日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ゼロサム 私見小野小町o

2022年10月05日 | Weblog


61 ゼロサム (私見小野小町)


(1)

「可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴

びて、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じ

です。つまり、人生はゼロサムなのです。こちらの世界から眺める

と、すごくよく、そのことが分かりますよ」

「なるほどね。人生ってそう言うものですか。あなたほどの美貌と

才能の持ち主が、そう思われているとは思いませんでした。僕は自

分の人生を振り返ってみると、ゼロサムだという結論達していたの

ですが、あなたもそうだったのですか」

人生と言うのは案外公平に作られてものだと、僕は意をつよくした。


花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる

ながめせしまに。 百人一首

有名な小野小町の詠んだ歌である。



小野小町。巷間では、日本3大美女のうわさが高い超美人。また

古今集や百人一首にその名をとどめている有名な歌人で、六歌仙の

一人。宮中に仕え浮き名を流したとある。

平安前期の女性ながら、その詳細は不明であるという。

人生の絶頂期を過ぎて、下り坂にさしかかった心境を見事に描き出

した、この歌人に私の心はとらえられて、凋落の身を嘆いた、得もい

えぬ詠嘆の情に酔いしれて、私はある日、彼女の出身地であるとい

われる、京都は山科区にある随心院を訪ねた。



京阪電車を三条駅で降りて、地下鉄に乗りかえ、小野駅で降りた。

生まれて初めて訪ねる土地だから、方向が皆目分からない。

後で地図で調べてみると、地下鉄は三条駅を出て、しばらくは東向

いて走るが、蹴上を過ぎるころから、大きく右折し南下して、その

行き先は、醍醐寺の方向を目指し、近くには奈良街道も走っている。



小野駅で、下車して随心院を目指すのだが、方向が分からず、プラ

ットホームに立ち止まって、地図を見ながら、後ろから来た女性に

声を掛けた。

この人は、車内で何回も目が合った女性だった。

彼女も一人で今から、随心院に行くので、同行しましょうという。


絶世の美人の誉れが高い、小野小町に比べて、こういっちゃ彼女に

失礼だが、その容姿は、月とすっぽんで、比べ物にならない。

色は黒いし、顔には生活臭が漂い、所帯やつれが出ている。

髪は、パーマが当たってはいるものの、形くずれを起こしかかって

いるし、お化粧も、肌荒れのためか、しわをうまく隠していない。

どうみても30後半から、40代の中年女性だ。だが、目の光は鋭

く、そのオーラは、神秘な雰囲気を漂わせている。それは、どこと

なく霊媒師のようなものを感じさせた。

彼女に声をかる以前、地下鉄の中で目があったときにも、目の中に

何か神秘なものを含んでいたが、話の内容もまた、常識では解せぬ

ところがあった。



「あなたは車内で、私を何回も見つめていたでしょう。」

いきなり、彼女はびっくりするようなことを言った。

「はあ?。そうでしたっけね。特に意識していたわけではありませ

んが、」

よく覚えているな、この人は、と思った。確かに何回か彼女と目を

あわせたが、それは特別な意味は何もなかった。ただの中年女性で、

これといって目立つところなど何もない、そこらそんじょの主婦。

どこにでもいる家庭の主婦といった感じで、特別注目する様なこと

は何もなかった。

「私は、あなたが今から随心院を訪ねることを知っていました。」

「へえ。どうして。そんなことが分かるのですか。あなたとはいま

初めて出会い、言葉も交わしたことがないのに。」

「いいえ、私にはわかるのです。あなたが小野小町を訪ねることを。

私は知っていました。

だから、プラットホームで、あなたがあたしに声をかけたとき、来

たなーという感じがしました。」

彼女がこう話したときに、僕は彼女がどこか別な世界からやって来

て偶然、僕と出会い、会話を交わしているのだという気がした。

「そうですか。私にはあなたの言うことが理解できないこともある

が、、、、。まあいいや。ご存知なら案内してください。あなたは今か

ら随心院を訪ねる予定なのですね。」

「そうです。いいですとも。参りましょう。私もあまり詳しくは無

いのですが。」

彼女とつれだって、大きな道を横断して、左に折れ、右に折れして、

随心院まで歩いた。ものの10分もからなかったように思う。

彼女との出会いは、降って湧いたような話だった。まさか、小町の

化身のような人が、私を誘ってくれるとは、思っても見なかったが、

会話によると、あたかも私が、小野小町を訪ねることを知って待ち

受けていたかのようである。

(2)

