日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

やはりこういう考えに落ち着く

2011年05月31日 | Weblog
やはりこういう考えに落ち着く

「この世界は、人間たちはその背後にある何者かによって守られているのではないか。人間たちが思い上がって、その何者(おそらく仏あるいはサムシング・グレートのことだと思うが)かへの畏敬の念を失い、自分たちだけで何でもできると思ったとき、その背後のものは邪悪なものたちによって、とってかわられる。言い換えれば善神が姿を隠し、悪魔がのさばって人間に大きな災害をもたらす。」と
日蓮は主張する。

東日本大震災が起こったときに、石原東京都知事が天罰といったことが問題になった。
その時、僕は確かに、不適切な発言ではあるが、少し考えながら読んでみると、その指摘は、現代人にとって、重要な示唆を与えていると、思った。

僕は常々、人間の能力は、時間と共に開発されて、今までは、宗教の領域だと思われることを人間世界に、ひき戻した。と考えている。そういう意味でいうと、人間の力は、大したものだし、そのおかげで時間と共に、人間に幸福な条件をもたらすような状態を作り上げていく。
歴史を振り返ってみると、このことは、歴史的な事実である。

こういう進歩を遂げる過程には、確かに、人間のおもいあがりの部分があるだろう。それはそれとして、仕方のないことであるとは思うが、世の識者の中ではいつか、誰かが、指摘すべきことであると思う。念のために言うと、それは人間の進歩にブレーキをかけるということではない。

ただ、人間のおもいあがりを戒める事は非常に大切なことで、現今の世相を見ると、おもいあがりも行き過ぎている部分が多々見受けられる。
石原氏は我欲と言う言葉で、その部分を指摘しているが、アンタイムリーな発言だとして、批判排除する気持ちもわからないではないが、考えながら読み返すと、鎌倉時代に、日蓮が立正安国論の中で指摘した部分と重なり合う。

いつの時代でも、人間の知恵がどのように進歩したとしても、必ず未知の部分が残るわけだから、神仏の領域として、我々はその部分には畏敬の念を払うことを忘れてはならないと思う

日蓮は全国民がお題目を唱えることによってこの国が仏教の説く浄土となると言う強い信念を持っていたので、
「真言亡国 念仏無限 禅天魔 律国賊 」 四箇格言によって他宗排撃するがこの部分には同調できない。戦闘的宗派というのは、その主張が如何に正しくとも、そうは思わない人にとっては、日蓮の考えにはなじめないからだ

以上のことは僕の薄ペラな知識と好みによって言ってることで深く日蓮の教えを自分なりに探求すると、また違った答えになったかも知れない。が、東日本震災と石原氏の発言がふっと頭をよぎったので、思いつくままに書いてみた。






















安定感 立場。肩書き

2011年05月30日 | Weblog

安定感 立場。肩書き



平凡な意見こそ見栄えはしないが,真実で安定感がある。ちょっと見の奇抜な意見は不安定である。大多数の知恵が働いて、平凡な意見に集約されているわけだから安定感があるのだ。 

立場。肩書き

人間に色をつけるのは、その人がいる立場である。立場にはすでに色つきがなされており、その色の人間として人は判断を下す。

たとえば、僧一は人に説教する立場の人だから不道徳なことはしないと決めてかかっているが、現実はどうか。
お布施で生活ができない僧が窃盗罪で捕まったじゃないか。

警官が泥棒したり、万引きしたりしているではないか。それは僧や警察官は不道徳、反社会的行動をしないと、勝手にこちら側で決めてかかっているだけで、つまり信頼しているだけのことで、実際肩書きをはずせば、神と悪魔が同居する人間のことだから、本来あって当たり前の話である。

別に驚くには当たらない。表に出ている色を見て、中身まで同一の色だと判断する方が完全に錯覚しているのである。           

日本人の平均寿命は、

2011年05月29日 | Weblog
日本人の平均寿命は、

江戸時代(20歳代後半~30歳)、
明治13年(男36歳、女38歳)、
大正12年-14年(男42.1歳、女43.2歳)、
昭和22年(男50.1歳、女54.0歳)、
昭和25年(男58.0歳、女61.5歳:この時点で先進国中の最下位)、
昭和34年(男65.2歳、女69.8歳)、・・・・
・平成17年(男78.6歳、女85.6歳)、そして先日新聞に載ったWHO発表
(平成21年データ 男80歳、女86歳)のように大変順調に伸びてきた。
・日本人がどこまで長生きできるかに関しては
、2025年時点(男80.95歳、女89.22歳)、

日本の人口は奈良時代400万人、江戸時代3000万人、戦前8000万人、現在1億2700万人、2050年9000万人 - 

ウェブテレビニュース 2007年8月9日
資料を使って考えて見ると
国土面積は縄文弥生時代から大きく増えると言うことはない。
が、2000年間ほどの間に、人口増加はすごいものがある。
江戸時代は飢饉など天災で一時減少したこともあるが、ずっと増え続けている。
ただ平均寿命を重ねて考え合わせると、人口は増加するにもかかわらず、平均寿命が時代と共に伸びているのは、人間の英知と言うべきものだろう。
衛生環境の発達や、文明の利器の発明、開発によって肉体的にも、精神的にも負担が少なくなり、それが寿命の伸びを大きく進展させた結果だと僕は評価している。
このさきいくつまで平均寿命が延びるか、想像しないわけではないが、物理的にのばすことが結果として、人間の幸福に直結しているかどうかと、いえば疑問符が付く。

