日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

鈍行で行く

2009年06月30日 | Weblog
鈍行で行く

新幹線にのると、終点まで行っても雰囲気が同じである。
耳に聞こえてくる。その土地の言葉やなまりも変化なく、何か無機質で。

それに比べてローカル線鈍行にのると、乗降客の入れ替わりで雰囲気が変わる。

地方の方言を聞いていると確かに、日常と違った異郷感を味わうことになり、旅をしている気分になる

放浪の頼りなさが、そこはかとなく漂い、不安感と期待感の入り交じった旅愁を心ゆくまで味わえる

見るもの聞くものが変わること。つまり日常の身の回りから脱出をはかる事を願うのなら、つまり日常性から脱出を願うなら、ローカル線 鈍行で行く旅に限る

無礼講

2009年06月29日 | Weblog
無礼講

今年は空梅雨のせいか、あっという間に夏が来た。早いもので、大阪の夏祭りのさきがけ・江戸時代から続く有名な愛染祭りが、あと一週間もすればやってくる。 近頃は世の中がやかましくなって、度外れな出し物や、どんちゃん騒ぎは影をひそめているようだが、それでも祭りの当日は無礼講はまかり通る。


日ごろ人間を分けているところの垣根を、一切すべて取り払い,
貴賎,,上下の区別が一切なく、ドンチャン騒ぎをすることである.。
それが無礼講である。

ドンチャン騒ぎをして一体何になるのか。
考えないわけではないが,しいていえば,,このばかばかしい振る舞いは,ガス抜きの一種であり,社会的には大きな役割を果たしているのかもしれない。

昔と違って,いろいろな娯楽が繁盛する現在においても,祭という名を借りて,そこにたまっている社会的なガス抜きをしているのは、それなりに意味のあることである。

ところが騒ぎすぎて事故が起こり死者が出るそういうことになると、このガス抜きのイベントが果たしてよいのかどうか考えざるを得ない.。

1年に2,3回の贅沢な楽しみではなくて、現代では娯楽はいくらもあるし、しようと思えば、ガス抜きは個人的にできるはずである。にもかかわらず集団でガス抜きをするというのは、一方ではいかがなものかと思う人もいるだろう。それも一理ある。

しかし時代がどのように変わろうとも、この世で不満なく生きている人は、絶無である。表面はともかくも心のうちには、うつうつとした欲求不満があり、その残りかすを解消するために、やはりスケールの大きい無礼講の中に己が抱えるストレスをすべてはきだして、さらに処理したいというのは、時代の問題ではなくて、基本的には人間の命が続く限りつきまとうものである。

とすれば、花見の宴は人間の命にまとわりついたものであって、それがドンチャン騒ぎという形をとって、表面化したものである。といえよう。

ドンチャン騒ぎによって迷惑を被る人々は、年に何回かのこの種のお祭りに、もう少し柔軟で寛容な態度を見せるべきだ、というのが僕の考えだ。

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幸せそうなあなたへ

2009年06月28日 | Weblog
幸せそうなあなたへ

あれから何回も、あなたの写真を見ました。
とにかくあなたは幸せです。 満面に微笑をたたえて命の花を咲かせている。
そうだ。人生は喜びが多い方がいいに決まっている。

お釈迦様は人生の真実を、苦だと悟った。生老病死のほかに四苦がある
満面に微笑ををたたいている、彼女だってその内面には、苦があるに違いない。
当たり前だ。幸せだけしかないというような人生はあり得ないのだ。

