日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

おもしろ実験6-17

2015年08月25日 | Weblog
おもしろ実験

心理学者と霊能者の能力比べみたいな問題と実験があった。
出題されたのは、 何10年も昔に亡くなった人の住んでいた所を見つけ出すこと。

心理学者はさっぱり見当が付かないという。

霊能者は東京から東を向いて走るように指示するが、 東京から東へ向いて 行ってみないと場所は特定できない という。つまり霊感で感じるものがないということだ。

取材班は霊能者の指示のままに、北海道へ渡った結果 このあたりその人が住んでいたと霊能者は霊感で感じたらしい。

そしてそのあたりを取材班が 聞いて回ると 確かにそういう人は住んでいたという話だ。軍配は上がった。

おもしろ実験だけど、 心理学者と霊能者との差は歴然としている。何かを感じるか、感じないかの違いである。霊感のある人はなにかを感じるのだろう。此は心理学という科学からは、かけ離れたものである。
これは分野が全く違うから、こういう結果になる。霊能と心理学は似た部分もありそうだが、其の分野は全く違う。

其の違いを実験という形をとったのが興味深かった。

結果を出すことが大切だ

2015年08月24日 | Weblog
結果を出すことが大切だ

物事というのは結果を出して初めて、成就するものである。

そのためには、まず考える。それを完成させるための
行動計画を練る。其の行動計画に基づいて実行する。
そして結果を出す。

考えることと、それを実行して結果を出すと言うことは、頭の作業では出来ない。
行動に移すことが大切だが、行動すれば、ず所期のの結果が得られるとは限らない。

だから考えることに始まって実行し、目的を果たすと言うことには、いくつもの山や谷がある。

それをうまくパスして、ようやく所期の目的に達するのだ。

こういうことを考えると、他人のことを批判することは 必ずしも、図星をつているとは限らない。

僕が評論家の言動に、賛成できないのはこの点にある。

心を癒やす

2015年08月22日 | Weblog
心を癒やす

新横浜から新大阪行きの、のぞみにのった。

それほどの働きをしたわけではないのだが、何せ、東京は人が多くて気疲れした。

ふと思い出して、スマホに入れておいた「天平の風」のギター演奏を聴いた。

メロデイが非常にギターの音色にあっている。此を自分が作ったのかとちょっと驚いた。

10分ほど繰り返し繰り返し聞いたら、気持ちの疲れがとれたような気がした。

喧噪の街で汚れた心も、このメロデイによって、落ち着きを取り戻し、カタルシスがもたらされた。

音楽はいい。音楽は疲れた心癒やし、平静の心を整えてくれる。
美しいメロデイから、にじみ出る品格が、心を癒やすにはもってこいだ。不可欠かもしれない。また作曲するぞ。