平均寿命以上に生きる人間の有り様を見ると、自分自身の見繕いが出来ない状態で生きていることが果たして個人にとって幸せなことだろうか。社会的には生産人口からはみ出すようになると、社会的な負荷になって次の世代に負担となる。
徒然草を読むと40才くらいでおさらばするのがよいらしい。6,700年昔とは時代が違うから、40才は若死しすぎる。現代ならま7,80才くらいでおさらばするのが望ましい。
こんな事を考える年代になった。考えてもどうしようもないことだのに。


歩き遍路であれ車遍路であれ

2011年05月28日 | Weblog
歩き遍路であれ車遍路であれ


歩き遍路であれ車遍路であれ,遍路をされた人々の体験談を読んでみると必ずと言って良い程,御礼とか感謝とかいう言葉が出てくる.
普通の観光旅とは違って、これは物見遊山気分ではできない旅である 。

ある人は1200キロを歩き通し,またある人は例えマイカーで巡拝すれにしても、山門や本堂の軒下で野宿をするような、きつい旅行をしている人たちが多い.
その人たちが御礼とか感謝とかいう言葉を口にするのだから、我々が日常会話で使っている言葉の意味とは少し違うように思う..

普通の観光旅行と違ってかなり厳しい条件の旅をしつつも、どうして御礼とか感謝という言葉が出るのであろうか.普通の常識からいうと、そこに何か違和感がある.
しかし私が違和感を抱こうと、そういう遍路をされている人は心の底から気持ちを込めて、それらの言葉を口にされるから、それは真実の言葉なのである.

四国88カ所遍路して回る旅は、ひとつには自然とのふれあいでありまた四国の人々の暖かい人情に触れることでもある。
それによって、普段は心のをそこに閉じこめられでしまって、心のそこで眠ってしまっている感謝という言葉や気持ちを、思いだしたりして人間本来の素直な気持ちになることから、こういう言葉が出てくるのであろう。

いずれの年からか私もまた、菅笠や2白装束の遍路姿ににあこがれを抱き、バイク遍路を始めるようになった。
確かに肉体的には楽な旅ではないが、精神的には今まで経験したことがないような、すがすがしいさを感じる。もちろんお大師さまには心を寄せて、同行二人という安心はあるものの、初めての遍路の旅ということもあって心細い感じもした。

私が四国遍路を思いたった理由のひとつに、先祖供養ということがある。
今は亡き父母や父方や母方の祖父母の菩提を弔うために、写経をしてそれを本堂と大師堂に納経するために、遍路したいのである

簡単なことではあるが、写経100枚はそれなりに我慢のいることであった。100枚目が終わったときに私はまず、ありがとうという言葉が口から出た、さあ出来た。やれやれ。これでいけるという前に、ありがとうが出たのだ。何故だかわからないが、ごく自然に腹の底から出た言葉であった。
ひょっとしたら お遍路さんは今の私のような状態で、ごく自然に御礼の言葉が出たり感謝の言葉が出たりするのではなかろうか。
意図していう言葉ではない。自然に口をついて出る言葉である。
もちろん遍路には人それぞれの目標がある。それが成就されたときには、感謝の気持ちが湧いてきて当然だ。
そして目的成就を考えてみると、そこには同行二人つまりいつもお大師さまが側にいて、付き添ってくださり、そのおかげで満願成就したという実感もある。
理由はなんであれ、物欲に振り回されい、つも飢餓状態に置かれている現代人が、幸せのもとである感謝の気持ちを取り戻した、あるいは自覚したというのなら、現代人にとって遍路することこそ幸せへの近道ではないか、そんなことも考える。

それにしても長いあいだ忘れかけていた、感謝の心を教えて、とりもどさせてくれる四国遍路には感謝したい気持ちでいっぱいである。
お大師様ありがとう。四国遍路ありがとう。今僕はそう言いたい。









内閣不信任決議案

2011年05月27日 | Weblog
内閣不信任決議案

社民・重野氏「司令官替えられない」不信任へ反対示唆
 
社民党の重野安正幹事長は25日午前の記者会見で、菅直人首相に対する内閣不信任決議案について
1,
「震災復興に向けて必死に努力をしているときにその司令官のクビを替えることが被災者や国民に通用するのか」と述べ、提出された場合には反対する考えを示唆した。そのうえで
2,
「足らざるところは俺たち(野党)が補っていくんだという気合を持って、この国難を乗り切る意思を立法府が示すことが重要だ」と述べた

