日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

神技

2012年07月30日 | Weblog
神技

テレビで体操競技を観戦したが、どうすればあのような体と心を作ることが出来るのか
不思議に思えてくる。なによりも驚いたのは心で思うように、自分の体の体形を制御出来ると言うことらしい。どのような訓練をすれば自分の体を思うように心で操れるようになるのか。 これを僕は神技と呼びたい。WBCの絶体絶命のピンチにイチローが一発逆転のヒットをぶっ放した。このときもこれは神技だと思った。
勝ち負けはともかくとして、その技のすばらしさは、人間の可能性を想像させる。
オリンピックは可能性の限界を次々と超えていく人間の姿を映し出

思うようにならないから

2012年07月28日 | Weblog
思うようにならないから

女子サッカーを見ていてそう思った。
思うようになるなら、試合にはならない。どうなるのかなという好奇心がわくのでテレビ画面にかじりつくのである。しかし自分のゴールは見えてほしいと願うのもまたこれ自然。
やはりすべては神の御手にといえば、飛躍しすぎるかもしれないが、でもそれがホントだと思う。
思うようにならなくて、思い煩うことが人生なのか。そうかもしれない、しそうでないかもしれない。う~ん。分からんな。人生ってやつは。

プヨンソック

2012年07月27日 | Weblog
プヨンソック

釜山駅からバスに乗って太宗台までは30分そこいらかかる。案内所ではそう説明してくれた。地下道をくぐって駅と反対側からバスに乗った。

太宗台はウイークディのためか、がら空きでバスを降りたのは私を含めてたった3人だった。1人で歩いてもよかったんだが旅は道連れのほうが楽しいので、思い切って2人の娘さんに声をかけた。
韓国語はまるで分からないから開き直って日本語で話かけたら日本語が帰って来た。僕は急に嬉しくなり、話しても聞いてもわからない中で言葉を通して心を通い合わせることができて胸のつかえが1ぺんにおりた感じがして生き返ったのだ。
彼女はイマ、ソウル近郊の日本企業で働いていて日本はしたしみを感じるらしい。仕事の話はさておいて話題は旅の話になって佳境に入った。

3、40分も歩いただろうか、パンフレットで宣伝されている人魚の像のある島の突端についた。そこはほんの小さなスペースで下は崖をなして海である。高台にあるから眺望はすばらしい。 よく晴れていたら対馬が見えるとか。それは実感としてわかる。
島を1周する形で道を進んで行くと、下に降りる道があり、遊覧船があった。
彼女たちは乗るつもりらしい。

2人で話す言葉は韓国語だからさっぱり分からないがチェさんは乗リませんかと声をかけてくれた。わたしは1瞬ためらった。と言うのは今回の旅行は誰にも言わないでおしのびできているからだ。
実は太宗台公園には伝説がありそれをしらべて作詞作曲をする取材が目的なのだ。日本の題名は夫恋石(韓国語でプヨンソック)これはここに伝わる伝説を土台にして何時の時代も変わらない美しいが悲しい夫婦愛の物語を歌に載せたかったのである。

もし海で舟でもひっくり返ったらどうなるか、いやな思いをするのはかなわない。こういう気持と乗りたい気持ちが交錯したのである。
彼女は既に切符を買ってくれた。 「カムサハムニダ」ありがとう僕。はお礼を言って乗船した。

心が通じ始めるとここが外国、韓国だと言うことを僕は忘れた。時間は短かったが時を忘れて3人は語り合った。仕事のこと、流行のこと、恋人のこと若い女性だから当然の話題である 。

あっという間に時間は過ぎて太陽は傾き始めていた。彼女たちは今からソウルへ帰る。僕は今夜の飛行機で日本に帰る。バスの道は同じ方向だった。僕は空港に向かうためナンポドンでおりた。彼女たちはわざわざバスを降りて空港行きのバス停まで送ってくれた。

バスは発車した。彼女たちの姿はどんどん小さくなる。一番後部の席に腰掛けて僕は手を振り続けた。周りの人たちは僕の奇妙な仕草に何事かと目を注いだが、僕は恥ずかしいという気持ちよりも彼女たちとの別れの寂寥感に包まれていたので、何も気にならなかった。

