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日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

安倍総理.ご苦労さんでした

2019年06月29日 | Weblog

安倍総理.ご苦労さんでした。

あれだけ大きいイベントをそつなくこなすというのは大変なことです。

 何の手違いもなく、大筋でこなせる人は、今の日本では安部さん以外には居ないですよね。

安部一強などと言われるが、日本を引っ張っていくのはあなたしか居ませんよ。本当にご夫妻さんはお疲れ様でした。

この会議の成果や結果はどうなるのやらわからないところもあるが、無難にこなせただけでも大成功ですよ。

この事実を胸に今夜はゆっくりお眠りください。

 地味な活躍ですが警備に当たられた警察関係者。雨の中本当に大変でしたが、何の事故や手違いもなく無事に会議は終わろうとしています。

全国から来阪された警察関係者。ご苦労様でした。

日本とはどういう国か、皆さんの働きぶりをきっと高く評価して帰国されると思います。

なんと言っても陰の主役は現場の警察官の皆さんです。大過なく大阪サミットは終わろうとしています。まだ明日もあるがよろしくお願いします。

皆様本当にありがとうございました。感謝いたします。


腹が立つ

2019年06月29日 | Weblog

腹が立つ

暴言と議員としての資質 

もっとひらたくは大人とシテの資質に欠ける事が明白になっても、議員であれば夏のボーナスが314万円だと ?

本来であれば己が演じた醜態を羞じて議員辞職しても当然なのに。 のうのうと議員の席に固執する厚かましさはあきれるばかりである。

  こんな見にくい男に一罰百戒の鉄槌を食らわせるのにはどうしたらいいんだろう。

 法律で決まっているから、支給するというのも、現状にはそぐわない。

議員失格者には強制的に支払い停止出来ないものか。そういう懲罰条項があっても良さそうなものに。

 奴の言動にはむしゃくしゃする。


中央日報

2019年06月28日 | Weblog

中央日報

安部氏韓国に砲門「これからは韓国が国際法と約束を守る番」

安倍首相が今回は地上波テレビで韓国に対する批判の程度を高めた来月の参議院選挙を控えて韓国に対して不満のある保守有権者を狙ったのではないかという分析もある

1,勝手な憶測で胸がむかむかくる。 相手にするだけそんな奴らだ。 事の本質が理解できていない馬鹿者である

2,こんなマインドの持ち主にいくら正論で話をしても、通じるわけがない。対話を持ちかける方が問題だ。 何を説いても受け入れない相手なのだ。

そんな輩と対話をするというほうが野暮だ。 無視することだ 

それがお互いのために良いことだ。 かの国の態度や主張は必ず国際社会から無視され、批判されル時がくる


沖縄戦

2019年06月27日 | Weblog

沖縄戦

6月23日は沖縄戦で20万以上の人々が犠牲になった。  

糸満に平和祈念堂 があるが、渡久地先生の歌が風に乗って沖縄の空に流れていることだろう。

渡久地先生が作詞された平和希求する詩に犠牲者の御霊は どれほどか慰められたことだろう。  

 作曲家協会の慰安旅行は毎年熱海で行われる。  吉田正、服部良一 渡久地政信先生 などの名作曲家も出席されていた。

 中でも特に気があったのが渡久地政信先生 であった。 「 島どう わん宝」 という題で本を著された。

 内容は 反戦平和希求の本で現実をとくとくと解説された 。

 中でも鉄砲の弾は前からばかりではない、後ろからも飛んでくるという話には驚いた。  だから どうしないことではあるのだろうが、戦争状態というのは現場では方向感覚も狂う時もあるのだろう。

 しかしそんなことを気にしていては前進ができない。 前進前進また前進あるのみ。

地上戦のリアルさはここにあると思ったた 。先生といえば鉄砲玉が肩を貫通して気を失って倒れていたが、 うまく衛生兵に見つかり 治療を受けて助かったという話だった  。