国難をにどう対処していけばよいのか、国会議員ともなればこれは一人ひとり
考えなければない問題である。
その答えが倒閣というのであれば、被災民を置き去りにした不届き者だ言われても仕方がない。
総理の首をすげ替えて、次を誰にするというのだ。自民党や公明党に管に勝る人があるとは思えない。だのにこの非常時を利用して政局を作り出し、政治を混乱させようと言う連中がいるのは、実に情けない。
国会議員が一丸となって国難を乗り切ろうと思うことが出来ないのだろうか。これでは被災者を置き去りではないか。国民の目はいま政治家などには向いてない。お気の毒な被災者をどのように勇気つけ、生活の道を立て直して、日常生活をとりもどすかに注がれている。
国会議員は国民の代表として、いまこそ活躍ぶりを見せるときではないのか

民主党にも反管勢力があるが、これほどばかげた勢力はない。
文句があれば、党を出て行けばよい。被災民からみるとこれほど役に立たない国会議員は不要だろう。この半年は与党も野党もない。協力して被災者の救済に全力を挙げるべきだ。
社民党の重野安正幹事長の言うとおりである。これこそ国民が望むところである。

半音の差

2011年05月26日 | Weblog
半音の差

有名な荒城の月のフレーズに半音が良いのか、全音が良いのか、気になる箇所が1つある。
歌詞で言うならば、花の宴 はなのえんに付けられたメロデイの中にある。
はなのえんに付いたメロデイ( フア フア ミ レ ミ ) なのか
( フア フア ミ #レ ミ )なのか。ここに大きな差を感じるのである。

半音ぐらいの音の高低など、どうでも良いというのは乱暴すぎる。 
その響きは半音違えばやわらかになる。それが曲全体の感じに大きな影響を与える。もう少し具体的に言えば、レーミ の場合は完結感が漂うか#レーミとなると不安定な感じがする。

素人には全くつまらない事かも知れないが、考えて迷い出すと切りが付かなくなる。こんな神経の持ち主をかっこよく芸術家肌だというが、
現実には不幸なことである。原作者の滝廉太郎と山田耕筰の話?であるそうな。            

金色堂追想

2011年05月25日 | Weblog
金色堂追想

平泉駅から北の方向に小一時間ほどゆっくり歩いていくと、中尊寺にたどり着く。駅を降りて、自転車に乗らずに歩いた。出来るだけ当時の様子に近い状態を味わいたかった。
御所跡とおぼしき跡は今は水田になっていて、昔の面影はしのべないが、こんな処に奥州の極楽浄土があったのかと感慨深かった。

小高い丘にのぼると柳御所のあたリが一望できる。
同じ血を分ける兄弟であリながら、又平家追討では兄頼朝の為に多大の貢献をした義経が、最後はここ奥州で果てるとは何という運命の皮肉か。
人間は一歩まちガえば死に至る恐ろしい運命を持ってる。そんなことを考えながら、坂をゆっくり歩いた。

歴史の流れから見てみると、確かに頼朝のほうに先見性がある。後白河や取り巻きの貴族なんて信用はできないし、義経のやっていることは貴族政治に従属した考え方である。確かに頼朝第一の家来・梶原との確執もあるようだが、それは歴史の流れについての判断の理解の仕方による対立というよりは、感情的な対立のほうが大きいようだ。

義経の言い分もわからいではないが、彼の考え方は歴史の新しいページを開くものではなくて、従来の貴族政治の下での政治体制の維持、すなわち現体制の維持が根底にある。
ところが頼朝は違う。貴族政治から脱却して新しい武家政治を打ちたてようとしている。ここのところが両者の決定的な違いである。

人間には感情と理性があり、両者のバランスが必要である。
情の面においては義経に涙を寄せる人は多いことだろうが、歴史的にみるとやはり冷血漢に見える頼朝の決断の方が正しいように思える。

いずれにせよ決定的な対立となり、生死を分けた義経の悲劇は歴史上の出来事とはいえ、いつの時代においても、日本人の涙を絞ることであろう。
まるで小説で悲劇のヒロインを描いたかのような義経の生き様である。
ひょっとしたらこのストーリーは神が書いて、役割を演じたのが頼朝であり義経であり、その中の中心となったのが平家なのかもしれない。平家物語を読むとそんな感じもなくはない。

金色堂は(覆堂は)何百年かに、一度移動するみたいである。僕が見たのは杉木立の方へちょっと段になっていた処に在った。移動前の覆い堂はちゃんと保存されて残されている。

名所であるから、連休とも重なって全国から大勢の観光客が来ていた。
とくに有名な金色堂は我もわれもと押しかけるので、ラッシュアワーの満員電車のように、肩が触れやって堂内拝観をするのも一苦労である。

そこで私は満員の見物客に紛れ込んで、金色堂へ入るのではなく、いったんそばの、入り口にたたずんでいた。人の切れ目を待っていたのである。
しかし人は切れ目なく続いて、出たり入ったりしている。
人波は少なくなることはあっても、途切れるということがないので、私はあきらめ、堂内に入った。金色堂内には管理人とおぼしき人がいて、ブースの中に坐っていた。