随心院は京都山科区にある真言宗善通寺派のお寺で、本尊は、如意

輪観音である。門跡寺院だが、これは江戸時代に九条、二条の宮家

が入山され、再興されたことに由来する。

ここ院内は、小野小町の居住跡のあったところといわれている。

またこの付近一帯は小野一族の土地であったらしい。

院内には小町に関係のある、化粧の井戸や五輪塔のような小町塚。

文塚。それに、深草少将が百夜通いしたときに、渡されたというカ

ヤの実が植えられたと伝えられる、大きな1本のカヤの木が残って

いる。

総門を入ると、右手に梅園があり、そこは、別料金になっている。

それを見過ごして、長屋門から庫裏まではさくさく音のする砂利路

がある。ほんのわずかな距離だが、さくさくに合わせて、気持ちが

シャキシャキして軽くなる。その砂利道を踏み分けて、庫裏に行き、

400円の拝観料を二人分払って、靴を脱いで上がり、建物の中に

入った。


それから書院、奥書院、本堂へとわたり、本尊に軽く会釈をして、

手を合わせた。

今日は小野小町を目的にして来ているので、いつものお寺参りのよ

うに、願い事をしたり、お礼参りはしなかった。

書院も本堂もサッと通ったくらいで、記憶にとどめたり、メモをと

ったりしたものは何もなかった。

薬医門を出て左折し、化粧の井戸の案内立て看板を見て、化粧の井

戸を訪ねた。 ここは小町の住居跡と伝えられている。

化粧の井戸へ向かって、階段があり、石段を降りていくと、底の見えた浅い井戸がある。

そこへ行くまでは無言だった彼女が、井戸へ降りていく途中の石段で、

急に口を開いた。

「小町がささやいた声が聞こえた」という。



「何があろうとも、人の生涯というものは、一生を通してみると、

プラスマイナスがあり、それを合計すると、みな平等に、ゼロにな

ります。

華やかな青春時代の私の活躍も、過ぎてみれば、一陣の風。

そして、華やかなことが、大きければ大きいほど、それ以上の悲哀が

その裏側に付きまとう。私の生涯を振り返ってみると、多くの貴公

子に取り囲まれて、有頂天の時は、我が身の美しさと才能に、我な

がらほれぼれとしていたものです。」



彼女の声のトーンは先ほどと変わっている。地声がひっくり返って、

若い女の甲高い声がビンビン響いてくる。

「あなた。それ誰に言っているの。もしかして、僕にですか。それ

ともひとりごとを、つぶやいているのですか。」

彼女のにわかの変化に、僕は怪訝な顔をした。

「あなたが、今日ここへ来ることを私は知っていて、待っていた。

随心院の小町を訪ねたいと、あなたが思った瞬間私にそれが映った

のです。だから、今日ここへ来ることを待ち構えて、心の思いのた

けを話そうと思っていたのです。」


(3)

