日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

紅白歌合戦

2017年12月31日 | Weblog
紅白歌合戦

今年の紅白は歌を失った。歌を期待してももうだめである。
1年を歌で締めくくりたいなんて考えたら大間違いである。
つまり歌合戦ではないのだ。

歌を聴きたいのにパフオーマンス やダンスが邪魔をする。いったい何を考えてこういう発想を押しつけるのか。

最低のレベルだ。嫌悪感や拒否感しかない。

1年を締めくくるには別の歌番組を作らなければならない。それにすがろう。

こんな馬鹿番組に時間を割くのはもったいない。

こだわり6-16

2017年12月30日 | Weblog
こだわり

これは、僕が、アメリカ人のクラブで、ドアーボーイとして働いていたときに体験した話である。
いきなり 「ヘイ、ジャブ、、、中略、、、、ゲラル ヒア」という声がした。
アメリカ人のボスは、雷のような声でどなった。それは当たり前だった。
ドアの開閉をして、金をもらっている人間が、真冬の夜に、ドアを開け、友人とぺちゃくちゃお喋りを楽しんでいれば、雷が落ちるのも、当然だ。

早口で、顔を真っ赤にして、怒っているこのアメリカ人が、まくし立てた怒りの言葉の中では、最初の
ヘイ、ジャブという言葉と、最後のゲラル ヒアという言葉の意味しかわからなかった。
急に大声で、となられて、びっくりしていたから、うろたえるのは、無理のないことである。その中で、僕は、彼の怒りの言葉を自分なりにこう解釈した。
「コラ 日本人の間抜けめ 、、、 、中略、、、出ていて、バカ。」怒られるのは、もちろんこちらの落ち度だから、無理は無い。
怒りすなわち感情が爆発して、理性が効かなくなると本音が出てしまう。
このアメリカ人のボスも思わず本音で物をいったのだろう。今にして思えばジャブ・日本人野郎は無いだろう。
でもそのときは何も気にならなかった。
一般論として、人間社会というものは差別、区別で成り立っているところがある。それは、各人が心の奥底に秘めている劣等感や優越感に根ざしているようだ。
人間は悲しいもので、自分で、自分のいる位置が分からないから、不安になる。すべて比較によって、決めようとするから、となりの車が、大きいと、気になるという、妙なところがある。
となりの車が大きかろうか、小さかろうが、我が家の車がいちばん自分たちにとってふさわしい車だと割り切れば良いのに。となりの車を羨望の念と、同時に、妬みの気持ちを持って眺め、そしてそれにこだわる。そのあたりから、優越感や劣等感が出て、他を優劣で差別するという差別感が生まれてくる。
個々人に置いても、人間は、こういう状態だから、その集団である人種、とりわけ、見た目ではっきりと区別できる、皮膚の色や髪の毛の色では差別が生じやすい。
一般には、白人が、最上位で、それに続いて、黄色人種、最下位が、黒人の順位となっているが、これは暗黙のうちに了解されている。

先程の白人のボスも、この了解のもとに黄色の僕を一段見下げてジャブを使った。人権感覚からすると、問題のある





この発言も、つまるところ、白人が、黄色人種に対してもつ、差別感の端的な表れであると僕は見た。
考えてみると、黄色であるアジア人種でも、日本人は他のアジア人に対して、差別意識を持っている。
たとえば中国人のことをチャンコロと称して、軽蔑した時代があった。
軽蔑した、かの国はその昔、先進国で、我が国の文物は、ほとんど大陸、その国からもたらされ、それをベースに我が国の文化が生まれたと言うのに、
基本的なことはすかり忘れて、ただ見てくれだけで、たちのよくない差別意識を持つ。だから、チャンコロが出るのである。

差別ということに、こだわることは、地獄行きの切符を手に入れるようなものである。差別用語を使って一時的に優越感を持ったとしても、それでいったい何がどれだけ得をしたというのだ。少なくとも現代教育を受けた人間にとっては、大筋では、恥ずかしい思いがするはずである。また、むなしい思いがするはずである。
先程の体験談を持ち出して考えてみると分かるように、差別意識を持つか持たないかは、天と地
ほどの違いがある。差別を意識した途端に、地獄の住人になる。その意味するところが分かれば
ジャブと言われると腹が立つ。だけど、あの時は、僕はジャブの意味がわからなかったから、まるで何も感じなかった。怒った彼が僕の心の中を知ることができたら、むなしい思いをしたことだろう。どんなに軽蔑的な言葉を使って、感情をぶっつけてみても、相手にその意味が分かっていないと「、蛙の面に小便」で、全く無意味であるからだ。s
自分の感情を暴発させて、自分はすっきりしたかもしれないが、心の中は虚しいものが、残りはしないだろうか
人間を肌の色や髪の毛の色で、優劣を感じるようでは気の毒そのもので、真の意味での人間はわかるまい。人間として生まれてきて、このようなこだわりを持ったがために、楽しいかるべき人生をくらいものにしている。ここらでしっかり考えなおしてみるのもいいことだ。




























自由の確保

2017年12月29日 | Weblog
自由の確保

むれて生きる生き方もある。それはそれなりに面白い。

が、僕は自分一人で好きなことをしながら人生を楽しむのが好きだ。
人間は社会的動物というけれど、、、

多くの人間関係は、確かに幅も広げるが、同時に気遣いという煩わしさも背負い込む。
好きなことをできる自由を確保するためには一人でいるに限る。

これが自分の人生を満足のいく生きかたにするための条件の一つである。

お経

2017年12月28日 | Weblog
         お経

お経は釈迦の教えである。彼がこの世のありとあらゆる体験をして、その後に、宇宙の真理を明らかにし人間の生き方について ノーハウを教えた。お経はそのエッセンスを凝集したテキストである。