私はぼんやり須彌壇の方を眺めていたが、突然人波が途絶えた。堂内には私を除いて誰もいなくなった。管理人もどこかに行ったらしくブースも無人である。
そのとき私は体がまるで雷にでも打たれたかのように、ジーンと音がして頭の髪の毛が逆立った。

存在するのは藤原3代のミイラと私しかいない。ぞぞっと身ぶるいがして、
髪の毛が逆立った。なぜそうなったのか判らない。恐怖にも似た不思議な体験である。
いったい何が起こったというのであろうか。強いてこじつけをするならば、千年余りの時を経て、この藤原の誰かの魂と私の魂が感応現象を起こしたということではあるまいか。そうとでも考えなければ私には、なぜこういう現象が起きたのか説明がつかない。
確かに肉体は7、80年もたてばこの世から姿を消すが、魂は果して体の消滅とともに消滅するものであるのだろうか。その答えは誰にも判らない。

気がついたときには、再び大勢の人が身の回りに、がやがや立ちさわいでいた。
夢のような不思議体験であった。そのあと何か変化が起こったかというとそれは何もない。金色堂で瞬間的に、私が体験した不思議現象である。

平泉が世界遺産に登録されるとか、登録の俎上に載ったとか、マスコミ報道がある。それを耳にした途端、頭の中に20年以上も昔に、訪ねた金色堂のあの様が突如として胸によみがえった。





















鎌倉新仏教、叡尊について7-42

2011年05月24日 | Weblog
鎌倉新仏教、叡尊について9,726

仏教に限らず宗教全般にふるわないご時世である。人心が物質文明に奪われて、心を問題にする宗教にまで目が届かない。

日本仏教に限れば、百済から、五三八年または五五二年にもたらされた。
これを受け入れるかどうかで、崇仏、排仏の両派に分かれて戦争が起こり、聖徳太子の崇仏派が勝利を収め定着することになった。
以後奈良時代になると鎮護国家仏教となり、時の権力者即ち貴族階級と結びついた。
聖武天皇は全国に国分寺制を敷き、その総本山が東大寺である。いわゆる南都六宗である。これら仏教と政治が結びついて、仏教が世俗的権力や富をもち僧兵まで養うようになり、堕落の方向に向かった。

仏教勢力の政治への関与を嫌った桓武天皇は新天地京都に都を移して、奈良仏教とは違った二宗、即ち天台、真言宗を擁立させた。藤原時代になると浄土教が広まったが、鎌倉時代になると比叡山で修行学問した人達が宗派を独立させた。
いわゆる鎌倉新仏教である。浄土宗、日蓮宗、禅宗などがそれである。
そうなると当然旧来の奈良仏教と対立摩擦が生じる。

いわゆる鎌倉新仏教は旧仏教や真言天台宗が求めた厳しい戒律や学問や寄進などを重視せず、ただ一つの道、念仏や題目を唱えることによってまた座禅をすることによって、救いに預かるととなえ、広く武士や庶民に門戸を開いて信者を増やしていった。
これに対して勿論旧仏教のほうでも、改革が起こる。法相宗の解脱、華厳宗の明恵、律宗の叡尊などが南都仏教復興に力を入れた。
鎌倉時代の代表的な最も活躍した僧 といえば、日蓮、法然、親鸞、道元が常識的には頭に浮かぶが、平雅行大阪大学教授によると叡尊らしい。

叡尊といえば彼の七〇〇年遠忌には西大寺で讃歌を奉納演奏したことがある。彼は大和郡山の出身で貧しい人や病人の救済、治療など社会事業に尽くした。
北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんと)は鎌倉時代に奈良につくられたハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設。大正10年3月3日、国の史跡に指定された。
彼が活躍した時代に蒙古襲来があり、彼は敵味方の一兵卒の命を損なうことなくこの戦争が終わるように祈ったという記述があるのを思いだして、敵味方に関係なく命の大切さを尊重していた彼の教えに敬服した事を今も覚えている。

命についてそのような感覚を持ち合わせていないと、眞の意味の社会事業なんて出来たものじゃない。だから平教授の説(鎌倉時代に一番活躍した僧は?叡尊である)にはことのほか興味をもって拝聴した。
普通鎌倉仏教で活躍した僧はというと、法然、日蓮 親鸞、道元 栄西などを思い出すが、叡尊の活躍ぶりは直ぐには頭に思い浮かばない。

その後江戸時代になって、叡尊の教団は旧仏教の律宗と真言宗に吸収されて、真言律宗となり、その本山は大茶盛で有名な西大寺で、今日に至っている。

三万人を超える自殺者

2011年05月23日 | Weblog
三万人を超える自殺者

東日本大災害の犠牲者数は死者行方不明者をあわせて、三万人近くにはなるがそれ以上にはならないようだ。大津波や家屋の倒壊で一瞬にして三万人弱という人の命がなくなったので、大災害だと思う。

ところが今日本では三万人を超える人が、自ら命を絶っているという。災害によってと言うならば、仕様がないとあきらめられるこの数も、災害でも何でもない日常生活を営む中で、死んでいくという現実を見ると、何かがおかしいと思うようになった。