砂糖ばかりなめている人に、砂糖の甘さはわからない。甘さはその対極にある塩のからささを知って比較して初めてわかるのだ。

人生は苦と楽がコインの表裏のをようになっている。その裏表を知ってこそ表がわかり、裏が判るのである。僕はあなたの写真にそのように言いましたよ。

歌は世につれ 

2009年06月27日 | Weblog
歌は世につれ           09/06/26

演歌作曲の大御所 、古賀政男先生は生前、次のように語っていたのを私は聞いたことがある。

「私は自分が作った歌が売れなくなるような時代が来ることを強く希望する。私自身も、この日本社会の苦しく悲しい思い、の時代はもうたくさんだ。」

古賀先生が、心の底からそう願っていたかどうかは分からないが、現代の世相を見る限り、古賀演歌は懐かしい過去になりつつある。

人間が生きて行く上で、悲しみが消え去ることは絶対にありえないだろうから、古賀メロディーは、先細りになりつつも生き残るであろう。

あんなに心にしみるメロディーが、と思うが、確かに悲しい歌からは遠ざかる心が自分の内にある。それが分かるから、古賀先生の主張は納得できる。
時代が移るに連れて、世相もその心も移り変わって行く。

高度経済成長を遂げた現代では、個人の懐具合もよくなり、豊かさは、人々が実感できるまでになっている。

貧乏なるがゆえの悲しみは、豊かさと反比例するがごとく、少なくなったが、人々の持つ意のままにならぬ悲しみの大部分が消えたわけではない。

物質的な面に起因する悲しみが少なくなったとしても、精神的な面に起因する悲しみが、減ったということではない。

形を変えて、悲しみは人の心に忍び寄る。これはいつの時代でも同じこと。

されば、悲しみを歌い上げる演歌は内容が変わることがあっても、この日本から消え去ることはない。これから先もあの哀愁に満ちた演歌は日本人の心の歌として、いつまでも歌い継がれて行くことだろう。

人道支援という名のもとに

2009年06月26日 | Weblog
人道支援という名のもとに

人道支援という名のもとに米を北朝鮮に180トンも送った日本の政治家の馬鹿。
それにもかかわらず日本を火の海にしてやろうかと脅されている。こんな矛盾があろうか。

万景峰号によってミサイル部品の90%は日本から運んだと言う情報がある。
人民を飢え死にしそうな状態においてそれでも国のリ一ダ一か
一日も早く現体制を崩し人民を開放をするのが正義である。国連はその責任を負うべきだ。人民を飢える状態においている国に対しての人道支援をするくらいなら1日も早く政治体制を変革させることであって、食糧援助などはすべきでない。それは現体制の延命工作に協力をして、ならずもの国家をサポートしているようなものだ。
想像以上の厚かましさ ・おどし 人権抑圧 拷問 政治犯収容所という地獄スペース、麻薬、拉致事件、ニセドル偽造。これらを外交カードに使い、瀬戸際外交を永年やってきた。まさにならず者国家だ。

先日アメリカの情報では北朝鮮が仕掛ける次の戦争のターゲットは日本だという。北朝鮮が日本攻撃をする前に、先制攻撃を掛けるのかと思ったら、それはアメリカさん頼みだという。
数々の不合理、不正に欺かれ続けた、日本政府の外交とは一体何なのか。

毅然としないから脅しがエスカレートするのだ。悪逆の限りを尽くして連中が健在だなんて許せない。

世界は一日も早く北朝鮮人民を開放する。それが人類共通の役割だ。



雲南航空

2009年06月25日 | Weblog
 雲南航空

 安いだけで、サービスは不要、という人は雲南航空に乗るべきだ。ガラガラの席にもかかわらず、サービスの悪いこと、悪いこと。
 
飲み物を出してすぐに、食事を出す。隣の席に食べ物をおいていく馬鹿がどこにあるんだ。食べ終わらない内に、食器を下げてどうする。鶏に餌をやるのとは、訳がちがうのだが、彼女たちのサービスはこの程度の域から抜けていない。
 つまり、おおうよそサービスというものが分かっていない。
 
快適に空の旅を楽しんでもらう為に、自分の仕事があるのだ、という感覚が欠如している。

もしこう考えれば、今、自分は客に対してなにをすれば良いのか、が自ずと判ってくるはずである。それは訓練を受けたかどうか、以前の問題である。
 経済の原則は、安くて良質の物や、サービスの提供がどこまで出来るかで、決まる。

