シーウイの生涯」の映画化のことを、インターネットで調べてみると、2003年、6月に、クランクアップされたそうである。ということは、本当に映画化されたということなのであろうか。バンコクエンターテインメントという会社が映画化をしたらしいが、上映はまだだ、ということである。
 僕はかってシリラート同病院の中にある、犯罪博物館で、ミイラになったシーウイに
対面して、怒りの炎をぶつけてきたことがある。憎悪の怒りが、僕の心の中で非常に激しいので、何としても、この映画をみたいものだと、熱望している。

ところで僕は今、京都に、紅葉を観賞するために、やってきているんだ。それなのに、なぜか紅葉観賞は頭から素飛んで、シーウィの事で頭で1杯になっている。
そのわけは、一つには、恐いもの見たさがあるのだろう。また僕の正義感が、許さない部分もあるのだろう。さらに、ツタヤ というニセモノが、バンコク、シーロム通り、にあるということに対する驚きもある。
11月3日、暖冬だった今年の、京都の紅葉は少し早かった。やはり、11月も、20日過ぎ、23日が24日の連休辺りが、いちばん紅葉する、時期ではあるまいか。

さて話の中心はシーウイである。
シーウイ。1950年代に子供を誘拐して、殺して食べた中国系タイ人である。子供の内蔵を、不老長寿の妙薬と信じて、5人の子供を殺害し、その内蔵を食った凶悪犯である。
穏和な人情が国民性だと思っているこの国、タイでも極悪非道な、特異な事件だけに、
人々の関心も高いのだろう、見学に行った日にも、大勢の現地人が見学に来ていた。
凶悪犯はほかにもミイラにして展示されているが、とりわけシーウイが有名なのだろう。
僕は読めなかったが、タイ語で解説が付けてある。
 今僕はこの天人ともに許せない凶悪犯、シーウイのミイラの正面におかれた椅子に座りながら、彼と向き合っている。目玉がなくなっているので、そこだけが白く光り、幽霊のような姿に見える。両肩を少し持ち上げた形になっているのは、男としては小振りな男なので、こうでもして、少し大きく見せようとしたのか、それとも偶然こうなったままで、樹脂でかためられたのか、それとも遊び心をそえて、わざと幽霊を連想するように仕上げたのか、その姿が、絵に描かれた幽霊を、よけいに連想させる。
本来だったら、彼はもうこの世にいないのだから、そこまで憎悪の念を、彼にぶっつける必要はないのだが、怒り心頭に発していた僕は、とても彼を許すことはできなかった。
地獄の果てまでも追いかけていって、この罪、すなわち5人の子供が味わった恐怖感と、死の苦しみに加えて、子供を殺され、食べられた両親の悲しみと恨みや悔しさ、それをこの世でしっかり償わせるまで、子供や両親が味わった以上の苦しみを、彼に与えて苦ませ、この世で味わわせてから処刑する、それが償いというものであると僕は思う。正義のバランスはこの辺にあると思うので、処刑されて、ミイラ保存されだぐらいでは、僕自身の怒りの炎は消えない。僕の正義感からすると、無実の人を、恣意的に殺した者の責任の取り方は、犠牲者に与えた以上の苦しみを味わわせるのが筋だと、思うところにあるから、この程度の罪の償い方には、満足できるものではない。
僕は正面に向き合って腰を下ろしている、シーウイにこの自分の思いを、おもいっきりぶっつけた。それでも腹の虫は収まらなかった。
 もう帰ろう。精神衛生によくない。僕は一人ごとをいった。そして博物館を後にしたわけだが、日本に帰国した今も、まだあの思いを引きずっている。
こういう事件は凶悪犯罪になるが、戦争だったら5人や10人殺したところで犯罪にもならない。その点が平和時の出来事と、戦争最中の出来事とでは判断が違うのである。そういうことも考えて、気をそらしてみて、すこしでも憎悪や怒りの念を和らげようと試みた。世界人口60億人という膨大な数の人間の中には、想像だにできないことを、やってのける悪が居るものだと、改めて人間に巣くう、野獣性に戦慄を覚えた。

シーウイ、悪魔に魅入られた男、凶悪犯の見本として、これから先、何年も善良な人々の憎悪や軽蔑の視線を浴びながら、シリラート犯罪博物館に標本展示されることだろう。
これだけ大それたことを、しでかしたからには、まさか、まともな人生を全うできるとは、思ってはいなかったことだろう。哀れなやつだ。僕はずーっとこんなことを、思い続けた。
だからせっかくの紅葉見物も関心薄である。紅葉の盛りにはまだ早い。今年は暖冬だから11月の月末頃が見頃になるのではないか。また改めて紅葉狩りにこよう。そう思って京都を後にした。



一人旅

2014年11月02日 | Weblog
一人旅

女の一人旅は、愛する男と別れるためにとか,それにともう自分の気持ちを整理素谷というのが多い。
男の一人旅はセンチメンタルな流離いという色合いが濃い。
いずれにせよ一人旅はいいのだ。十年間ほどアジアを一人旅したが、得る者が多かった。その最大はあらゆる面で、日本の国の良さを身にしみて知ることが出来たことだ。