日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

社会教育の講座

2019年11月29日 | Weblog
社会教育の講座で心の問題を取り上げた。

僕が主眼にしたのは,日常性から自らを解放してもらうことだった。

言い換えれば僕の話や音楽を聴いて、心をリフレッシュしてほしいということが、

話の基本にあった。

テーマは心の問題だが、日常生活を振り返ってみると

いつの間にか心にチリがたまってストレスを抱え込んでいる。

適量のストレスは生きていくのに必要だが、オーバーになると体調がおかしくなる。

そういう状態の人が居たら話を聞いて現実を理解し、美しい叙情歌を声楽家の生演奏で

降り積もった心のチリを洗い流して欲しいという趣旨説明から、実際の話に入る。

にちにちの生活の現状を把握して問題意識を持ち、その解決法を参加者全員で考える。

コメンテーター 役の私は問題意識をまとめ上げてコメントする。

この間約一〇分それから歌の実演をして次のテーマに移る。

これを1クルーとして5テーマくらい話すと2時間かかる。

それで本日の話は終わりにする。あと今日の話の感想を書いてもらって次回の参考にする

寝る前に聴く曲5-36

2019年11月29日 | Weblog
寝る前に聴く曲

1,初恋  

石川啄木作詞 越谷達之助作曲

この曲を完璧なまでに、歌い上げているのは上浪明子先生である。

伴奏のピアニスト・加納さんとのコンビが絶妙で 歌の持つ力を100%以上の表現している

近頃ではテレビでも、ラジオでも滅多に聞くことができない、この名曲を毎晩きけるとは

僕は果報者である。

2,芭蕉布

作曲者の譜久原さんは沖縄の人であると聞くが、この曲は大阪にいるときに作曲されたそうな。
長調からサビは短調に入り、また長調の構成になっているが、その陰影が何とも言えない

ノスタルジアを誘う。やっぱり名曲だ。


3,自分が作曲した曲10曲

作詞者は中宮寺の日野西門跡である。明るいタッチで、仏教に触れる喜びが詠まれている。

いずれの曲もゆったりしたテンポで、心が癒される。

時々自分が作曲したことを忘れて、聴き入ることもある。

1番から3番までの曲は、いずれもゆったりしたテンポで演奏され、就寝前にもってこいである。

曲と心が同期すればいつのまにか寝てしまっている。

思えば今日1日を心豊かに過ごせたという実感に心がつつまれる。

これは作曲家冥利に尽きる。僕は果報者だ。

辞世の句

2019年11月28日 | Weblog
辞世の句

「おもいおく 言の葉なくて ついにいく 道はまよわじ なるに任せて」 黒田官兵衛
五十九歳没

すばらしいと褒めあげる以外言葉が出てこない。

彼はやれるだけのことをして生ききったのであろう。後悔や悔やむ人生も多かったのに。

自分の命を使い切ってあの悟りのような心境になったのだろう。

秀吉は人を支配する才に長けていたのだろうが、人間としての深みは僕だったら官兵衛に軍配を上げる。

自分もこのような心境になってこの世を去りたいものだ。

今から考えると、心の財産

2019年11月26日 | Weblog
東南アジアを10年以上旅したが,年配者の一人旅に出会ったことがない.若い人もそういう。
一人旅は人恋しくなるが、そこをじっとこらえて、孤独を楽しむのが、何とも言えない魅力である