もし中国雲南航空がタイ航空と競争しようものなら、ダントツの差が付いて勝負が決まるだろう。
 
これはサービス以前の問題だから、国情というのだろうが、今のままをやっていると、中国雲南航空は何年経っても、空の競争には勝てないだろう。

機内サービスの悪さにむしゃくしゃしている僕は腹の内で、雲南航空をけちょんけちょんにけなした。いろはのいが出来ていない人間に向かっていくらサービスの重要性を説いたところで、理解されないだろうし、心のこもるアドバイスでも、彼女達にすれば立腹の種になるだろう。

言わないが良い。ほっとけばいい。のど元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

究極の場面においては?

2009年06月24日 | Weblog
究極の場面においては?       09/06/23

北川県のリーさんと河南省の農村から来ていた娼婦のラブストーリー。
ベッドで、仲むつまじくしていた時、地震が起きた。

彼女は素早く、ベッドから飛び出し、片足をトイレに踏み入れたが
リーさんの叫び声を聞いて、身を翻して倒れた彼に手を差し伸べて、つかんだ。
体の位置が入れ替わり、外に倒れた彼女はコンクリートの床板につぶされた。
2日のち、リーさんは、人民解放軍に救助されたが、彼女が生き埋めになっているのを口にしなかった。

将来、死者の記念碑を立てるときに女房や子供の名前は刻まれるが
社会主義国家のイメージを損なう娼婦の彼女は除かれるだろう。
記念碑にも刻まれない犠牲の娼婦。

人間は丸裸でやってきて、裸で去って行くもんだ。でも、人には服も体裁も必要だ。
俺は丸裸で地上に引き上げられたとき、必死で服をつかんでいた。そばにもう一人いるなんて言えなかった。かわいそうなやつだ。

この菊の花と、お辞儀を受けられるのは、政府の認可した犠牲者だけだ。政府が集計しなかった死者は?、あるいは自分を犠牲にして、人を助けた娼婦はどうなるのか。?彼は命の恩人を見捨てた。

究極において人間は己独りをどれほど大切にするものか。全てがこのケースだとは言わないが、自分の名誉のために、あるいは自分が生きんがためには、究極の場面に於いても、命の恩人さえも見捨てて、人は己一人が良かったら良いのである。これが悪いということではない。そう言う力を自然が人間に与えたのでろう。その時の状況が余りにも過酷なとき、人は何を犠牲にしても、そこから逃れるために、どんな残酷な事でもする面がある。

真実か作り話か知らないが、石川五右衛門が子供と共に釜ゆでの刑になったとき熱さに耐えられなくなった五右衛門はわが体の下に、子供を敷いたという。五右衛門はどんなに、もがいても自分の死が時間の問題であることを自覚していたであろうに。
究極の場面においては、人は我利がり亡者になる様に出来ているようだ。

もちろんこの逆の事もある。日本人の命の恩人。新大久保の駅で、線路上に落ちた日本人を助けようと、我が命を顧みず、犠牲になった、韓国留学生、イ・スヒョンさん(僕は彼のことを英雄だと賞賛する)のような人もいるが、それは例外だというべきだろう。

人間は最後の審判の時がやってきても、依然として情けないほど、破廉恥でイヤシく、そして粘り強く生き抜く生命力を持っている。





















あっちむいてホイ

2009年06月23日 | Weblog
あっちむいてホイ

八つ目ホルゲンは八目鰻油配合の栄養補給剤である。

効能書きを見てみると、滋養強壮 、虚弱体質 肉体疲労 病中病後の栄養障害などなど、が記されているが、実際に服用してみると、視力は良くなるようである。
夜寝る前に飲んだ翌朝は確かに、目がよく見えるようになったような気がする。
なべて、50歳を過ぎるころから、目がしょぼしょぼして、書物のの字はかすむし、老眼鏡をかけないとものを見るのに不便を感じるというのが、標準的な50歳代の実態のようである。


