日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

おかげを思う心

2010年11月30日 | Weblog
おかげを思う心
朝日新聞、天声人語 辰濃和男
自分一人の力で生きているのではない
71日かけて四国遍路道を歩き歩いた
学んだこと
1,自分は自分一人の力で生きているのではない
たくさんの人が道の草を刈り、改修し、道しるべをつけてくれている。つまり無数の人の力に助けられて歩いているのである。
そういう思いになってゆくのは四国の人々のお接待のおかげだ。

接待
1,善根を積んで御利益を得たい。
2,自分に代わり巡礼を頼む気持ち。
3,苦行する遍路人の気持ちを、ふるい立たせて無事に結願させてやりたい
等々の意味が込められている。
このお接待のおかげで、
人の情けによって、新しい生き方に出会うことができた。

無私の心が人の胸を打つ。お接待をいただくことで、私たちがしだいに一人で生きているのではない、皆の力で生かされているいるのだと思うようになる。
自分一人の力で仕事をしていると思うのは傲慢なことだ。

問題はたくさんのおかげで生きていることに気づくが、気づかないがということ。
人の値打ちは、肩書きや財産や有名度度にあるのではない。
お陰様を心にしみこませることの多い人ほど人物として上等と言える

皆さんは、以上の文章をどのように受け取られますか。四国歩き遍路の経験者は口をそろえて同じようなことを言います。
やはり人間は 「生かされて、生きている。」と言うのが、真実であり現実なのでしょう。
自分という存在は、自分以外の多くの力によって支えられて、存在していることは紛れもない事実です。問題はそこに気がつくか、つかないか、によって生き方まで変わると言うことです。

テロについて思う。

2010年11月29日 | Weblog
テロについて思う。

近頃は、自爆テロやテロが盛んに行われる。行う方は、だいたいイスラム過激派である。イスラム過激派は、パレスチナとイスラエルの衝突をしょっちゅう起こすし、イラクでは、アメリカ軍や占領軍に力を貸すものすべてを標的として、自爆攻撃をやる。日本の特攻隊は、特攻精神というものがあり、それを支えたのは、国家神道で、今風に言えば、飛行機を使って、アメリカ軍艦に、攻撃をかける一種の自爆テロである。

いずれにせよ、宗教の名において、自分の宗教以外のものを認めない排他的な一神教の存在。これは、現代のわれわれからすると、民主主義に反する。

鶴富屋敷

2010年11月27日 | Weblog
鶴富屋敷

深い山と川にはさまれた崖の中腹を、何時間走ったことか。
途中峠を超えたこともあり、上り詰めた峠の上から、山深い山脈を四周に見て、ボーぜんとしたこともある。
地図でたどれば、感覚が狂う。自然の厳しさは、地図からは、読みとれない。

こんな山深い谷間の土地で、再び戦力を蓄えて、復讐戦などと考えるほうが、無理である。
狭い家で、農業をして、自分たちが生きるのが精一杯である。

那須大八が、戦意なくして静かに、自然に溶け込んで暮らす平家の落ち武者・落人の姿を見て、討伐を止めたのは、いかにもそうだろう。

ここで暮らせれば、敵味方の意識はなくなるだろう。この山奥には、自然の力が満ちあふれ、憎しみ、殺し合う人間の愚かしさを、いやがうえにも悟らせてくれる。
太陽の光 四季の自然の移り変わりなど、自然の営みの中でしか生きられない人間の本当のあり方について、気づかしてくれる。

おこれる平家、ひさし必ず

武士の分際で、天下を掌握した時点で、貴族化して平家は武士を失う。それは歴史の単なる気まぐれであって、本流ではない。

一般大衆は、貴族社会を望んでいない、新しい社会を望んだが、平家は、我が世の春を作り出すために、天下をとった。
平清盛というリーダーがいてこそ、平家はその体を保つが、リーダーを失うと坂をころげ落ちるように、平氏政権は、崩れ去っていった。
何時の時代も登り坂を上り詰めると必ず下り坂に向かう。それは自然の法則である。世界の歴史を見ると、このことがよく分かる。歴史開闢以来栄え続けた国など、どこにもない。
超大国だと言われたアメリカにも下り坂の影が忍び寄る。 うちかわって19世紀から20世紀かけて、衰退の一途たどった中国が最近急速に力をつけてきて、往年の輝きを取り戻そうとしているかのようである。