一方いろんな人と話しながら旅をするのも楽しい

話しかける、動く、などして積極的に行動すると、次の世界が広がる。

良い悪いは別にして、やはり行動した方が良い。

悠々自適で旅をするのは、若さの象徴。いろんな困難にぶつかるが、

それに打ち勝つことができないと一人旅はできない。

ぼやぼやしていると、騙されたり、物を盗まれたり、へこたれてしまう。

五十歳代から始まった僕の東南アジアの旅は、七十歳代で終わったが、

今から考えると、心の財産である。

酒井雄哉師

2019年11月21日 | Weblog
酒井雄哉師

比叡山の千日回峰 2回

一日2食

睡眠時間  三時間 四十キロの山道

九日間 不食 不眠  午前2時 取水


考えるだけでもおぞましい。この行をやる人の精神の鍛え方は僕の想像外

でとても常人が出来るものではない。生き仏を言われる所以である

愛染音頭

2019年11月19日 | Weblog
愛染音頭

作詞作曲 朱仙
一、
ハアー 夕陽丘の上に立つ 昔ながらの赤御堂

ここは愛染  愛嬌の 実を結ばせる 花畑

ソレ ホーイット ホーイットホイサッサ

愛染祭りだ ホイサッサ

二、

ハアー あい  よく 愛染さんは 愛欲と貪欲

叶えて下さる仏様 愛嬌和合の御本誓

御手の弓矢は  智慧方便

ソレ ホーイット ホーイットホイサッサ

愛染祭りだ ホイサッサ

三、

ハアー

なにわまつり 浪花夏祭りに さきがけて

今も昔の  愛染さん

浴衣姿の(芸者衆が)あねさんが 詣る姿の  艶やかさ

ソレ ホーイット ホーイットホイサッサ

浪花の祭りだ ホイサッサ

四、

ハアー愛欲あいの念こころを胸に秘め 揺れて恥ずかし後ろ髪

行き交う人も 振り返り相合い傘に  雨が降る

ソレ ホーイット ホーイットホイサッサ

愛染祭りだ ホイサッサ

愛染さんの御利益5-38

2019年11月19日 | Weblog
愛染さん

ハチ公と熊ハチは何でも話せる仲である。

彼らの話を聞いていると、東海道中膝栗毛の野次さん喜多さんを思い出す

ハチ公
「ところで熊さん。その愛染さんと言うのは、何の神さんや」

熊ハチ
「愛染さんかいな。愛染さんは、これと、あれの仏さんや

神さんとは違うで、」

ハチ公は小指を立てて、ついで人差し指で輪を作った

「ふーん。色と金かいな。ええ仏さんやなぁ」

「お前なんか、日頃の行いからして、1番先におまいりしやんなアカンのと違うか。」

「そうやなぁ。ホントのこというて、今困ってんのが一つあるんや。切ろうと思っても、

もうくされ縁になってしもうて、きれへんねん。次のは、できそうな気配やし困ってんねん」

「そうか。それだったら、愛染さんに1回頼んでみたら、どないや。

まことに虫のいい話ですが、今のくされ縁はきれいさっぱり消えて、新しい彼女と仲、よくなれま

すように、というてみ。

案外うまく行くかもしれへんで、。」

「切れるということは、金も付いて回るということやで。そんなうまいことくされ縁が切れて、

その後始末の金まで都合してくれはるやろか」

「そんなこと。おれ、知るか。同じ頼むんやったら、この際、思いきって思っていることを

全部頼んで見ろよ。

その代わり、聞いてくれはったら、命をかけて、愛染さんに、お礼参り、せなあかんで、

だいたい、密教系の仏さんは、何事もこの世のことは積極的に肯定して、

現世利益をくれはるさかい、びびらんとしっかりと頼めや。

それは、愛染さんも、なんと虫のいいごとをいう男や、とお前のことをおもははるやろ

それでも、愛染さんは、愛欲と貪欲の仏さんや。

人間の基本的な本能要求を満たしてくれはる仏さんやさかい

人間の思案で、あれは頼める。これは頼めへんと思う矛盾するところでも、何でも1回頼んでみたら、どうだ。

かなえてくれはるか。どうか、そんなことおれ知らんで

そりゃ、おれは俺なりに御利益をモロてるよ。

思わぬところから小銭が入ってくると言うのは、何回もあったで。小指の方は、、、うー

ん、、、、おれも嫁さんおるから、

本当のことは言われへんけど、ええことはあったわいな。

神さんや仏さんに、ものを頼むのに、あんまりこ 難しい理屈は、言わんこっちゃ

はらで思っていることがそっくりお見通しや。人間どうしだったら、ドロドロして、

口には恥ずかしくて、口に出せないことは、体裁をつくろってきれいにいうよな。

本心はここにあるのだが、口先でいうときは、一見すると、あっちにあるような錯覚を生むような、
きれいな言い回しを考えて、自分が傷つかないように気配りして、いうやろ。