2、3,分のうちに姿は見えなくなった。僕は正面向いて座り直した。そしたら涙が1筋スーット頬を伝った。空港に着くまで僕は今日の出来事を何回も何回も繰り返しては何とも言えない気持ちになった。まるで愛しい人と別れたあとで味わうかのように、切なくて甘くちょっぴり寂しさの混じった 初恋の味とでも言うのか、満たされながらも寂寥感の漂う気分だった。

それはもう10年も前の旅の思い出だが、今も心の中で輝いている。まるで昨日のような鮮やかさで。

こういう思いの中で夫恋石プヨンソックは詞も曲も生まれた。朝鮮の伝統的な哀しさ切なさをメロデイに込めたつもりである。
明日はインターネットラジオで、渡久地正信先生とプヨンソックの話をしようと思う。

困窮こそが

2012年07月26日 | Weblog
困窮こそが

創作家の発想の原点は、直接であろうが、間接のであろうが、経験律である。
全くの無から有は生まれない。自分が想像をし得ないものを、どうして現実に、創造しえようか。

こう考えるならば、創作家は様々な体験を通してこそ、創作ができる。その体験も、己を苦しめる重圧こそが、自分を鍛える。そして作品にパワーを与えることになる。
身近なところで例を挙げれば、作曲上の師匠、
山田耕筰先生も、渡久地正信先生も貧乏果て無しの生活をされた時期があった。と聞く。
そして、話を聞いていると、このその苦しみがパワーになって、良い作品が生まれてくる。

山田先生は1時期、生活に困られて、小学生時代に、今でいうアルバイトをされたことがあるらしい。食べ盛りの少年はお腹をすかして、ひもじさに耐えられず、カラタチの実を食べたそうである。
カラタチの実は、とても食べられる代物では無かったと苦笑された。
後年、この体験を北原白秋にしたら、白秋は、カラタチの花を作詞した。それに僕が曲をつけて、「カラタチの花」が、出来あがったと、もうされた。
苦しい自己体験が、名作を生むきっかけになっているのである。

東電に乗り込んで

2012年07月25日 | Weblog
東電に乗り込んで

菅氏は事故翌日の昨年3月12日に第1原発視察を決めた際の心境を、「情報が的確に上がってこない。どこで情報が詰まっているのかが見えない中で、現場の責任者ときちんと話をすることが重要だと感じた」と説明した。

同原発の吉田昌郎所長(同)との面談を「ダイレクトに一番現場のところの判断が伝わる、そのパイプができたという意味では非常に役立った」と自賛。「最大級の原子力事故という認識は、最初からあった」とも述べている。

また、政府、国会両事故調でも非公開だった細野氏の聴取内容も公開。昨年3月15日に東電の清水正孝社長(同)の「退避」の申し入れを「全面撤退」と受け止め、統合対策本部を設置した菅氏の判断を「本当に驚いた」と振り返り、「法律には書いてないかもしれないけど、東電に乗り込んでそこでやるしかないという判断は、日本を救ったと思っている」と評価している。菅氏は事故翌日の昨年3月12日に第1原発視察を決めた際の心境を、「情報が的確に上がってこない。どこで情報が詰まっているのかが見えない中で、現場の責任者ときちんと話をすることが重要だと感じた」と説明した。

 同原発の吉田昌郎所長(同)との面談を「ダイレクトに一番現場のところの判断が伝わる、そのパイプができたという意味では非常に役立った」と自賛。「最大級の原子力事故という認識は、最初からあった」とも述べている。

 また、政府、国会両事故調でも非公開だった細野氏の聴取内容も公開。昨年3月15日に東電の清水正孝社長(同)の「退避」の申し入れを「全面撤退」と受け止め、統合対策本部を設置した菅氏の判断を「本当に驚いた」と振り返り、「法律には書いてないかもしれないけど、東電に乗り込んでそこでやるしかないという判断は、日本を救ったと思っている」と評価している。

直接タッチしないで傍観者的な立場に立っていた人達は菅さんの心情が全然理解できていないと僕は思う。考えてもみたまえ。東電のあの体質がどれほど無責任で役立たずであったか判るはずだ。おそらく菅氏が怒鳴るまでは必死感がどれほどあったか、本社関係の役員が危機にタイしてどう動いたか。実績を見るがいい。