あらゆる思索と体験をしてその後に、釈迦が、悟った人生の根本原理と生きがいのある、悔いのない人生を送るための考え方や。実践の仕方それを満載したものがお経である。

 われわれはこれを、誤解して陰気臭いもの、抹香臭いものと思っているが、それはお経の本質や、実態から離れ過ぎたものである。
お経が悪いのではなくお経を読む、現場が悪いのである。我が国ではお経は葬式や法事など死者を弔ったり、死者を偲んだりする時にかぎられて用いられる。
だからわれわれは、お経に対して偏見を持つのである。

人生はどういうものであるにしろ生き方は、個人にゆだねられている。

生きがいのある人生か、つまらない人生か。それは、すべて個人にゆだねられ、個人が決めていくことになっている。ということは人生については、各人がおのおのの人生に対して責任を持たなければならないということである。

より有意義な人生を送るためのノウハウ、や智慧が経門の中にたくさん盛り込まれている。
もともと、インドで生まれたものであるからインドの、言葉で、書かれておりそれが、玄奘によって、中国語に翻訳され ほとんどそのままの形で日本に、輸入され中国語で書かれたお経にぶっつかるから現代の日本人にとってはとても読みにくく、しかも難解なのである。
 
歴史上の大天才が体験し、思索した物の集大成だからそれは決してやさしいものではないが、日本語でわかりやすく解説すればもっともっと、現代の日本人にも受け入れられるように思われる。

この世に生まれて、生きる目標がたくさんの富を得る事であり、社会的な地位を得ることでありというような世俗的な事ばかりに関心が奪われているような人にはお経は一見して無用に見えるが、

それは全く逆のことで、そういう俗世の確かな物を得るためにも、お経は必要な物なのである。

しかしながら、僕はあらゆる人にとって人生読本だと思うにも関わらずこれが不思議なもので、極少数の人にしか縁のないテキストなのである。

考えてみると、これも縁なき衆生と、縁のある衆生とに分かれていて、縁なき衆生はとことん縁のないものなのであろうか。

しかし生き甲斐のある人生を送るための、すばらしいアイデア集であり、賢く生きるための知恵の宝庫であるものだと思うから僕はどなたにも読むようにお勧めしたい。

そのためには何の知識もない一般衆生が日常生活の中で困った時に問題解決の為の手引き書として、つまり漢字がが判らないときに漢和辞典を引くように、人生辞典としていつでも手元で活用できるような、日本語訳が不可欠である。

出よ。お経の日本語翻訳者。

歌う

2017年12月27日 | Weblog
歌う

上手下手の問題ではない。歌うことが大切なのである。

ある年齢になると、暇ができてくる。

「小人閑居して不善を為す」というじゃないか。

歌でも歌っている方が望ましい。ぼけ防止に役に立つ。不善を為す暇などなくなる。

歌っていると感情の揺れ動きがある。これはストレスのはけ口へとつながる。

練習には時間をとられるが、それ相応の見返りはある。

第一、コーラスとなると、他の人とのコミュニケーションがとれる。

これが脳の活性化に良い影響を与える。

こういう状況の中で、手応えを感じないとすれば、それは己の責任である。

ご同輩0

2017年12月26日 | Weblog
2ご同輩



鏡を見ては、まるで敵討ちでもするかのような憎しみを込めて、一本、また一本と抜いていた白髪も、こう多くなると手の施しようもなく、後は白髪染めを使うことしか方法がないようだ。

暦年齢からすると、人生の折り返し地点を少し過ぎたくらいだが、白髪の数に反して僕は自分の人生にたいして、まだ充実感を味わっていない。
 天下取りのような、だいそれた野望など持ち合わせていないのだが、名もなき庶民の身にも、それなりの夢というものがある。毎日それを追いかけながら、齢を重ねて行くのが、大半の人間の実相というものであろう。
僕もささやかな夢を追い求めつつ、今日まで生きてきた。心の渇きは満たされないままに夜を迎え、朝に希望をつないで、日を送っている。

四十代というと、社会的にも、家庭的にも責任が重くのしかかる世代である。会社ではいやが応でも、責任ある立場に立たされ、家に帰るとローンの支払いやら、子供の教育やら、早いところでは、娘の結婚問題にも神経を使わなければならない。重い責任が二重にも三重にも、のしかかってきて、考えようによっては、大変な世代である。

これら物心両面の重責に耐え兼ねて、時々この世代の人達が蒸発する事件を新聞紙上で見かけるが、身につまされる思いがする。
しかし我々40代の誰もが背負っているこの宿命みたいなものを、投げ出す訳にはいかないから、つらいけれども、歯を食いしばり、明日に向かって頑張っているのである。

俳優の柳生博氏は僕と同い年である。近ごろ彼が新聞紙上で、ある眼鏡会社の宣伝をしているのを見つけた。腰の辺りまで水につかり、魚を釣っている彼の写真が大きく載っていた。よく見ると彼も白髪交じりである。我々みな同じなんだなーと僕は一人で苦笑した。
恐らく彼も仕事上の、あるいは家庭上の責任の重圧にあえぎながら毎日頑張っているのに違いないと思うと、遠い存在であった彼に、急に親しみを覚えるようになった。
新聞紙上の彼は我々同年配の世代に向かって“御同輩"と呼びかけているが、この御同輩と言う言葉の響きがいやに耳に付いて頭から離れなかった。
御同輩か。眼鏡も、白髪もか。

 フトンの上に寝っ転がって、この新聞の中の彼を見ていたら、ある詞が思い浮かんで来た。それは彼を反射鏡にして映した僕の心境でもあった。
もともと僕の心情を詞にしたものだから、これに曲をつけることはたやすいことである。我々世代に向けての応援歌を作るつもりで作曲してみた。