あんなん必要ないんや。なんぼきれいことをいうても、

腹の中が、見透かされているにはから。そやから、開き直って思っている通りに正直にお願いする

んや。それでええやないか。相手は人間と、違うんやさかいに。」

「ほんならお前のいう通りに1回頼んでみようかな。あかんで、もともとやさかいに。」

「阿呆いうな。あかんで、もともとやとは一体なんちゅうこっちゃ。

頼むんやったら、冷やかしは、あかんで。まじめに頼まな。

だいたい、お前の話は虫がよすぎる。だから、余計にまじめに頼まなアカンねや。

愛染さんはしゃないやつや、けど可愛いがあるから一つ聞いてやろうかと思われるかもしれんよ。

仏さんのなさる判断を、こちらサイドで決めて結論を出し

その結論を信じつつ、仏さんにお願いするというのは、仏さんをおちょくっとることになるで。

どうせお前なんかどんなにいいことをほざいても、それで、今までの罪がパーになることはまずあ

らへんから、最初に懺悔して、お見かけ通りの迷える男羊ですが、何卒、よろしく、とすっぱり反

省しているところを見せた方が、仏さんだって、

こいつは男らしい。好引き受けたろということになるように思うが、、、、

さっきゆうたやろ。ごちゃごちゃ言わんと、裸になってお願いしてみ、」

「よっしゃ。わかった。1回行ってみるよ。」

その後、彼と顔を合わせていないので、事の顛末がどうなったか知らないか。

私は私なりに、あのときは真剣に、アドバイスしたつもりである。

愛染さんの寺誌を読むと、真実の信仰への一つの手段とでもいうのか、現世利益を説いている。

「まことの信仰」とはどういうものか分からなくても、私はとにかく神仏とご縁があるということは

、人の一生にとって、どれほど大切なことか。またどれほどありがたいことか。

と常日頃思っているので、どんな形にせよ。愛染さんに、おまいりになる方が、御利益をいただか

れて幸せに、慣れるのは私にとっても嬉しいことである。

この欲の渦巻く俗界にいて、それを積極的に肯定し、欲望の実現成就なさしめた神仏は、

人間にとっていちばん必要な部分であると私は思う。























玄秀盛 その1

2019年11月14日 | Weblog

玄秀盛 その1

彼の名前は知る人ぞ知る

彼の著書「大阿闍梨酒井雄哉の遺言」

この本を図書館で借りるまで三ヶ月ほどかかった先約者が7,8人いたみたいである

以前彼についての本を読んだことがあるから
無遠慮、思慮もなく本音をむき出しにして、どのように大阿闍梨にぶつけるのか興味があった。

僕はこれこそ人間の現実の世界だと思うので、大阿闍梨の文章の中でピンと来たところを抜書きした。

1,命は与えられるもんや.与えられてイカされているそれが命よ.

2,命は人のために使うもの。お前の命って何か使い道があるはずだ

3,自分が命を活かしているのではなく、命が自分を動かしている

4,後はお返しすることで意味がある。それは生かされているからだ

5,学んだものは詰め込んでおくものとは違う。

死ぬ時には自分の中には何も残っていないというのがいいんだ。

6,結局は我欲ではなく利他行。他人のためにかける欲。これが欲である。

7,人の役に立つ生き方が自分を生かすのや。1000日回峰行を2回行った後で修行をして

その後に来る利他の行

8,仏の修行というものは 自分をどこまで空っぽに無心にできるかということや.


玄さん曰く

1,一事が万事、俺の発想は損得、敵味方、貸し借り、利害に凝り固まっていた。

2,山を降りた俺は有言実行、ゼニ儲けに邁進。聖と俗を往来していた。

3,怒りや憎悪という負の感情を転換するコツもわかってきた

4,金があれば人が集まり人を知ることができると信じていたが、それは逆だった




ゴッホの映画を見た9-6

2019年11月14日 | Weblog

宗教的感性をなくしては、真の芸術家なりえない。

今日コッホの映画を見てそう思った。

心を無にして頭を空っぽにした時に入ってくるものが

(彼においては自分なりの風景や景色 作曲家においては自然になる
出すメロディなど)

