やはりこういう考えに落ち着く
「この世界は、人間たちはその背後にある何者かによって守られているのではないか。人間たちが思い上がって、その何者(おそらく仏あるいはサムシング・グレートのことだと思うが)かへの畏敬の念を失い、自分たちだけで何でもできると思ったとき、その背後のものは邪悪なものたちによって、とってかわられる。言い換えれば善神が姿を隠し、悪魔がのさばって人間に大きな災害をもたらす。」と
日蓮は主張する。
東日本大震災が起こったときに、石原東京都知事が天罰といったことが問題になった。
その時、僕は確かに、不適切な発言ではあるが、少し考えながら読んでみると、その指摘は、現代人にとって、重要な示唆を与えていると、思った。
僕は常々、人間の能力は、時間と共に開発されて、今までは、宗教の領域だと思われることを人間世界に、ひき戻した。と考えている。そういう意味でいうと、人間の力は、大したものだし、そのおかげで時間と共に、人間に幸福な条件をもたらすような状態を作り上げていく。
歴史を振り返ってみると、このことは、歴史的な事実である。
こういう進歩を遂げる過程には、確かに、人間のおもいあがりの部分があるだろう。それはそれとして、仕方のないことであるとは思うが、世の識者の中ではいつか、誰かが、指摘すべきことであると思う。念のために言うと、それは人間の進歩にブレーキをかけるということではない。
ただ、人間のおもいあがりを戒める事は非常に大切なことで、現今の世相を見ると、おもいあがりも行き過ぎている部分が多々見受けられる。
石原氏は我欲と言う言葉で、その部分を指摘しているが、アンタイムリーな発言だとして、批判排除する気持ちもわからないではないが、考えながら読み返すと、鎌倉時代に、日蓮が立正安国論の中で指摘した部分と重なり合う。
いつの時代でも、人間の知恵がどのように進歩したとしても、必ず未知の部分が残るわけだから、神仏の領域として、我々はその部分には畏敬の念を払うことを忘れてはならないと思う
日蓮は全国民がお題目を唱えることによってこの国が仏教の説く浄土となると言う強い信念を持っていたので、
「真言亡国 念仏無限 禅天魔 律国賊 」 四箇格言によって他宗排撃するがこの部分には同調できない。戦闘的宗派というのは、その主張が如何に正しくとも、そうは思わない人にとっては、日蓮の考えにはなじめないからだ
以上のことは僕の薄ペラな知識と好みによって言ってることで深く日蓮の教えを自分なりに探求すると、また違った答えになったかも知れない。が、東日本震災と石原氏の発言がふっと頭をよぎったので、思いつくままに書いてみた。
、
「この世界は、人間たちはその背後にある何者かによって守られているのではないか。人間たちが思い上がって、その何者(おそらく仏あるいはサムシング・グレートのことだと思うが)かへの畏敬の念を失い、自分たちだけで何でもできると思ったとき、その背後のものは邪悪なものたちによって、とってかわられる。言い換えれば善神が姿を隠し、悪魔がのさばって人間に大きな災害をもたらす。」と
日蓮は主張する。
東日本大震災が起こったときに、石原東京都知事が天罰といったことが問題になった。
その時、僕は確かに、不適切な発言ではあるが、少し考えながら読んでみると、その指摘は、現代人にとって、重要な示唆を与えていると、思った。
僕は常々、人間の能力は、時間と共に開発されて、今までは、宗教の領域だと思われることを人間世界に、ひき戻した。と考えている。そういう意味でいうと、人間の力は、大したものだし、そのおかげで時間と共に、人間に幸福な条件をもたらすような状態を作り上げていく。
歴史を振り返ってみると、このことは、歴史的な事実である。
こういう進歩を遂げる過程には、確かに、人間のおもいあがりの部分があるだろう。それはそれとして、仕方のないことであるとは思うが、世の識者の中ではいつか、誰かが、指摘すべきことであると思う。念のために言うと、それは人間の進歩にブレーキをかけるということではない。
ただ、人間のおもいあがりを戒める事は非常に大切なことで、現今の世相を見ると、おもいあがりも行き過ぎている部分が多々見受けられる。
石原氏は我欲と言う言葉で、その部分を指摘しているが、アンタイムリーな発言だとして、批判排除する気持ちもわからないではないが、考えながら読み返すと、鎌倉時代に、日蓮が立正安国論の中で指摘した部分と重なり合う。
いつの時代でも、人間の知恵がどのように進歩したとしても、必ず未知の部分が残るわけだから、神仏の領域として、我々はその部分には畏敬の念を払うことを忘れてはならないと思う
日蓮は全国民がお題目を唱えることによってこの国が仏教の説く浄土となると言う強い信念を持っていたので、
「真言亡国 念仏無限 禅天魔 律国賊 」 四箇格言によって他宗排撃するがこの部分には同調できない。戦闘的宗派というのは、その主張が如何に正しくとも、そうは思わない人にとっては、日蓮の考えにはなじめないからだ
以上のことは僕の薄ペラな知識と好みによって言ってることで深く日蓮の教えを自分なりに探求すると、また違った答えになったかも知れない。が、東日本震災と石原氏の発言がふっと頭をよぎったので、思いつくままに書いてみた。
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