詞の内容からすると、当然我々男性、40代の世代に共感を得ると思いきや、この作品はもっと若い世代にも共感を呼ぶらしい。特に三十代後半のミセスに受けたのには驚いた。きっとそろそろ倦怠期を迎えつつある奥さんがたの、ハートをゆさぶるような甘い声の歌い手がこれを歌っているから、うけているのであって、作品の内容からすると詞も、曲も若奥さんに受ける要素は何もないように思う。
 
 作曲するに当たってはいくつか注意したことはあった。
四十男の人生の悲哀を前半で歌い上げ、ご同輩、という行(くだり)から短調を長調に転調して、曲想を明るくして希望の感じを出してみた。

ごく最近の事であるが、ある長寿者に
「あなたは自分の人生のなかで、何歳くらいの時が、最も充実して楽しかったか」 というアンケートの集計をしたら、四十代から五十代も最もすばらしい、という答えが圧倒的に多かったと新聞は報じている。

 人生の甘いも酸っぱいも、解りかけてくるのは、やはり四、五十年生きてみて、というところなんだろう。実態としては存在しても、表面に浮かんで来ない、人生の本質的な部分まで見えてくるのは、人の親になって少なくとも、20年はかかるというのであろうか。
苦も多いが、今まで見えなかったものが見え出すということでは、確かに人生においては一番すばらしい時であり、かつ一番潤いのある時節なんだ。
 
 見果てない夢を追い求め、幾春秋を当てなくさまよい、いつの日が大空を駆け巡ろう。
悩みは果てなく尽きぬとも、ご同輩よ、地上には花が、そして天上には星があるではないか。
酒酌み交わし人生を語れる友もいるし、家では女房と子供があなたをの帰りを待っているではないか。

 さあ、元気を出して、声高らかに、明日に向かって突っ走ろう。
きっとお主の人生が琥珀色に輝くときがくることを信じて。
また明日も頑張ろうじゃないか。 御同輩。

           ご同輩
          
            (一)

長い時の流れの中にいて、いつの間にか白髪まじり

果てない夢を追い続け 幾春秋を 当てなくさまよう

だけど、ご同輩 今こそ人生の 一番華やかな 潤いの時

地上に 花あり 天上に星あり
          
            (二)

いつの日か 大空を駆け巡る わずかな望みを 追い求め

昨日の憂いを 心に残し 今日も見果てぬ 夢を追う

だけどご同輩 今こそ人生の一番すばらしい、潤いの時

あせるな、あわてるな、道は まだはるか
    
           (三)

流れ去り行く 無言の時 静かに響く 鐘の音

短い年月、果てない悩み 昨日も 今日も また明日も

だけど ご同輩 今こそ人生の 一番楽しい 潤いの時

外には 友あり 内には 女房あり。

恋衣

2017年12月25日 | Weblog

恋衣

2010-05-30 21:26:08 | Weblog


恋衣

夏の終わりは、秋というよりは、初冬を連想させる。

真っ黒な雲が、かたまりになって、空を覆い、午後の一時すぎだと言うのに、まるで夕方のように暗くなっている。

北国の夏の終わりとはこんなものか。僕はもやもやと曇った心で空を見上げた。
北国の夏の終わりの頃は空は怒気をふくんでいる。

今朝は、堺の自宅を4時に出た。京都を通り越して、鯖街道を北上し、山川登美子のふるさと小浜に着いたのは、一時すぎだった。

小浜の町は、静かで、落ち着いた雰囲気の城下町である。おそらく、夏の始まりには、海水浴でにぎわったことであろうが、もうその時期も過ぎて、祭りのあとの寂しさが漂っていた。そんな感じを受けた町の素顔は他人を押しのけてしゃしゃりでる図々しさや、自己主張に乏しい古風で、女性的なたたずまいである。それは正しくひそやかな恋こそふさわしい街である。

山川登美子という人は、こういう雰囲気の中で、生まれ育ちつつしみ深いまわりの環境の中で、情熱を燃やし、歌作りに励んだ、女流歌人である。

人間は、いかに個性的であろうと、育った環境の影響を受ける。彼女もきっとこの小浜の雰囲気を身に浴びて、心の奥底には、たぎるような情熱を胸の底に秘めて、それを控えめに、歌作りに励んだのだろう。

山川登美子は、1879年小浜に生まれ、29歳の若さで、不幸な生涯を終えたと僕は思う。恋には敗れ、父が勧めた銀行員と結婚して2年に、夫とは死に別れ、更に不運にも夫の病が移って当時不治の病であった結核にかかり、この世を去った。恋愛といい、結婚生活と言い人生の重大な局面では、彼女は悲運の神にとりつかれたように、彼女の人生は彼女にとっては不幸、不幸の連続で人生を終えることになった。

歌人与謝野鉄幹に認められ、与謝野鉄幹をめぐっては堺出身の鳳晶子と激しい恋争いをした。自由奔放な気質の鳳晶子比べて、小浜の町の古風で、女性的なひそやかな恋心を燃やしていた。


しかし、父親が一方的に決めた当時のエリート銀行家との結婚話で、古風で、堅気な彼女は、封建的な家風に逆らうことなく、恋を断念する。与謝野鉄幹は、そんな古風な女性よりも、自由奔放な鳳晶子を選んだ。つまり、山川登美子は、この恋愛レースには敗れたのである。
登美子は、恋の敗北者である。だが、若い情熱を断ち切って、運命に従った女の悲鳴にも似たる恋の情炎の激しさは、鳳晶子の情熱に、決して劣るものではないと僕は思う、いや、そう願いたい。

