日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

天賦の才能8-30

2009年02月28日 | Weblog
2009/02/28

天賦の才能

音楽は感動すれば涙が出るほど、直接的に心に響く芸術である。
それは天が与えた神秘であり、神が与える妙音だと服部良一氏は言う。一般人は楽器で音を鳴らしながら作曲していくように思うだろうが、作曲するには心の中に響いているメロデイを五線紙の上に記していけばよい。必ずしもいつもそうとばかりはいえないが、確かに楽器を使わないで作曲する作家は幾人もいる。たとえば古関ゆうじ、遠藤実、服部良一の各氏はおのおのの体験談の中に楽器の不使用を発言している。
プロ中のプロは心の中にある楽器をならして作曲するのだろう。
そのためには心の中にいつも音楽が流れているのだろう。
あたかも彫刻の名人が彫る前に既に今から彫ろうとする像が見えているかのごとくに。

2種類の歌

歌には聞く歌と歌う歌と2種類ある。
聞く歌は音域が広く、少々むつかしいものであっても、よく鍛えられた声楽家達の声にのせて、上手く感情表現がされて聞く人はうっとりとする。
それに比べて一般素人が歌う歌は、メロデイもリズムも優しいもので、なじみあえるもの、直ぐ覚えられる易しいものが歌の要素の中に求められる。ところがこの方式で歌が出来るのかというとそうではない。出来上がった結果がどちらのものか、と言うことが私の場合往々にしてよくある。理屈道理にはいかないものだ。と言うよりその時の雰囲気や気分にのって、作曲することが多いからである。

ペンフイールドの説8-9

2009年02月27日 | Weblog
ペンフイールドの説

ノーベル賞受賞者ペン、フィールドは世界的なのー医学者である。はじめ、彼は脳すなわち肉体がすべてで、臨死体験もすべて説明がつくと言っていたが、人間の精神作業は脳以外のどこかにある。
いわゆる心というものがあって、これが精神作用の中核をなす。
そこまでわかるが、では心とはどういうものか。それが分からない。

脳の解剖学的見地からは脳の精神作用の部位はほとんど分かったが、心はどこにあるかわからないと、東大名誉教授の伊東先生は言う。
ちなみに伊東先生は、ペンフィールドの弟子である。

彼が生前にとらえていた学説「脳がすべてであり、それは解明された」という自説を取り消して亡くなる。

問題は心である。これを魂と置き換えてもいい。魂の存在、これがまだ解明されていないが、これをどう見るか。見方はいろいろである。

先生は相変わらず1文の得にもならない事を考えている。そして自分なりには高等人間だと自信を持っている。そこをハッツアンとクマさんが突くわけである。表面上は尊敬する振りを見せているが腹の底では まあたいした人間じゃないと心得てつきあっているのである。ただ自分たちと比べると確かによく勉強しているので学問上の話ではとても太刀打ちできないとも思っている。

良い寺 悪い寺

2009年02月26日 | Weblog
良い寺 悪い寺

良い、悪いという概念の中身は、非常にあいまいだが、何かわかったような気がする言葉である。その何か分かってような意味を用いて、 良い寺、悪い寺、を区別するなら、良い寺とは、
仏教本来の教えを、説くだけではなく、教えを実践するところであり、
悪いお寺とは、教えを語ることによって、蓄財に専念する寺のことである。
宗教家は、よく、人を救うというが、私には、人間が人間を、救えるとは思えない。
人間を救えるのは、神仏のみで、人間は、神仏の、手助けをすることぐらいしかできないと思う。それゆえに、人を救うと公言し、それを看板にして、弱みを持つ大衆を集めては、なにがしかの賽銭を、巻き上げるのは、インチキもので、悪い寺ということになる。


青年

2009年02月26日 | Weblog
青年

体中、垢だらけの 髪の毛ぼさぼさ 。ひげは伸び放題。
やせぎすの青年が溝に落ちたたばこを拾って吸うた。 20代の青年だ。顔には少年の面影が残っている。
この人は一体何者だ。いわゆる普通の生活からドロップアウトした怠け者か、それともメシも食えない創作家の卵なのか。

生きるチャンスに生活手段も個人の責任であり個人の自由である。
が、このままでは
長生きはおぼつかないのではないか。しかしこれでは命がもったいない
と言ってもこれも個人の自由か。   
ハッツアンも時々むつかしいことをいう。
「個人の自由と責任というが、社会的存在としての人間はどうなのだ」
「それは哲学的用語だ。現実生活のレールの上を歩かない奴はすべて自己責任をとらされ、同情すべきでない」
とクマさんは現実論をいう。
「それはそうも思うが、社会的にささないと。あるいは反社会的な矢を放つ。
非行に走る恐れもある。
だから救済が必要だと思う。放てからではからでは取り返しがつかないからね。飢えると人間は、どんなルールも、歯止めも通用しない、空腹を満たすために、道徳心も、消えてしまう。「恒産無ければ恒心なしだ」
もっともな現実論だ。
「うーん。」二人はうなっただけだった。世の中にはこの二人だけでは解けない問題があまりにも多い 。

