日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

日本IBM元社長が盗撮

2012年08月31日 | Weblog

日本IBM元社長が盗撮

> 日本IBMというと,名の通った有名大企業だ.
> そこの社長が、女性の股ぐらを盗撮したとして、書類送検されたと新聞は報道している。

男なら誰しもそちらの方の関心はあるが、動物のように、本能の赴くがママにというのは、恥ずかしいことである。それは社会的地位が何であろうと、
盗撮によって、即 品性を自分で下げたということになる。

彼の場合退職したとは言うものの、大会社のトップにいた人物である。この男, プライドがないのか。
彼が分別のつかない低脳とは思えないが、情けないにも程がある。そこらそんじょの僕でも興味なしとはしないが、行動するとなると、まずプライドがひっかっかってくる。そこに品性の問題も、頭を持ち上げてくる。道徳心など様々な要因が引っかかってきて、とても出来る行為ではない。

有名企業の元トップでは立場上と言うこともあって、どこかのおっさんがやったことでは、済まされないだろう。恥ずかしげもなく、よくもまあ盗撮など下品なことをしたものだとあきれる。
そういえば近頃法の番人である警察官が、教育者たる教師が、強姦事件を起こしたり、日本社会はいったいどこまでモラルが落ちているのだ。

世の中には決まりがあって、いくら関心や興味ガあっても、やっちゃいけないことがある。それは最低の道徳である。人の上に立つ人ならば、当然高いモラルが求められる。それにこたえることなく、いい年をして女性の股ぐらを盗撮した、では恥もモラルも超越した、馬鹿だとしかいいようがない。
ずいぶん勇気のいることをして赤恥かいて、今までに築いてきた社会的地位をふっ飛ばして。君は勇気のある、たいした大馬鹿者だよ。  実に情けない。
女房にどんな顔を見せるのか。家族の顔に泥を塗って。愚か者。
>

散骨

2012年08月30日 | Weblog
散骨

平安時代は、庶民が亡くなると、都では化野や鳥部山付近に、うち捨てられていたらしい。葬式を済ませた後、遺体は埋葬も火葬もされないで、捨てられていたらしい。その惨状を見た弘法大師が死体を土に返すべく土葬にしたそうな。
それ以後どうなったのかは判らないが、お骨は土に返すものという信仰が生まれた。例えお骨の一部でも墓に埋めて土に返す様になったようである。

近頃散骨という言葉を耳にする。遺骨を木の回りにまいたり、川や海などの水に流したりすることがあるらしい。土に返す人や、墓にこだわりを持つ人にとってはちょっと違和感がある。
確かに墓いらずで、合理的かも知れないが、僕のように死後の世界を信じ墓にこだわる人間には、散骨などはおどろおどろしい。
やはり従来通り、盆・彼岸などの墓参りは、単なる風物詩ではなくて、もっと意味のあるものだ。
世界には風葬、鳥葬、土葬 火葬 水葬など色々あるが、墓というと日本全土に行き渡り、それは亡きご先祖様を、偲んだり供養したりする対象物として仏壇と墓だけは必須だと思う。

死んだら人間でなくなるからというのは1つの考え方である。しかしそれは肉体面だけの話で、魂の部分については触れていない。人間は死んだら肉体も精神もなくなるのであろうか。僕は精神つまり魂はなお生き続けると思うので
魂の居場所が必要である。つまり墓が必要なのだ。

昨日TVでお迎えが来るという話をしていた。死期が近くなるとお迎えが来るような気になる仕組みが人間の体内に組み込まれていてそれが現実に現れると医者は科学的な判断を下すが、霊の交換によってこういう現象が起こるのか
どうだか、それは判らない。 
さて散骨についてだが、僕の立場からすると、散骨は環境汚染になり、散骨された近くの他人が気持ちよく思わないから、やめた方がよい。宗教に帰依する心が薄まり、墓といえども高額な費用を要するとなると、散骨主義者が増えるかも知れない。これもご時勢である。

素晴らしいお人柄だ。7-8

2012年08月29日 | Weblog
素晴らしいお人柄だ。

母親一人に、子供が一人。生活は苦しくって、大家さんの家で、食べる物をもらったり、家賃を滞納したり、まけてもらったりする生活であった。

高校へ行ったが、趣味の音楽に没頭した。そうこうするうちに、母が、肝臓がんの患いで、1ヶ月ほどで亡くなった。その実感はまるで、交通事故に遭って、亡くなったものに等しかった。