えらそうにいったものの

2015年08月22日 | Weblog
えらそうにいったものの

「このくそ暑いのに、似たようなものばかり食わせるなよ」

「此でもいろいろ工夫をしているつもり。これくらいしかないのよ。嘘だと思ったら、自分で食べたそうなものを、買い物してごらん」

「じゃ俺が買い物に行って選ぶから」

維持もあって3日間は自らすすんで、買い物に出かけた。

三日も買い物に行ったら様子がわかり飽きがきた。

毎日3食違った門を出せといったところで素材を売っているマーケットは同じようなものばかり。

これらわずかな素材で変化を出せといったところで、分母が小さいので変化のつけようがない。

自分が足を運び、この目で確かめ、て1日3食、1週間の献立がどれほど大変なことか。わかった。

パン、麺、めし魚 肉 野菜いろいろあるが、この中から自分が食べたいものを、日替わりメニュで要求するには、無理がある。

自分の足で買い物に行ってみて、よくわかった。

そこまでようやらん

2015年08月20日 | Weblog
そこまでようやらん

普通の人ならそこまでようやらんといって引くことも、腹をくくった女は前後見境なくやってしまう。

腹をくくった、つまり覚悟を決めた女の度胸は、男のそれにも決してひけをとらない。

一般女性のイメージとはほど遠い。残忍なことでもやってのける。

狂えば男も女も同じかもしれないが、、、、、、。

日本で一番長い日

2015年08月19日 | Weblog
日本で一番長い日

ポツダム宣言受託や玉音放送に懸けての軍部の抗争。

元をたどれば、日清、日露戦争に続く外国との小競り合い。さらにこれに続く15年戦争。

このため軍部は軍国主義一色になっていく。

中国侵略、朝鮮の植民地化 これを支えた軍部の雰囲気

国体の大変革に対する軍部内の対立。

これは成り行きから見れば尤もなことである。そこに意気のよい青年将校がからめばトラブルは必至。

徹底抗戦派と受託派の抗争は、おおむね若いか、年寄りかで意見が分かれるが、年寄りは現実的。若者は狂信的。

海外にいる将兵は置き去りにして、ご聖断にも反抗する青年将校

冷静な判断ができない若者、こんな内部事情を見てみると巻き込まれた国民が哀れだ。徴兵された軍人は気の毒としか言いようがない。

木陰

2015年08月18日 | Weblog

木陰

いつも通る道だ・長さは100mくらい。

両側に木が植わっていて、葉が緑のトンネルを作る

夏の暑い日差しの中で、このトンネルをくぐるのは快適だ。

思えば何の変哲もない木だけど、春には新芽が吹き、秋には枯れ葉となってちる。この間半年の命。

幹はのこるが葉はちる。

人類の生命の流れはこの幹にして個個人の命は木の葉である。

100年もたたぬうちに散ってしまう。

今の高齢社会はさしずめ秋の野山か。


映画

2015年08月17日 | Weblog
映画

街に出た。久しぶりの映画。盆と重なって満席。

11時からの上映は見ることができなかった。
次回は17時30分。時間をどうつぶせばよいか。6時間も。

昼飯を食べて、ひとがぞろぞろあるく街中をうろついた。

熱くてしようがないので、デパートに入り、腰掛けて仮眠

。恥ずかしいという気持ちを捨てれば、デパートで涼をとる今は天国。
こんな無為な日を過ごすことも珍しい.

JAL123便

2015年08月17日 | Weblog
JAL123便

30年昔機は頭上を飛んでいた。意k着く先は死の世界。
この犠牲者の不幸を嘆かずにはいられない。

真夏の空に荒れ狂う 魔性の嵐 ジャンボ機あわれ

来るの必死の努力もむなしく、御巣鷹山に姿をかくす

あ、、、、いのらん、、、

という鎮魂曲を書いてお供えしようとしたら、新聞報道をした週刊誌が早速いやみを書いた。
それでいっぺんに嫌気がさした。

お供えすることもなく鎮魂曲は他の楽譜と同様に我が家に眠っている。賃人の錠はいつか届くことがあるのだろうか。

睡眠に悩まされる

2015年08月16日 | Weblog
睡眠に悩まされる

睡眠薬をのみはじめて、15年。ほとんど毎日欠かさない。

体のコンデションによっては1錠では足りなくて2錠飲むこともある。
飲むと眠くなって寝てしまうが、効力が切れる頃になると、眠りが浅くなり、うつらうつらして夢ばかり、すぐ目が開く状態で
いる。
効力が切れた頃から脳ははたき続けているので、目が覚めたときには、熟睡感はない。

寝たような、寝ないようなボーとした感覚が午前中は続く。
日が暮れる頃になって、やっと頭は冴えてくる。
これじゃ能率は上がらない。
おそらく死ぬまでこんな状況が続くのだろう。

矢巾町いじめ自殺事件

2015年08月06日 | Weblog
矢巾町いじめ自殺事件

担任はいじめに早く気づけず無力だった申し訳ありませんでしたと謝罪した。同時に担任は情報の他の教員に相談しなかったこと。自分で何とか解決したかったとも言った。
こういう意識はどの教員も持つ。自分の能力のなさを露呈するのを押さえて。

面倒なことから逃れよう、たとえそれが取り返しの付かない事案であろうとも。
こういう心理が強固に働く。これは教員ばかりではない。一般の社会人とておなじ。面倒のなことら逃げようとするのは誰しも同じ。それが結果として重大な結果を産むとしても。

個人の段階から教員集団での問題として取り上げても元々面倒なことに関わりたくない意識が働いて、いじめに積極的に取り組むという力よりも、できるだけいじめから遠ざかろうという思いが働く。学年集団、教頭、校長、皆思いは同じ穴の狢である。

いじめは犯罪であると受け止めて、それと果敢にとりくむ姿勢など期待しても無理である。これは大津事件でも今回の岩手の事件でも同じ構図である。
おそらくこの構図はかわるまい。それは人間の本音の部分に根ざしているから変えることは非常に難しい。大津岩手の両事件以外にもこの構図がいつもバックになっている。
そこに働くのは見て見ぬふりをする事なかれ主義と責任回避の理屈と行動である。そして事態は悪化の坂を転げ落ちる。だから同種の事件は今後も必ずおこるだろう。
文科省はあれだけ体制を整えているのにとこれまた責任逃れをする。
結局いじめはエアーポケットの中で 放置されたままになる。これが現状だ。

2015年08月01日 | Weblog


縁は奇跡みたいなものだ。
足で稼いで拾わないと向こうからやってくることはない。
それが面倒くさいというなら君は決して人と縁を結ぶことはできない。
縁が結べないと人間関係は広まらないし、それだけにつまらない月日が流れる。

現代の若者が人間関係を広げることが、面倒くさいというが、確かに面倒くさい面もある。
しかし一方で「人間は社会的動物である」ともいう。言葉を換えれば人間として生きていくならば、人間社会の中に溶け込まないと人間らしくならないということだ。

面倒くさい。つまらないという言葉でかたづけてよいものだとは決して思えない。
「人間は社会的動物である」という言葉の意味をよく味わって人間らしく生きてほしいものだ。