実戦をやって肩を 鉄砲玉 が貫通した経験を持つ先生は実戦の話よりも、反戦平和に力がこもっている話をされた。


内閣不信任案否決

2019年06月25日 | Weblog

内閣不信任案否決

当然のことだろう。

こんなものを提出するのに、野党五党ががん首そろえて会議をした。

安倍政権のあまりにもひどい状況にたいししっかりと態度を示す」と強調したが、

やってることがまるでお粗末だね。

この程度の野党の人間に年間7000万円もかかるのだからね。負担する国民もかなわんよ

この程度の言いがかりをつけることくらいしか出来ない野党は野党と言えるのだろうか。

自民党が馬鹿にしてもやむを得ん

。情けないの一言だ。

野党らしく国民生活にかぎっては自民党を圧倒する位の見識をもったらどうだ。


ホテル・ド・パリ0

2019年06月25日 | Weblog

ホテル・ド・パリ


 


 バラナシにつくと、カントン駅の表玄関と反対方向、つまり北側の一番端のプラットフオームに行ってから線路へ飛び降りた。
破れた金網をくぐり抜け、細い路地のような道を通り抜けて広場に出た。  このほうが今から行こうとしているシッダルタ・ホテルへ行くのに近道が出来るようだし、うるさく付きまとう、リキシャ、ワーラーに煩わされる事もないように思ったからである。だが実際はバラナシ市内なら、どこでもそうであるように、広場にたむろしているリキシャワーラーが、僕を見るなりわっと押し寄せて来た。 仕方がないので、そのなかから人の良さそうな五十代のワーラーにシッダルダ・ホテルにいってくれと言って乗った。ワーラーは調子よく
ヘイ、分かりましたという顔をして軽やかにペダルをこぎ出した。
ところが先程から、彼が行く方向が気になる。地図で見る限り、逆の方向に走っているように思えてならないのである。僕は何回もシッダルダ・ホテルへ行ってくれと繰り返した。やがて広い道を左折して奥まった所で、
リキシャは止ったが、そこは新しくできたゲストハウスであった。
またか。カルカッタでの、あのいやな気分が頭を横切った。
建物から人が飛び出して来て、そのゲストハウスへ引きずりこむように部屋を案内した。
 僕は「ここは違う。シッダルダ・ホテルへ行ってくれ、」と語気をあらげた。 しつこい勧誘を振り切って、表路へ出ると、リキシャはどこをどう通ったのか知らないが、大きな庭のある瀟洒な白い建物が立ち並ぶ、閑静なホテルの前を通った。入り口にはホテル・ド・パリと書いてある。
ははーん。これが有名なホテル・ド・パリか。
僕はしばらく見とれていた。大きな木の陰で、ワーラーといっしょに休みながら、なめ回すように、僕はこのホテルの様子や、たたずまいを観察して
脳裏に焼き付けた。
インドにあっても、このホテルは西洋の香りを漂わせている。ホテルの雰囲気にマッチするかのように、庭内を散策する人も西洋人らしい人達ばかりで、ここだけは喧噪もなく、バラナシで別世界を構成していた。金持ちによる租界か。 下町がインドならここはヨーロッパだ。そう思ったが、僕は今インドに来ているのだと自分に言い聞かせた。ヨーロッパには用はない。


  さあ、行こう。僕はワーラーをせきたてた。彼は相変わらず行き先が分からないのか、ぐずぐずしている。インドで短気は禁物だといわれたアドバイスを思い出しながら、忍耐はしたが、これじゃ日が暮れる。
僕は適当な所で降りて、リキシャを乗り換えることにした。
乗り換えたリキシャに揺られながら、僕は先程のリキシャについて考えた。
そういえばあのワーラーは、にこにこ笑みは絶やさなかったが、ひょっとしたらインド人ではないのではないか。ネパールかどこからか流れ込んで自分の言葉以外には何も理解できなかったから、変なゲストハウスへ連れ込んで、ここが宿だと思い込んでいたのではないか。そういえば、あのゲスト
ハウスのマネージャーが話していた言葉も、理解出来なかったようだった。
成る程。言葉に関しては文盲だったんだ。僕は勝手にそう決め込んだ。
そうしたら心の中にあった、もやもやが少し晴れた。怒鳴ったり、露骨にいやな顔をしなくてよかった。よしんば僕が不機嫌をあらわにしても、彼はただ
にこにこしていただけだろう。やっぱりインドでは、短気では暮らして行けない。僕はたったこれだけのことだったが、なにか大切なことを学んで、得をしたような気になった。