彼女は所帯やつれの女から、小野小町に変身している。

「えっ?それじゃあ、小町になり変わって、あなたが僕に話しかけ

ているのですね。あなたが喋っているのは、あなたの思いや気持ち

ではなくて、小町の思っていること、しゃべりたいことを、あなた

の口を借りて喋っているのですね。なんか変な気持ちがするが、、、、」

「いいえ。変でもなければ、不思議でもありません。今は姿かたち

をなくした身だけど、あの時代に輝いていた私の魂は、何の影響を

受けることなく、したがって何の変化もなく、もとの形です。



私の出自や生涯については、詳らかにしていない部分が多く、その

分、時代や地方によっては、さまざまに語られていますし、また作

家も好き勝手に、自分の想像によって、私を書いてくれます。私の

事実と違うところもたくさん見つけますが、それをいちいち訂正し

てもらっても、どうなるものではないから、お好きなように想像し

て書いてくださって結構です。しかし私には自分のことだから、真

実というものがありますよ。よくご存知の百人一首に読まれた

<花の色は、うつりにけりな いたずらに、わが身世にふるながめ

せしまに>

これは、古今集に載っています。読み人知らず、ではなくて、れっ

きとした私の作品です。」

「なるほど、あなたには、小町が乗りうつっているのですね。いや

小町さんそのものですね。わかりました。今後、あなたがおっしゃ

ることは、小野小町のことと心得て耳を傾けます。

じゃあ私の方からも、お尋ねしても良いですか。日本の3大美女の

一人と謳われている、あなたは本当に美人だったのですね。」



「これは難しいお尋ねです。女は誰でも自分は美人だと、心の中で

思うものですよ。だいたい、一般論として美人論はあるのでしょう

が、これは主観の問題です。たとえば、顔一つをとってみても、お

たふくのような下ぶくれの、笑みを浮かべた、丸顔を美人だと思う

人もいれば、瓜実顔の細面のとりすましたような女性を美人だと、

言う人もいる。こればかりは主観が大きく作用するので一概に超美

人と言うのはどうかと思います。

とはいえ、世間からそのように、美人だと、思われることは、嫌な

こと、迷惑なことである筈がありません。ただただ、素直に嬉しい

ことです。世間特に殿方に美人だと、認められていたせいか、多く

の貴公子から想いを寄せられました。私としてはまんざらでもなく、

多くの方々とお付き合いもしました。

中でも、伏見の深草少将さまには、ことのほか、御執心賜りまして、

ある約束をいたしました。伝説となっている、百夜通のことでござ

います。明日1日で、思いが届くという段になって、すなわち99

日目に、死ぬことによってその話は、悲劇の幕がおりるという物語

になっていますが、真実は少し違います。少将さまは、男ぶりもい

いし、教養もある立派な殿方でした。そんな方から、絶大な思いを

寄せられて、憎う思うはずもありません。

百日も、私のもとへ通ってこなくては、熱意が足りないなんて思う

ほど、私は傲慢ではありません。ましてや熱い思いを素知らぬ顔を

して、素通りする、させるほどの木石でもありません。50日を超

えたころには、その誠意に、私の心もとろけました。そして、幾た

びか、逢瀬を重ねて楽しみました。もちろん男女の色恋というのは、

人に知られないように、隠せば隠すほど、情熱的になろうというも

のです。私たちは幾たびも、燃えあがったことでした。

この頃の気持ちを詠んだ歌があるのです。それは

< 思ひつつ ぬればや ひとのみえつらん 夢としりせば

さめざらましを>

あえて注釈をすれば、あの人を思いながら寝るので、夢にみえたの

であろうか。このままずっと夢を見続けていたいものを、なんとい

としい事よという素直な思いです。またそのときの気持ちは次のよ

うなものでもありました。

<秋の夜も 名にみなりけり あふといへば 事ぞともなく あ

けぬるものを>

逢瀬の楽しさはあっという間で、いくら時間があっても足りないも

のですが、人生もこれと同じで、花と言われる楽しい時間はいくら

あっても足りない気がします。あっという間でした。

いくら歌才があるといわれても、心の底に潜む思いを素直に歌い上

げることは、火が出るほど、気恥ずかしいものです。自分の気持ち

を恋しい殿方のおもいに沿った形に言い表す事は。

少将さまは男子の約束は、貫いて見せると、それはそれはご自身の

意志の強さをおみせになり、私もそれを、ただならぬご決意と受け

止めておりました。ところが、九十日を過ぎた頃から体をこわされ

て、百夜通いも病のために達成できなくなりました。

私の方としては、そこまでしなくてもと、幾度となくお伝えしたの

ですが、途中で約束を違えるのは、男の恥と申されますので、私の

出番は、なかったのです。

物語では、九十九日目に、夢を達成することなく、この世を去られ

たことになっていますが、実は、九十日を過ぎた頃から、病が篤く

なり、立ち居振る舞いもままならない状態でございました。無理を

なさらないように、と申し上げてはいたのです。が、病は篤くなる

一方で、全復されるまでには、それから3年もかかりました。



さしもの情熱も月日の流れに流されたと見えて、いつの間にか縁は

遠くなり、紅い糸が切れてしまいました。その後の消息ですが、詳

らかなことは、私の手元には届いておりません。たぶん出家でもさ

れたのではないでしょうか。その後のことは、ようとしてわかりませ

ん。ただ思い出すのは、幾夜かの逢瀬の楽しい思い出だけですよ。」

「そうでしたか。よく、恋の甘酒を味わっておかれたことだ。明日

のことが知れない人の身には、只今のことが、大切かと存じます。

燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世に

はありますまい。僕などはこの恋の蜜をすっただけでも、この世に

生まれてきた価値が在るものだとおもいますよ。

そして恋などと言うものは、当人同士しかわからないもので、外野席

は文字通りカヤのそとです。

外野は自分勝手に想像をめぐらし、おもしろおかしく、また悲劇の

主人公をいとも簡単に作り上げてしまいます。だから僕は才女のあ

なたに本当のことを聞きたいのです」

「なるほどね。私は世間で言うところの美人だったんでしょう。多

くの殿方から、お誘いをうけました。こんな私のことを、よく思っ

てくださるなんて考えただけでも、うれしい話じゃありませんか。

気があるか、ないか、好みであるか、ないか、そんなこと超越して、

私は好意を寄せてくださった殿方には、それなりに丁寧に、応対し

たのです。それは私の気持ちだから、私自身にしかわからないこと

かもしれないが、その真心の応対が誤解されて、浮き名を流す多情

な女との評判が生まれたのでしょう。

またある時は、余り多くの人に言い寄られるので、どの方ともおつ

きあいを遠慮したことが在りました。そうしたら世間でなんと噂さ

れたと思いますか。あれは女ではない。女の顔をしているが、きっ

と身体のどこかに欠陥があるのだろうといわれたのです。

全ての方々に気を悪くされないように、こちらが振る舞えば、こう

いう噂が立つのですね。

彼女は男嫌いだという噂ならまだしも、身体の欠陥まで想像されて

まことしやかに語られるのは、じつに悔しいことです。

世間の人々は私を外見だけで判断してました。世間というものはそ

んなものですかね。」

こういう話をしていると、僕は小野小町が完全に姿形をとってこの

世に存在して、そして僕は今彼女と対座してリアルタイムで会話を

交わしていると言う気になっていた。



思えば彼女が在世したのは、仁明天皇の時代だから、9世紀の中頃

である。今から1200年余り昔の事である。その時間を超えて、

こうして心の中で、会話を交わすことは、常識ではあり得ないこと

だ。しかし僕の耳には彼女の話し声が聞こえ、こうして会話をして

いるのだ。人間世界には不思議なことがあるものだ。僕は一人つぶ

やいた。


(4)