晶子との恋争いには破れはしても、それで彼女の心の中が収まったわけではない。激しい恋愛感情とその情熱は心の底に沈んだまま、内に秘めた悲しい叫び、恋をあきらめ人並の命さえも授からなかった不幸な生涯の断腸の思いが、彼女の歌に限りないに力を与えている。
彼女の著書を調べ、現地へ赴いて、調べることによって僕は、彼女の不幸に対して、同情の涙を流さないわけにはいかなかった。
彼女自身の自分の不幸な運命に対する嘆きは、僕の心に直接に響いて、縁もゆかりもない彼女の運命に対して、彼女に変わって敵討をしたい衝動に駆られた。彼女の悲痛なこの思いを時の闇の中に、埋もれさせてたまるか。僕の心の中は、怒りのマグマが、あれくるっていた。

彼女の実家に、立ち寄ったけれども、まわりを一周しただけで、たちよる事無く、通りすがりで、家の中を覗き、家人がおられるのを横目に見て通り過ぎ、彼女について尋ねる事はしなかった。実情を詳しく調べるという思いの前に、僕自身が、彼女の心中をそっくりそのまま、僕の心の中に、取り込んだ。いや、彼女のその部分が、乗りうつったと言った方が適切かもしれない。そして足を小浜図書館に向けた。

図書館には、山川登美子に関するコーナーは設けられてはいるが書物は、ほんのわずかしかなかった。ここに来る前に彼女が、学んだとされる梅花女学校から、彼女の著書をコピーしてもらって、調べておいたから、あらかた彼女の事は判ってはいたが、それにしても、高名な歌人をもっと顕彰すべきではないか。何か物足りないものを感じた。人というものは恋の敗者にはたとえ同郷の人であっても、同情を寄せないものであろうか。

彼女のお墓は、発心寺に在ると聞いた。図書館から、小浜線の線路を渡った近くにお寺はあった。この地方ではかなりの名刹らしく、雲水が4,5人いて庭掃除をしていた。そのうちの一人に、登美子の墓のありかを訪ねた。正面に向かって、本堂の左側の方は、山になっている。
その山を切り開いたような形で、一帯は墓地になっている。
人一人が、通れるほどの細い坂道を登っていって、左の奥に山川家の墓があった。登美子の石塔は山川一族のお墓の隣に建てられていた。

僕は、合掌しながら心の中で、彼女に次の様に、語りかけた。
恋には破れるは、結婚して夫にはわずか2年で先立たれ、同じ病を移されてわずか29才でこの世を去ったあなたの人生に想いをいたすとき、僕は心から、同情申し上げる。そして、あなたの悔しい思いは、必ずや僕の手で、世間に知らしめたい。
歴史上には、歌人として名を残しながらも、表舞台からは、忘れ去られているあなたの存在と歌集を必ずや世に問うてみる。
歴史は常に勝者にスポットライトを当てるが、そのうらには、こんな悲しい人生もあったのだと言うことを知らせば、あなたが生きた真実も世間に理解されるに違いない。
それがどうしたのかと問われると、何とも答えようながないが、それでも同じような境遇にいる人に、あなたの存在が慰めになり、場合によっては勇気ツケになり希望を与えるかも知れない。あなたのように慎ましい古風な女性はこの世にごまんといる。事実を知ればきっと多くの女性が共感するのではないだろうか。

幸い僕は人の気持ちを表現する手段を持っている。僕は今自分が感じているこの思いを詞と曲に託し、いつか世に問うてみたい。せめてそれだけが今自分の出来る事である。
どういう縁が働いてこういう事に成ったのか、自分でもよく分からないが、今このときあなたを訪問しているのは紛れもない事実である。
帰宅すれば早速筆を取ろう。そしてあなたに代わって僕の思いを世に問うてみることにする。それがせめてもの本日こうしてあなたと対面したことの意味である。

恋衣

一、
赤い夕日に 身を染めて   
北を指して帰る鳥たち
白い翼に悲しみ乗せて    
お前達かえるのか
かなわぬ恋に 身を焼いて  
北を指して帰る私
つらいさだめを  一人逃れて
私は帰るのよ
ああー 貴方は今も  私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している


二、
今は幻の恋人であっても
離したくない 離れない
恋の戦に敗れても    
恋衣は破れない
例えこの身は 召されても  
私の恋は終わらない
あなた色に染まる 恋の炎は
激しくもえるのよ
ああー 貴方は今も 私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している




ばぶる紳士はいつでもいる

2017年12月25日 | Weblog
ばぶる紳士はいつでもいる

今日の新聞にバブル紳士の、その後、が載っていた。

平家物語の昔から栄華の花が咲続ける筈が無いのだが、

バブルのお陰で町がきれいになった。バブルは一つの幻想であり

そこから勢いが生まれた。そのパワーのお陰で古いと感じていた

家や建物を立て替えたり改装したり、金を掛けた。

これは時の勢いに乗っで出来たことだ。当時は誰もが儲かっている気になっていた。

だから財布の紐は緩く築後50年は経とうとする住まいに金を掛けたことは自然なことであった。

こんな田舎でと思われるような地方のちいさな駅前でも、瀟洒なアパートが建っている。

バブル後にたてられた建物はあか抜けしていてきれいなものが多い。
そんな設計になってしまっているから、昔のような文化住宅は建てようがない。戦後の遺物として。


山の麓の奥までブルドウザーが入り込み木々や竹をなぎ倒し

住宅地にしてしまった。バブル経済を立て直すための実需を生み

出すために政府が住宅ローンの金利を下げて住宅建設に力を入れた結果、開発はさらに進んだ。

おそらくその辺りに住んでいた狐狸達は住み難くなったことだろう。


負債の整理がそのまま30年から50年かかるとは思えない。

国民全体が新たなローンを抱え込んだようなものだ。

この返済が生活に重くのしかかって来る。

その重圧が取り除かれたときに日本の経済はもとの元気を取り戻す。
元々こういう実態=実際の価格、とかけ離れた訳の分からないものに投機するというのは健全な考えかたではない