立場は違うが、これと似たような経験をしたことがある。
僕がまだ進駐軍のキャンプで働いていた時の事である。
特別寒い冬のある夜、僕は玄関のドアーを半開きにして、友達と立ち話をしていた。そこへこのクラブの総支配人であるジョン・シャネシーが通りかかった。
赤鬼のような顔をした、この大男は僕を見るなり
「ガッテメ、ゲラルヒヤー」、
と語気をあらげて怒鳴りつけた。そのすさまじい勢いに、僕はどうしたらよいか分からないで、咄嗟に、にこっと愛想笑いをした。彼は顔を真っ赤にして
僕の腕をつかみ、部屋の中に引きずり込んだ。彼は大きな声で二言、みこと、怒鳴った。僕は怖じけついているうえに、英語はからっきしわからない、ぽっと出の田舎者である。ただ彼の顔をじっと見つめる外はなかった。最後に背中を突き放すようにして、うしろからジャブと言葉を浴びせられた。
言葉が分からないというのは、ある意味では幸せなことである。何を言われているのか、全く分からないから反論のしようもないし、腹も立たない。
 ただ暖房をがんがん焚いて暖めている部屋のドアーを閉めるために
雇われている僕が、半開きにしているのだから、怒られるのは当たり前の話である、と僕は自分の非を認めて納得した。
後日僕は英語の分かる友人に、ガッテメ、ゲラルヒヤーとジャブの意味をたずねた。友人が言うことを、僕なりに解釈して言い換えると
「この野郎。馬鹿もんめ、そんなところで何やってんだ。とっとと出て行け。
こんちくしょう。日本人野郎めが。」
かなりきつい軽蔑と差別を含んだ言葉だ。後で聞いた言葉に僕は腹が立って来た。もう何十年の昔のことだけど、未だにはっきり覚えている。
今だったら、しっかり言い返してやる。
そのことがこんな場面で急浮上したのだ。よかった。嫌みの一つも言わなくて良かった。言ったところでどうなる事でもない。


ほどなくしてリキシャはシッタルダホテルに到着した。
やれやれこんなに時間がかかるのなら、初から正面の中央コンコースを通って、リキシャのたまり場へ行けば、よっぽど早かったかも知れない。
インドでは急がばまわれか、僕は計算違いに苦笑した。


 


 


 


 


 


清姫ってストーカー

2019年06月24日 | Weblog

安珍清姫    清姫ってストーカー

 

紀州路線走ると、御坊の次が道場寺である。ここには、安珍・清姫物語伝説が、ある。

 

恋に狂う女が男を追いかける。思いついたら、彼が隠れている釣鐘を恋の炎で、焼き尽くす。

 

何もかにも忘れて、命をかけた恋の情熱は一体どこから出てくるのであろうか。

 

この物語は、何を語ろうとしているのか、

1,女の恋の情念の激しさ

2,なぜそこまでエネルギーを集中して、釣鐘を焼き尽くすのが、女の内なる世界は、閉鎖的だから、一点集中したエネルギーはすべてを焼き尽くすほどのパワーを持っている。

 

女にかかわらず、恋という情念のもつエネルギーの大きさ。そこには、男と女という差は無いと思うが、

一点集中となると女の情念の方が、大きいのかもしれない。

 

命をかけてもという。望みが、押しつぶされて、解放されないの情念の塊は、今年という形をとれば、幽霊になる。

清姫は、死んでから、蛇になるのではなくて、生きて、情念の炎を安珍が隠れたとする釣鐘を焼き尽くす。

 

 

 

現代の清姫に、この問題を尋ねたら、彼女達は何と答えるであろうか。

安珍代わりはいくらでもいるよ。 さっさと、乗り換え、するのだね。それが、かなわないのなら、生涯独身で過ごす。

結婚しても、離婚率が高くなる現代だったら、結婚していてもいなくても大差は無い。(本当は大差がある。)

離婚したと思えば、独身でいても、なんらさしつかえない。

 

女の執念

清姫  おいわ  お菊

 


 至福の刻(とき)5-45

2019年06月23日 | Weblog

     至福の刻(とき)       


