日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

悼む人

2015年02月28日 | Weblog


悼む人

2008年に送り人と言う映画ができた。人の死をあからさまに、脳幹とか火葬場と言うおおよそうっとうしい画面が出てくるらしい。恐いもの見たさもあったけれどもこの映画は見なかった。ただ1つ気になったことがある。火葬場は人が体を失って魂だけになる誰もが通る通過点と言う台詞はその通りだと思った。

今回悼む人と言う映画を見に行った。文字通り悼む人を描いた映画なのだが、何のために?という気持ちが強く2時間に何回あくびをしたことか。宣伝が良かったのか映画館はまれに見る混雑ぶりだった。そこで席を立って退出しようと何回も思ったが、大勢の人の中でそれはできなかった。
いずれにせよ話は暗すぎる。金を払ってまで観る映画ではないと僕は思った


川崎事件に思う

2015年02月26日 | Weblog
川崎事件に思う

あれだけ残忍なことをやった奴らだ。柔道場へ連れて行って根性をたたきなおしてやれ。絞め技に背負い投げして失神するくらいまでいたみつけよ。
柔道は正義のために使うなら、暴力にはならないだろう。

ブルーシートをかけて中身が見えないように犯罪者をかばう。そんな人権がどこに必要なのか。もっと社会的に犯罪者に厳しくしないと今の社会はたるみ切っている。こういう社会で得をするのは、また善悪を問題にせず、やりたい放題やるのは、犯罪者だ。実態がなかなかわからない人権という護摩符を水戸の印籠のようにして。
粗暴な人間にはやりたい放題やれる社会みたいだ。もっと社会を引き締めよ。
教育関係者ほど無能な責任者は懲罰をはっきりして責任をとらすべし

川崎の事件

2015年02月25日 | Weblog
川崎の事件
今回は
究極のいじめとして惨殺だ。尋常でないと思う節があったら、警察へ通報することができなかったのだろうか。もともと学校には警察のような力はないが、手に生えない場合は警察に頼る他は無いのである。

教師集団は事件が手に負えないことを知って何らかの行動を起こしたのか。大津事件であれほど騒がれたのにまだこの種の事件が起こる。
いじめの兆候はまず学校で発生する。友人の噂や通告で防げる場合が多い
電車の中には「痴漢は犯罪です」と書いてあるポスターが貼られている。痴漢事件が発生しても殺人に至ることはまずない。ところがいじめの場合自殺か今回のように他殺かという重大事件に発展する危険がある。ポスターによる啓発キャンペーンをするというのなら明らかに「いじめは犯罪です」の方が重要だ。一大国民運動のレベルで取り上げることだ。
現在の学校にはいじめを根絶する力はまずない。が、基本はいじめに対する校長の感度や正義感によっても変わってくるだろう。今回の事件で校長がどんなに真実を説明しようが空々しくて腹が立ってくる。ところが現状ではそんなたよりない学校に責任を負わせている。
今回の件についてはしっかり検証しなくてはならないと文部大臣が言う。これもピント外れだ。
何回に似た様な検証をすればいじめがなくなるのか。なぜ警察力を動員活用しないのか。自殺にせよ他殺にせよひとりの命がなくなっているのだ。最も深刻に受け止めるべきじゃないか。
そこでいいたい。児童生徒の安全と命に責任を持つ校長でいじめにタイして感度の鈍い人物は校長職から排除すべきである。不適格者だ。

立春はすぎた。

2015年02月23日 | Weblog
立春はすぎた。

風は肌を刺すが、陽の光は暖かい。ひなたぼっこがしたくてひだまりに立ち止まった。この時期去年もそうだった。今年はそうである。来年もきっとそうだろう。

梅の便りが過ぎるとさくら前線が北上する。当地では4月6日前後が最盛期の見頃である。それまでに夜嵐でもふけば、見頃は飛んでしまうが、まずそれはない。今日は2月20日過ぎだのに春一番が九州では吹いたそうだ。
「世の中にたえあて桜のなかりせば春の心はのどかならまし。」
気持ちはここまで高ぶらないけれど

原発で心配すること6-23

2015年02月22日 | Weblog
原発で心配すること

1,核のゴミ処理問題  政府が押しつける結果に終わるだろう。
住民の意見をよく聞いてなんて真っ赤な嘘である。たぶん引き受け手がないから押しつけざるを得ないだろう。

1,世界一安全基準とう言嘘
どれが安全か。アメリカやフランスの学者が言っていたが絶対安全はあり得ない。世界一安全だからその基準が安全であるとどうして言い得るのか。

