日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

1,まず不殺生であるが、

2011年09月30日 | Weblog
1,まず不殺生であるが
凡庸な僕が自身に問うてみる。、(反論したくなる)

十善戒は仏教で言う十の戒めで、お経を唱える前に、仏に自分の戒めとして口に出す。


基本的に人間の命は、動植物を食べることによって支えられている。 これはすべて人間以外の動植物の、命の犠牲の上に成り立っていることである。
殺生するなという戒めがあってもそれを守っていたら自分の、生存はおぼつかない。だから不殺生が 文字どおり自分の命以外の、命の殺生は許さないと、いうことではないだろう。 、
自分の命を守るために、ばんやむをえない時には、他の動植物の命を犠牲にすることによって自然が成り立っている事を考えれば、不殺生は無理な戒めだ。この戒めは僕の様なストレートな解釈ではなくて、もっと別な解釈の仕方が有るはずだと思う。

日本人はお人好し

2011年09月29日 | Weblog

日本人はお人好し: 11/09/29


東日本大震災によって、すべてを奪われながら、日本人は、取り乱すことなく、誇りを持って行動した。日本人は柄が良い
日本人の僕から見ても、ひいき目ではなく、冷静な秩序を持ったものであり、その品格たるや、世界が賞賛したのも当然だ。

だが一方で、日本の政治力が弱っている、このときを好機とみて、国境付近では中国が、北方領土ではロシアが、示威行動をとる。
日本人から見ると、人の弱みにつけ込んで、いやな連中だと不快な思いがする。
災害現場をみると、日本人は礼節をわきまえた品性の高い人種だと、中国が、いうが、そういうことを口で賞賛しても、腹の底では、そのお人好しさにつけ込んで自国の利益を図ろうとする。
こういうことによって、日本人は中国人に対して、良い感情を持たなくなった。
露骨で行き過ぎた行動によって、日本国民の感情を傷つけた中国政府は、日本のスマップという若者の歌グループを破格の待遇をして、悪化した日本人の感情のわだかまりを解きほぐそうと、見え見えの行動をとる。
外交音痴のお人好し日本人に対しては、こういう見え空いた手段を弄して対中国感情を好転させようとしている。本当にお粗末なやり方だ。
こんなことで、将来、日中がどこまで、信頼を築き、親密な関係になれるか。絶望的である。
中国のみならず、一歩、日本を出て、東南アジアを旅行してみると、我のことながら、日本人のお人好しさには呆れる。
友好という仮面をかぶりながら、彼らは遠慮会釈なしに、いかにして、日本人から、金やものを巻き上げるか。だけしか考えてないような行動を、何のためらいもなくとる。その手口たるや犯罪的である。ちょっと気を許そうもんなら、丸裸にされてしまう。そのレベルの連中が、東南アジアの連中だと分かるので、日本人の品格の高さが分かる。
何もかもガイドに任せて、冷房の効いた乗り物に乗っているかぎり、この現実は分からない。
もう一度繰り返すが、大震災が政権交代で、ガタガタした。日本に、つけこむような中国やロシアの礼節のない、卑怯なやり方は決して、両国間のためにはならないだろう。日本人はそろそろお人好しを卒業する時に来ているのではあるまか。





























ある芸術家の断片

2011年09月28日 | Weblog
ある芸術家の断片

彼は20才を待たずして、熱烈な恋愛を経験する。そして一旦結婚して人妻になったが、彼女は彼の下にやって来て、日々甘い夫婦生活を送る。
が、天は二人の甘い夫婦生活が続くことを許さなかった。彼女は病に倒れたのである。20年ばかりの熱愛生活は5年ほどで病魔によって引き裂かれた。彼女は長い闘病生活のすえ、不帰の人となった。普通は共白髪が理想で、夫婦の契りをむすめば、4,50年は続くのが世間一般だ。芸術家は熱愛する彼女がいて、その支えで創作も進むというものだが、それは人間の都合というものである。必ずしも天は味方するとは限らない。
愛に燃える日々が人生の中でどれほど貴重なものか。何時もその他大勢の側にいる僕はうらやましい限りである。