。ばくちは人の生活を破壊し、だめにする。

バブルによって誤った経営をして倒産をした会社が多いし、人生

を狂わせた個人も多い。だが、人は己の過ちを認めたがらない。

認めると自分が惨めに成るだけだから。

欲を深くしないで従来の同じ生活を続けた者にはバブルの恩恵に

浴さなかった代わりに負の遺産を背負い込む事もなかった。

しかし娑婆に生きている人間が金に目もくれないで、座して

バブルのあの熱気見るだけというのは、世捨て人 的感覚の持ち主出なければ出来ないことで,常人には出来ない相談である。

ちょと気の利いた人間は必ずと言っていいほど手を出してやけどをする。

ばぶる紳士はいつでもいる

2017年12月25日 | Weblog
ばぶる紳士はいつでもいる

今日の新聞にバブル紳士の、その後、が載っていた。

平家物語の昔から栄華の花が咲続ける筈が無いのだが、

バブルのお陰で町がきれいになった。バブルは一つの幻想であり

そこから勢いが生まれた。そのパワーのお陰で古いと感じていた

家や建物を立て替えたり改装したり、金を掛けた。

これは時の勢いに乗っで出来たことだ。当時は誰もが儲かっている気になっていた。

だから財布の紐は緩く築後50年は経とうとする住まいに金を掛けたことは自然なことであった。

こんな田舎でと思われるような地方のちいさな駅前でも、瀟洒なアパートが建っている。

バブル後にたてられた建物はあか抜けしていてきれいなものが多い。
そんな設計になってしまっているから、昔のような文化住宅は建てようがない。戦後の遺物として。


山の麓の奥までブルドウザーが入り込み木々や竹をなぎ倒し

住宅地にしてしまった。バブル経済を立て直すための実需を生み

出すために政府が住宅ローンの金利を下げて住宅建設に力を入れた結果、開発はさらに進んだ。

おそらくその辺りに住んでいた狐狸達は住み難くなったことだろう。


負債の整理がそのまま30年から50年かかるとは思えない。

国民全体が新たなローンを抱え込んだようなものだ。

この返済が生活に重くのしかかって来る。

その重圧が取り除かれたときに日本の経済はもとの元気を取り戻す。
元々こういう実態=実際の価格、とかけ離れた訳の分からないものに投機するというのは健全な考えかたではない

。ばくちは人の生活を破壊し、だめにする。

バブルによって誤った経営をして倒産をした会社が多いし、人生

を狂わせた個人も多い。だが、人は己の過ちを認めたがらない。

認めると自分が惨めに成るだけだから。

欲を深くしないで従来の同じ生活を続けた者にはバブルの恩恵に

浴さなかった代わりに負の遺産を背負い込む事もなかった。

しかし娑婆に生きている人間が金に目もくれないで、座して

バブルのあの熱気見るだけというのは、世捨て人 的感覚の持ち主出なければ出来ないことで,常人には出来ない相談である。

ちょと気の利いた人間は必ずと言っていいほど手を出してやけどをする。

いじめ自殺

2017年12月24日 | Weblog
いじめ自殺
また起こってしまった。死んだものの命は帰らない。やらなければならないことを、見逃してあたら命を失った。

学校は本来安心安全の場所のはずである。どうしてここが地獄になるのか。

茨城取り手 仙台市 太宰府など毎年起こる自殺事件に何故手を打てないのか。学校の教師集団はいじめに関しては無能者そろいで、もう当てにはできない。
こうなると警察問題として取り上げなくては防ぎようがない。
本来いじめは暴力である。精神的なあるいは肉体的な暴力である。

暴力問題を教育の場で解決しようとしているのか。やれるはずのない問題を何故背負い込むのか。もし学校のメンツだというなら、メンツのために生徒を死なせても良いのか。生徒の自殺に関しては学校は無能であると考えた方が良い。
だから警察力を借りて強力な防止策を行うのも一つの方法である。

それに学校でできることはいじめ防止の徹底した啓発運動である。
毎回授業を始める前に全員でいじめは絶対に行っては行けない犯罪ですと唱和して生徒はもちろんのこと、教師にも自分に言い聞かせて、生徒教師双方に自覚を促すことから初めて見てはどうだろう。授業をはじめる3分前で良い、必ず唱和して授業を始めると良い。口癖になるといじめの犯罪性の自覚が身についていじめ防止対策になる。

教師よ。もういい加減に目を覚ませ。言い訳のできない言い訳をしていった何になるのか。犯罪を未然に防げなかったという観点から校長は懲戒免職にすると良い。

第三者委員会なんてまったくナンセンスだ。いかに精密に事実解明をしたところで、いったい何になる。自殺者が出て後の祭りを盛大にやることほど滑稽でばかげた話はない。

北朝鮮人が日本海を渡り切れば

2017年12月23日 | Weblog

北朝鮮人が日本海を渡り切れば

またぞろ日本海にでて違反操業をしていると思いきや、軍に属しスパイかもしれないと、報道されている。悪賢くてずるい輩だから、捕まえても刑務所に入れたら彼らは目的達成で万歳と叫ぶのではないか。