十人十色

2009年02月25日 | Weblog
十人十色。
思想、信条、利害、生育歴、あるいは現在置かれている状態などによって、人は複雑に分かれる。まさしく、10人十色である。
そこで、1番目の人と、10番目の人とでは、同じく人の姿形をしていても、信条が違うために、話の通じあわない、異邦人みたいなところがある。
つまり、極端ないい方をすれば、1はどこまでいっても1で、10にはならない。
そのため孤独感、を癒すには、人は自分と共通項より多く持つ人間を探すことが肝心である。
Aも、Bも良いが、私にはAしか話が通じないから、私はこのAグループの人としかつきあわないということが多いが、それは、現実の問題をとしては、理にかなっている。
人類は皆兄弟だから互いに、仲良くしというのは、人類の悲願でるが、そう簡単に、現実のものになるようには、私には思えない。
先生は 日記にそう書き込んだ

風邪8-10

2009年02月25日 | Weblog
風邪

風邪は、万病のもといわれている。風邪による、体力衰弱が病気に対する抵抗力を弱めて、余病を招きやすいということである。今は、医術と薬で、すぐ治るが、昔はソ連風邪、香港A型、スペイン風邪などで、大勢の人が命を失った。
風邪ほどありふれた、病はない。 くしゃみ 咳 のどの炎症 頭痛 悪寒 寒気 けだるい感じなどで、、病状が進んでいくのがわかる。風邪は普通2,3日、静養をすれば、ケロリと直るが、その性質によっては体の奥深いところ、沈潜して、1カ月以上も、苦しめられてもなお、なおらないものもある。
先生は今年初めての風邪にかかり床についている。クマさんもハッツアンも見舞いに来たが、心の底では寝ている以外に方法は無いと思っているので見舞いの言葉もあっさりしたものである。平たく言えば、薬を飲んで寝ているしか治らないと言うだけだ。
それでも先生にしてみれば、病気のため弱気になっているので、大いに勇気つけられたとありがたがっている。普段は先生は偉いのだが伏せっているせいか弱気でこのありふれたセリフに厚意を感じている。そして先生はは健康状態であるからこそ、二人を従えた立場にあるが、一歩健康を失うと自信を失って3人は並びになる事をしみじみと知った。

人生の師が欲しい。

2009年02月23日 | Weblog
人生の師が欲しい。

人生を、たった、1度しかない人生を、悔いのないものにするために、人生の師が欲しい。1本スジの通った人間をつくり上げるために、自分が全力で、ぶつかっていける人。
師を目標にして、自分で自分、を磨きあげる。自分に負けない自分を、作るために、人生の師が欲しい。

先生は生きることに真剣である。本来人を頼らなくても自分の生き方は自分が決めればよいことだ。だが色々考えてみるといかに自信を持とうとも己なんて頼りないものである。そこで先生は生き方において尊敬できる人に自分の生き方を重ねて少しでもその人の真似をしてみたいのである。
人間は大勢いるが、彼の生き様を真似してみたいと思うような人は滅多にいない。出会えるものではない。今までもそうだったが、これからも先生は師匠捜しの旅に出るだろう。果たして見つかるやら?
釈迦は法句経の中で自分を頼りにせよ、仏法を頼りにせよとといたがそれを知りつつも先生は身の回りにいる人の中に師匠を求めている。


人生の成功者

2009年02月23日 | Weblog
人生の成功者

人生には必ず、苦労がつきまとうが、そういう中で、自分が最も住みやすい心地の良い世界を、探し当て、その中で、ゆうゆうと生きている人こそ、人生の成功者であると思う。先生は今こういう心境に成っている。
実は先生はこう思う事によって心の安定を得ているのだ。先生だって我こそは天下国家を支える大きな仕事をしてみたいと張り切った時代もあった。ところが世の中というものは先生が思うほどほど、おもうままにならないものである。それはそうだろう。先生と同じく大志をもった大勢の人たちがしのぎを削って熾烈な競争をしているからである。そういう競争に我が身をおいてよくよく考えてみると、最後に待ち受けているのは死である。死を意識したとき先生の心境は変わった。それが今日の先生の心境になったのである。健康で可もなく不可もなく日々平穏に暮らすことこそ人生の味だと先生は思っている

原級留置

2009年02月22日 | Weblog

原級留置

落第、これは、専門用語で、原級留置という。
高校生を落第させるというが、その前提には一定の基準があるはずである。
意欲も能力も、高校生として、ふさわしくない生徒をどう教育していくか。教育に限界というものはない、とはいうものの、それは、実態を無視した非現実論で、単なるお題目にすぎない。
勉強はしたくわないが、卒業証書が欲しいだけの生徒が90%以上の、定時制の生徒に 知識のみの強要は、酷であり、正常の授業は、半ば、迷惑である。学校が知的側面のみを重視した、教育を続ける限り 、低学力の生徒を、学校に引き付けておくことは、非常に困難で不可能に近い。
今年も判定会議の時期になった。先生にとってこれは悩ましい会議である
成績のかさ上げという問題があるのだ。素点だけだったら3分の1は落第になる
どのような策ををもってかさ上げをはかれば一番自然は成績になるか。その能書き作りが期末には大変な作業である。サボリマンだった先生は余りできのよいほうでは無かったから、生徒の気持ちもよくわかる。そこでやちゃいけないことだが成績のかさ上げをする。
このやり方はかなり神経を使うものである。整合性の問題とそれで筋がとおるかどうかである。先生は清水の舞台から飛び降りて赤字で成績を改ざんして全員合格に成るようにした。