現代は未婚のままで一生を送る男女が増えている。僕の身の回りを見渡してもごろごろいる。勿論個人の自由意思に基づいて、独身主義を選択しているのだから他人が何か言う必要は無い。
しかし僕は考える。動物全般に言えることだが、男女のつがいは自然の摂理である。この芸術家のように、熱い想いは永続されなかっても、人生の相思相愛と言ううま酒の味を知らずして、果たしてこの世に生きた充実感はあるのだろうか。
例え永続しないでもかまわない。一瞬の恋するものの熱愛の時を経験することなく、夕暮れを迎えて、生きたという実感が味わえるだろうか。
純粋な愛を求めてさまようのは、男女人間としての当然の理であり、芸術家のみの特権ではあるまい。
しかし男女のご縁というものは、ご縁という風が吹かない限り、その結びつきは生まれないのかも知れない。男にせよ女にせよ各々が背負っている運命のままに独身生活が決定されているとは、思えない。やはりお互いを死にものぐるいで、求め合わないとそこには、何の風も吹かないのではないか。

短くても200%の全身全霊を込めて、愛情のなんたるかを知ったり、味わったりすることが、生きる喜びを教えてくれると思う。
ある芸術家の人生の断片を知って、自分の思うところを書いてみた。

やらせ問題

2011年09月27日 | Weblog
やらせ問題

ヤラセの問題が発覚した時、九電は社長が責任をとって辞任すると言うことになっていた。
ところが今になって、それは白紙だという。その理由は次々とばれてくるヤラセが九電だけではなく、他の電力会社の分も、ばれてきたから、九電が先走って社長辞任と言うことを実行すると、それが前例となって、他の電力会社の社長が辞めざるを得ない事態が起こる。そこで辞任をやめて任期まで勤めることにしたらしい。
僕の感覚からすると、これが前例になって国民を裏切った連中は、責任をとって辞任するのが当たり前だ。

そこで、
では社長の責任はどうなるんだと、僕は思うが、そう言うことは、蛙の面にしょんべで、責任をどこかえ、放り投げてしまう。

これが社会的に地位がある大会社の社長のすることかと言いたい。この世には常識にはなじまない、別の世界があって、そこでうごめいている輩がいるのだ。
企業のトップがこれじゃ社会が良くなろう筈はない。
辞任は大臣との約束であったはずだ。それをいとも簡単にほごにされるとは、大臣の権威も地に落ちたものだ。

牧ノ原市議会の決議

2011年09月26日 | Weblog
牧ノ原市議会の決議

安全が完全に担保されない限りは、原発は永久停止。
牧ノ原市議会は今日そのように議決した。これは極端な反原発論ではなくて、住民の安全を守るためには、不可欠事項だと僕は思う。10km圏内には合計四つの市があり 、牧ノ原市は先頭を切って決議したのだが、これこそ住民の安全を守る根本原理だ。
東海地震の津波に備えて浜岡原発は18mの防潮堤を1,6kmにわたって作りその費用は1000億円だそうだが、原子力事故は金であがなえるものではない。
交付金や電力会社の寄付金が立地市町村を中毒状態にしているが、これから抜け出さない限り、眞の意味での周辺地域の自主独立は無い。
政府はストレステストをいうが、それに福島の事故の検証を加えても100点満点の安全は保証されるかどうか?。なぜなら原子力はまだ人類の手で、これをコントロールすることは出来ないからである。

牧ノ原に続いて、菊川、掛川、御前崎そろって牧ノ原市のような決議をしてほしい。

原発推進派 3選

2011年09月26日 | Weblog
原発推進派 3選

中国電力が山口県上野関町に原発建設を計画していた。

福島事故後に初めて問われる原発推進か、反原発かの住民投票で
推進派1868。反対派905票獲得した。

新町長は言う。国策に協力してここまでやってきたのだから、この苦しみを理解して貰いたい。(と言うことは交付金を沢山持ってきてほしい。固定資産税や、従業員の採用なので街が潤いたいというのが本音だろう)
今回の事故で原子力事故がどれほど広範囲に放射能をまき散らすかを、見れば設置される町の多数決でOKが出るはずがない。放射能が覆うであろう地域住民全ての合意がなければ、建設は出来ないだろうと予測される。

それにしても、これだけの大事故を経験して,未だに終息の見通しが立たず避難しいる人がいると言う現実を、上関町の住民はどう見ているのだろうか。
僕の見方では、以前からそうであったように、金に目がくらんで安全を売り渡す愚かしさは、一体何なんだろう。放射能という制御不可能な有害物質を子孫に残して良いというのだろうか。それこそ風評被害で町が全滅状態になっても良いのか。将来の安全をふくめてこの町の町民は一体何を考えているのか。
未だに核燃料の使用後の廃棄処理さえ判らないというのに。