中華思想によって東南アジアに絶大な影響を及ぼした、中国は中華思想を裏付けた哲学や宗教や文化といった方面の力は消え失せたようだが、経済力をつける事によって発言力を増し、ふたたび周辺国に影響を持とうとしている。小は平家の権勢から、大はアメリカの国際社会における発言力の影響の大きさまで、スケールの規模を大きくしてみると、どれもこれも歴史の理の軌道上を歩いているように思える。

こんな事を平家の落ち武者の里山深い椎葉の鶴富屋敷にたたずみながら考えた。

黄金の井戸を覗く

2010年11月27日 | Weblog
黄金の井戸を覗く  

四国88ヶ所遍路、第三番は金泉寺である。この寺の境内にある黄金井戸を覗いて、そこに自分の顔が写っていれば、健康で長寿の御利益が得られるという、言い伝えがある。
井戸を覗いて自分の顔が水に映るようなれば、長寿をえると言うのである。

では映らないと、どうなるかとは伝えられていないが、映れば長寿だと言うからには、映らないと長寿に恵まれないのではないか、という反語が頭をかすめる。
井戸を覗くか覗かないか。ある種の勇気がいる。それは背後にこういう想いが、はたらくからである。

考えてみれば罪なことである。もし医者から見放されて遍路旅に出た人などはよほど信仰深い人でなければ、おいそれとはのぞけまい。いや反対に医者に見放された人であるからこそ、影が映れば生きる望みを大きくして、ますますお大師さんに信仰を深め、それが契機で死の淵から生還する人もあるかも知れない。

常識的には映らないことはあり得ないと考えるのだが、もし影が映らない場合、映っていても、それを見つけられない場合は、医者からも、お大師さんからも見放されたと思い、死期をを早めると言うことも、あり得るとも考えられる。
井戸の水面に姿が映らないか、映るか、たったこれだけのことで僕はこういう事を考える。

人間は未来のことを見通せない。 現実に起こってくる問題にぶっつかったときには、するかしないか、するとすればどのように、と言った具合に必ず選択肢が出くわす。そして先は見えないのに、決断が迫られる。

井戸をのぞき込む場合もそうである。覗くのか、覗かないのか、決断を迫られる。
映ったらよいけれど、映らない場合は、どのように考えるのか。その時はお大師さんの信仰や、御利益のおかげで、映らなくても長寿が得られると、すり替えてしまうのか。

まあ考え方は色々あるが、後に気になることを抱えるのは良くない。思い悩むことにつながるから、やっぱり、のぞき込むのはやめにした。これを小心者のせいと考えるか、慎重だと思うのか、考えすぎだと思うのか。いろいろあるが、、、、人それぞれだ。

お茶の水湯島聖堂

2010年11月26日 | Weblog
お茶の水湯島聖堂


うっそうと茂る木立に囲まれた域内は都心かと疑問に思うほど静かな場所である。

ここで支配、被支配の関係を強化する学問が教えられた。儒学である。朱子学である。中身は知らないが封建教学には間違いない。

確かに孔子の教えは現代に通用するものもあるが、通用しないものもある。つまり時代にそぐわないのだ。と偉そうなことを書くが、中味はよく分かっていないから、この判断は封建教学からではなくて、いわゆる漠然とした世間常識からであり、その適否はさてどうであろうか。

日本には聖人と呼ばれる大思想家は生まれない。強いてあげるなら聖徳太子の和の精神すなはち共生(ともいき)くらいのものか。

当時の国鉄のお茶の水駅を聖橋の北詰から大学行きのバスにのって、聖堂の側を通るとき何時もこんな事が頭を駆け巡った。あれから50年経った今でも、儒教については勉強しないから、何が良くて(現代にも通用して)、何が時代にそぐわなくなったのか。判らない。
そうは思うものの心の底では子供の頃を懐かしむ。戦前の教育を受けた者は、戦後の混乱期を除いて今よりはずっと治安が良かった。儒教の教えを含んだ大和魂の残滓がまだ体内にあるのだ。来し方を眺めると、その部分が懐かしい。