それから少し道をはずれた生活を送っていたが、そんな彼の心に変化を与えたのは親友の一言。「こんなことしたらアカン。」であった。彼は人生の何かに気がついたのであろう。

それからの生活は、感謝一色に、彩られるようになった。すごい心の変容である。そんなお人柄だから、現在は、会社を経営し、部下を持っているが、身についた感謝の気持ち、言葉ありがとう、がよく口からついてでる。
「この感謝」によって、人の輪がさらに広がり、人生を広げた。

口では簡単に感謝というけれど、普通は自然に、心に湧き上がってくる不平不満の感情を克服したり、転換したりするのは大変なことである。

決して、恵まれた。幼年青年期でなかったが、彼が全てを感謝の気持ちへと心の転換を行ったのは、それだけでも、称賛に値する。

幸せな人生というのは、いつも感謝の気持ちで満たされているということだ。
僕は、宗教の究極の目的は感謝する心がどれだけあるかだと思っている。何を信仰しているか。ということではなくて、達した境地がどうなのかということである。

僕も人生の究極の目標は、感謝という気持ちが、心から溢れでる人生であって欲しい。とねがう。

10-22風情と品格

2012年08月28日 | Weblog
風情と品格

日本人。それも中高年になると、どこかしら日本のふるさとを探したくなるものだ。都会の生活に慣れそまり、満員電車と無機質なビルでイングで仕事に明け暮れすると、子供の頃に育った田舎や、ゴールデンウイークなどに訪れた地方の田舎がなんとなく、心の安らぎの場所として心に残ることがある。

さしずめ京都辺りは如何だろう。
振り袖などと言う大げさな着物でなく、浴衣のような軽い着物を身につけて、土塀が連なる東山辺りや京都の歴史の匂いが色濃く残る嵐山・嵯峨野の辺りを散策すると、心の中に日本人の心のふるさとがよみがえる。

京都はまだ大都会だが、奈良まで足を延ばすと、もっと日本の原風景が広がる。保存された自然ではなくて、ありのままの自然がまだ残っている。
その自然は四季に衣替えをして季節を知らせてくれる。
日本人の体質はこういう自然の中でできあがってくる。

最近隣国がざわついている。どれも降りかかった災難みたいなもので、火の粉を払うのに精一杯だ。紳士的な振る舞いは、時によったら軽く見られる。何があろうとも、毅然とした態度が必要で、直ぐ大人の対応が叫ばれるが、品位のないものには、ある程度品位を失うような応対も必要なのだ。こちらが紳士的にでると、向うも紳士的な態度をとるというなら、話は別だが、紳士的態度を弱腰とみる、品性を欠く連中にはなめられる 。

日本人は本来四季に育まれ、花鳥風月を愛でる民だ。どうして他国の領土をそれは俺のものだ、という心境になれるだろうか。俺のものだから俺のものだと
主張しているに過ぎない。しかしこれは隣国には伝わらない。情けないことだ

原子力規制委員会の委員長に田中俊一氏

2012年08月27日 | Weblog
原子力規制委員会の委員長に田中俊一氏

政府は、新たに発足する原子力規制委員会の委員長に田中俊一・高度情報科学技術研究機構顧問を起用するなど委員5人の人事案を閣議決定。

「21世紀社会の様々な課題と不確実性に柔軟に対応し、人類社会と地球環境が希求する技術を生み出す創意に満ちた原子力科学の研究開発活動が行われる政策を企画し、推進します。」と彼は言う。

一番問題なのは、彼は原子力を人間の力でコントロール出来ると主張する。
福島の事故をなぜコントロール出来なかったのか。答えは歴然たるものじゃないか。現段階ではコントロール出来ない。これが現実ではないのか。
もし彼がコントロール出来ると言うのならどうして福島事故を防げなかったのか。それ以前に東海村の事故だってあったじゃないか。
あの事故から何も学んでいないじゃないか。もし学んでいたとしたら福島事故にどう生かしたのか。

今やっていることは除染だと。こんな人物に、これでは原子力の重責と安全をまかす訳にはいかない。地震を含めた自然災害 、テロによる人災。これらによって第二の福島事故をが起こったら国家がつぶれる恐れもあるのに、出来もしない原子力コントロールを可能だという学者に、どうして国民の絶対安全を任すことが出来ようか。選ぶ方も問題ありだが、辞退もせずのうのうと名乗りを上げるとは、あきれたことだ。
安全という観点から見ると、彼は危険人物だ。今回は不適当な人事だ。
絶対反対。 原子力規制委員会の委員長に田中俊一