原因は色々あろうが、これは現代社会のあり方と無縁ではないと思う。
要するに、いろいろな事が原因して、人の心が弱くなった、つまり生きていく力が弱まったのではないだろうか。

生活難だけを問題にすれば、100年前はもっと過酷だったはず。人間関係を問題にすれば、昔に比べて個人の自由は比較にならないほど多くなった。
労働の苦しみを考えると、機械化や文明の利器の発達で格段に肉体労働は軽減されたはずだ。
だのに、なぜ3万人以上の人が自殺するのであろうか。原因はいくつもあり、それが複雑に絡まってのことではあろうが、大局的に見ると、日本人の生命力即ち生きていこうとする精神力が弱まったからではなかろうか。では何故弱まったのか。
僕なりに強いて思い当たることをいえば、物質文明のおかげでそれに心がついて行っていない。つまり昔のような強靱な精神力が、押しつぶされて弱くなったのだろう。
じゃいったいどうすればいいのか。この問いは究極には人の心を問題にする。
心の問題と言えば、広く言えば教育や宗教の問題にぶち当たる。心とそれを取り巻く外部環境、例えば社会のあり方や、家庭のあり方、学校教育のあり方などの総体を今一度再編成、再構築する必要がある。特に心を鍛えて強靱なものにする方策が求められる。心理学や、神経医学のアプローチだけでは、この自殺状況をストップさせたり、改善、解決出来たりするものじゃない。
生命力を弱くするあらゆるものを取り除き、それを強くする方策を強めることが重要である。例えば戦前のように生活の場は大家族制で、大勢の人間関係の中で生きる知恵を学んだり、問題を解決する道を探ったり、出来る制度やシステムを再構築することなど。究極的なことを言えば、人間は自分を受け入れてくれる人間関係があって、そのなかでこそ人間らしく生命力をいやしたり強めたり出来るのであって、物質や科学的知識だけで生命力が強めることは出来ないと思う。

天国も死後の世界もない7-43

2011年05月22日 | Weblog
天国も死後の世界もない」
 
[ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、
1,天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、
2,死後の世界があるとの考えを否定した。
3,宇宙の創造に神は必要ない=ホーキング博士
この意見に対して宗教界から批判を浴びている

何故そう言う意見になったのかについて、
 
ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。

死後や天国の有無については、科学的な証明はまだ出来ていない。博士が自分が科学的にそれが正しいというのなら、そのことを実証せねばならない。

僕は死後の世界や天国についての考え方は彼とは違う。
実証が出来ない世界のことは科学の領域ではないと思うから、科学がこれらの世界のことを取り扱うこと自身が、現段階では間違いだと思う。死後の世界や、天国や 神の存在については、信じるか、信じないかによって、その存在の有無が決められるものだと思っている。人間には霊魂というものがあって、それは人間の脳以外の次元の処に在るという信じるから、脳の作用とは何の関係もない。
だから
「脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と言うことにはならない。

こういう判断は科学的なものではない次元のことだから信じるか信じないかという脳の外にある宗教的な部分の働きによって形成される判断だと思うし、それは全く個人的なもので、現在の科学的な次元では取り扱えない。
よって死後の世界や、天国の存在を実感できる人は宗教家がそうであるように、信じることが出来るし、そう思わない人は科学的な説明や証明なしに、博士と同じ意見になるだろう。そして両者の是非や当否は判らないと僕は思う。

人々はどのように生きるべきかとの問いに対し
「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。
 この意見に対しては全く同感だ。

どうかと思う与謝野発言

2011年05月21日 | Weblog
どうかと思う与謝野発言

直接彼と共同作業をしたことがないから、実力のほどは判らないが、経済金融政策通と世上で評価されているから、今まで彼にはそれ相応の敬意を払ってきた。
ところが世間の常識から考えて納得できない事が彼の口から飛び出した。
その最たるものが下記の発言だ。今回の大災害に関するものである。
1,この大災害は神の仕業だ
2,「最高の人智」でもって防ぎ得なかったから、公共性の高い東電をいろんな意味で擁護する。

僕の意見
1,中世じゃあるまいし、神の仕業とは現在通用する言葉か。文学界なら通用する
フレーズかも知れないが、政府関係者が口に出す言葉か。この言葉を聞いて被災者は納得するだろうか。被害者のみならず、世間一般常識として受け入れられるフレーズだろうか。僕は政府高官の口から出たこの言葉を聞いて唖然とした。

2,今回の原発事故はその防止のために「最高の人智」が働いていたであろうか
その最たる者は想定した津波の防止策である。
一二〇〇年も昔に襲った津波の高さ、近くは明治、昭和の大津波来襲時の津波の高さを、真剣に取り入れて津波防護策が講じられていたか。
この辺の取り組みは「最高の人智」を使ったとはとても思えない、ずさんではないか。今回の事故は不可抗力の天災というより人災だと思う人が多い。
僕のような素人でも、「最高の人智」どころか津波対策は、原子炉の耐震性に比べて、これが専門家の想定だったのかと、あきれたほどである。そして専門家はそれを想定外と言い訳した。過去の津波の実績にまとも見向きあいもせず、想定外と言うのは、非科学的態度で、無能以外のなにものでもない。