封建教学とかいたが、これは部分的には人間が生きる為に守らねばならないルールと置き換えたらどうだろう。道徳という言葉の中には抑圧された昔を連想される向きもあろうが、言葉の概念は別にして、大勢の人間が暮らしていく中には自ずと守らなければならないルールが必要なのは火を見るより明らかである。

ところがそのルールを無視して、全て私を中心にして公のことを考えないリーダーが多すぎる。こんな時彼らにむかってルールを守れ、道徳をしっかりわきまえよと叫びたくなる。

都心にぽっかりと空いた森閑とした空間、慣れ親しんだスポット。それが湯島聖堂境内である。


 

見えないものが見えてくる

2010年11月25日 | Weblog
見えないものが見えてくる

高松市内にある第80番札所国分寺に着いたのは、午後5時を過ぎていた。車を飛ばして急いだが、納経締めきり時刻には間に合わなかった。
札所では、5時を過ぎると、納経をすることが出来ない。
仕方がないから、境内に車を止めて、朝1番を狙って、車の中で寝た。

夜が明けると、先祖供養を祈願して書いた写経と納め札を1枚ずつ、本堂
と大師堂に、納めた。
朝が早いので、だから一人かと思っていたら、所帯道具一式を背負った60近い歩き遍路にばったり出会った。背中の荷物は、かなり重そうだったので、次の81番札所まで、車に乗りませんかと、親切心で誘ったら逆に、次のようなことを言われた。もう10年も昔の話だけど、今も心の中で輝いている。

「歩き遍路って大変じゃないですか。」
「とんでもない。あなた達車遍路がかわいそうに思う。」
「それどういう意味ですか。」
「私は歩き遍路始めてこれで27年目です。」
「よくもまぁ、歩いたもんですね。何が面白くてこんな大変なことをなさるのですか。30年近くも歩き遍路をされて、何か見つかりましたか」
「不思議な魅力に取りつかれて離れることができません。遍路病ですね。
私の場合、3という数字に、縁がありましてね。歩き始めて、3日目には、もうこんなしんどいことはやめようと思ったが、やけくそになって、開き直り、歩き続けたら、おやっと思うことがあった。それは、自然が語りかけてくれる。これは面白いぞ。と思って歩いていると、3年がたっていた。
普通の歩きの速さでは、60日ばかりで、一周するが、私はいろんなものを味わいながら歩くので、それなりの時間がかかります。
今27年目ですが、見えないものが見えてくる。また、聞こえないものが聞こえてくる。それは自然のささやきです。車に乗っていたら、たぶん見えないし、聞こえないでしょう。しかし、歩くと、自然と会話ができるのですよ。」
「へえ。自然と会話が出来るとはどういうことですか。」
「見えないようでも、1日1日、自然は変化しているんですよ。その変化が見えるのです。また、それに伴う自然の声も聞こえるのです。」
「私はまだ車遍路しかしたことがありませんが、自然が、毎日衣替えしているような様子は、見たことも聞いたこともありません。」
「だから私が、あなた達車遍路の人はかわいそうだと言うのです。大自然の流れの中で、自然の移り変わりや自然の声を聞くと、もう魅力に、取りつかれてどうしようもありません。自然のささやきを聞きながら歩いていると、背中の背負っている所帯道具の重さなど全然気になりません。
今日は、どんなものを見た。明日は、どんな自然のささやきが聞けるのだろうかと思うと心がはずみます。
「私のような俗人から見ると、歩き遍路は、いかにも大変だろうと、同情の目で見てしまいます。それがありがた迷惑だとは、意外でしたね。3日3月3年と言われましたね。次は30年じゃありませんか。」
「そうです。30年目には、どんな新しい発見があるのか、心がわくわくします。今の時点でいうと、車遍路の人達には、見えないものが見える。聞こえないものが聞こえる。ということですね。さあ、どちらが幸せでしょう。
これも全てを大師さんが、見せてくれている。聴かせてくれてる。私はそう思うのです。別に、お大師さんに近づいたという感覚はありませんが。
ただひたすらに、歩きたいから歩いている。みたいから見てる。聞きたいから聞いている。ただそれだけです。」
「ところで、夜は野宿でしょう。また雨の日はどうされるんですか。」
「本堂や大師堂の軒下で、あるいは、山門で。天気の良いときは遍路道でゴザ布団を敷いてぐっすり寝させてもらってます。雨の日は、もちろん合羽を着て歩きますよ。こわいとか、面倒だとか、そういうものは通り越して、ただひたすらに歩くだけです。あなたから見ると、きちがい沙汰に見えるかもしれないが、
私はこれで正常だと思ってます。いや、あなたよりはずっと恵まれて毎日を過ごしていると思ってます。」
「もう完全なお四国病ですね。」
「そうかもしれません。いや、そうでしょう。いつもお大師さんと一緒に、暮らしていると言うのは、すごく幸せなことですよ。」
「へえ、そんなもんですかね。私にはとてもできないことですが。」
「そうじゃありません。あなたはやる気が無いだけです。できないのではありません。」
「なるほど。しかし、あなたがどれほど幸せだと、言われても、今の私は歩き遍路など、到底想像さえできません。
いや長い時間を取りました。恐縮です。またどこかでお会いしましょう。お気をつけて、88番大窪寺までお参りください。ではさようなら。」
「さようなら。」
会話は、これで終わった。私はハンドルを握って、81番札所へ急いだ
。普通の人には、見えないものが私には見える。聞こえないものが聞こえる。私はいつもお大師さんと共にあり、毎日が幸せに暮らしていると、言われたあの笑顔が、いまだに目に浮かぶ。
人間、一筋に何かを求めると、普通の人では感知しえないような能力が開発されて、常人と違った感覚が生まれてくるのだろう。同じ遍路をするのでも、大きな差が生まれてくる。その違いが歩き遍路と車遍路の違いだろう。