10-32永遠の愛

2012年08月26日 | Weblog
永遠の愛

詩や文章では見かけるが、現実この世において、果たして永遠の愛なるものが存在するのだろうか。
愛なんて、僕の理解では幻である。ふとそういう気になることはあっても長続きはしない。これは誰が悪いわけデモナイ。生々しいの現実から見ると、それは幻といっても良い。

詩人や作詞家や小説家がそういう言葉に、さも実があるかのように創作の中で永遠の愛という言葉を使うが、これは商売道具なのだ。

それを心から信じて永遠の愛を貫こうとした人もいるが、僕からすれば、ご苦労さんである。

37度の直射日光

2012年08月25日 | Weblog
37度の直射日光

8月も20日を過ぎているというのに、37度ある。直射日光は刺すように暑い。

僕は8月のインド旅でナーランダへ行ったときに、42度の体感経験がある。 喉が渇いてペットボトルの水を飲むと、それが同時に、腕に汗がつぶとなって吹き出し、とても直下日光を浴びるわけに行かなかった。それでも木陰に入ると日光が遮られるせいか木陰の安らぎをえた。あの吹き出した汗はさっと引いていく。木陰は何度あるのだろうか。日陰は3,4度も低いのではなかろうか。

> 日光を浴びながら往復30分の道のりを歩いたが、ナーランダ同様立ちくらみのような暑さには耐えられず、木陰を求めて急いで歩いた。
>
> 日本の近頃の気温は確かに昔と違っている。ヒートアイランドそのものだが、地球全体が気温上昇を始めているとすれば、これからは農作物や漁業に大きな影響を与えることだろう。そのことがこの暑さから教えてもらったような気がした。
>
>

校長の責任とは

2012年08月24日 | Weblog
校長の責任とは

大津のいじめの在った学校では、生徒のいじめだけでは無く、教師に対しても暴力事件があった。小指の骨折以外に五箇所傷害被害を受けていると言う。
この事実は今まで隠されていた。明らかに傷害事件でありながら、被害届を出さないというのは、どういうことか。
学校の体質ということでかたづけられるということは犯罪を覆い隠すということだ。

部下が被害を受けているにもかかわらず、それを隠そうとする校長は部下を持つ資格があるのか。部下に対してどこに責任感があるのだ。?

この際全国の校長にきいてみたい。部下の傷害被害にどう対処するか。

私見では大津の問題中学の校長は全くその職責を果たしておらず、校長の資格はない。何らかの責任をとらせることが、けじめとして大切ではないか。


軽く言う

2012年08月23日 | Weblog
軽く言う

俺が責任とればいいんだろう人は割合軽く言う
責任をとるということは一体どういうことなのか。
おそらく言葉だけでければ良いと思っているのではないだろうかそんな場合もある

しかし責任をとるという手前にこういったことで命を投げ出す場合だってある。財産を失う場合、職場を失う場合もある。
かなりそれは重いものであるから軽々しく口にする言葉ではない。
軽々しく口にする連中の責任感ははったりで元々責任をとるという自覚が無い。

10-33歴史上の名言を味わう

2012年08月22日 | Weblog
<歴史上の名言を味わう

「ぜひに及ばず、   織田信長」
信長という人物をよく知るわけではないが、単純明快でいかにも信長らしい
おそらく並外れた非常識人でお付きの人は大変だったろう。

「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆくわが身なりけり、石田三成」
関ヶ原の戦いに敗れて,とらえられた石田三成が身近に迫る我が身の運命を予見して詠んだ心境だろう

「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。 杉原千畝 」

いいえ本国の意志に反して、人道を貫くというのは、大変勇気のいることです。貴方によって、ユダヤ人が五千人以上、命を救われたのです。国命か、人道か。あなたは素晴らしいことをされました。無残に消される命と、ドイツに加担した日本政府本国の命令と、その重さを考えるとき、私ならどちらを選んだだろうか。躊躇無く貴方のような決断が出来たかどうか。迷うところではあります。でも最終は貴方の下した結論に、達したかも知れません。だがこれは、机上で考えたことです。実際のところ、自分の事ながら、迷い廻ってどういう事になるやら、判りません。ただ僕は貴方の、この決断と行為を高く評価いたします。


「私は大人げないことに、最後まで上杉謙信に頼るということを言わなかったため、和議を結ばないままに終わった。お前は必ず上杉謙信に敬意を表して頼りとするがよい。上杉謙信がそのように評価してよい人物である。  武田信玄」