「ところで、小町さん。あなたは後世の人々によっていろいろな形

に仕立て上げられていますね。絶世の美人に始まって、女流歌人、

美女の代名詞として使われる00小町。小町から待つと言うことに

ひっかけて遊女、それに巫女や比丘尼。さらには薬師如来様や観音

菩薩様の化身のように思われて、薬師信仰や観音信仰と結びついて

いますね。」

「いやはや、美人である、歌才がある、ということは恐ろしいこと

ですね。世間でどんな物語が作られ、それがどんな風に流布伝承さ

れていくか。そして時代や地域によってどのように変化していくの

こういう流れは誰にも、とめられません。

小野小町というイメージが、時代や地域をふわふわと、さまよい歩

くのですよ。こういうイメージによって、ずいぶんありがたい想い

をして、得をしたようにも思いますが、同時に実際と、あまりにも

かけ離れた誤解によって、口には出せないほど、傷ついたこともあ

りました。今静かに、それらを思い返して、総合計してみると、冒

頭に申したとおり、ゼロサムになり、ゼロサムになるよ

うに、作られているのですね。それは私一人だけではなくて、この

世に生まれてくる全ての人に、公平に与えられている宿命なのです。

私は魂の世界にやってきて、ここから現世を見つめ直すと、特にそ

のように思います。」

「そうでしたか。よく恋の花を味わっておかれたことだ。

明日のことが知れない、人の身には、今日現在、只今のことが、い

ちばん大切かと存じます。

お互いに燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、

この世には存在しません。そして、あなたは恋の美味酒に酔いしれ

たわけだから、お二人とも、この恋には悔いはないでしょう。この

世に人として生まれ、あなたのように、美貌や才能に恵まれて素晴

らしい恋に陥るなんて。この世に生まれてきたすべて人々があなた

のように恵まれた境遇に生きるということは、おそらく少ないと思

います。」

「そこなんです。人生というのは。美人だから、高貴の生まれだか

ら、金持ちや名門の令嬢だから、素晴らしい恋や人生の幸せが、約

束されている、あるいは保証されている、と言うわけでは決してあ

りません。青春時代にどのような素晴らしい人生を送ろうとも、花

の時代が過ぎ去って中年になれば、人生の悲哀の身がうっとうしく

なります。ましてや老残をさらす身には、世間の冷たい風が、直接

吹いて来ます。そして、人生は恋の賛歌を歌っている花の時代は短

くて、そのあとには、長い冬の荒涼とした時代と寂寥感が続きます。


私の人生を振り返ってみて、喜びの時代と、悲しみの時代を合計し

てみると、ゼロになります。世間では、人生はゼロサム、と言うら

しいが、まさしく人の一生は、ゼロサムですよ。

可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴び

て、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じで

す。つまり、人生はゼロサムなのです。」

「そうですか。何もかもよくご存じの経験者である、あなたが言わ

れるのだから、たぶん間違いはないでしょうね。しかしながら、人

と言うのは、あなたのように、脚光を浴びて、華々しく、活躍する

ことを夢見るのですよ。」

「それは気持ちとしてわかります。しかし、姿かたちを失って、こ

の世界にやってきて、現実の世界を見てみると、私は、自分が下し

た結論は間違っていないと思います。

近頃つらつら考えるのですが、神様は、人が思うように人間に差を

つけて、世に送り出されたとは、思えないのです。」

(5)