あらまほしき男(本当の男とは)

2010年11月22日 | Weblog

あらまほしき男(本当の男とは)

1, 人間への限りない愛情を心に秘め熱い涙を流せる男
2, 大事においては無私しうる男
3, 人間の感情を重視しうる男
4, 別宅さんのおける男 精神的な若さ、と肉体的な若さ
5, 常識の枠内に収まらない男
6, 前向きに決断出来る男
7, 計算が出来、円が描け、ブレーンの活用が出来る男
8, 詩人的な要素を持つ男
9, 現実とそうあらねばならないことの区別が出来る男
   





エイズ

2010年11月22日 | Weblog

エイズ
事の起こりはこうである。
1、1975年世界保健機関は売血による感染症の危険を重く見て、国内も献血で賄うよう勧告した。ところが厚生省はこれを無視した。
2、2000人の血友病患者を感染させ400人以上の人の命を奪った。
提訴から7年、薬害エイズ訴訟は和解したがこれで救われる者は被害のごく一部でしかない
厚生大臣と製薬会社は医薬品による悲惨な被害を再び発生させないように最善の努力を重ねる。和解の勧告書。なんと間抜けな勧告書なんだ。このレベルだから患者が犠牲にされてしまうのだ。

サリドマイドで腕のない赤ちゃんが生まれ、キノホルムで1万人以上の人がスモン病にかかった。そしてエイズ。
厚生省や製薬会社、学者はこれらの悲劇から何も学んでいない。と僕は怒る。

理由
1、経済利益優先 人の命は2の次ぎ
2、情報を素早く集めて手を打つ姿勢や仕組みにかけており被害を大きくした
3、危険情報を患者や国民に知らせようという考えに欠けている
4、薬の回収に手間取って犠牲者を増やす
5、裁判中を理由に感染者へ医療、生活の支援をしない
厚生省は 専門家の判断を隠れみのに被害対策を怠る。結果としてこうなった。
製薬会社は 厚生省が販売停止などの措置を取らないのを口実に汚染製剤を売り続ける
医師は感染の事実を患者に告げずに打ち続ける。
みなもたれあいだ。これはもう構造的な問題だ。1時的にしろ薬事行政を厚生省から外したらどうか