情報網

2009年02月22日 | Weblog
情報網

会社の同僚4人で飲みに行く。同僚間のうわさ話、そしてそれが、悪口につながった-
クマさんは、当たり障りのないようにと、のらりくらり逃げる。決して本心など明したりはしない。


ハチ 「クマ。要領の良いには良いのはいいけれど、これじゃ親友が出来ないぜ。モット言いたいことを言わないと。それに上司や同僚の悪口を言うのはよくないな」

クマ「人間には好き嫌いというのがある。すかんやつはやり玉にあげて
酒の肴にするというのはストレス解消法にはもってこいだ。」

「それでもクマさん 人の悪口を言うのは良くないぜ。
いくら柳田国男がどじょうなべと他人の悪口ほどおいしいものはないっといったって」

「ハチ公がいくら言ったところで俺は人の悪口をいうぜ。」

好きなようにしなよ。お前は地獄行きだ」     チャンチャン

井戸は、水がわくまでほれ

2009年02月21日 | Weblog
井戸は、水がわくまでほれ。

ある程度の事前調査で、水脈があると信じたならば、井戸は水がわくまでほれ。
せっかく、水脈が、あっても、そこに達するまで掘らないと水はわかない。
水がわかないと、それまでの作業はすべて徒労に帰す。
新製品、あるいは、新しい、方法や手段などを開発する場合において、ここに問題がある。
第1に、水脈の存在が確認できるのか、
第2に、水脈に達する作業の適否
において十分の検討を加えることはもちろんだが、はたして、人知で、感知できるものばかりだろうか。
結果が、出た場合、分かるのだが、その過程で、的確に結果を、予測できるのだろうか。
どうも、この辺のことは、神の領域のような、気がしてならない。


テスト

2009年02月21日 | Weblog
テスト

テスト、テストの世の中である。 その結果によって、色付けしたり、輪切りにしたり、
受ける側、する側もたいへんである。 そりや誰だって、自分がある日、能力測定され、評価されるのは、いや決まっている。
私も、個人的には、テストがない世というものは大歓迎だ。
必要悪だと分かっていても、人の能力を測定しなくてはならないのが人の生存は、究極において、生存競争の上に、成り立っているという現実の必要性から出ている、ようだ。
競争がある限り、それには必ず評価が伴う。つまり、人間の生存、には必ず評価がつきまとう。
ところで、人間が下した評価によって人間の値打ちを、真実に測定し、断定することが果たして可能かどうかは、ともかくも、人類の進歩前進を導く、原動力が、必然的に競争を伴うものである。つまり、人類が続く限り競争とその評価はつきまとう。節目のない生物が、この世に存在できるだろうかというと、おそらくそれはいないだろう。


飛行機代

2009年02月21日 | Weblog
飛行機代

ハチ公の調べたところでは
大阪から東京までは、飛行機の割安チケットを使えば、8300円。新幹線では13000円 夜行バスは安いものは4500円 高いものは9000円程する。
昭和1桁生まれのクマさんはそのことを疑問に思い納得いかない。
近頃飛行機は、バスに毛の生えた程度のような事態になった。
「ハチ公。飛行機代は1万抜けているんじゃねいのか」
「クマさんもぼけてきたな。特割だの早割や超特割 早割があるのをしらないのかよ。」

電車の中で

2009年02月21日 | Weblog
電車の中で

その時、電車は空いていた。子ども連れの2組の若い母親が、ぺちゃくちゃ話に夢中になっている。よちよち歩きの子供を電車の中で歩かせている。
電車は走っているのだから、乗客はハラハラして、子供を見ている。
母親は何を勘違いしたのか、子供に注目が集まっているのを見て、ニヤニヤしている。ひょっとしたら、英雄になったようなつもりでいるのかもしれない。
ハチ公は はらはらしながら心の中で叫ぶ
「バカ。乗客は子供が危ないと、思って注目している。他人のはなたれガキなど可愛いと思ってなんかいない。それがわからないのか。このたわけ奴」


今頃先生は思う。

2009年02月20日 | Weblog

今頃先生は思う。

日本列島は、バブル景気に酔った時があった。今から見れば、それは行き過ぎである。と誰もが思う。
今更何を言っても始まらないが、何事も一直線には、進まない。
凹凸やサインカーブやコサインカーブを描きながら、時の流れと共に、未来に向かって進む。