そうだと思う。もし勝頼が謙信を頼っていたら、日本の歴史、とりわけ戦国史は変わっていた事だろうよ。謙信は信玄が言うように、歴史的に見て頼りがいのある人物だ。と僕も思う。


「孤軍助け絶えて俘囚となる。顧みて、君恩を思えば、涙。さらに流れる。また、義を取り、生を捨てるは我が尊ぶところ。快く受けん 電光3尺の剣
ただ、まさに、1死君恩に、報いん 。近藤勇」

近藤さん。赤心はいい。誠こそ、そして報恩こそ男子の本懐かも知れないが、
方向が違うのじゃないの。歴史の流れを食い止めようとしたって、そりゃ無理だろう。冷静に歴史の流れを見なくちゃ。暴虎馮河になってしまうよ。

我人に媚びず、富貴を望まず、 黒田官兵衛
あの世のことはなるに任せて

聖徳太子も素晴らしい。だがより身近な人として、如水の生き方を生きようとおもう。特に地獄極楽を詮索せず、「あの世のことはなるに任せて」と言う言葉が良い。

おかげ参り7-14

2012年08月21日 | Weblog
おかげ参り


おかげ参りというのは、良いもんだね。クマサン。江戸時代の人も、明治の人もこうやって、全国からお詣りにしたもんだ。

クマ
ハイよ。式年遷宮というのを知ってるか。

よく聞いてくれた。これは20年に一回場所を隣に移すことなんだよ。
そりゃ神さんだって、同じ所にじっと鎮まっているのは、退屈でしょうがないからね20年くらい経つと神様も、しりのあたりがむずむずして場所を変えないと落ち着かない。そんな状態で、腰を落ち着けて、日本国民の安泰を守ってやろうと思ってもちょっと無理なんだろう。
クマ
そうかもしれん。俺なんか元々落ち着きのない方だから、二時間座れば、あしがむずむずして落ち着かないよ。気分転換にとにかく外に出るよ。

それだよ。それそれ。天照大神様もお前と同じで、腰を落ち着けてじっとというのは、おそらく退屈なんだろう。あるいはしびれが切れてくるのかも知れない。
クマ
それにしても最近お詣りに来る人が増えていると言う話じゃないか。八百万人がが今年はお詣りに来たそうだ。

確かに増えているとは思うが、熱狂的にと言うわけにはいかんだろう。
俺の調べたところによると、宝永年間には50日間で362万人の人が、お詣りに来たと言うからね。
クマ
ほー。そんなにきたのか。当時はテレビもないし、今のように娯楽は発達してないからね。おそらく一生一度のお詣りだったんだろうよ。それも娯楽じゃないのか。?信仰心の発露が爆発して、、、、とはとても思えないよ

お詣りに来る?江戸や明治の人は、今よりずっと信仰心があったのかな。俺らの先祖は?。
現代は宗教心が薄れてきて、神様も行き先不安を感じておられることだろう。信者が増えると言うことは、まずないだろうからね。くわえて人口の見通しはあと50年もすると、三千万人位減るらしい。大神様はその辺のことが判っているのかな。
クマ
アホな。神様はずべてお見通しだぜ。うーん。ひょっとしたら式年遷宮も、その様子を加味して、盛大に行われるのかもしれない。

そういったって、神様も人間と同じだぜ。お供え物をしたり、お神楽という名のダンスして見たり。こてこてのお世辞を人間からいってもらったり。
クマ
その分はきっと人間が考えたことだろうが、図式は人間とおなじだよな。食べ物(ミケ)で釣ったり、ダンス付音楽を見せたり、お世辞やら、感謝の言葉やら、賞め言葉を言われたり。仕掛けは、もろに人間と同じだ。
クマ
ところで幕末におかげ参りというのが、はやったそうな。何でも天からお札がふってきて、民衆は狂喜乱舞したらしいぜ。

何?天から万札がふってきたと?ホントかい?俺の生まれた時代が悪かったか。そんな話は昭和、平成を通して聞いたことがなかったよ。
クマ
いやいや。誰かが仕掛けたのだろうよ。ぜきかねの話より、一体お伊勢さん参りはいつ頃から、始まったのかね?