自国では飯も満足に食えないのに、決死の覚悟を決めて日本海を渡り切り日本にさえたどり着けば、彼らにとって天国が待っているわけだ。
税金で彼らに飯を食わせるのは、なんとしても歯がゆいところである。
雨露しのげて3食付きで、医療まで受けられるというのは彼らにとってはまさに天国だ。
日本に漂着すれば、殺されるという決まりを作りたい気もするくらい図々しい奴らだから、それ相応の対応をしないと、かんがえられないようなことをする、
国として予防的なことを至急に考えて日本天国に来れないようにバリアーを設ける必要がある。人道的な配慮なんてさらさらいらない奴らだ。

日本は困ったことになったぞ。 どうやって侵入を防ぐか。海上保安庁
頑張って警戒よろしく。何千という人間が押しかけたら手に負えなくなるぞ

アメリカの姿勢に疑問

2017年12月22日 | Weblog
アメリカの姿勢に疑問

中東の火薬といわれるところで、世界中で一番難しいとされているエルサレム問題に、アメリカはイスラエルよりに傾いて今までとり続けていた姿勢を変えた。
トランプの判断は力でものを言わせる高圧的な態度で、とても容認できるものではない。

弁舌さわやかなアメリカ国連大使も、感情的ともいえるような上から目線で世界を恫喝しているように思える。

果たしてエルサレム問題をイスラエル、パレスチナのどちらかに肩入れするような非理性的で非現実的な考えを問題解決の糸口と考える方が和平にとっては最も避けなければならない問題じゃないのか。

アメリカとは親密な関係を持つ日本だけに何とかこのアメリカ提案を上手に引っ込めるようにあの手この手を使って、説得できないものであろうか。
今回のやり方は世界を敵に回すようなやり方だ。強引さが目立つトランプは
世界から反感を買うだろう

アウランガバードにて

2017年12月21日 | Weblog
アウランガバードにて

私が思うに人間というものは何か意図があってこの世に出てきているということだ。また使命があってこうして巡礼しているようにも思う。もちろん自分自身の意志でしていることには違いないが、それでも一方では何かの大きな力に導かれてここまでやってきていると言うのが自分の素直な実感である。
 
アウランガバードはボンベイの北東約350キロくらいの所にある。大阪から静岡あたりまで行く距離である。エローラやアジャンタなどの遺跡を巡る基地のようになっている町である。ボンベイから夜行バスで発った。夜9時過ぎに出発したが着いたのは翌朝の十時過ぎであった。アウランガバードではツーリストホームに宿をとった。ここで私は一人の日本人女性に会った。彼女はもうかれこれ6ヶ月も一人でインドの佛跡を巡っているという。何が目的で?こんなにきつい旅を強いられるインドくんだりまで来て。
 

冷やかしではなくて、私は強い好奇心を彼女に向けた。この人は心の中に何か持っているに違いない。その何かは決してミーハー的なものではなく、多分私の心にずっしりと響く何かを持ってここまでやってきたに違いない。私は失礼にならない程度に踏み込んで彼女のことを聞いてみた。


彼女は要旨次のようなことを話してくれた。そして僕は深く胸を打たれた。
 「日本に帰ったら福祉の仕事をしたい。こうして巡礼の旅を続ける間にずっと思い続けていることは福祉とは何か、と言うことです。この問題に関して私は自分自身の回答を得たいと願っています。確かにその道の学校に行けば福祉と言うものに関して教えてはくれるだろう。が私は自分の心の中に、本当の意味での福祉というものつかみたい。そう思うからインドへ来る前に、四国八十八カ所の遍路、千四百キロを一人で歩いて回りました。しかしまだまだつかめていないと言う感じがしたので、お釈迦様のふるさとをあるいてその御足をたどり、出来る限り仏教精神の真髄みたいなものを心に詰めて帰りたいのです。人が人のお世話をするというのはどういうことなのでしょう。やり方はいろいろあると思うけれど、私はまだ自分が納得できるような方法で理解が出来ていません。カルカッタのマザーテレサのホームにも立ち寄りました。確かに神は困った人を助けるのが人のつとめと説いています。お大師様はどのようにおっしゃってるのでしょうか。ご存じ有りませんか。」
「いやはや、貴方の方が僕よりもずっと勉強していらっしゃいますよ。話を伺っていて感じることですが、貴方は近頃の若い人になく深く物事を考えていらっしゃいますね。貴方のような人には滅多にお目にかかれませんよ。こんな格好をしているけれども実は僕も同じようなことを考えて求めています。

詳しくは知らないのですが人の喜びが我が喜びに成るというのは観音様ですよね。理想ではあるが我々はなかなかそこまで到達できません。いや、話がちょっと脇道にそれました。先ほどのおたずねですが、私の読んだ本(十住心論)によると第六住心は自分以外の人(もの)に対して慈悲の心を起こすと言うことですか、このあたりのことが貴方が求めておられることではないでしょうか。

人々が心の奥底に持つ菩提と言うものを、言い換えれば心の有り様を十種類に分けてそれを段階的発展的にとらえて説明しているのです。本能の赴くままに生きている動物的な人間の心、これが第一段階です。

第十段階(第十心論)ではまず自分が飛び込んでいく、、体を動かして飛び込んでゆくそうすることによって現実世界がそのまま理想世界となって現れる。自分の心を徹底的に極めていくと自分自身の中に悟りがあると言うことに気づく。つまり菩提心の自覚ですね。