1,安価であるという嘘
建設費や運転費用から算出される原価は安いかもしれないが総原価の中には、核のゴミ処理費も、事故に掛かって経費も計算に含ませておくべきである。

1,避難計画のずさんさ..風向きによってどう変わるかわからない物を予測すること自体が難しい。日本は汚染は半径30kmといったが実態はアメリカがいったように80kだって危ない物だ
東京都の水源が汚染されたとき、都知事がコップ1杯の水をテレビの前で飲んで見せて安全であるという。
リアリテイがなく滑稽だった。都民を馬鹿にしている話だ。

高浜原発などによって近畿が汚染されたら、最悪の場合国が滅ぶぞ原発で心配すること

1,核のゴミ処理問題  政府が押しつける結果に終わるだろう。
住民の意見をよく聞いてなんて真っ赤な嘘である。たぶん引き受け手がないから押しつけざるを得ないだろう。

1,世界一安全基準とう言嘘
どれが安全か。アメリカやフランスの学者が言っていたが絶対安全はあり得ない。世界一安全だからその基準が安全であるとどうして言い得るのか。


プロの作品

2015年02月19日 | Weblog

プロの作品

プロとしては売れる作品を書くことだ。たとえ自分の本心がどんな作品を作りたいと言う部分を持っていたとしても。
純文学を描きたい作家が今日いちにちの糊口をしのぐために、エロ小説を書いて日銭を稼ぐようなものだ。このスタイルの使い分けが大切だ。純文学こそが生涯の目標であったところで、今日、明日の飯が食えないと純文学どころではない。この一見矛盾したようなものが、1人の人間の心の中に存在している。
人間は多面的存在であることの証左である。日々の暮らしを立てるためには大衆迎合の作品を作る事は避けて通れない。自分の生涯の課題とした作品なんて個性的ではあるが、独りよがりの部分が多いから、読者がないと考えるのが普通である。

10-3受験シーズンの会話

2015年02月18日 | Weblog
受験シーズンの会話

「おまえもがんばって一流大学へいって、一流会社に就職しないと生活もおぼつかないぞ」

「おとうちゃん。夜になるとどこの家でも電気がついて皆普通に暮らしているやんか。みんながみんな一流大学に行けるわけがないから。今電気がともっている家も皆一流大学出て一流企業に勤めてはるとは思われへん。それでもみんな生活してはるやんか。そんなに勉強せな、生活できへんのか」

「生活できないといっているわけじゃない・勉強しないと一流会社には入れない。そうなれば生活が大変だぞ。だからうるさくいうんだ。」

「お父ちゃんの考えは古い。今は自分のやりたいことや、好きなことをして生活する時代や。勉強勉強というて子供に押しつけるのは、もう聞き飽きた。」

「そんなへりくつをこねていると、お父ちゃんみたいに苦労して生活をするようになるのや。ここから抜け出せないといつも社会の底辺で苦労して生きることになる。そこをいっているんだ」

受験生を抱えている親とこの会話はこの時期頻繁にこんな話が交わされる。長い間社会生活をすると、社会の実態という物が見えてくるから会話がすれ違うのは当然だ。私見をいうと、お父ちゃんのいうとおり!!やっぱり勉強して一流大学を卒業して一流企業に入る努力はしないと。みんながやってるのだから

関西電力と原発

2015年02月17日 | Weblog
関西電力と原発


原発11基ある中で9基再開させたい意向である。いまだに事故原因が解明されていない部分が残る東京電力の大事故に対してどんな感覚で持って当事者として、この事故を眺めているのであろうか。
関西電力の原発をポイントは動かせば利益が出ると言う一点にある。
使用済み核燃料貯蔵プールが数年も経てば満杯になる。その処分をどうするのか目途も経っていない。
そういう状態の中で原発ゼロでも夏冬を乗り切りった。しかも安定供給を理由にして原発脱却の意見を退けてきた。
一旦事故が起こればこの関西がどんな悲惨な目にあうか想像ができないのであろうか。
彼らの言い分を、肯定すると言う事は会社を安泰にすると言うだけのメリットで、万が一関西地方が汚染された場合の損害の甚大さには目が届いていない。もういい加減に原発依存から脱却することが経営の柱にしてほしい

ぺくさん

2015年02月14日 | Weblog
ぺくさん

「パクさんですか」「いいえ違います。ベクです」
「だって白と書いてありますが…」
「日本読みはパクでしょうが、韓国ではべくです」

もう50歳を過ぎているだろうこの夫人の歌の上手さには舌を巻いた。思わず声をかけた。カラオケの音響のどの性能の良さを取り除いても、この人の歌のうまさには何の影響もないと思った。歌詞に込められている情感が巧みな歌いっぷりによってじんじん胸に沁みいてくる。
わけありと思った僕は突っ込んだ質問をした。