改正
1、厚生省から製薬会社に天下るのを禁止。天下りシステムにのっかていて、どうして国民に目をむけた行政が出来るか。禁止は当然のことだ。
2、政策判断 の場に病気や障害の当事者を加える。実情を正確に知ることだ。
3、現場にインホームド、コンセントを定着させ薬の情報を開示する
4、厚生省のすべての審議会を公開して討議やデータの判断を広く専門家や国民の目にさらす薬害が生じた場合、法的責任や原因究明とは別に即座に被害者の救済がはかれる体制を作る
こういう当たり前のことをするのが、医療行政を司る厚生省の仕事である。
厚生省の役人たちよ。君たちは犯罪を犯したという自覚をもつことが必要だ。


薬害エイズ ミドリ十字ルートの裁判

歴代の3社長に実刑判決 被害者は肝臓病の男性患者。

利益優先 危険性軽視 非加熱製剤の販売中止や回収の」措置を取らなかった過失は重い

1986年 加熱製剤販売時点では非加熱製剤の危険性を防止する業務上の注意義務を怠った

HIV感染危険を認識できる程度に明確になっていた

厚生省か係官に過失があっても被告の過失責任は免れない

官・医・産業界の持たれあいを許し、専門家が個人の責任を果たさなくても、刑事責任まで問わなかった日本的なシステムそのものの犯罪。

スモンクロロキンの訴訟で製薬会社に高度な安全確保義務がカせられて居ることは指摘されてきた。製薬会社が再発防止に真剣に取り組み医師や厚生省役人ら専門家が責任を十分果たせば被害はここまで広がらなかった。

専門家は高い知識と影響力,指導力ゆえに高い責任と義務を負う。
判決は職分を果たさぬ専門家は厳しく刑事責任を問われる。

教訓
1、臨床試験や市販後の副作用調査に関する規制が強化された。

2、製薬会社は一貫して医薬品の安全性、有効性に責任を追うことが明確にされた。
3、回収をはじめた場合は対象薬品の製造番号,数量,回収方法などの報告を求める

以上が薬害エイズ血液製剤の関する裁判作用の判断である。どれこもれも当たり前の話で、特別なことは何も言っていない。この判決の中で特に僕の目を引いた
のは
「官・医・産業界の持たれあいを許し、専門家が個人の責任を果たさなくても、刑事責任まで問わなかった日本的なシステムそのものの犯罪。」という行で特に「日本的なシステムそのものが犯罪」と指摘した点である。これとて、当然の事だと僕は思うが。





おばちゃん軍団

2010年11月21日 | Weblog
おばちゃん軍団

観光客でにぎわう京都嵐山、中之島公園では、人目もはばからずに、満開の桜の下で宴会がたけなわである。
世に言う、オバタリアンの集団・オバタリアン軍団である。
開き直りがあるのだろうか。日頃のうさを晴らしているのであろうか。
慎みがなく、そこのけそこのけお馬が通る的に、傍若無人である。

主人をなくした、後家の集団か、はたまたかかあ天下の集団か、
職場の同僚か、ご近所の奥さん集団か。

手作り弁当と、ビールや酒のアルコール類は、男女の隔てなく進んでいく姿だと思い目を向けた。嗜みや恥じらいを失った女性は、確かに格好が悪い。
大股開きで、電車の通路に、しゃがみ込む。女子高校生はその典型である。
そこまで考えたとき、
これでいいんだ。という思いが、横切った。考えてみれば、この軍団のメンバーは、これまで5、60年の風雪をくぐり抜けて、今ここに、今日の命を輝かせているのだ。誰がなんと言おうと、その人生は尊い。
見てごらんのとおり確かに、見た目には悪いが、そのことが、この人たちの生きざまを傷つけるものではない。何をしようと、何を言われようと、美しいのは、命の輝きである。それを見なくちゃ心眼で物を見ることにならない。
網膜に移ったものだけで、是非を決めるのは底が浅い。軽率だと自分に言い聞かせた。

