2009/02/28
天賦の才能
音楽は感動すれば涙が出るほど、直接的に心に響く芸術である。
それは天が与えた神秘であり、神が与える妙音だと服部良一氏は言う。一般人は楽器で音を鳴らしながら作曲していくように思うだろうが、作曲するには心の中に響いているメロデイを五線紙の上に記していけばよい。必ずしもいつもそうとばかりはいえないが、確かに楽器を使わないで作曲する作家は幾人もいる。たとえば古関ゆうじ、遠藤実、服部良一の各氏はおのおのの体験談の中に楽器の不使用を発言している。
プロ中のプロは心の中にある楽器をならして作曲するのだろう。
そのためには心の中にいつも音楽が流れているのだろう。
あたかも彫刻の名人が彫る前に既に今から彫ろうとする像が見えているかのごとくに。
2種類の歌
歌には聞く歌と歌う歌と2種類ある。
聞く歌は音域が広く、少々むつかしいものであっても、よく鍛えられた声楽家達の声にのせて、上手く感情表現がされて聞く人はうっとりとする。
それに比べて一般素人が歌う歌は、メロデイもリズムも優しいもので、なじみあえるもの、直ぐ覚えられる易しいものが歌の要素の中に求められる。ところがこの方式で歌が出来るのかというとそうではない。出来上がった結果がどちらのものか、と言うことが私の場合往々にしてよくある。理屈道理にはいかないものだ。と言うよりその時の雰囲気や気分にのって、作曲することが多いからである。
天賦の才能
音楽は感動すれば涙が出るほど、直接的に心に響く芸術である。
それは天が与えた神秘であり、神が与える妙音だと服部良一氏は言う。一般人は楽器で音を鳴らしながら作曲していくように思うだろうが、作曲するには心の中に響いているメロデイを五線紙の上に記していけばよい。必ずしもいつもそうとばかりはいえないが、確かに楽器を使わないで作曲する作家は幾人もいる。たとえば古関ゆうじ、遠藤実、服部良一の各氏はおのおのの体験談の中に楽器の不使用を発言している。
プロ中のプロは心の中にある楽器をならして作曲するのだろう。
そのためには心の中にいつも音楽が流れているのだろう。
あたかも彫刻の名人が彫る前に既に今から彫ろうとする像が見えているかのごとくに。
2種類の歌
歌には聞く歌と歌う歌と2種類ある。
聞く歌は音域が広く、少々むつかしいものであっても、よく鍛えられた声楽家達の声にのせて、上手く感情表現がされて聞く人はうっとりとする。
それに比べて一般素人が歌う歌は、メロデイもリズムも優しいもので、なじみあえるもの、直ぐ覚えられる易しいものが歌の要素の中に求められる。ところがこの方式で歌が出来るのかというとそうではない。出来上がった結果がどちらのものか、と言うことが私の場合往々にしてよくある。理屈道理にはいかないものだ。と言うよりその時の雰囲気や気分にのって、作曲することが多いからである。