体を動かしてそこへ入っていくと言うことなんです。難しいことで僕もよくわかりませんが、知識としては持ち合わせています。ほら、利他行とか菩薩行とかいうじゃありませんか。人間が求める崇高な理想です。」
「話や知識としてはわかったような気になりますが、真実心の底から理解しているかどうかと言うことを自問自答するときやはり自信がもてません。もう少し歩きましょう。インドのこの暑さを身に受け、歩き回っていると少しはわかるでしょう。」
「自分を鍛えると言うことは大変なことですが、それは実に尊いことだと思います。だがお釈迦様が難行苦行のおかげによって悟ったかというと、どうもそういうものではなさそうです。そこで言いたいのですが、苦行も程々に願いたい。もし貴方が文字通りこの暑さの中を歩くとすれば、いつか病に倒れはしないかと危惧します。人間はどんなに良いことを考えていても健康損ねたら何もできません。だからご存じとは思うが体だけはいたわってください。
もし差し支えなければ貴方の住所とお名前を教えていただけませんか。申し遅れましたが私は仏教歌曲を作る作曲家です。立場は違うけれども仏教精神を追い求めることは同じです。これからもお互いに自分の歩んだ道を話し合い、教えあいながら少しでも高い境地にたどり着きたいものですね。
 

僕は日本に帰ると今度こそ四国八十八カ所遍路をやります。インドとはまた違った何らかの啓示があるように思います。そのときには是非貴方に連絡を取りたいと思います。

あっ いけない。もう二時ですね。早く寝ないと明日は五時起きですよね。今日は長い時間、ありがとうございました。多分明朝はおあいできませんが、どうか気をつけて楽しい旅を続けてください。ご無事をお祈りします。ではお休みなさい」。


話はここまでで終わった。この人以外にもアジアを旅をしていると日本人に出会うがかってこんな会話を交わした経験はない。大抵は旅の情報で,安全に関するもの、食事の話,ホテルの快適さ、利用する交通手段の話、旅中でであった珍しい話や、面白い話など当たり障りの無い日常会話で終わってしまうのが普通だ。


僕は自分の部屋に戻りベッドに潜り込んだが先ほどの話が頭の中で渦巻いてとうとう一睡もしないままに朝を迎えた。
 日本の国内で遍路や巡礼をしているならまだしも、インドまできてこんな話が出来るとは想像だにしなかったことだった。しかしインドでこの話が出来たのは何か不思議な気がした。

担いで言うなら、これはきっとお釈迦様が同じような問題意識を持つ二人を出会わせお互いの胸の内を語らせ、それによって仏教をより深く考えるチャンスを与えたもうたのだということだ。もちろんこの程度までの深みのある話を旅行者としたというのは生まれて初めてのことである。


古賀政男氏の宗教体験0

2017年12月20日 | Weblog
古賀政男氏の宗教体験

今私の手元にある資料では、1977年11月21日PM10時25分。鈴木健二アナウンサーがいたのでたぶんNHKテレビだろう。側には近江敏朗、杉本苑子、扇谷正造の各氏がいたというメモがある

古賀政男さんは次のように語った。
「そのとき僕は死にかけていたんですよ。真っ暗な闇の中にいたが、紫の衣を着たでっぷりした男の人が現れてこっちへ来い。そちらへいくなと導いてくれた。後になって考えてみると多分あれはお大師さまに違いない。ぼくはもうありがたくて、感謝ただそれだけしかなかった。」
補ってみるとこうである。

古賀政男さんは脳いっ血で倒れた。その倒れている最中に彼が見た1つの場面がこの場面であるというのである。これ以後彼の言葉はもつれるようになって後遺症が残った。しかし命は助かった。このことに感激した彼は光明真言を作曲した。

おん あぼきゃべいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたやうん。

日ごろ信仰していたであろう川崎大師に彼はこれと川崎大師賛歌を奉納した。歌っているのは近江敏郎郎さんである。彼が天性信仰深い性格かどうかは知らないが、こういう経験も加わって彼は自宅の屋敷の中に観音様やお大師さまやお不動さまなど5カ所に神仏が祭っている。

さらに彼はこんな経験もしていると語った。彼が音楽を教えた生徒の中に美しい女弟子がいた。この女弟子に古賀さんは恋いをした。ところがある日病気にかかったこの女弟子が夢の中で、玄関までやってきた。夜明け前、早朝のことで、彼は驚いたが、その日のうちに届いた知らせはその美しい女弟子がその時刻になくなっていたということである。彼の恋はまた悲恋に終わった。

疑問は残るにしても彼は天下の公器系NHKテレビで、以上のような経験をかたった。
 錯覚や幻覚のたぐいではなく、正しく彼は以上のことを経験体験したのである。その実感がなくして、作り話だったら、こんなことはそうやすやす口にできることではない。

ある日私は古賀政男記念館を訪ねた。新宿から小田急に乗って代々木上原で下車、高架に沿って新宿方向に引き返しちょっと道を折れたところに記念館はあった。門から玄関までは緩やかな坂で道の左側には供養する主を失った神仏の祠がいくつも目についた。玄関を入ると壁に弁財天像がかかっている。これは作者が棟方志巧でこの彫刻をしている姿がテレビで放映をされた。
棟方は布で作った注連縄を頭に巻いてだれかと対話しながら彫刻刀を動かしていたが、そこには誰もいなかったから彼は今彫っている弁天さまと対話していたのであろう。
「弁天さま。そうですか。ここをもっと赤く。ハイハイ分かりました。口紅をもっと濃くしましょう」
あたりに人がいないのに彼は対話を続ける。TVカメラはそれを執拗に追う。あのテレビで見た棟方の彫刻した弁天さんだ。そーいえば弁天さまは音楽の神様だ。
人は一生涯で何回か人知を超えた不思議体験を経験する。しかしその源を克明にさかのぼって、追及はしない。従って不思議経験はそのまま時の闇の中に葬られる。