 突然、至福、という言葉が聞こえた。いや聞こえたような気がした。誰が? ぼくは、うっすらと目を開けて、あたりを見回したが、近くには、英語やフランス語を話す外人しかいない。 至福。そうか。そうなんだ。今の僕は至福の状態なんだ。僕は此の至福という言葉に脳天を打たれたような感じがした。 ちょっと考えてみればすぐわかることなのだが、そんなことは今の今まで、思いもしなかった。だから、至福という言葉に驚いたわけである。    自分を取り巻くもろもろの条件を、ひとつひとつ細かく検討してみると、どれもこれもが、幸福感を味わうのに、不可欠な条件を満たしている。こんなに条件がそろい、そのすべてが満たされているという事は希有な事である。誰かが下支えをしてくれない限り、人為的にこのような条件を僕が作り出せるはずがない。 「ありがたいことだ。感謝しなくちゃ」思わず、口からこういうセリフが出た。僕を初めとして、現在は家族全員が健康だし、細々とながら何とか生活が出来ている。それに流れてくる時間というものは自分の好きなように使えて、自分のやりたい事が何の束縛もなしに実行出来る。作曲したり、作詞をしたり、エッセイを書いたり、それはそれは優雅な暮らしで、心豊かである。この気楽さは同年輩の友人と比較しても、決して引けを取らない。  天から与えられた豊かな才能のおかげで、、さらにその上に、日本が生んだ有名な作曲家・山田耕筰先生に音楽才能を認められて、先生のお宅へ2年間通い詰めた。山田先生保証の通り、作曲の才にも恵まれて、たくさんの叙情曲を作曲して新聞に名前が載ったり、テレビにたびたび出演したりして、その活躍ぶりが紹介された。つまり客観的に僕がこの世に存在したことが証明されたわけである。東大の同期生は3000人いるが、果たしてこのうちの何人が作曲の才能を与えられているか。僕をのぞいてはほとんどいないのではないか。というのは、マスコミを通じてニュースになったという話を聞いたことがないし、また噂のかけらも耳にしたこともない。同期生で日本作曲家協会の会員は誰もいない。  ここでも僕一人か。僕は何か特別なものを感じた。 エリート、神から才能を与えられた選良、他人に自慢する事ではないが、僕は自分にこういいきかせた。もっとプライドをもて。沢山の才能をもらったことを喜べ、。自信をもて。作品作りに邁進しろ。そしてご恩返しの意味をかねて、これを何らかの形で社会に役立てて、人様に喜んでもらうのが僕の使命ではないか。


その時、僕は関西空港の出発ロビー で自作の曲を聴いていた。曲は中宮寺にある観音様(国宝のはんか思惟像)に奉納した時の作品、「中宮寺」である。歌詞は中宮寺のご門跡が仏に仕える喜びと、人間の持つ業に付いて詠まれたれたものである。人間として受ける試練、修行の厳しさ、仏の慈悲などが詠みこまれたもので、シンセサイザーをバックに、澄み切ったソプラノで、とうとうと歌われ、流れていく。 僕は、恐らくトランス状態に入っていたのであろうか、この夢のような世界にひたって、宇宙遊泳をする気分になっていた。 そのときに聞こえたのである。「至福」「至福」という声が。    僕は19時50分発バンコク行きのタイ航空775便に乗るためにロビーで待っていた。775便はロスアンジェルスから飛んできて、関空経由バンコク行きなのである。そのためにロスから乗ってきたトランジットの乗客でロビーはごったがえしていた。関空から乗る日本人はぱらぱら程度であったが、飛行機は満席だった。4,500人いたように思う。 今、この刻、此の大勢の中で自作の曲を心豊かに聴いている人が果たして何人いるだろうか。恐らく、いやしまい。きっと僕一人だけだろう。こんな優雅な気分でいるのは。 さらに他と比較することによって、如何に僕が恵まれているかと言うことが、一層はっきりしてきた。 ありがたいことだ。またこういう言葉が無意識のうちに口から出た。そして胸が熱くなった。  最高の幸福、それ以上の幸福はこの世には存在しないという幸福。それは恐らく天上界の菩薩の位に入ったときに、初めて味わえる心境だろうし、極楽世界の住人になって、初めて味わえる幸福感なのだろう。現在の自分の状況を考えると、生まれてこの方、こういう実感は体験したことがない。この世に至福と言う言葉だけでなく、その名に値する実感世界が有るとすれば、それはもう極楽の住人になることであり、菩薩の世界に一歩足をふみいれたことになる。それをさきほどから僕は実感しているのだ。   至福の刻   至福の刻  至福の刻、、、、僕は夢うつつながらこのような世界をさまよった。幸せだ、幸せだ  幸せだ  幸せだ、夢遊病者のように同じ言葉を何回もくりかえしてつぶやいた。