僕はっとして、我に返った。

底の見える「化粧の井戸」にたまった水面には、所帯やつれした中

年女性が姿を映したまま、しゃがみ込んでいる。

最初は彼女の口から言葉が出ていたように思っていた。また事実、

彼女の声に間違いなかった。ところが途中から彼女の姿はフエード

アウトして、いつのまにやら、僕の視界からは消えていた。

しかし奇妙なことに、話し声だけは聞こえている。うまく表現でき

ないが、彼女の体内に収まっていた小町が、彼女の身体から抜け出

して、フエードインして透明人間になり、彼女をおってけぼりにし

て僕と夢中になって会話をかわしていたのだろう。僕は目よりも耳

の方に集中していたから、小町の姿は例えそれが現身であろうが、

魂だけの透明体であろうが、問題ではなかった。

要するに、僕は彼女の語る真相のみが知りたくて、追い求めていた

のだった。

井戸にしゃがみ込んでいた女は急に立ち上がったが、足下ががたが

たとふらついた。彼女はちょっとめまいがしただけといって再びし

ゃがみ込んだ。

僕は彼女をそのままそこに座らせておいて、今まで交わした会話を

頭の中でもう一度繰り返してみた。

なるほどそう言う話だったのか。

一人合点したが、世間には老いさらばえた絶世の美人の、老残の姿を

小野小町老衰像(補陀洛寺)卒塔婆小町座像(随心院)として残っ

ている。

最盛期の美女の姿をたくさん残してくれればいいのに。

この老婆の小町を見ると若き日の水もしたたる美女の姿を思い起

こすことは出来ないだろう。むしろこれらの像はなかった方が良か

ったのではないか。いやそうではない。冒頭に書いた彼女の最も有

名な歌

<花の色は移りにけりな、、、、>の中にすでに盛りを過ぎて

老境へ向かう彼女の心境が読み込まれている。いやこの歌だけでは

ない。絶世の美女と老醜。この対比が人の生涯を物語るようで、何

ともいえない気持ちになった。


女の生涯を考えてみると、つぼみや花の命は短くて、時の経過と共

に衰えていく容姿を引き戻す、すべはない。

人生の約束事を非情だ、と思わずにはいられない気持ちになった。

彼女は続けて歌う。

<面影の変わらで 年のつもれかし よしや命に限りありとも>

<哀れなり我が身の果てや浅みどり つひには野辺の霞とおもへ

ば>

<九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる>

<我死なば 焼くな埋めるな 野にさらせ 痩せた犬の腹こやせ

蝶よ花よともてはやされて、そのときの瑞々しい気持ちを詠んだ美

女歌人も、年老いて老人になると、若い日との落差が大きいだけに、

夢も希望もなくなって抜け殻人生になってしまうのだとしみじみ

と哀れを感じた。

そして同時に生涯逃れられない「生老病死」の四苦の教えが目の前

に、大きくクローズアップされた。

随心院は今日も大勢の人で、にぎわっている。

無法極まれり

2022年08月25日 | Weblog
世界史に記録される今回のウクライナ侵攻

だれがどこから見ても正義のないプーチンの軍事侵攻によってウクライナの人はどれほど

悲惨な目にあっているか。映像を通じて世界の人は知っている。知らないのはロシア国民だけだ。

心の中はどんな気持ちでいるか知らないが。、プーチンも人間だろう。人に苦しみを作り出し

もし平然としておれるなら、人間ではない。人間の皮をかぶった野獣だ、野獣は人間社会では共生できない

処分をしなければ、より多くの被害者が出る。

これだけ悪名の高いプーチンだが彼を処分する英雄は世界中にいないのか。

今は1日も早くウクライナが勝利してロシヤの敗戦が表面化することだ。

人の命を何と考えているのか

2022年08月25日 | Weblog
近頃子供から高齢者まで殺人事件に巻き込まれる事件が目につく。

人の命を何と考えているのか

恣意的な殺人は犯人に己の命を持って償うという原則を打ち立てる必要がある

恣意的殺人においては犯人には目には目を,歯には歯の原則を適用してすぐ処分してこの世から消して舞う

それくらいのあら治療をしても良い段階まで来ているように想う

からたちの花 余聞o

2022年06月17日 | Weblog
5 / 15
こんな会話 

ひもじくてひもじくて、手当たり次第なんでもくったよ。勿論印刷所のそばにあってカラタチの実を食ったけど、あれだけは如何しても食えなかった。
この話を北原白秋にしたら彼はそれを詩にしたんだよ。
カラタチの実を食べて実感が思い出されてすぐ曲がついた。
食うや食わずの生活を送っていた僕は,ひもじさは共感できた
特に青少年時代の空腹は恐怖に似たものがある。
大先生であろうと小僧であろうと空腹感は似たようなもの。腹が空いてカラタチの実を食べたが、食えなかった話が、二人の芸術家によって名曲からたちの花に結集した話を直接聞いた。今もアノ場面を思い出す

日銀総裁発言

2022年06月09日 | Weblog
月収手取りが100万円の家庭では値上げはあまりに気にならないかもしれないが

手取りが20万円未満の家庭では値上げは身にこたえる

日銀総裁ともなれば月に200万も300万ももらっているだろうから

庶民の値上げの痛みが全然感じられない

だからあのような発言ができるのだ

誤解を招いたと言い訳をしていたが、それは嘘だよ

生活実感がないということだ

アメリカと韓国の軍事演習

2022年06月09日 | Weblog
アメリカと韓国の軍事演習

北朝鮮がミサイルを発射したところを即時攻撃することができるように訓練を行っていると言う

一発は発射できたとしても次の発射は恐らく攻撃で破壊されるだろうからそれは許されないことだろう 

ロシアが核兵器を使うと脅している

核兵器発射場所を常時監視し、発射したら総攻撃して発射できないような状態に破壊する

一発目は発射できても継続的発射はできないように、木っ端微塵にロシアの全ての発射台破壊すれば

ロシアの核の脅しに屈することはないと思う 。欧米はロシアの核のありかを全て把握しているだろうから

ロシアの核使用は自国の全滅をを意味して地球上からロシアが消滅することになるだろう

果てしない夢

2022年06月06日 | Weblog
    果てしない夢

   作詞武田朱仙
 1,
  今語れ あふれる熱い心を
  朝焼け静かに空を赤く染めて
  輝く太陽を受け生きてく俺なのさ
  期待と不安が一つになって
  過ぎて行くこの都会
  裏切りの街でも俺の心に火をともす
  そこに僅かな夢があればいい
  ああー果てしない夢を追い続け 。
  いつの日か大空を駆け巡る
  こんな俺でもいつか光を浴びて  
  きっと笑える日が来る

 2,
  今語れ あふれる夢と希望を
  明日は今日と違うはずの明日
  わずかな望みを求めさすらう俺なのさ
  見知らぬ街で交わす言葉も
  肌寒いこの都会
  裏切りの言葉に故郷離れしていたが
  そこに僅かな愛があればいい
  ああー果てしない夢を追い続け 。
  いつの日か大空を駆け巡る  
  こんな俺でもいつか光を浴びて
  きっと笑える日が来るさ