無知なのか。覚悟が出来ているというのか。この選択は時代の空気の読めない愚か者がすることだ。もっともっと安全を確かめなくては。原発は現代の科学技術では制御出来ない恐ろしい側面を持っている事を忘れてはならない。
再稼働はともかくも新設なんてあり得ない。

直接民主主義

2011年09月25日 | Weblog
直接民主主義

原発のあり方を私たちの手で決めたい。  朝日新聞

福島原子力を見て政党や経団連の連中に、一般国民が原発に抵抗する意志を持っていることを示した。19日明治公園で開かれた「さよなら原発集会」。
今の代議制民主主義では原発問題は争点にならない。従来型の代議制民主主義で何かを決めるというのはフイクッションだ。

今回の福島事故で国民の安全がどれほどもろいものか、悪い奴に騙されてここまでやってきたか。よーく判った。
国民はもう決して騙されてはならない。がその前提には国民の意思を表明する事が出来るシステムや体制が必要だ。言わずと知れた直接民主主義で、国民投票が出来る事が重要だ。これから原子力の問題で賛否が問われることが出てきた場合直接各人が自分の意思を投票できる事が何よりも肝要だ。

現時点では自民党は「国権の最高機関たる国会の軽視につながる懸念」を解答したらしい。 保守主義者は今回の事故を経験しても、なおかつ原発を継続したいとでも思っているのだろうか。そう言うことを内に秘めているなば、ぼくにいわせれば国賊に等しい。自民党はどうして物事を前向きに考えられないのだろうか。
政権与党から最低の政党に落ちぶれた感じがする。このような主張を繰り返すというのは現代の空気が読めていないということだ。それがどうして政権与党に復帰できようか。自民党にも人物はいるはず。自民党の体質を考えるとき、やはり政界再編しかないと言うところに話は落ち着く。

一言付け加えれば経団連は国家のことを考えて発言しているのか。自分達の活動を中心に発言しているように思えてならない。君たちの言うとおりに原発を再開して、国民の安全が脅かされる事態になると、もうこの時は国家の危機存亡の時に立たされるが、それでもなお君らの産業活動が優先するというのか。
経済活動と国家滅亡とどちらが大事か。この問いになお経済活動を主張するなら、全てを海外に移してからやったらどうだ。国賊と日本で同居するわけにはいかない。「不安な毎日と言う形」で脅かされながら、どうしてそんな連中と同居が出来るのだ。

仏壇は粗大ゴミ7-28

2011年09月22日 | Weblog
仏壇は粗大ゴミ


長女と次女、上二人が 2歳違い、二女と三女は10歳離れている。これは思案の長さとこだわりを意味する。
二女は私が帰ってくるのを待っていたようにして生まれた。私はそれまで九州に出張してい1週間ほど家をあけていた 。
出発するときに、ひょっとすると出張中に生まれるかもしれない、とは思ったが、長女を生んだときの妻の様子からすると、今度の出産も安産だろうと確信していたので、何の心配もないと思ったが、念のため、途中宮崎県にある鵜戸神宮へお参りし、安産祈願はしておいた。
自宅へ着いたのが夜11時過ぎだっただろうか、家族と談笑していると急に妻がおかしいと言い出した。すわっとすぐ近くのかかりつけの産院に飛び込んだが、案の定、1時間ほどで産室から赤坊のなき声が聞こえてきた。
「おめでとうございます。元気な女の赤ちゃんで」。
ドアを開けて産婆さんはそういった。
「また女が。鵜戸神宮の神さんは確かに安産で簡単にはしてくださるが、男の子という強い願いは聞いてくださらなかった。
「そういえば1番下の妹が生まれたときも、私は小学校の修学旅行で鵜戸神宮にお参りし安産のお札を下げてきたな」
私は心の中で呟いた。二人とも女。私は子供の運が悪いと思った。