「長らくお待たせいたしました。ただ今よりバンコク行きのお客様にはご案内致します。どうぞ順序良くお並びくださいませ。」 此のアナウンスによって僕は現実世界へ連れ戻された。 そうだ。いまからバンコクに行くのだ。日本時間で夜8時の出発だから、バンコク到着は日付の変わる明朝の1時半頃。それから入管手続きなどしてホテルにはいるのは恐らく3時頃だろう。    現実世界の住人になると深夜の宿探しの事が気になりだした。 やれやれ、しんどい事だ。気が重くなり始めた。現実モードに切り替わると、途端に頭の中に灰色の雲が立ち上りだした。だがしかし、僕はほんの短い時間ではあるが、今しがた極楽世界の住人の気分を味わった。これは僕にとっては生まれて初めてのことで、大変な経験だった。


 考えてみれば人間のやれる事なんて知れている。幸福になるための全ての条件を整えるなんて事はとうてい出来ない。結局なんだか訳の分からない不思議な力が働いて、僕の回りの状況を作り出す諸条件が整えられているのだ。そのお陰で、僕はいまこういう状態なのである。これは自分一人の力や努力だけで作り出せるものではない。そう思うと姿形こそ見えないが、僕を下支えしてくれている、何らかの力の存在が実感できた。 それは何か。偶然の成り行きか、神の恩寵か。僕には分からないが、そんなことよりも今しがた、実感できた至福の刻の気分の方が大切であった。    機は定刻に出発して神戸沖上空から、明石海峡大橋上空を通り、室戸岬の方へ出た。ベルトサインが消える頃は多分足摺岬あたりを飛んでいる事だろう。


 


チャムンダー5-49

2019年06月22日 | Weblog

(深い川より) チャムンダー


インドから帰国して、僕はインドに関する本を何冊か読んだ。

本の中に描写されているインドの風景だの、インド人の人情や物の考え方なりを、自分がインドで
経験したものと比較検証したかたったのである。
中でも狐狸庵先生の、『深い川』にはホテル・ド・パリの描写が僕が見たとおり、実に正確に描かれており、これには驚いたというより懐かしかった。


ふんふん、そうだそうだ、僕は本の中に引き込まれて行った。中でもこの中に描かれているチャームンダという名の女神には深く心奪われた。
日本では女神と言うものはどんな神でも、美人で柔和に描かれいて、その表情には苦悩の跡がない。すくなくとも僕が知っている女神はそうである。

ところがチャームンダは違う。全身創痍の苦しみを背負い、その苦しみに耐えてはいるが表情に苦悩がまざまざと表れている。胸近くにはさそりが噛み付き、両足は腐りかけて赤く腫れ上がっていると描写されている。
自らをそこまで痛めつけながら、その苦しみの中にあってなお、現世で苦しみもがく人達をすくわんとする貴い姿こそ、この像の真の姿であることを知ったとき、僕は深い感動を覚え、思わず写真の中の像に手を合わせた。
これこそ本当の神である。我々とともに生き、苦しみ、ともにもがき、ともに悲しむ姿こそ百万言よりも説得力がある。

現世、この娑婆の世界で、もがき苦しむ人々と同じ次元の世界に住み、同じ次元に立ち、同じ苦しみを味わい、苦しみに顔を引きつらせ、それどころか民衆の何倍もの苦しみを背負い、しかもそのうえに、苦しむ人々を救おうとする強力な意志をもち、敢然と苦しみに立ち向かう貴さを、何故僕は見落としたのか、何故その表情から苦悩を読み取らなかったのか、僕は非常に残念に思った。
単に像を目で見るだけなら小学生だって出来ることだし、することである。その像に託された作者の意図、願い、希望など、要するに作者の目的を何故探ろうとはしなかったのか、作者はこの像を作り何を言いたかったのか。こういうことに思いをいたして初めてこの像と対面した値打ちがあるというものだ。