自分が捉えた作品にしておくことは自分の所作ではあるが、説明のつかないことがよくある。

彼はキリストとか、神々をよく言葉に出していたが、その次元のことは僕も共有できる。

芸術家でもない僕が、こんなことを言うのは不遜に聞こえるかもしれないが、

実感があるから仕方がない。

絵描きに夢中になると放心状態になる場合があったが、僕はすんなりそれを受け入れた

普通の人はなかなか経験できない体験だからわかりにくいことだ。

慈眼放光

2019年11月12日 | Weblog



壺阪寺にて 常盤貫主との会話

「綺麗な曲ですね。近頃こんな美しい曲は聞いたことがないですよ」

「ありがとうございます

壺阪観音に奉納したくて作りました。優しくて美しい慈眼放光の観音様にお供えするのだから

観音様のお心を身に受けて全身で作りました。

御詠歌風ではなく、賛美歌風に作ったのです。だからオルガンの音色を主にして

優しい曲に仕上げてあります。

お気に入って頂けたので、ほっとしています。心の底から嬉しいです。ありがとうございます。

観音様のお仕えする思いで作ったものですから」

「あなたは坊さんですね」

「いやいや俗物も俗物 巷の垢に慣れ染まっています。

とても先生のように観覧様と向き合えるような立派な人間ではありません

私も先生の後を追いかけて、人様のお役に立てれば、嬉しいのですが、、、、、」

「ちょっと修行すれば坊さんになれますよ。

もうその基本的な考え方が身についているからすぐなれます。」

「僕は先生のような生き方に憧れています。

何卒ご指導下さいますようよろしくお願いいたします。

それでは今日はこれで失礼致します。今後ともどうぞよろしくお願いします。」

あれから30年以上たつ。

宇宙の真理の創造と発見

2019年11月04日 | Weblog
お釈迦様は宇宙の真理を発見した。発見したと言うからには発見する前から真理は存在しt事になる。

釈迦様はあくまで発見者であり、創造者ではない。

ではその真理は一体誰が作ったのだろうか。神 絶対者が存在して作ったのだろうと思う

と仮定すれば神は存在する。もう哲学の領域ではなくて、宗教の領域だ

首里城消失5-39

2019年11月02日 | Weblog
首里城消失

格調の高くて優雅な姿は死ぬまで見ることができないようになってしまった。

よくぞ沖縄旅行をして首里城の気品のある勇壮華麗な姿に出会っておいたことだ。

テレビや写真ではなく本物の首里城をよくぞ見ておいたことだとつくづく思う


貿易とはいうものの中国と日本に両属され朝貢を強要された沖縄の人々の

心の底は苦悩一色だったかもしれないが、表面の表情は南国そうもので、陽気で明るい。

だった一回の訪問だったが、色々なものは頭に焼き付いた。それを後日が歌詞にしておいた

      
     首里のほとり

            作詞武田朱仙      
     
1,

空の青さ海は七彩 守礼の邦南の島よ

歌は島唄琉球踊りエイサー祭りの舞鼓

首里の古城にただ一人

たたずみおれば身にしみて

遙かな昔がしのばれる

わんたからウチナ わんたからウチナ       

2,

紅い色よハイビスカス 白雲わきたつ南の島よ

酒は泡盛南の美酒 味は自慢のゴーヤチャンプル

首里の古城の石畳

南風に誘われて登り行けば

おもろそうしを 歌に聞く

わんたからウチナ わんたからウチナ

3,

緑なす 南の島よ ウチナ良い邦夢の邦

あの娘はちゅらさんウチナ育ち

紅型ゆかし紺かすり

首里の古城に舞う姿

君は白百合 高嶺の花か

懸けておくれよ恋情け

わんたからウチナ わんたからウチナ


教師は世間知らずだ

2019年11月02日 | Weblog



教師は世間知らずだ

兵庫県内で教師が同僚をいじめる事件が2件も発覚した


教職にあるものがよくもまあと呆れてしまう。世間常識というものが全然抜け落ちている。

これじゃあ生徒のいじめもなくならないのは当たり前。

今回のいじめは調査委員会が実態を調べるというが,普通の社会では考えられないような

常識の欠落がある。

社会で揉まれた経験も無しで、学校村の中で教壇に立って物を教える立場に立つと

変に偉くなった気分にとりつかれ,世間のステイタスランクは一番高いように自己認識する

こういう姿自体が一般社会から見ると宙に浮いているのだ。

教師集団がそういうベースの上に乗っかって学校生活をしているだけで

外界との交渉はほとんどないから、世間常識を学ぶ機会というものがほとんど無い。

だからおかしなことをしでかすのである。

本来教師になるためには、学校という特殊な集団を出て、一般社会で2、3年間実習教育を受ける。

そして常識を身につけて学校へ戻って教壇に立つというのが良くはないだろうか。