君はこういう事実を踏まえて、なお「最高の人智」と言い張るか。君が自分でそう思うのは勝手である。(事実をそのまま受け入れないで自分の思いにとらわれた見方、意見はどのように一般化しても世間の大多数は受け入れないだろう)。
それをもって東電の責任を軽減する理由に使うことは、常識人を納得させることは不可能に近い。 君は国家のリーダーだという自覚の下にこういう発言を現実だと思って発言したのか。そうだとすれば君の考えは世間の常識とは大きくずれて、ピント外れである。
近頃君は国民の常識からすれば、疑問符が付くようなことをする。民主党に在籍しながら、お世話になったという理由で自民党の立候補者の選挙運動をする。
君はこういう事を何とも思わないのか。

東電の公共性はわかるが、それがどうして現在の東電でなくてはならないのか。現在の東電とは別のものを考えて、現在のそれよりももっと国民にとって、プラスになるような電力システムを作ることを考えても当然の選択肢としてあり得ることだ。

君は自分の考えや思いを、もう一度自分の立場、政府高官というフイルターにかけて、発言すべきだ。端的に言えばボケが廻ったのじゃないか。案ずる。

女川原発 紙一重の無事8,441位

2011年05月20日 | Weblog
女川原発 紙一重の無事

岬の西側は津波で破壊され、東側にある女川原発(中央)は津波の被害を免れた=宮城県女川町
 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の事故は、原発の津波対策の手薄さを浮き彫りにした。一方、同じ太平洋側にある福島第2原発(同県楢葉町、富岡町)や東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)、日本原子力発電東海第2原発(茨城県東海村)は想定に近いか上回る津波にさらされながら、致命的な惨事を免れた。明暗を分けた要因を探った。

 ◇津波史を独自調査
 東電が福島第1原発で想定した津波の高さは5.7メートル。だが、平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)では、8メートル以上の津波が現在の敷地に押し寄せた可能性があることが産業技術総合研究所の昨年の分析で判明した。

 研究チームは東北地方太平洋岸で貞観津波による堆積(たいせき)物を調べ、原発に近い福島県浪江町では現在の海岸線から1.5キロ内陸まで到達していたことを突き止めた。この規模の津波を起こすには、南北200キロの断層がずれたと考えられ、コンピューターによる試算で第1原発付近の津波高を見積もった。

 産総研の岡村行信・活断層・地震研究センター長は「8メートルは最小限の数字だ。原発の津波対策に適用する場合には、さらに高い波の想定が必要になる」と話す。結果的に貞観津波を過小評価していたことになる東電は「過去の発生データを踏まえて最大限の設計をしてきたつもりだが、今回のことを真摯(しんし)に受け止め、原因について十分に評価・検討していきたい」としている。

 貞観地震の研究はこの数年で急速に進んだ。古文書から仙台平野に巨大津波が押し寄せ、大きな被害を出したことは知られていたが、震源が宮城県沖から福島県沖で広範囲に及ぶ可能性があることが分かったのは昨年だ。こうした研究を受け、東電も貞観地震の再評価を前提に、約1年前に東北大の研究者に接触するなど調査に動き出した直後だった。

 一方、東北電は貞観地震の津波による仙台平野の地層内堆積物の分布を独自に調査。貞観津波とともに、明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)などの文献と堆積物を調査した結果、慶長津波(1611年)が女川原発周辺の過去最大級の津波だったと判断。敷地での津波の高さを最大9.1メートルと想定していた。

 しかし、東日本大震災の津波はこの想定さえも超え、高さ13メートルだったと推定される。敷地は海面から14.8メートルにあったが、2号機では、原子炉建屋1階に設置されていた非常用電源3系統のうち1系統が津波で機能を失った。残る2系統が維持できたことなどで辛くも事故を免れた。

 東北電は「敷地の高さに余裕を持たせたため、上から津波をかぶることはなかった」と強調する。しかし、同原発がある牡鹿半島は、地震の影響で1メートル地盤沈下するなど大きな地殻変動が生じており、対策の根本的見直しは必至だ。

 東海第2原発は最高5.7メートルの想定に対し、5.4メートルの津波が到達。非常用発電機を冷やすためのポンプ3台のうち1台が使用不能になり、100度未満の冷温停止状態に持ち込めたのは4日後の3月15日だった。

 福島第2原発は第1原発と同規模の津波を受け敷地が浸水したが、非常用発電機が気密性の高い原子炉建屋に設置されているなどの新しい設計が幸いした。

 ◇「揺れ」ばかり考慮の耐震
 原発の津波対策が遅れた背景を、吉田正・東京都市大教授(原子炉工学)は「耐震安全性を考慮する際、地震の揺ればかりに目が向いていた」と指摘する。さらに、津波被害として、引き波により冷却用の海水が引き込めなくなることが想定されていたものの、今回のように建屋が浸水して全電源が失われる事態は考慮されていなかった。