知り合いの薬局の奥さんとは、カラオケ仲間である。彼女は歌う方、私は歌い方の指導をするほうで、特別に心やすい仲でもある。

「奥さん。八つ目ホルゲンある?」
「あーら。先生。どうしたのですか。」
「近ごろ、とみに目が悪くなったようで、。老眼だけでなく、目がしょぼしょぼして、。歳はとりたくないもんですなぁ。
まっ暗闇の中でもわかるのは、あれたった一つですわ。あっはっはー。」

「まあいやらしい。先生ったら。あっはっはー。あれは近眼・老眼関係ありませんよ。八つ目ホルゲンで、精をつけて、がんばろうというのですなぁ、わかりました。」

「ところで奥さん。ご主人は元気ですか。?」
「まあ、いやだったら先生。うちの主人ときたら、このごろはいつでも「あっちむいてホイ。」ですよ。お父さんはもう60歳に手が届くころですもの。」
「奥さん。それじゃあ私と同じ世代ですよ。あっちむいてホイか。わびしいな。まだまだ現役でないと、。」

それにしても、60歳ごろになると、人は皆、男も女も、あっちむいてホイ族になるらしい。
「奥さん、お互いにがんばろうと、ご主人に、言っておいてください。」

3,

この手の話や雰囲気で、喧嘩になったという話は私は聞いたことがない。あるのは、クスクスげらげらのお笑いばかり。
目尻が成り下がっているかどうか、そんなことは知るよしもないから、おかまいなしに話が、一直線に降下して、語るに落ちるところまで落ちてゆく。
私も夢中になって話に溶け込み、胃の痛くなる世界の住人であることを忘れる。

アメリカとイラクの一触即発の危機も、どこ吹く風である。砂漠の兵隊さんは、アメリカ兵にせよ、イラク兵にせよ。ご苦労さんですな。

かくて、現在の日本は平和である。かって騒然とした世の中の世情とはまるで無関係に、「捜し物は何ですか。、、、」と歌ったご仁がいったが、その社会への無関心ぶりに驚き、憤りすら感じたが、近ごろは社会の出来事に敏感に反応しなくなった自分にハッと、気付くことがあり、そら恐ろしくさえ思うこともある。
「あっちむいてホイ」族に近づいたせいかもしれない。

いや、総理大臣経験者が二人も、リクルート事件に、関係するほど、政治倫理は失われ、さらに庶民には、夢に見ることすらできないような高額の所得隠しをして、株屋が間違って大臣にまでなった。と嘲笑された政治屋が出たりして、政治不信に追い打ちをかけるなど、昨今の政界の退廃ぶりから、世の中が嫌になり、無関心にならざるを得なくなったせいかもしれない。

何事に対しても 「あっちむいてホイ」 になるのは、こういうことにも一因があるのだろう。自分の年代も、社会の様子も、どうも良い方向には向いていないようである。

















今回の金融について思う。

2009年06月22日 | Weblog
今回の金融について思う。

今回の金融危機の震源地はアメリカである。いわゆる金融バブルが崩壊することになって、世界全体の経済が、後退あるいは停滞した。
不況の波は実態経済に、即座に響き、市場は急速に縮んだ。

それまで自由放任的な資本主義経済のあり方が、ここで改めて問われることになった。たとえば、ファンドの投機的な動き。100円そこそこのガソリンが半年もたたないうちに200円近くに値上がりする。それは、実需に結びついた経済よりは投機的な要素でもって引き起こされた経済現象である。市場中心主義が生んだ投機の弊害である。

アメリカの場合、そこの部分が規制あるいは監督されるよりも放任された。そして、暴れ回ったのは、投機資金や金融資本である。そのために結果的には、世界中の経済が不況の波に襲われた。