女房には、また女かといった程度で、それ以上の感情をあらわにはしなかった。
女房とて思いは同じで男の子だったろうが、裏切られた感情は持っていただろう。
なによりも心配になったのは、自分の力で、この二人を世間に恥じないように、結婚させることができるだろうかという心配であった。
これで次に女の子が生まれた一体どうなるか。
娘3人いたら家がつぶれると昔からよく言われている。
つぶれるような家すら持っていない借家住まいでは、心もとない事このうえない。
こうして4,5年が過ぎたが、二人の子持ちでは何か物足りないものを感じて、私たち夫婦の話題は三人目の子供特に男の子に集中した。
「男の子、女の子の産み分け方 」なる書物を買ってきて、男の子を生むための条件をノートに書き出し、それを忠実に守って実行することを手始めに、男の子のためのあらゆる努力を惜しまなかった。
ネズミの尿までは試さなかったが、それに近いようなことはやった。
妻は目覚めに基礎体温を図り克明にグラフにつけていた。
そして今日だと狙いを定めて鉄砲をうってみた。正しく命中。
後は生まれるのを待つばかり。妻のお腹は日を追って目立ってきた。

予定日より早かったが、病院に入院した。入院して3日たった日の午前6時電話が鳴った。
待ちに待った男の子か。受話器をとるのが恐ろしかった。受話器を耳に当てると、
「御主人ですね。今朝3時にお嬢ちゃんが生まれました。お母さんも元気です。真夜中の電話で起こすのも迷惑かと思って、今電話させてもらいました。それでは」。  がちゃん。
私は言葉もなくその場にへたり込んだ。病院へ妻の見舞いに行く気にもなれなかった。
「畜生、何たることか。いったいどうしようというのか。3人娘で三人とも嫁にやったら
一体どうなるのだ。仏壇は誰が受け継いで守っていくのか。ご先祖さん。申し訳ないが、ひょっとすると、仏壇は粗大ゴミになるかもしれませんぜ。だから男の子くれとあれほど朝晩お願いしたではありませんか。願いを聞いてくれなかったあなた達が悪いのですよ。」
私は仏壇に向かってご先祖さんをなじった。
いくら気を鎮めようとしても、こみあげてくる憤りは抑えきれない。妻の顔を見るなり
「お前、畜生腹が。また女やないか。」
妻はベッドに体を横たえたまま、わっと泣く。6人の大部屋だが、人目もはばからずに大声でけんかして挙げ句の果てには私は
「あんな娘、どこかへやってしまえ」と捨て台詞を残して足早に病室を出た。
子供は未熟児で出産時の不手際も重なって特別の保育器に入っているという 。
気が落ち着いて父子対面したのは 1週間ほどたった後のことである。

あれから4年の歳月が流れた。今では三女は目に入れても痛くないほど可愛い。いくら年頃になったといっても、今の気持ちではとても他人の手などには渡せない。
4年前のあの産室での会話や出来事は今の気持ちからすると嘘みたいである。
夜の帰りが遅いので、子供と共に夕食をすることはないが、毎晩、彼女らの寝顔を見てから床につく。

子供に対する親の情は何物にも代えがたい。それは人間の本能なのだろう。男の子、女の子、どちらでもいい。男の子だったら幸せで、女の子をだったら不幸せ、なんて図式をよくもまあ考えたもんだと、私は今更ながら自分の強いこだわりに呆れている。ただ世間並みに育て上げるには、僕の現在の力ではっと、大きな不安を感じたのだった。跡継ぎがいないというのは落ち着かないものである。それに3人はそれぞれ長男に嫁いだ。我が家の跡継ぎは絶望的。先祖さんにはすまないと思っている。
ある人が私達夫婦を叱った。
「男、女は贅沢だ。丈夫な赤ちゃんだったらいうことはない。」
という言葉が今も胸に響く。
しかり。そのとうり。
悩んだってどうせ人生は思うようにはならない。跡継ぎがいないから、ご先祖さんのお守りはできない。ご先祖さんの居場所・仏壇は僕らがいなくなったら、粗大ゴミになることだけは間違いなさそうだ。これだけが気にかかる。


















津波

2011年09月22日 | Weblog
津波

昨日開かれた原子力会議に、津波に関する世界的権威と言われる東北大の元教授が講演 された。要約すると、
津波を想定しない原子力発電の安全などはあり得ない 。以前から津波に関する警告をしたが原子力関係者は誰も耳を貸さなかった。今回の事故は地震じゃなくて津波によるところが大きい。