「歌はどこで勉強されましたか。」

「歌唱団でプロとしてずいぶん鍛えられました。若い頃は来日して東京でよく講演しましたよ」

「道理で。こんなカラオケ店に来られることもあるのですね。」

誰に聞いてほしいわけではないのに、習性でしょうか.
歌いたくなるのです。」

嫌韓ムードが漂う世相にあらがうように気持ちの通じないがあった。
歌声は国境を越え、民族を超える。

反論

2015年02月12日 | Weblog
反論

政府がジャーナリストの渡航制限するのは危険だ。生命保護と言う名目で報道の自由、の権利が犯されたら損失のほうがはるかに大きい

こーゆー論法は話にならない。憲法条項を盾にとって自分のやりたい放題をやろうとするところに問題がある。第一今回の例で分かったように自己責任なんて絶対に取れるものではない。という事は必ず日本国に迷惑をかけることなのだ。取材の自由と言う1つの自己主張のためになぜ日本国が迷惑被らなければならないのか。そこの点を10分追求すべきである。報道の自由侵害前例の恐れなんてとんでもない話である。もっと常識をわきまえた上での行動をとってほしい。それも国民の義務である。

NHK会長は問題児だ

2015年02月11日 | Weblog

NHK会長は問題児だ

従軍慰安婦問題について
正式に政府のスタンスと言うのがまだよく見えない。夏にかけてどういう政府の方針が分かるのか、この辺がポイントだろう。

彼の顔は明らかに政府のほうに向いている。この時点で彼は自分の立ち位置がどんなものかわかってない。すなわち政府の意向どおりにNHK話放送するのか、それとも視聴者のほうに顔を向けて番組を作る方針を出すのか。公共放送の役割と言うものの本質が彼には理解ができていない。そんな人物がNHKの会長でいること自身がふさわしくない。どんなキャリアの持ち主か知らないが、哲学には欠ける感じがする。いちにちも早くクビにすることだ。ふさわしくないのだから当然のことだ。

冷徹な計算ができないのか

2015年02月10日 | Weblog
冷徹な計算ができないのか

イスラム国は人質を残虐な方法で殺し、その過程をインターネットで全世界に流した。彼らは残虐性を目の前に突きつけで見る人々に恐怖心を植えつけようとしている。平和な国の人々は見るに耐えないこの残虐性に、恐怖心や嫌悪感抱いたが、それは同時に復讐心を巻き起こした。
日本人2人とヨルダン人1人を、とても正視できなくで、目を覆いたくなるような殺害場面を世界中の人に見せた。これを見たら世界中の人々はイスラム国は悪の権化と思ったことだろう。そうだとすれば彼らは野蛮で幼稚な最悪の方法で、自国PRをしたのだ。人質惨殺したことによって世界から恨みをかい
人々に彼らを全滅させることが正義であるという思いを抱かせ、皆殺しすることの正当性の口実を与えたものだ。
幼稚で馬鹿な連中だ。なぜならそんな残酷なことをオープンにすれば彼らにはどんな形で帰ってくるか。計算ができなかったのだろうか。



人は人に対して狼である。ルソー。

2015年02月09日 | Weblog
人は人に対して狼である。ルソー。

今のイスラム国の残虐性を見ているとイスラム国と言う狼によって彼の国内にいる人も、国外にいる人も彼の支配に従わないと遠慮なく殺される。イスラム国はまるで人食い狼集団である。
まさかルソーは今日のこの現状をさして言ったのではあるまい。彼はもっと広義の立場で行ったのだろうが人類史は戦争また戦争で彩られている。すなわち人間は人間に対して狼なのである。

賛否両論

2015年02月08日 | Weblog


賛否両論

外から見れば「飛んで火に入る夏の虫」である。
お気の毒だが自殺行為で自己責任であると僕は割り切る。
マスコミ関係者の中には彼の知己を得て親近感があり、それだけに感情的に反応して涙を流す人もいる。

外務省は彼のシリア行きを3回引き止めて勧告した。しかし結果的には彼は自分の信念に基づいて入国して殺された。

ところで今回の騒動では政府は早い段階から対応していた。最初から最後までにはどれほどの金と労力を使ったのか。決算書は出ないから推測するほかはない。多額の金と労力だ。
1人のジャーナリストの自己主張と行動で日本国はたいそうな迷惑を被った。こういうこともよく考えて行動すべきである。取材と言う名目に惑わされてこの暴挙をやすやすと受け入れてはならぬ。