 06年の耐震安全設計指針の改定により、国が各電力会社に原発の耐震安全性の再チェックを求めたが、09年の中間報告段階では津波は「地震随伴事象」として先送りされた。

 04年12月のスマトラ沖大地震では、インド洋沿岸のマドラス原発に津波が押し寄せた。原子炉は緊急停止し、津波も敷地の高さを上回らなかったが、冷却水の取水トンネルから海水が入り、ポンプ建屋が浸水する被害に見舞われた。このケースを機に世界の原子力関係者の間で、津波の影響に注目が高まったというが、国内で具体的な対策には結びついていなかった。

 国内の原発では津波が大きな要因となった福島第1原発事故を受け、ようやく
(1)電源車や発電機など大容量の非常用電源
(2)冷却水をくみ上げる海水ポンプの予備品確保
(3)大津波を防ぐ防潮堤の設置--などの対策に取り組み始めた。
しかし、経済産業省原子力安全・保安院によると、整備し終えるには半年から3年程度かかるとみられる。

 入倉孝次郎・京都大名誉教授(強震動地震学)は「電力会社も国も(地震や津波に関する)最新の知見に基づき、敏感に問題を吸い上げる努力が足りなかったと言える。福島第1原発以外の全国の他の原発についても、従来の想定以上の地震・津波が起きた場合の影響、多重防護システムが働くかどうかの検証を進めるべきだ」と話す。

 ◇貞観地震
 869年、三陸沖を震源に広範囲に津波被害をもたらした地震。マグニチュード(M)8.5前後と推定されている。多くの家屋が倒壊し、津波が現在の宮城県多賀城市一帯を襲い約1000人が水死したとの記述が古文書に残っている。宮城県石巻平野から福島県北部にかけて、当時の海岸線から数キロ内陸まで浸水した。

今回の地震と津波に対する資料を集めたら以上のような記述があった。
考えるに、自然が引き起こす大地震は人間の力ではストップさせることは出来ない。それにくわえて原子力もまだ人間の手で完全にはコントロールし切れていない。
2匹の巨大猛獣を野に放つ想いである。この事を今回の大災害で思い知らされた。
今後も猛獣は大暴れするだろうが、今後は今回の教訓を生かし、最小限の被害にくい止めるように最大の努力を払わなければならないことを痛感した。

専門家よ。その任に当たるひとはこのことをしっかり自覚してほしい。

対立生む“原発の恩恵”8030

2011年05月19日 | Weblog
対立生む“原発の恩恵”
 
遠方住民「手厚い補償、被害者ぶるな」
産経新聞 5月18日(水)7時56分配信

 工程表は示されたが、原発周辺の住民にとっては、不自由な生活にはっきりとした出口が見えたわけではなく、抱えるストレスは大きい。福島県内では、原発立地で経済的な恩恵を受けてきた、受けなかったといった認識の違いが、感情的対立すら生じさせている。(小野田雄一)

 ▼土下座に違和感  「避難所で東電の社長に土下座させた人たちは、これまで東電に食べさせてもらってきた人たち。地元に原発を誘致した経緯もある。土下座の強要には違和感を覚える」

 原発から約60キロ離れた福島市内で飲食店を経営する男性(40)はそう話す。震災と原発事故で、売り上げは昨年の3分の1程度に落ちたという。
「原発で恩恵を感じたことは一度もないのに、損害を受けている。原発近くの人は手厚く補償されるだろうが、うちがつぶれても補償されるのか。理不尽だ」
原発から離れた地域の少なからぬ住民には、こうした思いは共通する。

 ▼累計2700億円  原子力や火力発電所などが立地している地域は、国から「電源立地地域対策交付金」など、さまざまな交付金を受けられる。
交付金は周辺自治体に直接交付されるものもあるが、広く県全体に渡るものもある。福島県によると、各種交付金の平成21年度の総額は計約145億円。

このうち、県に交付された「電力移出県等交付金」は計62億円で、県は約52億円を公共事業に投じた。残る10億円は県内の全自治体に分配した。県が昭和49~平成21年度までに受けた交付金の総額は、約2700億円になるという。

 県には電力会社から「核燃料税」も入る。原子炉に挿入された核燃料の価格と重量に課税されるもので、15~18年度では計約103億円。多くが県内の道路や橋、河川などの整備費のほか、福島空港の管理費、県立病院などの運営費、警察費など、県民全体のサービス向上に充てられた。
だが、「原発が県にどんな恩恵をもたらしてきたかを知っている県民は少ない」(県幹部)というのが現実だ。

 ▼しっかり周知を  原発の住所地でもあり、現在は町役場ごと会津若松市に避難中の大熊町役場には、「原発で恩恵を得てきたのに、事故でほかの地域に迷惑をかけ、今さら被害者ぶるな」といった批判の声が届いているという。