ご同輩9-1

2022年06月04日 | Weblog
俳優の柳生博氏は僕と同い年である。近ごろ彼が新聞紙上で、ある眼鏡会社の宣伝をしているのを見つけた。腰の辺りまで水につかり、魚を釣っている彼の写真が大きく載っていた。よく見ると彼も白髪交じりである。我々みな同じなんだなーと僕は一人で苦笑した。
恐らく彼も仕事上の、あるいは家庭上の責任の重圧にあえぎながら毎日頑張っているのに違いないと思うと、遠い存在であった彼に、急に親しみを覚えるようになった。
新聞紙上の彼は我々同年配の世代に向かって“御同輩"と呼びかけているが、この御同輩と言う言葉の響きがいやに耳に付いて頭から離れなかった。
御同輩か。眼鏡も、白髪もか。

 フトンの上に寝っ転がって、この新聞の中の彼を見ていたら、ある詞が思い浮かんで来た。それは彼を反射鏡にして映した僕の心境でもあった。
もともと僕の心情を詞にしたものだから、これに曲をつけることはたやすいことである。我々世代に向けての応援歌を作るつもりで作曲してみた。

詞の内容からすると、当然我々男性、40代の世代に共感を得ると思いきや、この作品はもっと若い世代にも共感を呼ぶらしい。特に三十代後半のミセスに受けたのには驚いた。きっとそろそろ倦怠期を迎えつつある奥さんがたの、ハートをゆさぶるような甘い声の歌い手がこれを歌っているから、うけているのであって、作品の内容からすると詞も、曲も若奥さんに受ける要素は何もないように思う。
 
 作曲するに当たってはいくつか注意したことはあった。
四十男の人生の悲哀を前半で歌い上げ、ご同輩、という行(くだり)から短調を長調に転調して、曲想を明るくして希望の感じを出してみた。

ごく最近の事であるが、ある長寿者に
「あなたは自分の人生のなかで、何歳くらいの時が、最も充実して楽しかったか」 というアンケートの集計をしたら、四十代から五十代も最もすばらしい、という答えが圧倒的に多かったと新聞は報じている。

 人生の甘いも酸っぱいも、解りかけてくるのは、やはり四、五十年生きてみて、というところなんだろう。実態としては存在しても、表面に浮かんで来ない、人生の本質的な部分まで見えてくるのは、人の親になって少なくとも、20年はかかるというのであろうか。
苦も多いが、今まで見えなかったものが見え出すということでは、確かに人生においては一番すばらしい時であり、かつ一番潤いのある時節なんだ。
 
 見果てない夢を追い求め、幾春秋を当てなくさまよい、いつの日が大空を駆け巡ろう。
悩みは果てなく尽きぬとも、ご同輩よ、地上には花が、そして天上には星があるではないか。
酒酌み交わし人生を語れる友もいるし、家では女房と子供があなたをの帰りを待っているではないか。

 さあ、元気を出して、声高らかに、明日に向かって突っ走ろう。
きっとお主の人生が琥珀色に輝くときがくることを信じて。
また明日も頑張ろうじゃないか。 御同輩。

           ご同輩
          
            (一)

長い時の流れの中にいて、いつの間にか白髪まじり

果てない夢を追い続け 幾春秋を 当てなくさまよう

だけど、ご同輩 今こそ人生の 一番華やかな 潤いの時

地上に 花あり 天上に星あり
          
            (二)

いつの日か 大空を駆け巡る わずかな望みを 追い求め

昨日の憂いを 心に残し 今日も見果てぬ 夢を追う

だけどご同輩 今こそ人生の一番すばらしい、潤いの時

あせるな、あわてるな、道は まだはるか
    
           (三)

流れ去り行く 無言の時 静かに響く 鐘の音

短い年月、果てない悩み 昨日も 今日も また明日も

だけど ご同輩 今こそ人生の 一番楽しい 潤いの時

外には 友あり 内には 女房あり。

 

ウクライナ侵略

2022年06月04日 | Weblog
ウクライナ侵略
戦争と言えば敵味方という形になるが、プーチンは一方的にウクライナに攻め込んだ。侵略である。
長期化するにつれて欧米でも幕引きに温度差がある。
僕はマクロンの言う妥協的な解決には賛成しない。
この暴虐を許せば国際秩序は収まりがつかなくなると想うからだ
今のような暴虐を許さない国際法と遵守、万一守られなければ全世界が一丸となって存在が許されないような制裁を加えると取り決めて再びこんな暴挙が発生しないように することだ。今までのロシアの行動に対して欧米は甘いたいをしてきたことから今回の悲劇は引き起こされた。そう言う歴史的な反省にたって、問題を処理をしなくてはならないと想う

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2022年06月03日 | Weblog
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慌てて1文を放り込んだ。