講演を聴いた原子力関係者は、原子力だけに目がいってその部分の安全には目を配ったが、津波についてはまるで想定していなかった。完全な盲点であったと反省した。

大切な専門知識がうまく統合総合されていなかったことが、重大な結果を招いた。
地震は言うに及ばず津波対策も重要である。が、まだ人間の知恵から欠落している「想定外」の部分があるかも知れない。
やはり人間が完全にコントロール下においていない原子力は制御面で心配が残る。だから卒原発、それも自然エネルギーの利用に向けて、積極的に研究開発していくのが望ましい。詳しくは知らないが、海底資源には ガス発電の有力な燃料物質があるそうだ。 太陽光、風力などしか知らなかったので、燃える氷 の話を聞いて脱原発は割りに速く実現できるのではないかと夢が広がった。

色々考える

2011年09月21日 | Weblog
色々考える

満点主義は
しんどい。合格点主義が丁度良い。満点を取る努力をして、合格点を取るのがいちばんよい。

歴史を知ることは
良いことである。しかし、それにこだわっていては能がないし、進歩がない。歴史の中から教訓を学び、それを現実の生活の場に出してこそ歴史を知ることである。


休息は平安である。
活動は闘争であり、テンションである。
休息と活動は、うまくバランスをとることが必要のは、活動の時か、それとも平安の時かよく見極める。

どうしても好きになれない人がいる。
確くたる理由があるわけではない。生理的に反感との言えば良いのかも知れない。
好きになれない考え方がある。知情意、のバランスが崩れた人情に則さない。考え方を強引に押しつける。そしてその考えに従わせる。そういう考え方は好きになれない。

我が道
流行?そんなもの、どこ吹く風だね。僕は僕の道を行くよりほかに仕方がないんだよ。


愛すること好きになること

2011年09月20日 | Weblog
愛すること好きになること

男女がお互いに、好きになることはわりに簡単だ。好きだ好きだと言っている内は責任は半々で良い。
ところが
愛する事と、好きになる事 とは中味の重さが違う 。愛すると言う言葉の中には、お互いの命を預けるという重さがある。

好きだと言われてその気になるのは良いが、愛されるというのなら、ある種の覚悟が必要になってくる。

中国四川省の大地震の時、建物の下敷きになって1週間生き延びた青年は救出されるなり、力の限り、彼女(多分妻)の名前だったと思うが、呼び「いつまでも愛してるよ」
と言う一言を残して、事切れて、この世を去った。

僕はこのテレビを見て「愛する」と言うことは命がけだのだ。そしてそんなに純粋な物で、尊いものだと気がついた 。好きだ、愛する等普段では軽々しく使っている言葉が、その中味において、まるで違うというのは、この青年の最後の言葉によってはっきりと認識させられた。

古賀邸の辯天さん

2011年09月19日 | Weblog
古賀邸の辯天さん : 11/09/14

日本演歌の大御所、古賀政男先生宅を30年以上も、前に、一度だけ訪問したことがある。お宅は小田急線代々木上原駅を降りて、すぐ近いところにある。
門から、玄関までは、少し坂になっていて、向かって左側には、先生がまつられていたであろう祠はが三つ四つあった。どの神仏をお祭りか。それは知らない。
玄関を入ると正面に、弁財天のふくよかな像を彫りこんだ額が、かかっている。この額の製作者は、有名な棟方志巧師である。

その弁天さんを彫るとき、棟方先生は、頭に締め縄をまいて、会話をしながら、時には、にこにこしながら完成された。彫刻されて行く弁天さんとの会話である。人の気配は無いところで、しゃべりながら彫り進めていく姿は、テレビで放映された。
僕はそれを見たので、今も鮮やかに、彫刻の様子を思い浮かべることができる。
耳に残っているその呟きは、口元と頬につける紅だった。現れた弁天さんは、おたふくのように、顔がふっくらとしてまん丸い。そのお姿のモデルは、弁天宗の
宗祖・智弁師らしい。生前にお二人は何回かあわれたようで、そのことは、後で聞いた。
片や宗祖とあおがれる宗教家。そしてもう一人は世界的に有名な彫刻芸術家である。
だから棟方先生は生き神様とあがめられた、「あの弁天さん」と会話を楽しみながら、口紅の色を赤く塗ってその色合いが弁天さんのお気に召しますか、いろいろと会話を重ねてこられたのだ。

僕がたずねた古賀邸は、現在JASRACが、使っているみたい。番地が同じである。古賀邸は、僕が見たもの姿で保存されているのだろうか。もしそうだとすれば、弁天さんの額は玄関の正面にかかっているはずである。