よく聞いてくれた。それは平安末期からだよ。それでも全国版になったのは、室町時代の末期くらいからしいね。この時代に伊勢講ができたらしい。それから時代がくだって、江戸時代になると宝永年間から50年周期で、5回にわたって、蔭参りが流行したらしい。
クマ
結局の所は、全ては人間の仕業だね。こんな状態をながめていると、
神様も遷宮したくなる理由が分かる。それにしても、1300年以上も、続いているというのはたいしたものだ。 さすが天照大神様だ。
近頃の若者はアマテラスオオミカミのこの漢字が読めなくて、「テンテルダイジン」とよんだらしいぜ。
学力低下か、それとも宗教心のなさか。どちらでも良いが、天照大神こそは、上は天皇、しもは氏神様の総元締めだよ。いや本家、会社流に言えば 本社と言うことになるか。まあそんなところだね。

延命治療を拒否7-15

2012年08月20日 | Weblog
延命治療を拒否

NHKの「クローズアップ現代」で見たのだが、重い心臓病を持った18才の女の子が自らの意志で、延命治療を拒否して、死亡した話である。

小さいときから、心臓病を患い、ドイツまで治療を受けに行ったが、成果は芳しくなく、十八才になって、治療を断って、自らの命を絶ったのである。

子供を助けたいご両親の気持ちや、看病ぶりを知ると、泣けてくる。また本人の病魔と戦う姿を見ると、気の毒でならない。この世に神も仏もないものかと八つ当たりしたくなる。

ところで、最後に彼女が残した言葉には感動を覚えた。
彼女は言う。
「みんなによくして貰って、ありがとうを言いたい。両親はもちろんのこと、治療をしてくれた先生と看護師の皆さん。ホントによく私の命を支えてくれてありがとう。私は自分の意志で延命治療を断って、死の床につくが、自分は満足してこの世を去ることが出来る。後に残すのは、ただ感謝、ありがとうの言葉だけである。」  

自分の過酷な運命を恨むでなし、思い残すこともなく、ただありがとうと、感謝の気持ちだけを残して、従容として自らの意志で、黄泉の国に旅立つことが出来るという生き方は、これが18才の子供の言うことかと、感心する。そして大きな感銘を受けた。

僕なんか、こんな悟りの次元のような考え方を持って、この世去ることが出来るかと自問自答したときに、彼女が残したように感謝と、ありがとうを、いえるかどうか。自信がない。
大概命に関しては、考え続けてきたとの自負はあるが、そうだと、悟りの境地になるまでには、まだまだ乗り越えなきゃならない山があって、とても彼女の言うように、ありがとうの言葉は出ない。

しかしながら、僕は彼女の残した言葉、ありがとう、という言葉や、感謝の気持ちを残して、自分の人生の幕引きをしたいと願う。
彼女の延命治療拒否は、僕の死のあり方に示唆を与えてくれた。
今でも、在りし日の彼女の姿が目に浮かぶ。

いいわけは見苦しい 

2012年08月19日 | Weblog
いいわけは見苦しい 

韓国大統領の発言をめぐっては当初、代表取材の内容として

1,「(天皇陛下も)韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝罪をするのなら来なさいと言った」
と伝えられた。
しかし、その後、
2,「(天皇陛下も)韓国を訪問したいのなら、…心から謝罪をするのがよい」と訂正された。
 これに関して同高官は
3,「もし来るのなら、こうしなくてはならないのではという原則的な意見を言ったもの」と釈明した。
 
その上で「個別の問題が起きても(日韓)両国関係の根幹が揺るがないように管理することが目標だ」と強調。
今回の日韓の対立について、「より難しい課題を解決していくための試金石だ」と語った。 

とインターネットには書いてある。
この発言は「殿乱心」で済むような問題ではない。未来志向で。天皇もお迎えしたいといったのは誰なのか。 こう発言したものは今回の発言と矛盾する発言をいかに解釈せよというのだ。常識的に言えば「気でも狂ったのか。理解に苦しむと」いうのが日本国民の立場だ。

KPOPsや韓流で庶民の間では交流がさらに盛んとなろうとしているときに、冷や水を浴びせ、日本国民の反発をかうてまで、何がしたいのか、言いたいのか。こういう感情を持つ国民とお互いに仲良くなんて、誰が信じるか。

これによって営々として築いてきた日韓友好は遙か彼方に遠ざかろうとしている。
今回の件は一方的に韓国から仕掛けられた反日感情だ。
次は日本が出す反韓感情だ。国の指導者がこういう状況を生み出してよいものか。言い訳をすればするほど日本人は冷める。