インド人はサダルストリートと聞いただけで眉をひそめるらしい

0畳ぐらいシャワートイレシングルベッドがくっつけて並べてある

サダルストリートでは少々お高いが僕らはここに決めた

お先にどうぞ僕は首にタオルを汗を拭き彼女に声をかけたありがとうございますお言葉に甘えてじゃあ先にシャワーを浴びてきます

彼女は汗まみれの上着を脱いで、素早くシャワー室に消えた

水の音が聞こえたかと思うと、彼女はすいませんタオルを明日忘れたので、という

わかりました、ぼくのですが新品ですからどうぞ と彼女にタオルを渡した

すいません という言葉と同時にシャワーの音がした

いややれやれ今夜はこんな形で彼女の横にいるのかと思うとゾクゾクした

いったいこれはどういうことだ

男と女の不思議な巡り合わせを考えずにはられなかった

2022年03月31日 | Weblog
v
石田三成の逸話

関ヶ原の合戦で敗走した石田三成は捕まって刑場送りになった

その途中彼は警護の武士に向かって下痢止めの薬を所望した。

すると警固の武士たち、あっはっは あと1時間も持たない命だのにとせせら笑っ。

三成はそこで言った。

「お前らみたいなには下衆に俺の生き様が分かるはずがない」

彼はまもなく刑場の露と消えた

死ぬ一秒前にも命を大切に生きた、彼の生きざまに、私は大いに感動した。

踏切番 o

2022年03月26日 | Weblog
明治40年踏切に迷い込んだ幼女を助けるために自分の命を犠牲にした踏切番がいた。

幼女はこの人のお陰で助かったが、子供の命を救った彼は帰らぬ人となった。

このことをしった杉道助と十河信二国鉄総裁は彼の栄誉を称え、またこの話を後世に伝えるために、

彼の50回忌を記念して昭和37年に大阪駅構内の近くに碑を立てた。

道のわきにあるが、恐らくほとんどの人は気つくこともあるまい。

ふと見た石碑の中にこんな話が隠されて居たのを知って私は非常に感動した。

我が命と引き換えに1人の命を救った人が居たと言うこと、

そして50年をへて彼の功績を見逃さずに顕彰する優れた2人の指導者が居たと言うこと、

このことに私は非常に感動した。

どんな時代にも、どんな所にも、美しい花は咲いて居るものなんだな。

それに気が着くか着かないか、ぼんやりして居るとひっそり咲いて居る美しい花を見逃してしまう

杉浦法相>死刑執行せず

2022年02月19日 | Weblog
杉浦法相>死刑執行せず

杉浦正健法相は、任期中に死刑を執行しない見通しだ。関係者によると、法務省事務当局は今月、執行対象となる死刑囚の記録を杉浦法相に渡したが、法相は死刑執行命令書に署名しなかった。法相が命令書への署名を拒むのは極めて異例だ。
 昨年10月の就任会見で杉浦法相は「(死刑執行命令書に)サインしません」と述べ、「私の心の問題。宗教観というか哲学の問題だ」と説明していた。しかし、直後に「個人の心情を吐露したもので、法相の職務執行について述べたものではない」と発言を撤回。その後は会見などで「適切に判断する」としてきた。
 過去には、89年11月~93年3月の3年4カ月間、死刑執行がなかった時期があり、この間の法相の一人、左藤恵氏は命令書への署名を拒んだ。住職でもある左藤氏は宗教的信念から署名しなかったが、杉浦法相も同じ真宗大谷派を信仰する。

▽石塚伸一・龍谷大教授(刑事法)の話 刑事訴訟法が死刑の執行命令を法相に委ねたのは、特に慎重な配慮を求めたからで、時代状況に応じた法相のリーダーシップを期待したとも考えられる。死刑を減らしていくことは世界の潮流で、杉浦氏が執行に慎重姿勢を示したことは評価したい。
 
それは違うだろう。あくまで職務に忠実であるべきで、自説は閣外にあって今の職務を離れた時に言うべきことだ。
職務をじぶんの想う通りに、はこんだら職務怠慢も良いところだ
大体命令を出さないという信念があるなら何故法務大臣の職を拝命したのか。恣意的な法執行はゆるされるものではない。
世界の潮流なんて関係ない日本には日本独特の国民感情にもとついて法律ができているので、海外との比較はくその役にもたたない

金沢旅情o

2022年02月19日 | Weblog
金沢旅情

1、Aさん

彼はブラジルで悠々自適、おそらく好きな本を買い込んでは、自分のアトリエに持ち込み、読書三昧の日々を過ごしていることだろう。

本社の重役からブラジルにある子会社の社長に提出して、そのまま居着いてしまった。風聞では、一人娘のお嬢さんもいまでわ、ブラジルの市民権を持った日系三世と結婚されたということであるから、故国日本家えの足が遠のき、骨を埋める気になったのだろう。

彼と私はひとまわり以上も年が離れていたし、平社員と重役という立場もあって、私にはそれなりの遠慮があったが、オフタイムには個人的な付き合いがあった。

彼のことを私は、大陸浪人とあだ名していた。満州の荒野に着流しになわの帯でも巻きセッタをはいて、夕日を背にてして立ち、夢を語りロマン語り、人生を語るそんな姿が彼には1番似つかわしいと思える不思議な雰囲気があった。
彼の上司に対する言動にも部下に対する言動にも、その雰囲気が出ていたから。会社人間としての恣意的な演出では決してなかった
彼の風貌も言動も所詮、彼の個性や人生観や価値観によって来たるものであり、それが彼独特の突出した何かがあるという訳でもなく、当たり前のことを当たり前のように言う、凡人だったと私は評している。