そしてこのような不思議体験は特に芸術家においても多いように思う。しかも洋の東西を問わず、また時代を問わず記録として残っているものも数が多い。
バッハもベートーベンも、シューベルトも一様に作曲する際に神の啓示のあることを実感したと告白している。おそらく絵画がにおいても彫刻、建築においても同じ経験がなされたこことだろう。

それにしても古賀さんのように大師さんに命をすくわれた人は数限りないのではないか。お大師さんを信仰する者はそれだけでも素晴らしいことであり、ありがたいことである。

(深い川より) チャムンダー0

2017年12月19日 | Weblog
(深い川より) チャムンダー

インドから帰国して、僕はインドに関する本を何冊か読んだ。

本の中に描写されているインドの風景だの、インド人の人情や物の考え方なりを、自分がインドで
経験したものと比較検証したかたったのである。
中でも狐狸庵先生の、『深い川』にはホテル・ド・パリの描写が僕が見たとおり、実に正確に描かれており、これには驚いたというより懐かしかった。

ふんふん、そうだそうだ、僕は本の中に引き込まれて行った。中でもこの中に描かれているチャームンダという名の女神には深く心奪われた。
日本では女神と言うものはどんな神でも、美人で柔和に描かれいて、その表情には苦悩の跡がない。すくなくとも僕が知っている女神はそうである。

ところがチャームンダは違う。全身創痍の苦しみを背負い、その苦しみに耐えてはいるが表情に苦悩がまざまざと表れている。胸近くにはさそりが噛み付き、両足は腐りかけて赤く腫れ上がっていると描写されている。
自らをそこまで痛めつけながら、その苦しみの中にあってなお、現世で苦しみもがく人達をすくわんとする貴い姿こそ、この像の真の姿であることを知ったとき、僕は深い感動を覚え、思わず写真の中の像に手を合わせた。
これこそ本当の神である。我々とともに生き、苦しみ、ともにもがき、ともに悲しむ姿こそ百万言よりも説得力がある。

現世、この娑婆の世界で、もがき苦しむ人々と同じ次元の世界に住み、同じ次元に立ち、同じ苦しみを味わい、苦しみに顔を引きつらせ、それどころか民衆の何倍もの苦しみを背負い、しかもそのうえに、苦しむ人々を救おうとする強力な意志をもち、敢然と苦しみに立ち向かう貴さを、何故僕は見落としたのか、何故その表情から苦悩を読み取らなかったのか、僕は非常に残念に思った。
単に像を目で見るだけなら小学生だって出来ることだし、することである。その像に託された作者の意図、願い、希望など、要するに作者の目的を何故探ろうとはしなかったのか、作者はこの像を作り何を言いたかったのか。こういうことに思いをいたして初めてこの像と対面した値打ちがあるというものだ。

実物はデリーの博物館にあるそうだが、見ないままに帰国してしまった。次回インド訪問の時は必ず見たいものである。

大分長い間大阪市内の映画館では、『深い川』が上映されていた。それは新聞の広告で知っていたが、そのうちに、そのうちにが重なって、ついつい見逃してしまった。
僕はどうしても見たかったので、ある日、わざわざ電車にのって遠い貝塚まで見に行った。興業はよい『映画を勧める会』みたいなところが主催して観客の層は五十歳代以上の年齢層の人達に限定されていた。

彼らは映画が終わると、考えられさせられた、と一様に口々に言いながら帰って行った。 人々から漏れ聞くまでもなく、感動もので、いい映画であった。
僕はと言えば、実際に訪れて、感激を受けたバラナシの沐浴風景や、町の様子や、ホテル・ド・パリを知っているだけに、その場面が映るにつけて懐かしさが込み上げて来て、遠くでおぼろ気にかすみかけていた記憶は鮮明に蘇って来た。

特に印象深かったのは、やはりチャムンダーという女神である。
映画で映ったあの場所に安置されていたのかどうかはしらないが、満身創痍の苦しみを体全体で表しながら、なお現世に苦しむ人々を救おうとふんばる姿は、映画であるとはいうものの、思わず合掌したくなった。

インドは現在の日本に比べて確かに貧しい。カルカッタでも、バラナシでもよい、町を歩けばその貧しさは一目瞭然だ。貧しさのなかで苦しむ人は多いが、特に女性はいまなお根強くのこる、カースト制度という社会構造からくる重圧に抑圧されながら、この女神の苦しみのように現実生活の貧困の中で苦しんでいる人が多いことだろうと思わずにはいられなかった。

ところで我々日本人は女神というと、端正で美しい女人像を思い起こす。すくなくともチャムンダーのように苦しみもがく女神など、お目にかかったことはない。どの女神も美人で、いかにも福ふくしく柔和である。弁天さんにしても、観音さんにしても、吉祥天女にしても、みな見とれるほど美しい女神像ばかりである。拷問を受けている真っ最中のような苦しみの表情をしている女神などお目にかかった事はない。そういう意味からすると、日本の女神さんは神の世界の住人であり娑婆の住人とは違っている。ところがインドでは、この女神は娑婆の住人もいいところで、人間世界、特にインド社会の日常生活のなかで、のたうちまわっているインド女性の苦しみを一身にうけて、現実そのものを表しているようだ。

インド女性が天上世界の女神よりも、ともに苦しみもだえる地上に、このチャムンダー という女神の出現を願望して、この女神を迎え、作り出し、親しみを覚え礼拝供養して、救いを求めるのは人情の自然にかなっていると僕は思った。
僕はこのチャムンダーこそが真の意味で救済の女神だと思う。神が姿形をとって人間を救済している瞬間を目撃したことなどないが、チャムンダーこそは神が人間を救済する姿かもしれない。
『深い川』はクリスチャン、狐狸庵先生の作品だ。先生はさすがに目の付け所がちがう。 僕はかぶとを脱いだ。