実物はデリーの博物館にあるそうだが、見ないままに帰国してしまった。次回インド訪問の時は必ず見たいものである。


大分長い間大阪市内の映画館では、『深い川』が上映されていた。それは新聞の広告で知っていたが、そのうちに、そのうちにが重なって、ついつい見逃してしまった。
僕はどうしても見たかったので、ある日、わざわざ電車にのって遠い貝塚まで見に行った。興業はよい『映画を勧める会』みたいなところが主催して観客の層は五十歳代以上の年齢層の人達に限定されていた。

彼らは映画が終わると、考えられさせられた、と一様に口々に言いながら帰って行った。 人々から漏れ聞くまでもなく、感動もので、いい映画であった。
僕はと言えば、実際に訪れて、感激を受けたバラナシの沐浴風景や、町の様子や、ホテル・ド・パリを知っているだけに、その場面が映るにつけて懐かしさが込み上げて来て、遠くでおぼろ気にかすみかけていた記憶は鮮明に蘇って来た。

特に印象深かったのは、やはりチャムンダーという女神である。
映画で映ったあの場所に安置されていたのかどうかはしらないが、満身創痍の苦しみを体全体で表しながら、なお現世に苦しむ人々を救おうとふんばる姿は、映画であるとはいうものの、思わず合掌したくなった。

インドは現在の日本に比べて確かに貧しい。カルカッタでも、バラナシでもよい、町を歩けばその貧しさは一目瞭然だ。貧しさのなかで苦しむ人は多いが、特に女性はいまなお根強くのこる、カースト制度という社会構造からくる重圧に抑圧されながら、この女神の苦しみのように現実生活の貧困の中で苦しんでいる人が多いことだろうと思わずにはいられなかった。

ところで我々日本人は女神というと、端正で美しい女人像を思い起こす。すくなくともチャムンダーのように苦しみもがく女神など、お目にかかったことはない。どの女神も美人で、いかにも福ふくしく柔和である。弁天さんにしても、観音さんにしても、吉祥天女にしても、みな見とれるほど美しい女神像ばかりである。拷問を受けている真っ最中のような苦しみの表情をしている女神などお目にかかった事はない。そういう意味からすると、日本の女神さんは神の世界の住人であり娑婆の住人とは違っている。ところがインドでは、この女神は娑婆の住人もいいところで、人間世界、特にインド社会の日常生活のなかで、のたうちまわっているインド女性の苦しみを一身にうけて、現実そのものを表しているようだ。

インド女性が天上世界の女神よりも、ともに苦しみもだえる地上に、このチャムンダー という女神の出現を願望して、この女神を迎え、作り出し、親しみを覚え礼拝供養して、救いを求めるのは人情の自然にかなっていると僕は思った。
僕はこのチャムンダーこそが真の意味で救済の女神だと思う。神が姿形をとって人間を救済している瞬間を目撃したことなどないが、チャムンダーこそは神が人間を救済する姿かもしれない。
『深い川』はクリスチャン、狐狸庵先生の作品だ。先生はさすがに目の付け所がちがう。 僕はかぶとを脱いだ。


 


 


 


交番巡査意識回復

2019年06月21日 | Weblog

交番巡査意識回復

ほっとした。犯人には何の同情もないが、巡査は命だけでも助けて欲しいと祈るような思いであった。

今日の報道では意識回復までこぎ着けたようだ

。痛めていた胸に明かりが差した。順調に回復して欲しい。心からそう願う。

 巡査への気持ちと、犯人への気持ちはまるで違う。

犯人は許すことが出来ない人間だから。

自分がやった凶悪事件をわびるどころか、未だに否認している。

是がまたしゃくの種。気持ちのうちでは犯人を極刑にして一日も早く処分して,

忌まわしい犯人をこの世から消してしましたい。


対話なき外交はありえない

2019年06月20日 | Weblog

 

[対話なき外交はありえない.]