そんなAさんに私は青春の輝きを見つけ、自分の夢を重ね合わせていたのであろう、私は彼が好きだった。

彼は金沢の4高で学び、東大の経済学へ進んだ。卒業当時の花形産業と言われた。繊維会社への就職した。そして、太平洋戦争に学徒出陣したが、無傷で帰ってきた。

戦争といえば空襲しか知らない。我々世代とは違い、無傷と言っても鉄砲の弾丸をかいくぐった経験はあっただろうから。人間が生きることの厳しさの自覚と言ったら、我々世代とは比べ物にならなかった。

私が自分よりも、もう1世代前に生まれた。先輩たちの学生生活特に旧制高校の生活には関心があったというのは青年としての純粋さや、理想を求め、苦悩し、人生に悩むその姿が私の理想であり、弊衣破帽のばんからは私の憧れであったからである。
彼が持っている雰囲気は今年の求めているものをふんだんに持ち合わせていた。雀卓まで踊り忘れずか、三つ子の魂100までか。

2,
青春

私が「金沢旅情」を作詞作曲しようと思ったのは、金沢への憧れからであったが、その奥には金沢がAさんの青春の地であったということが前提となっている
短かめの北陸の夏は、ここ兼六園にも影を落とし、霞池から敷いた噴水はさびしげだった。
兼六園随一の石灯ろうを小さく見て、霞池はさざ波が漂っている。
頬を過ぎゆくここの強い風に吹かれて、池のほとりを
見ながら、私は自分の青春を思い返し幻と消えた夢と重ねて
Aさんの青春を思いやった。いや
四高生の青春に思いをはせた。四高といえば、私は何の関係もない。単なる通りすがりの旅人である。それにもかかわらず、私は自分の青春と四高生の青春を重ね合わせていた。池を散策しながら私は自分の若き日を思い返してみた。

はるかな青春、今はもう遠い過去になりつつあるが懐かしい。
そこには夢と希望が満ちあふれ、詞があり、歌があった。純白の画布におろす絵筆を握る手には胸の思いがあふれていた。

ママにならない現実と違って、時は苦みを分散して脱落させ、過去の華美なものだけが重層的に残っていて、ノスタルジアは心を憩わせてくれる
私はいつの間にか さんになり変わっていた。

霞池に映る流れゆく雲を見ながら、そして時計の針を逆に回して、人生の意味を問い、人間存在の根源的なものを尋ねてみた。しかし浮かびくるのはその昔あこがれた少女の面影のみだった
3、美少女。不幸なアイドル

男女7歳にして席を同じうせず、という社会規範がどれほど人の心を縛ったか知らないが。いつの時代でも美少女への憧れは煩悶の日々にみずみずしい感覚を注いでくれる
Aさんの話によると、彼が四高生だったころ、近くの喫茶店に美しい娘が働いていた。当時喫茶店で働いていたという事実から推測するにそれほど恵まれた生活環境にはなかった女性だろう。
さんさんと輝く太陽の下に何の苦労もなく育った深窓の令嬢にも心惹かれるが、何らかの不幸を背負いこみ、グレイの憂いを含んでいる。陰性の美少女にはことのほか、心惹かれるのでは無かろうか。と言うのは、社会正義に目覚め、理想に走りがちの青年にとっては彼女をこの俺が幸せにしなくちゃという意気込みと自負がありそうだから、おそらく四高生の幾人かはそう思ったことだろう。
50年の時が流れて、その美少女もいい年のおばあさんになっていた。
彼が見せてくれたその写真を見て、これだけの美人を男が放っておくはずがないと私は思ったが、彼女のその後の人生は相変わらず苦労の多いもので、ついに幸福の女神は彼女に微笑みかけなかったようである。

そーいえば、何も四高生に限らず、我が青春にも似たような思い出がある。このダブリのおかげで、私の旅は一層豊かなものになった。

私はこの旅情や心境を次のような詞に託した。そして不幸な彼女の境遇と私の苦渋に満ちた青春を重ね合わせて、単調のメロディーをつけざるを得なかった


金沢旅情

1,昔の夢は   懐かしく
  はるばるたどる 。北陸路

  今も微笑む  かの人を

尋ねて、金沢   、一人旅

2,霞池の   さざ波に

  移るの面影  。懐かしいや

たたずみ、おれば  、身にしみて

 今なお聞こえる   。青春賦


3,幾春秋が    めぐれども

昔のままよ     兼六園

 百万石の   城跡に

聞くは松風     セミ時雨



















「死亡宣告」、解剖直前に意識回復

2022年02月19日 | Weblog
「死亡宣告」、解剖直前に意識回復=ベネズエラの33歳男性
9月15日7時1分配信 時事通信


 【サンパウロ14日時事】南米ベネズエラでこのほど、交通事故で「死亡」した男性が、検視解剖される直前に意識を回復し、間一髪で難を逃れる出来事があった。14日付の同国紙ウニベルサルが報じた。
 この男性はカルロス・カメホさん(33)。同国北部ラビクトリア市近くの幹線道路上で6日、自動車事故に遭遇。駆け付けた救急隊員に死亡を宣告され、市内の病院の遺体安置所に運ばれた。医師が解剖にかかろうとしたところ、顔から出血していることに気付いたという。出血は生きている証拠ということで、カメホさんは直ちに応急処置を受け、遺体確認のため駆け付けた妻と喜びの対面を果たした。
 カメホさんは「麻酔なしで縫合された痛さに我慢できず、意識が戻った」と話している。