国家が原子力事故危機管理体制をもち、それにしたがって直ちに行動を起こす体制が政府内に確立されていたか。当時は何も無かったでは無いか。
何かをしなくては国民を救えない。総理だったらそう考えるだろう。当事者である東電には現場を除いては、うろたえるばかりでしっかり対応が出来たのか。そういう状況の中で、必死になって動いたのが菅さんで、ほかに誰が行動したのか。見てみると傷が付かないようにうまく立ち回った連中ばかりでは無いか。僕はあの場面では菅さんの行動は適切だったと思っている。

批判する連中よ。君なら具体的にどういう行動をしたか。それによってどういう結果がでたのか。あのような最悪条件下で。君のやることは菅さんよりはもっとお粗末な結果を生んだかも知れなのだぞ。その辺を心得て発言するが良い。
隣にいて一部始終を見ていた細野氏の菅さんにタイする評価は正しい。

インターネットラジオで語る

2012年07月23日 | Weblog
インターネットラジオで語る

作曲家 渡久地正信先生の思い出

昭和20年後半から,30年代に国民的ヒットを飛ばした日本の叙情作曲家
渡久地正信先生の思い出を OMBC松原インターネットラジオ で放送します。パソコンで OMBC松原インターネットラジオ  と検索をして
画面左上の枠の中をクリックすると簡単に聞けます
今月28日夜7時から8時までの1時間です。アナログ横町という番組です

年配の方々はよくご存じだと思うが、
上海帰りのリル  お富さん 待ちましょう  東京アンナ 踊り子
池袋の夜 長崎ブルース  島のブルース など沢山の名曲があります。
28日は日本作曲家協会の旅行、熱海の旅館で語り合った想い出を中心に話そうと思ってます。当時は会長が吉田正先生、横に服部良一先生など有名な先生方の飲めや歌えやの楽しい時代でした。

渡久地先生は日大の芸術学部卒の本物のミュジックコンポーザーです。ご自身の手で編曲される方で、いまはやりのソングライターではありません。
僕は先生の著書「島どうわん宝」を読んで先生の反戦平和の主張に大きな感銘を受けました。また先生はその気持ちを沖縄摩文仁丘の平和祈念堂で流れる沖縄平和祈念讃歌の作詞をされています。その作詞の気高さ、格調の高さはいくら称賛してもしすぎることは無いと常々思ってきました。作曲家の純粋な魂の著は、ピース大阪に寄贈しておきました。

沖縄平和祈念像讃歌
 諸人の願い 天地もなびく
 今 みなが郷に 諍いを捨てん
見よ、白雲の果て 聖なる空に
沖縄の風 さやかに歌う
        渡久地 政信 作詞
    
摩文仁の丘に開堂された沖縄平和祈念堂に流れる「沖縄平和祈念像讃歌」である。    
「お富さん」「踊子」「上海帰りのリル」など、昭和20年後半から30年代にかけて、一世を風靡した名曲の数々を作られた、高名な作曲家渡久地政信氏によって作詞されたものである。

私は初めてこの詞に触れたとき、心が震える思いがして、胸が熱くなった。
 なんとすばらしい詞なのだろう。どこまでも透き通る深さがあって汚れなき魂の人の、心の内からなる叫びとでもいうたらよいのだろうか。
この詞を詠む心境はとても世俗に、慣れ染まった通常の人間のそれではない。
 宗教哲学の雰囲気が漂っている。欲も得もない唯ひたすら、心の中にある一つの想念を、思い続けたときに、瞬間的によぎるひらめき。
その珠玉の言葉が光を放って詞になり、言葉は芳香をはなって詞を構成している。
この地上にある人類は、争いをしつつも、一方では、心から平和を望んでいる。人々の純なる願い、平和を求める気持ちの集合体。その声には、天地もなびくであろうし、鬼神も耳を傾けざるをえないだろう。
8分しか持ち時間は無いが、こういうことも話そうと思います。良かったら聞いて下さい。

