ジェネレーション
まだ現役で、教壇に立っていたときのことである。目の前のお客は18歳のぴちぴちである。 教えると言うよりはしゃべる方が面白い。
まずはじめに、気合いを入れるために「オッス」と大きな声で叫ぶ。最初は彼らはきょとんとしている。頃合いを見て、もう一度「オッス」を繰り返す。女生徒は柄の悪い先生と思うらしい。こちらは計算済みである。お構いなしに話をどんどん進める。
話題は今週の主なニュースである。
それを事実として伝えたあとで、僕なりの感想を加えて解説する。そこで話が弾むように、わざと逆のことを言って、反論が出るように仕向ける。
怪訝な顔をしているが、しばらくすると、それが芝居であると気がつく。
そうなると彼らも調子に乗ってくる。つまり調子に乗せるのがこちらのペースに引き込むためのイントロである。彼らはこれを教師の雑談だという。
もちろん教科書も指導書もこちらは勉強してある。そしておおうよそのペースをつかんでおいて一年分の教案は作ってあるから、脱線しながら授業は進める。
話は大きく飛んで、と言うより小学生誘拐事件の時は外国の占い師が来てこの事件について占うという新聞記事を紹介したら、生徒は話にのってきて、その霊能者に会いたいという強者まで出てきた。それは僕だって同じことで、話は大いに盛り上がった。結局は占い師に合わずじまいだった。
五,六人の生徒を引き連れて現場に立ち会いたいと言ったところで、相手にしてもらえなかっただろうし、邪魔者扱いにされたことだろう。
霊能者は被害者は大阪南部にいると言ったが、彼女が帰国してのちに、その小学生は能勢の山中で白骨死体で発見された。ついでに言えば犯人は女性ばかり四人殺害していた。少女誘拐事件として世間で騒がれたものだから、あの時の生徒はまだ覚えている者もいるはずだ。
その当日の僕の教案にはカントについての説明をする予定が書き込まれていた。それを説明する時間はなかった。しかし彼らと過ごしたこの時間は未だに鮮明に覚えている。
教壇に立つと話に乗ってくる者、内職をする者、うつぶせにねていびきをかく者、僕の話に耳を傾けてノートをとる者、ほんとに多彩である。倫理 という教科は大学受験の科目の中には入ってこない(倫理社会で受験する子供は滅多にいない)から生徒も教師も気が楽である。
また話は飛んでお客が社会人だったらどうか。というと社会教育の講師として話をする場合は昼寝もしないし、私語もない。与えられた時間を退屈させないように適当に話題を転がして今日の本題だけを伝えれば良いので楽である。
そして18歳と社会人と比べると、目の輝きが違う。たいした話もしないのに、食い入るように瞳がきらきらする。大人相手の講演は何十回もやったが、若さの雰囲気というものはどうしようもない。
人間はジェネレーションでくくらないと、人間でひとくくりしてはだめであるという貴重な教訓を学ばせてもらった。
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まだ現役で、教壇に立っていたときのことである。目の前のお客は18歳のぴちぴちである。 教えると言うよりはしゃべる方が面白い。
まずはじめに、気合いを入れるために「オッス」と大きな声で叫ぶ。最初は彼らはきょとんとしている。頃合いを見て、もう一度「オッス」を繰り返す。女生徒は柄の悪い先生と思うらしい。こちらは計算済みである。お構いなしに話をどんどん進める。
話題は今週の主なニュースである。
それを事実として伝えたあとで、僕なりの感想を加えて解説する。そこで話が弾むように、わざと逆のことを言って、反論が出るように仕向ける。
怪訝な顔をしているが、しばらくすると、それが芝居であると気がつく。
そうなると彼らも調子に乗ってくる。つまり調子に乗せるのがこちらのペースに引き込むためのイントロである。彼らはこれを教師の雑談だという。
もちろん教科書も指導書もこちらは勉強してある。そしておおうよそのペースをつかんでおいて一年分の教案は作ってあるから、脱線しながら授業は進める。
話は大きく飛んで、と言うより小学生誘拐事件の時は外国の占い師が来てこの事件について占うという新聞記事を紹介したら、生徒は話にのってきて、その霊能者に会いたいという強者まで出てきた。それは僕だって同じことで、話は大いに盛り上がった。結局は占い師に合わずじまいだった。
五,六人の生徒を引き連れて現場に立ち会いたいと言ったところで、相手にしてもらえなかっただろうし、邪魔者扱いにされたことだろう。
霊能者は被害者は大阪南部にいると言ったが、彼女が帰国してのちに、その小学生は能勢の山中で白骨死体で発見された。ついでに言えば犯人は女性ばかり四人殺害していた。少女誘拐事件として世間で騒がれたものだから、あの時の生徒はまだ覚えている者もいるはずだ。
その当日の僕の教案にはカントについての説明をする予定が書き込まれていた。それを説明する時間はなかった。しかし彼らと過ごしたこの時間は未だに鮮明に覚えている。
教壇に立つと話に乗ってくる者、内職をする者、うつぶせにねていびきをかく者、僕の話に耳を傾けてノートをとる者、ほんとに多彩である。倫理 という教科は大学受験の科目の中には入ってこない(倫理社会で受験する子供は滅多にいない)から生徒も教師も気が楽である。
また話は飛んでお客が社会人だったらどうか。というと社会教育の講師として話をする場合は昼寝もしないし、私語もない。与えられた時間を退屈させないように適当に話題を転がして今日の本題だけを伝えれば良いので楽である。
そして18歳と社会人と比べると、目の輝きが違う。たいした話もしないのに、食い入るように瞳がきらきらする。大人相手の講演は何十回もやったが、若さの雰囲気というものはどうしようもない。
人間はジェネレーションでくくらないと、人間でひとくくりしてはだめであるという貴重な教訓を学ばせてもらった。
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