日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

日本の労働時間は2,020時

2015年10月18日 | Weblog
日本の労働時間は2,020時

日本の労働時間は2,020時間。どうも世界最長らしい。
週40時間と決められていても、毎日に2,3時間残業するのが日常の常識である。

そんなに働いても老後福祉が完備されていないので,現在の65歳以上では20%が下流老人になると言う。

外国に向けては〇〇に1000億円xxに500億円無償供与すると言う。気前の良い話だ。金を配る政治屋は格好良いのかもしれないが、自国の国民のほうは貧しい人々の生活が渦巻いている。

どうして外向けには気前が良く、国民は下流で辛抱をしなくてはならないのか。
しかもこの矛盾を誰も口にしないシ、デモもう起こらない。
すべて政治の貧困で片付けられている。


警句本

2015年10月17日 | Weblog

警句本

聖人、賢人の言葉を読むことにしている。
同感できるものやら強い説得力を持った言葉や軽い言葉などがある。
〇〇と言うタイトルの本はいつも出ているが、自分の言葉ではなくて、誰々がこう言った式のものもある。

他人の言葉の引用は引用者がよほどしっかりしていないと本旨から大きくずれて、引用者自身のものになっている場合がある。

限って言えば、織田信長の言葉なんてものは信長に代わって引用者の思いが描かれ、それに信長と言う衣を着せてあるようなものだ。
特に霊感によって感じたように解釈を加えて信長の言葉として表されているものは噴飯もので笑っちゃう。

日本人と中国人の違い

2015年10月17日 | Weblog
日本人と中国人の違い

日本人から見ると中国人のやる事はづさんで、詰めが甘い。
日本の新幹線と中国のそれでは安心度が大違いで、日本は寸秒も遅れないと言う正確さがある

開業以来1回も事故起こしたことがない。
中国は早々に事故後起こした、そして呆れたことには事故列車の車両を地面に穴を掘って埋めてしまった。それをまた掘り起こした。これって意図するところは何なんだろう。
まさか事故車両を埋めることによって一見落着とする意図ではないだろうが、不可解な行動だ。

北京の空だってそうだ。工場や車の排ガス規制がきいてないからマスクを使わないと生活ができない。
これが世界第二位の大国だと言うから、中身のないウドの大木を連想する。
なんでも大ようだ。気にしない。それも確かによいだろうが
物によっては、その考え方は通用しない。


お笑い

2015年10月17日 | Weblog

お笑い

テレビではお笑い番組花盛り。何が面白いのか。そこの浅い口からでまかせのお笑いには辟易する。
面白さバカバカしさが加わって面白みを失わせている。
ところがこのお笑いの生み出す中には、いつも感心する笑いを取るようにうまく仕掛けてあるが、その仕掛けには感心する。

どこからあんな知恵が当意即妙な言葉となって出てくるのだろうか。
これは完全にその人の訓練の前に才能が備わっていると言うものだ。
前もってアンサーが仕組まれている場合は別にして、瞬発的に出る言葉にはつくづく感心する。
しかし笑いを楽しめないと言うのは人生の楽しみの1部を放棄しているのも同然だ。こんな自分が嫌になる。


サービス残業は犯罪行為

2015年10月16日 | Weblog
サービス残業は犯罪行為

仕事の為に生きているんじゃなくて
生きるために仕事をしている。
のだ。
サービス残業は犯罪行為だ。

仕事にやりがいを感じて長時間労働をしている人もいる。
月80時間の残業は毎日に2,3時間程度残業すること。
日本ではこれが当たり前。

ドイツでは平日でも夕飯を食べるのが当たり前。
長い労働時間が経済力につながると言うのは幻影に過ぎない。

かみさんはうちは母子家庭だと思っている。

長時間労働の人生の先には何が待っているか。
仕事一筋長時間労働だった男性が、定年後にやりがいを失って
うつになり自殺したりしている。

会社との縁が切れた途端、社会から孤立する。
その結果妻にまとわりつく。

2,020時間。主要国で最長の労働時間だ。此が日本の実態。

労働基準法は一日に8時間時間を超えて労働人を働かせてはいけない。ただ例外として雇うが、あとは働く側の間で約束すれば8時間を超えて働かせることができることになっていて、
実質的には制限がない。


長時間労働

2015年10月16日 | Weblog
長時間労働

長時間労働の先に何があるのか。

一生涯仕事をして、自己充実感があったと言う人もいるだろう。が、大半は老後の生活の暮らし振りを心配している。

馬車馬のように働いて、過労死したり、鬱になったりして、自殺したり、下流老人と言われたり。
いいとこなしだ。
こーゆー現実をしっかり見つめて、長時間労働を止める方に方向転換したいものだ。
働くために生まれてきたのではなく、て生きていくために働くと言う本来の姿をとり戻したいものだ。