いじめ事件問答

2012年07月22日 | Weblog
いじめ事件問答

1,「教師が警察力を利用すれば激減する」と識者指摘

僕もそう思う。犯罪として警察が本気で取り組めば暴力団対策よりも早く効果はでる。

2, 世間を騒がしている大津のいじめ事件における「警察の動き」を国民はどう見ているだろうか。おそらく、多くが「いい加減にしろ」と思っているに違いない。

今回の警察の措置は法的にも心情的にも許せない。
担当者、責任者、署長の無責任さは指摘するまでも無く、国民に土下座して謝れ。

3,自殺した中学2年生(13)は、殴る蹴るはもちろんのこと、「自殺の練習」をさせられ、死んだハチを食べろと命令され、亡くなる前日にはマンションの自室も荒らされていた。

これがどうして犯罪にならないのか。完全に刑事事件では無いか。
 
4,その父親が息子の死後、暴行の「被害届」を出しに大津署に行ったが、3度も「受理してもらえなかった」というのである。市民の生命と安全を守るべき警察が、死んだ息子の無念を胸に相談にやって来た父親を3度も“門前払い”にしているのである。

市民警察としては無責任きわまりない。国民にむかって雁首そろえて不明を謝罪しろ.給料を返上しろ

5,単に「いじめ」といっても、それは千差万別だ。中学生ともなれば、学校の先生を腕力で凌ぐ生徒などいくらでもいる。また、やくざの息子もいれば、平気で先生を脅すような親も少なくない。

現実はそうである。今は親が簡単に加害生徒をたしなめる時代か。とっくにそん家庭教育は消え失せて、如何にして悪ガキを守るかの抗弁ばかりだ。現場にいないとこういうことが判らない。

6,「いじめをなくす」という非現実的な目標をまず放棄すべきです。

何の力にも成れないくせに、教師という集団は「いじめをなくす」など無責任なことを言う

7,「すべての学校からいじめをなくす」(文科省の目標))のは「日本社会から犯罪をなくす」のと同程度の空疎な理想論であり、実現可能性はゼロでありましょう

当然のことだ。ことを冷静に見ている人ならばそのように判断しているだろう。

8, ある人数の人間集団ができれば一定の割合で反社会的人間、ルールを守らない人間が存在することは避けられません。

人間とはそういう存在である。だからそれ相応の対策を社会体制として根付かせることがひつような

 9,教育現場だけに特別な理想論を唱えても仕方ありません。
 いじめや校内暴力を「なくす」など教師に求めても、そんなことは永遠に不可能であり、ぜいぜい書類上「いじめの発生はゼロ」と上位機関に事なかれ主義的に偽りの報告するという悪習がはびこるだけです。

僕も現職の時に報告書は何時も「いじめの発生はゼロ」そう書きました。実際の事をかくとたくさんの詳細書類を要求され、役人のために報告書を書くなんてナンセンズで何時も同じ形式のいじめ無しを判子で押したように書いていました。
これが現在の学校の実態です。これでいじめがなくなると思いますか。いじめという犯罪を学校の力でなくすなんて、戯言で犯罪は警察の所管事項です。
メインは警察、それを補助するのが学校。これしか在りません。

いじめは警察の管轄

2012年07月21日 | Weblog
いじめは警察の管轄

保護者、生徒、学校、教育委員会 これらでいじめが止まるとでも思っているのか。いじめは本能の一部で全員がいじめを起こす、受ける要素を持っている。それに組織体は原則として面倒なことは関わりを持ちたくないように力が働く。文科省がどんなに指導してもいじめ根絶は出来ない
。いじめが犯罪というのならすべて警察に委ねるべし。主体は警察で学校は最大限の情報提供して協力すれば激減するだろう。
警察よりは教育だと言うのは悪ガキを前にしてはしゃれにもならない戯言だ 。

文科省をトップとしていい加減に目を覚ませ。警察力でガキを抑えるしか無い学校は無力である。ふりをしたり責任回避には熱心だけど、命をはっていじめをトメル熱血教師など漫画の世界の出来事だ。現実を見よ.
いじめは警察の管轄.