 素粒子さんはそういう

 前提は対話ができる相手ということである。  。 つまり常識の 範囲で話が通じるか通じないか。 それが決め手だと思う 。 いくらこっちが誠意を持って話をしても、受けての方が全く誠意のない返答であれば、対話など成り立つはずがない 。 もし外交を続けると言うならば、それはまさに ごまかしの外交である。 対話してもその対話を信頼することができないならば、対話の意味がない。  日韓の対話状況を見ているとまさしくこの位置である。

現状からすると素粒子さんは夢を語っているに過ぎない。

 


CT 検査

2019年06月19日 | Weblog

 CT 検査

大病院で CT 検査を受けた。

 大きな機械の中に吸い込まれると恐怖を感じた。  

5歳の時に受けた耳の手術の時に感じたあの恐怖感が蘇ってきた。

 大人になって CT 検査を受ける、理屈はよく理解しているつもりなのだが、

幼い頃のイメージが急にフラッシュバックして恐怖を感じるということは、

自意識が目覚めて以降、記憶として残り80年の時を経て、急に現れたということだ。

強烈な体験の記憶は死ぬまで消えることはないのだろうか。


メロデイの作り方

2019年06月18日 | Weblog

メロデイの作り方

1,先に詞があってそれにメロデイをつけていく方法

 昭和時代にヒット曲を書いた人は、大抵このスタイルである。

たとえば吉田正先生の場合は、家で詩をよく読んでそれを頭にたたき込んでから外出する。いつもどこでも詞が頭から離れないので、歩いているときにその詞にあったメロデイが浮かんでくる。それをしっかり覚えておいて、帰宅してから楽譜に置き換える。

だがら楽器は殆ど使わない。全作曲のなかで純粋にピアノだけを使って作曲した作品はほんのわずかである。

殆どは詞を覚えて、それに曲をつけたものが圧倒的に多い。 クラシック系の人はまず詞があってそれに曲をつける人が多いし、昭和時代の有名な作曲家は殆どこの形で曲を作った。

2,まずメロデイを作り、それに会わせた詞を作る。曲先というやり方である。

是はパソコンで作曲する場合には便利である。コード進行やリズムを作っておいて、パソコンに打ち込み、曲を完成させる。

作品はデータとしてパソコンに保存される。パソコンではメロデイもバッキングも簡単にできて、この面からも曲先になるのは理解できる。

作曲法としてどちらを取るかは作曲家の選択の問題だが、音から入っていって複雑な人間の感情を中心にすることが出来ようか。 現代はこの方法が業界の主流になりつつあるが、是は間違っていると思っている。

歌の本質は人間の感情に訴える力である。感情からにじみ出た言葉が詞となり、それからメロデイが生まれて歌になるというのが正統な作曲法だと思う。

この方法でないと人の胸を打つ名曲は生まれない。 曲先はダンスを伴う若者向けのヒットしない消耗曲になってしまう。現代は是が主流になっている。まず名曲は生まれない。


息子よ

2019年06月17日 | Weblog

父が息子に対して抱いていた苦しみはいかばかりだったろう。

と思うと人生の暗い闇が見えたような気がした。

是が俺の人生かと自問したときの思いはどんなものであったろう。

 先はエリート官僚が実の息子を殺した。

 今日は実の息子を警察に通報した。  

犯罪の軽重は飛び越えて、我が身でないことではあるが、 やりきれない思いがした。

憤りでもない。悲しみでもない。 悔やみでもない。あきらめでもない。

是は一体何という思いなんだろう。


企業の社会的責任を考える

2019年06月16日 | Weblog

 

c企業の社会的責任を考える

 企業は儲けると同時に従業員を養うことから成り立つ。

 終身雇用は従業員に生活の保障と安定を与え、従業員企業への帰属意識をあげた。 。しかし今はこの制度は崩れようとしている。

適材適所という名目の、能力主義雇用形態。 これが実施されたら中高年から職を失う。 中高年は教育とか結婚問題で最も生活の安定が必要な時期だし お金のかかる時でもある。

 会社の利益追求という名目でリストラが行われて良いものか 会社は人々の生活の安定に責任を持つべきだ。

 家庭の安定が会社にもプラスになり従業員のやる気も出るのである。 急速に変わりつつある仕事に対する能力主義を実施することで意欲低下の問題も発生する。

企業として従業員の生活保障もできない会社なら、倒産させた方が良いのだ.

 なぜならば社会的使命を果たすことができない会社だから。