古賀先生が棟方先生に、依頼されたものかどうかは知らないが、信仰深いお二人のことだからおそらく茶飲み話にでも出たのだろう、
古賀先生は、僕が先ほど書いた弁天宗の学校。野球で有名な智弁学園の校歌の作曲をするという深い縁がある。

智弁学園は奈良校も和歌山校も、試合に勝つたびに古賀先生作曲の校歌がテレビ画面に流れる。

古賀政男 棟方志巧、智弁尊女 智弁学園。山田耕筰。松下幸之助。各々
それぞれが別個の存在だが、明らかにどこかでつながっている。それは、僕にはこの世の不思議を見せてもらっている感じがする。こういうのを不思議なご縁とでも言えば良いのだろうか。

ついでにいえば、生前の古賀先生は、直接お会いしたことは無いが、僕は学生時代に、山田耕筰先生に師事、して作曲を習ったことがある。
お二人は日本の音楽界を背負って立っていた人たちである。片やクラシック音楽界で、そして、片や、大衆音楽演歌の世界で。そしてお二人に共通していたのは、音楽だけではなく、お二人とも、神仏に心を捧げて名曲をこの世に、送り出されたことだ。

己の人生を見つめ、人の心を見つめながら音楽を作曲する奥義は神仏の世界に鳴っている音楽をつかみ取るということではないか。
また、不思議なご縁で、古賀先生が結婚されたときの、媒酌人は山田先生、ご夫妻である。そして、二人とも、音楽の神様弁財天を信仰されていたという事実がある。
こういうことを思うとき、人生とは目に見えない。縁で結ばれて、所どころで、その関係が顔を出す。それがおもしろい。松下さんは辯天宗境内にお茶室を建てておられる。
僕は目で眺め、この耳で話を聞いてきた。凡人には判らないところで一流の人々はつながっているのだ。







































法然、親鸞の大遠忌

2011年09月18日 | Weblog
法然、親鸞の大遠忌  11/09/13

今、京都では、法然上人は800年の、親鸞上人は、750年の大遠忌が行われている。二人が活躍した時代は、貴族社会が崩壊し、武士社会に移行した時代であった。
当時の社会生活がどんなものか、実体験はできないが、今日のように、文明の恩典に浴することなく、飢餓と、病苦と、戦乱の日々を過ごしていたわけだから、どこかに、また何かに、救いを求めていたに違いない。
そんなすさんだ世に、二人は現れて、民衆の救いに尽力した。

法然はこの世の現実を認めた上で、「南無阿弥陀仏」の6文字念仏を唱えることによって、阿弥陀如来による救済にあずかる事をとなえた。
親鸞は阿弥陀仏を信じているときが、すでに救われた状態なのだという。

世の中が乱れて明日の命に、何の安心保証もない時勢のなかで、庶民は念仏を唱えるにせよ。唱えないにせよ、阿弥陀仏に救いを求めたのは、ある意味当然のことであったろう。
彼らが説法する以前の仏教は、貴族仏教で庶民は、仏恩に浴することは無かった。

ここでぼくは考える。
飢餓 病疫 戦乱の中で生活し、次の世での極楽往生を考えることによって、果たして心の底から救われたのであろうか。
文明の発達した今、我が国では、生命の安全を脅かすものは、飢餓であれ病魔であれ、当時とは比べ物にならない。
つまり、現代は、生命の安全が、文明の力によって保たれている。
それがゆえに、宗教、とくに仏教に救いを求めないのであろうか。
公称、1900万人の檀信徒は、このままの仏教を受け入れて、今後減ることは無いのであろうか。僕にはそうとは思えない。仏教が何らかの形で変容し、また生命の危険という差し迫った状況が生まれない限り、衰退していくだろうと推測する。

六道輪廻の世界観は、いずれの時代もあるだろうが、極楽の求め方が、鎌倉時代と、現代では、違う。現代は激動に揺れ動く時代に生きた人々と違って、命の安全が何らかの力によってサポートされているのである。だから差し迫って、仏による救済を求めなくても日は過ごせる。
僕にも先祖伝来の浄土系の宗教があるが、先祖供養する気はあっても、それによって救われたいとはあまり思わない。
つまり、僕が法然やが親鸞の教えから遠ざかっているのである。そして、こういう想いは、多分現代人の共通した。想いではないだろうか。

残暑厳しい9月に、京都の街をぶらぶらしながらぼくが考えたことである。
無関心と言うのか、冷めた目で見ていると言うのか、御堂で行われている法要に足を向けることは無くただ通り過ぎただけだった。


