いじめは犯罪だから警察の問題だ

2012年07月20日 | Weblog
いじめは犯罪だから警察の問題だ


生活指導を20年間現場で行ってきた経験から言うと、
学校がいじめを封じ込めるのは不可能である。
1,加害者被害者の家庭と連携をとれるわけでは無い。
2,子供からの申告を待っていても必ず連絡が在るというわけでは無い。
3,予兆は必ず見つかる物ではない いじめの予兆を判断するのはとても難しい。教師は無理である。
4,子供からの申告があっても教師が対応できない
5,いじめを狭間に担任、主任 校長 教育委員担当者、教育委員会
教育庁の判断など関門が多すぎる
6,このいくつものバリアといじめとは何の関係があるのか。組織上の問題だけだ。
7,いじめはれっきとして犯罪で在る。所管は検察である。こういう原則を考えるといじめー担任ー生活指導会議ー校長ー教育委員会担当者ー教育委員会の壁はいじめの早急対策にはほど遠いシステムである。現実にはうまく機能してない。大津事件はその典型である
7,いじめは警察が担当して、いじめに関する情報を学校が提供する。警察と連携を密にして、毎月少年課の警察が全校集会で月一回講習会を開き情報交換をする。いじめの犯罪性を教え込む。
そして先手を打っていじめの芽を摘む。おそらくこれがいじめ撲滅の方法だろう
8,学校の教育問題といじめはかけ離れているから警察所管にすることである9,学校に任せると教師によって判断がちがうから今回の大津事件のような問題が起こる
10、ここのところは現状を根本的に改めなくてはいじめは闇に隠れておそらく絶滅は不可能だろう。担当教員や校長や教育委員会に任せては 判断が分かれたときには結論得にくい。行動が取れない。担当部署の大改革をやること意外に根絶は出来ない。

伊勢正三さん

2012年07月19日 | Weblog
伊勢正三さん

曲を作ったが気に入らないので、さいしょから作り直した。時間は明日までしか無い。勿論徹夜で作った。午前五時ぎりぎりに推敲した。最後には音楽の神様がおりてきた。こうして切ない別れの歌が生まれたこういう曲は魂がむき出しになる
普通人が感得出来ない異常な世界だ。そういう世界の中に分け入り作品を作るのだ。才能はおおありだが、それに神秘の世界が加わる。そして作品が出来る。

経験したことのある人には判ることがだ経験の無い人には判らない世界のことである。だが結局名曲は出来たのだ

立場が言わせてる

2012年07月17日 | Weblog
 立場が言わせてる


政府は16日、将来のエネルギー政策に関する3回目の国民の意見聴取会を名古屋市で開いた。前日の仙台市での聴取会に続き、電力会社社員を名乗る男性が、原発を擁護する意見を表明。会場から「やらせだ」「回し者」といった批判が飛んだ。その通りだ。鈍感な企画だ
 
社員なら心ならずも擁護論をぶち上げる意外には無いだろう。よほどの人で無い限り社員自ら反対論を唱えたら、人は何という?。苦しい胸の内を察してあげよう。と皮肉の1つもも言いたくなる

定年後破産」を防ぐには

2012年07月15日 | Weblog
定年後破産」を防ぐには子供独立後の家計見直しがポイント

普通のサラリーマンでも赤字に転落するケースがある。1度目は大学進学など子供の教育費がかさむ時期だが、そこを乗り越えたとしても、まだ安心はできない。サラリーマン家計に潜む危険ポイントについて、「家計の見直し相談センター」の藤川太氏が解説する。
ようやくホッとできるはずの「定年退職後」にやってくる。
頼みの年金(老齢厚生年金)の支給開始年齢が段階的に繰り下げられ、男性は昭和36年4月2日以降、女性は昭和41年4月2日以降に生まれた人は、65歳にならないとまったくもらえない。60歳で定年退職を迎えると65歳までの5年間は年金が支給されない空白期間が生じるのだ。
貯金を食いつぶすか継続雇用してもらうかだ。退職金を食いつぶすと言っても、生活費は月20万に抑えても年間240万円、4年間で1000万円を食いつぶすことになるそれから年金を貰っても退職金は食いつぶしていくしかない。
年金を貰ってもそれを上回る支出があり、恒常的に赤字が続いていくのが平均的姿なのである。
長生きしても心細い限りである。これが世界第二位を誇った経済大国の姿である。
こんな状態では希望が持てない。人間は働いて生活するのが一番だ。国家のシステムがどこか変だけど、そう思って生きるしかない。馬鹿な政治家に委ねると老後まで不安を持って生きなくては成らない。
国策として年金受給時まで雇用は継続することを義務付けること。ただし定年以後の給料は半分くらいにして、週休3日制にして労働単価に見合う働きをして貰うが良かろう。人生の終わり近くで不安にさらされるような事態だけは避けなければならない。