日本は外交下手、お人好しで世界からなめられている。やはり主張すべきところは主張し、かつやられたら別な面でやり返すことが不可欠だ
穏やかに穏やかに。それも時と場合によってはいいことだ。しかし明らかに、またあからさまにいやな顔を向けて、必ず相手をたしなめる行動に出ることだ。その行為については例外をつくってはいけない。不快感を行動で示すことだ。そのことを相手によく知らしめるべきだ。

9-47満天の星

2012年08月18日 | Weblog
満天の星

飛行機に乗って、高度1万メーターの上空を飛んでいると、窓の外には無数の星が輝いている事に気がついた。面白いことに、この星は自分の目の高さよりも下で光っていることもある。頭上で輝くものから、目の高さ水平線や、その下で光っているものもある。
地上ではこういうことはめったに見られない。星は常に、天空の上の方で輝いているのがわれわれの常識である。

ところが今夜みる星空は、頭上から目線の下まで、球面体に見えた。夜間飛行は何回も経験したが、今日初めて気がついた。僕の頭上は腕を伏せたような形をしていて、そのお椀に無数の星がへばりついているのである。
自宅を出たのが朝7時。韓国・インチョンについたのが12時。何の手違いが、機体のやりくりがつかないので1時間遅れるというニュースは関西空港をでるときから、すでにわかっていた。ところがスケジュールの予定だった、16時10分発が17時40分に訂正されており、さらに遅れて出発したのは19時10分だった。
自宅を出て12時間後にソウルからバンコクに向けて飛び立ったのである。スケジュールを変更された17時40分により遅れること1時間半、これだけ遅れたのも珍しい。初めての経験である。

満天の星の形がどんな風に見えるのか、気がついたのも初めてであった。16時のスケジュールが3時間になっているから、当然のことながら、到着も3時間遅れになる。これには多くの旅行者が迷惑をしていることだろう。第一20時到着が23時到着になるからだ。
入管手続きをしてバスかタクシーに乗る頃には日付は変わっていることだろう。空港からダウンタウンまで行く交通手段があるのだろうか。そして繁忙期のこの時期に簡単にホテルは見つかるのだろうか。こういう思いに駆られ始めると腹立たしいというよりは不安が先にたった。しかし何を考えてみても妙案は浮かばない。
最悪は空港で夜が明けるの待つしか仕方がない。ああつまらない。その時に僕は窓の外に目をやって満天の星の状況を見つけたのだ。星を見ていると夜空に咲く美しい花のように思えた。

何をみるか、何を考えるかで、気分や心の中はころっと変わる。満天の星か、3時間遅れの宿探しを考えるか。
そのどちらかに気を向けるか、それが問題だと思った。7時間でつくはずのバンコクに10時間以上もかかって、いらいらしたが、人間はその時の状況に合わせて、場面転換をすると、そのいらいらから上手に逃れる事に気がついた。

何回か海外旅行を重ねて初めて気のついた知恵であった。すべてに不都合がないようにして暮らしている、我が家に閉じこもりきりでは、おそらく気がつくまい。とすればこれが海外旅行の御利益の一つかもしれん。 


9-48精霊舟

2012年08月17日 | Weblog
精霊舟

8月16日夜8時点火。京都5山ではこの炎天下、今夜の準備が始まっていることだろう 。何でもそうだが見るだけだったら楽しいが、実際に作業をするとなると僕は直ぐケツを割ってしまう。

ところで迎え火は12,13日、どちらがよいのだろう。今年は1日遅れの14日に麻ガラを燃やしてお里帰りのご先祖さんの足下を照らした。
13日から盆に入ることは知っていたが、気がついたら14日になっていた。
送り火は15日か、16日か。盆は13日から15日までとなっているが、迎え火、送り火の日は12,13日いずれかで良いと言われるし、迎え火も15日には盆が終わり、ご先祖さんが帰って行くから15日だという説がある一方で、京都五山の送り火は 16日だからそれに合わせたら良いのだという意見もある。

灯りを灯して送り出すのは、15日に行ったが、お供え物のガキ供養は16日と決めて今から精霊船ならぬ、段ボール舟で川に流そう。こんな事見つかれば河川を汚すなとお叱りを受けること間違いないが、僕の他にそんな事をやっている人はみかけたことがない。どさくさに紛れて独りこっそりやろう。

川に流すと即座にガキならぬ魚がやって来て、1000mも流れないうちに全部食べられてしまう。これが供養か?と思わないでもないが、ガキだって魚だって、仏様から見れば同じことだろうと、言い訳をして流れゆく自家製精霊舟をみおくった。般若心経を心で唱えながら。