近頃解せぬもの

2011年09月16日 | Weblog
近頃解せぬもの

1,自民党谷垣総裁の考え方
彼の言動は責任感の欠如も甚だしい。過去50年間も日本をリードしてきた天下の自民党が、今このときに日本国にとって何が必要か。常識で考えたら直ぐ判ることだが、彼の目前にあるのは、政権奪還しかみえていないのではないか。自民党支持率が上がらないのも当然だとうなずける。復興が進まなかったのは菅総理の責任以上に、自民党の責任でもある。
福島事故は動きようによっては、支持率アップに大いに役立ったと想うが、彼は何の手も打たなかった。好機を逃した。自民党に寄せる期待には何も応えていない。
原子力導入の許認可の責任を感じて、民主党より一歩進んだ、復興計画を作り、行動していたら、国民は認めただろうに。鉢呂問題を追及することがどれほど福島県民にとって重要なのか。 天下の自民党の考える事にしてはお粗末過ぎはしないか。

2,東京電力の電気料金15%申請の件
事故発生当時から感じることだが、この会社は一体何を考えているのだろうか。責任感のない人間の集団だ。今回の事故によってどれほど多くの人を苦しめたか、全然判っていないのじゃないか。そのくせ給料やボーナスカットを近々やめて元に戻したいと公言したり。責任の重さを考えたら、今後何十年間にわたり賠償責任を負わねばならないことに思いを致していない。あれだけ迷惑を掛けておきながら、料金値上げとは。あきれてものが言えない。まず己の骨身を削ることが先決。
厚かましいにもほどがある。倒産するか自滅するがよい。東電に替わる会社はいくらでもある。第二東電を作ればすむ話だ。

3,この暑さの中で運動会や予行演習をする学校の校長や教育委員会の考え方
運動会は何故残暑の猛暑日を避けて変更できないのか。今日も40人が救急車で運ばれた学校の校長がテレビで配慮が足りなかったと言っていたが、水分補給とか休憩時間とかで解決出来る問題ではない。要は30度を超えるような暑さの中で行うことが問題なのだ。学校行事の中で1月遅れの10月にしたらどんな不都合があるのか。この暑さの中で児童の健康状態を考えもせずに強行する必然性がどこにあるのか。多くの子供の命を預かっていると言う自覚が丸でないような結果を引き起こしているじゃないか。もっとしっかり考えて行事計画を組んだらどうだ。

熱中症

2011年09月15日 | Weblog
熱中症

9月も中旬だというのに、残暑が厳しい。今日などは所によっては35度を超えるところもあったようだ。幼かった頃の感覚からすると、異常気象である。
今後こういう異常気象が続くのか、平常に戻るのか知らないが、どうも腑に落ちないことがある。

酷暑に近い気温の中で運動会の予行演習をしたり、実際に実施したりして、生徒が熱中症で倒れ、救急搬送されてところが、全国の学校でいくつか出た。
こんなに厳しい暑さの中で炎天下にさらされると熱中症を起こしやすくなるなんてわかりきっていることである。おおぜいの児童生徒の健康を預かるものとして、熱中症は気にならないのだろうか。

学校が年中行事として、9月に運動会を予定するのには問題がある。
10月の半ば頃にずらせば、熱中症にかかる心配はほとんど無い。にもかかわらず、9月に実施しようと計画を組む。それは例年の習わしかも知れないが、悪しき前例になっている。
運動会の実施に当たっては、参加する生徒や児童の健康状態が良好に保たれる事が何にもまして優先するのに、学校行事に組み込んだ手前、変更しようとはしない。その結果子供が熱中症になって倒れて騒ぎになる。お粗末で笑い話にもならない
これは前もって判っていることである。少なくとも予測の着く事である。1月遅らせたからと言って、大きな支障でも出るのであろうか。僕の経験だが体育大会は10月の中旬に行事日程に組んで実施していたが、何の不都合も起きなかった。

十人以上の児童が倒れた学校の校長がインタビューに応じていたが、
30度を超すこの暑さの中で実施しなくてはならない必然性は何も語られなかった。真剣に聞いたがこの校長は児童生徒の健康をどのように考えているのだろうかと、腹が立ってきた。学校運営の最高責任者はもっと真剣に生徒の健康の実情に配慮して、学校行事に当たって貰いたい。