慣性の問題か

2012年07月15日 | Weblog
慣性の問題か


今まで見た内で記憶に残るのは「桜田門外の変」だった。水戸藩にも徹底した反井伊派もいれは、慎重派もいる。藩全体で反幕府に傾いていても、過激なのから穏健派までいろいろである。特に過激派は一端火が付いてしまうと、情勢に合わせてうまくコントロール出来るのは、至難の業で、これは原子力発電を思いださせる。
原子力発電も一端起動し出すと、トメルのは至難の業である。体制はストップに流れても、どこかに残り火のようにくすぶり続けるものを残す。
方向転換と言っても、現実には中々うまくいかないもsのである。

何だろう計算の結果だろうか。それとも慣性の法則による惰性だろうか。人間が持つ保守性だろうか。人間対人間の問題も人間対物の関係もよく似ている。

ライブ会場にて

2012年07月14日 | Weblog
ライブ会場にて

歌手はキーボードを引きながら、マイクに向かって歌う。
髪型は、目立つようなぼあぼあの頭
衣装、奇抜ではないが、色柄が目立つ。
歌  今ふうのメロディーだらだら節
リズムにパンチをきかせて聴衆の身振り手振りを誘う、
会場入口でCGを販売しているが、もう一つ売れるような気配は無い。
聴衆は当局というよりは、エネルギーやストレス発散の場として、歌や歌手の様子なのは、問題にしない、

これがライブ会場だから、ぼくなどはどうでも発表のしかたが、あるのだろうか。

ここでは、エネルギーやストレス発散を歌によって行って、いたのかもしれないが、感情を伴うものではなかった。

ずっと昔若いときに、歌を聴くと、それを心の中で消化しては、長い間、歌い続けた。

カラオケやBGMのない時代、仕事や勉強する時には、無意識のうちに向かっていた。今英雄、BGMになっていたのだろう。

時代は変わったが、人の心の中は何も変わっていない、と、僕は思う。

偶然かもしれないが、今日の歌手も、人生は、今も昔も変わっていない、と、歌っていた。

10-62少年仏師

2012年07月13日 | Weblog
少年仏師

夕方4チャンネルTVを見ていたら、少年仏師が取り上げられていた。少年は高校生でありながら、お寺のふすま絵もかいた。彼の9才の頃に描いた仏画
の巧みさには驚いた。天性のものを持っている少年で、ある種の天才だろう。
仏像を彫刻する中高年の中でもモテモテで、どの人も彼の天才ぶりを認めている。
彼曰く「木の中に仏様が見えている」 彼にとって仏像を彫ると言うことは木の中に存在する仏様が木からでやすくするために、周りの木を彫って取り除いていく。そうすると、中から仏様が出てくると言うのである。不思議と言おうか、天才と言おうか、普通の人は同じ彫刻刀を持っても、そこまでは行かないのが当たり前でそれ以上は、不思議の世界になる。

京都の有名な仏師松本師は次のように言う。
「この木の中には仏さんがおられる。早く余計なものを切りとって仏様をでていただくようにしなければ。」
仏師と言われる人には皆こういう現象が起きているのだろうか。
物理的には木の中のことが見えるはずは無い。だけどこの少年仏師にも松本師にも同じ現象が起きている。心眼では見えているのである。
「見るものが見れば分かる世界」なのだろう。が、普通人にはこういう現象は起こらない。
少年は仏像芸術家になりたいと希望する。そして松本師は早く彼の工房に少年が弟子入りしてくるのが楽しみだそうだ。

こういう現象を見ると仏像彫刻に限らず、芸術の世界は、宗教の世界と渾然一体としていて、それを彫刻で出すか、音楽で表現するか、絵画に表すか、によって芸術のジャンルが分かれるのだろう。
宗教世界が根底にあって、それが多種多様な形をとって普通人には芸術として提供されるのだと思う。
だから芸術を生み出す母胎は宗教であると僕は信じている。