そういえばここへ来るまで、道中で黒い喪服に、身を固めた、幾人もの人に出会った。きっと似たようなクラスの人の団体であろう。時が経てば、人は、一人の例外もなく、この有様。それが人の世の掟であり、自然の定めである。

上り坂は、息切れがする。下り坂は、足に、力が入るのか、がくがくする。いずれにせよ、坂道は大変だ。人生坂も、またカクのごとし。

この前は桜の下でどんちゃん騒ぎをしていた、オバタリアン軍団も、今日はその姿なく、関の水音のみが、耳につく。というのはちょっと寂しい。
時節が過ぎると、人影はない。嵐山の中島公園。
時節も人も、移り変り行くものだ。ちかごろ、やっとそのことが、名実ともに実感を伴って判るようになった。 。

ただ呆然と

2010年11月20日 | Weblog
ただ呆然と

バイクには乗るなと注意した。それでも最後には、絶対乗らないでくれと、懇願調になって頼んだ

、しかし、彼はある日、天国の住人になってしまった。

お通夜の日。僕は彼の亡骸を前に,悔しさと悲しさで一杯の涙を流し
本来自分でできることは完全に成し遂げたか自問した。これ以上できないというところまで、としては努力したつもりである。ところが結果がこうでは,それはつもりの域を出ない。

体を張ってされて彼をつなぎ止めておくと言うことは不可能だし,この事故は、避けられないことであった。と自分なりのいいわけをした。

かわいそうに、彼のお母さんにとっては、ひとり息子を失った。、この息子が、いなくなると、彼女の人生もまたなくなってしまうような惨劇である。そして、彼はすでに鬼籍入ってしまった。

枕もとに立っている僕。座っている母親は、と見ると彼女は悲しみの涙を流さない。あまりにショックが大きすぎると涙も出ないのだろうか。悲しむと言う感覚はどこかに消え失せてただ呆然とした表情で,顔は蒼白、おそらく頭が真っ白に、なっていたのだろう。

こういうことって、人生にあるんだ。なんの因果のめぐりあわせか知らないが、人生には、こういうことがある。

人間にはどんなことでも、おのずと限界がある。まして、教師が生徒に対する指導力なんていうもは限界ばかりで、直ぐに限界に突き当たる。

艶話

2010年11月19日 | Weblog
            艶話


年頃が過ぎると、男3人よれば女の話になり、やがてそれは品定めを通り越して、エロ話に発展する。何も知らないふりをして好きな奴、話すことはいかにも感心させられるが、中身はたいしたとことのない奴、

360度の方向性を持ちながら、意見の対立もなく、お互いに喧嘩もせず、、多少の笑いを浮かべながら、うなづいたり、相づちを打ったり、よくぞまあ話の種がつきんことよと感心するのはこの手の話である。そしてこの手の話はほとんど男子専用であった。

ところがである。
性の自由化が進んだというのか、解放が進んだというのか、近頃の若者の会話、特に女性のエロ話には感心する。
はじめはその手の話は長い間、男性専用で、女性が自らの言葉で性に関する話をすることは、はしたないと、禁句にされていた。

先日見た深夜のアダルトタイムのテレビ番組ではそこまでやるか、と感心した。男女交合について、女性の解説が付くのである。男には絶対にわからない女性の本性みたいな部分の解説まであって、エロ話には違いないが、エロっぽいと言うよりは、ある種の教養話にすら思えた。

えっ?それ本当?と感心したり、驚いたりしたことが幾たびかあった。
男子専用の世界に女性進出である。なるほど時代は変わった。と思う反面、これで正常に戻ったと言う気がしなくもない。

どうしてこの手の話は、今まで男子専用だったのか。男女カップルになって行うプレーが、なぜ男だけの専用事項なんだろう。
当然相方の女性も自らの関心事や、興味の対象として、この手の話をしてもおかしくはない。
今の時代はメールが大流行である。これは便利な文明の利器であるが、匿名性が高いので、割に本音が出やすい。しかも異性同士のメールが数多く楽しめるので、僕は冷やかし半分、期待半分で、毎日それなりに楽しんでいる。