 町幹部は「雇用や、町から住民への教育費や医療費の補助など、確かに他地域より恩恵はあった」と認めつつ、「恩恵が県全体にも及んでいることを知らない人も多い」と戸惑いを隠せない。

 ある県幹部は「原発の恩恵がリスクと釣り合ってきたのは、“安全”という前提があったからこそ。これまでの経済的恩恵とは桁違いの損害が出ている」と話し、立地地域も被害者だと強調する。その上で、「県民対立や国民からの批判を防ぐためにも、濃淡はあるにせよ原発の経済的恩恵が、特定の地域だけのものでなかったという事実をしっかり伝えていきたい」と話している。

なんとなんと。考えて見れば意見が割れるのも、受けた恩恵の程度によって生じるところの必然の結果である。
こう言う意見が出だすと、原発立地県と電力という恩恵を受けた地域でも言い出せば切りのない意見の対立が生じる可能性がある。この際こういう問題を国民的な視野に立って議論するのも悪くはない。

ただ今まで受けた恩恵と 、今回の事故による損失を天秤にかけると、受けた恩恵というものは、損失に比べると、比べようもない微細なものであることだけは間違いない。

発送電分離に

2011年05月18日 | Weblog
発送電分離に      11/05/18

1990年代から、電力自由化の中で議論されたが、業界の抵抗で実現しなかった。 が、今回の事故で、電力供給の地域独占体制崩壊につながる議論が、巻き起こって、電力業界は戦々恐々としている。
以下その言い分を聞いて。みよう

1, 東電幹部
エネルギー政策の根幹にかかわる話。原発事故の収束と賠償に集中しているときに唐突すぎる。

2,関西電力幹部
震災とどう関係があるのか、

3,九州電力幹部
 分離で安定性が、安全性が高まるわけではない。

4, 業界
電力業界は発電送電小売の一体体制でないと、責任がある。電力供給ができず、効率も下がる。
言い分はどれも、現在の人達の会社の立場を守る弁、以外の何ものでもない。
それでは話にならない。
電力などという経済の根幹に関わる政策は1電力業界や電力会社の言い分で決まってたまるものか。

話を続けよう。
分離については、2001年から2002年の総合支援エネルギー調査会の電気事業分科会の中で議論された。
日本の電気料金の高さが、産業競争力を損なわせている。との判断から、経済産業省が、電力自由化の旗を送った 発電と送電分離を最終目標に定めていた。
また電力会社による、送電網の独占は、風力や太陽光など、新エネルギーの普及を妨げている。

根本問題はここにある。今回、はしなくも見せた東電の体質が電力業界の体質である。これを変えない限り、同じ事が起こる可能セは大である。
各電力会社に改善や改革を求めて体質を変えることが出来るだろうか。利権構造が複雑に絡まって付けを国民が負担するような、構造をどうして一会社や業界の内部から変えることが出来ようか。

地域独占体制から得られる利益をテコに、力を行使してきた日本独特の原子力利権を、崩す為には相当のあら治療が必要である。
今回の福島事故で見せた東電の体質こそが電力業界の体質である。今は外部の力によって変えるチャンスである。従来のしがらみを取っ払って新しい競争原理を用いて業界の構造改革をして、あわせて体質改善をするときである。それが将来の日本のためになる。独占体制の上にあぐらをかいたあり方を改善に向かわせる事が不可欠だ。
ついでの話だが、似たようなケースとして、JAL改革以上の改革が東電に求められている事を忘れてはならない。




















東電の体質

2011年05月17日 | Weblog
東電の体質

国会で東電社長が、賠償の枠組みを決めてほしいと言った。その枠組みの中で弁償を考えたいと彼は考えたのだろう 。この発想が国民の思いとが全く違っている。

東電を解体するくらいの発想で、ここまで賠償するつもりであるが、それでも足りないときは、国が責任を持って、たらづまいを賠償をしてほしい。というのがすじだろう。国がいくら出すのか。それを見極めた上で応分の賠償をしたいと言う趣旨の発言だったと思うが、それは発想が逆である。

彼は国民の怒りが判っていないし、社会全般に漂う空気が読めていない。だからこういう発想が出るのだ。

この発想を見かねたのだろう、枝野官房長官が東電として出来る限りの線を示せ。その提案が妥当かどうかを検討した上で、政府も考えようと切り返した。
出せるだけの物を出して賠償するという、身を切り骨を削る姿勢を見た上で政府も検討しようと、言ったのである。

事故予防対策、事故発生後の動き、謝罪訪問、賠償についての考え方、
全くなっていない。自己本位でこの公的性格を帯びた私企業の社会的な責任は一体どうなっているんだと、と叫びたくなる。長官は東電解体をほのめかして、賠償責任の自覚を促した。当然だ。

彼等の保身的発想はおそらくなおるまい。これでは被災者や、避難者は救われない。やはり世間に通用する考えを定着させるためにも、新東京電力を立ち上げて東電をつぶした方がよいだろう。さもなくば彼らの考えを相手にしていては、違いが多すぎて争いが長引き、被害者はもっと苦しめられるだろうから。