と言ったって、普通の女性からは、まともに相手にしてもらえない世代である。だからといってやけのヤンパチでメールしているわけでは無い。大まじめなのだが、誰もまともに相手にしてくれないだけのことである。
あーあ。ため息が出る。年はとりたくないものだ。

感動の一言に尽きる。

2010年11月18日 | Weblog
        感動の一言に尽きる。

K先生のテレビを見ました。感動して涙が出た。

あの勉強の量は忍耐と克己心のたまものです。普通の人ではとてもあれだけのボリュームをこなすことができない。
それを実際にやったものだけが持てる、技術とそれに裏打ちされた自信これが素晴らしい。
ここまで掘り下げて、勉強し体験を積み重ねたことが一つの驚異である。

僕もそこそこ努力はしたが、あそこまではやっていない。もし、あの程度まで努力していたら、もう少しましな人間になっていたかも知れない。

医療技術者として素晴らしいだけではなく、人間的な素晴らしさに感動を覚えた。
本来なら救えない人間という人、決断力で助けるという姿は、患者から見れば、まさに神の手と称すべきものである。
しかし、その裏に隠れてしまっているところの努力を見逃してはいけない。

外科医として素晴らしいだけでなく、人間としても、尊敬できる先生だ。
以上が僕は見た感想です。感動をありがとうと伝えておいてください。
                


行基菩薩

2010年11月17日 | Weblog
行基菩薩


行基は菩薩と称えられた僧で奈良時代に活躍した高僧である。
その像は近鉄奈良駅を降りて階段を上り詰めたら目の前にある。

行基の生家を寺にしたものが家原寺で 堺市西区 津久野駅からとほ10分くらいの所にある

彼が作った土塔は同じく堺市にあり、これは土と瓦で出来た高さやく9m
縦横53mある土と瓦製の塔である。

当時これだけのものを作る土木技術は日本にはなかった。が渡来人の先進土木技術を身につけていた彼はカリスマ性と相まって大きな布教力を持っていた。おそらく渡来人達がバックアップしたことだろう橋や道路ため池など多くの業績を残した。
狭山池は彼が作ったため池と言われている。
当時は日本よりも中国朝鮮の方が先進国であり、日本文化は渡来人によって主導されていた。彼自身も百済系の渡来人である当時の上層部はその30%が渡来人が占めていたらしい。

彼は奈良にある飛火野に1万人人間を集めて仏教の布教に勤めたこともあった。
そういう彼の人となりに注目した聖武天皇は彼を大僧正に任命し、彼に国と民衆をつなぐ大仏造立の仕事を依頼した。彼はその期待にこたえたが、その影にはすでに日本に根を張って力を持っていた渡来人が大いに協力をしたにちがいない。

受験シーズンになると受験生やその親が家原寺に合格祈願に訪れる。
文殊菩薩が祀られていて、ハンカチに合格祈願を書いて御堂の壁に貼ったり、つるしたりする。知恵の文殊菩薩にあやかろうというわけだ。勿論我が家の受験生3人もお詣りしてあやかろうと合格祈願を書き込んだ。2人は合格したが1人は不合格だった。これ文殊さんの判断か、はたまた本人の学力不足と言うことか
どうも答えは明白なようだ。

日本国民がバカにされた日

2010年11月16日 | Weblog

日本国民がバカにされた日

他人の生きる権利を一方的に奪ったこの野獣のために、罪のない人27人が命を奪われたのだ。ハムラビ法典じゃないけれど、八つ裂きにしても足りない思いがする。

27人を殺した(部下に殺すように命令した)麻原こと松本が今日、死刑判決を受けた。国民の常識に反して、弁護士は控訴するという。高裁で争うらしい。一体これは何を意味するのか。確かに三審制ではあるが、完全な悪用である。野獣のような人間は即刻処分すべきだ。彼が死刑になって当然だというのは国民の常識だと思う。

高裁や最高裁まで争わなければならない事案か。いい加減に時間と金の無駄使いはやめろ。まだ長引かせて、今後も被害者の苦しい気持ちをもてあそぶつもりか。

制度があるから、最高裁まで争うというのはそれなりの理由があるからだ。彼の場合は逆転があり得るのか。逆転したら誰も法律やこの制度を信じなくなるだろう。今弁護士がやるべきことは、法律や制度の趣旨を尊重して、悪用を避け、国民の納得の行くように運用することが、その職務の筈である。加えて彼に人間らしい心を取り戻させ、遺族や後遺症に苦しむ人々に謝罪する心を取り戻させ謝罪させることが先決だ。裁判の長期化は決して良い結果を生まない。それは法システムや、制度や運用に疑問を抱かせ、順法精神を失わせ、国民の常識の上からも、社会正義の上からもマイナス方向に働く。

弁護士、被害者、検察、遺族代表がいろいろな立場で物申したが、奴の態度を見て、僕はあの虫けら同然の野獣に、今日は日本国民があざ笑われた屈辱の日だとさえ思う。バカにされたのは、この国の裁判制度や法律や、警察の無能や、危機管理の無さやそこまで考えない政治家という、のう天気でお粗末なこの国のりーダーであると付け加えておこう。
嘘だと思うならば、地下鉄サリン事件が起きる前に、アメリカはどういう危機管理策を講じたか、勉強したまえ。

それにもう一つ。
テレビ報道で判決結果を速報するための記者の様子。まるで死刑が驚きを持って迎えたかのごとく興奮して報道していた。たいていの国民は彼が死刑になって当然だと思っているのに、あの騒がしい報道は一体何を伝えたかったのか。完全に劇場的な発想の報道ぶりだ。
扇情的だし冷静さを失っている。彼が死刑にならなかったら、日本の法律や制度には国民がついて行けない。ということは成り立たなくなると言うことだ。現行法では5人殺したらまず死刑を免れまい。27人もの殺人事件に首謀的な役割を果たしながら、無期だとか懲役10年というような判決が下りてみろ。良識ある国民世論が沸騰する。そして大半は死刑を支持するだろうし、もしそうでなければ現行の制度改正が必ず成し遂げられるだろう。ということは控訴審は無駄である。これから時間を掛けて慎重に審議するなどといったら、あの鬼畜を日本で一番安全な場所に匿い、三食は保証され、自分が気にさえしなければ極楽の状況下で保護され生きながらえることが出来る条件を国が保証すると言うばかげた事態になる。これでいいのか。

麻原弁護団の判決に対する弁明は、日本で二番目のバカ集団だ。彼らの話はいかに知恵のない弁護士集団化かを露呈し、その無能ぶりを遺憾なく発揮した。良識ある国民のひんしゅくを買い、軽蔑の笑いものにさらされている。
今思い出しても胸がくしゃくしゃする。

当世若者カタギ

2010年11月15日 | Weblog
当世若者カタギ

若い女が股を広げて、階段に座り、ポテトとコーラとハンバーガーを口にほおばっていた。
通行人がじろじろ見るのも全く意に介せず、堂々たる振る舞いである。
しかもその服装たるや、破れたジーンズ。おまけに茶髪と来ている。身だしなみという一昔前の感覚からすると、完全にボロスタイルである。

服装や身だしなみの自由と言うよりは、落ちるところまで落ちたという感じだ。
我々世代から見れば当世のフアッションと言うよりは乱れた服装であり、行動だと非難するだろう。
そして恥じらいを失ったギャル達に対してどんなにか抵抗を感じたことか。

ところがよく考えてみれば、僕は意識的ではににせよ、海外旅行バックパッカーするようになって、貧相な衣服や身なりを恥ずかしく思っていた。バックパッカーといえども、シャツは破れてないし、ジーンズだってほころびが有るわけではない。今の若者のフアッションよりはよほど昔の感覚に近い服装だが、それでも気が引けていた。ボロをまとっている感じがして、何となく恥ずかしい想いをしていた。

ところが当世若者の服装や、マナーのおかげで、恥ずかしい想いというのは消え去った。
若者の服装なればこそ、自分も気分的には救われているということに気付いたとき、
よくぞ先鞭を付けてくれたことだ。僕自身が進んでこのようなみすぼらしい自分なりのフアッションで人前に出ることは抵抗があったが、若者のぼろフアッション出現のおかげで救われている部分が有る。