考えるに、資本主義経済というものは、個人や社会を豊かにするという原則の上に成り立っている。

実体経済からかけ離れた投機経済によって経済秩序がかきまわされたわけである。そこには企業の社会的責任とか社会的公器としての自覚とかという観点よりは、利益優先の経営主体が幅を利かせていたことである。基本的に企業は社会の安定と存続に貢献しなければならない。不況だからと言ってリストラばかりを行うことは、企業の社会的責任の放棄につながる。それは現実的には多くの失業者を生み、多くの人々を困らせる。不況の波を受けて、人々は生活防衛に走り、ものを買わなくなる。おかげで
生産活動に縮小現象が起こり、デフレスパイラルに陥る可能性が大きい。

そうなると、経済回復は多くの財政支出を伴ったとしても、かなりの時間がかかるのではないだろうか。それまで人々は苦しみ、消費縮小によって生産に縮小になり、企業はその活動のあり方を根本的に見直さなければならないような苦境に陥る。

100年に一度の不景気だと言われるが、経済、歴史を振り返る時に、やはり前回の失敗から学んで、長期的展望に立って、経済活動をするよりは、目先の一時的な利益追求が何にも増して優先しているところから発生する愚かしさが経営哲学の上で訂正されていない。

アメリカにはノーベル賞をもらった経済学者が沢山いる。どうして彼らが学問的な先見性を発揮して警告を発することができなかったのであろうか。




ゼロサム続き

2009年06月21日 | Weblog
(4)

「ところで、小町さん。あなたは後世の人々によっていろいろな形に仕立て上げられていますね。絶世の美人に始まって、女流歌人、美女の代名詞として使われる00小町。小町から待つと言うことにひっかけて遊女、それに巫女や比丘尼。さらには薬師如来様や観音菩薩様の化身のように思われて、薬師信仰や観音信仰と結びついていますね。」

「いやはや、美人である、歌才がある、ということは恐ろしいことですね。世間でどんな物語が作られ、それがどんな風に流布伝承されていくか。そして時代や地域によってどのように変化していくのか。こういう流れは誰にも、とめられません。

小野小町というイメージが、時代や地域をふわふわと、さまよい歩くのですよ。こういうイメージによって、ずいぶんありがたい想いをして、得をしたようにも思いますが、同時に実際と、あまりにもかけ離れた誤解によって、口には出せないほど、傷ついたこともありました。今静かに、それらを思い返して、総合計してみると、冒頭に申したとおり、ゼロサムになります。人生はゼロサムになるように、作られているのですね。それは私一人だけではなくて、この世に生まれてくる全ての人に、公平に与えられている宿命なのです。
私は魂の世界にやってきて、ここから現世を見つめ直すと、特にそのように思います。」

「そうでしたか。よく恋の花を味わっておかれたことだ。
明日のことが知れない、人の身には、今日現在、只今のことが、いちばん大切かと存じます。
お互いに燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世には存在しません。そして、あなたは恋の美味酒に酔いしれたわけだから、お二人とも、この恋には悔いはないでしょう。この世に人として生まれ、あなたのように、美貌や才能に恵まれて素晴らしい恋に陥るなんて。この世に生まれてきたすべて人々があなたのように恵まれた境遇に生きるということは、おそらく少ないと思います。」

「そこなんです。人生というのは。
美人だから、高貴の生まれだから、金持ちや名門の令嬢だから、素晴らしい恋や人生の幸せが、約束されている、あるいは保証されている、と言うわけでは決してありません。青春時代にどのような素晴らしい人生を送ろうとも、花の時代が過ぎ去って中年になれば、人生の悲哀の身がうっとうしくなります。ましてや老残をさらす身には、世間の冷たい風が、直接吹いて来ます。そして、人生は恋の賛歌を歌っている花の時代は短くて、そのあとには、長い冬の荒涼とした時代と寂寥感が続きます。

私の人生を振り返ってみて、喜びの時代と、悲しみの時代を合計してみると、ゼロになります。世間では、人生はゼロサム、と言うらしいが、まさしく人の一生は、ゼロサムですよ。
可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴びて、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じです。つまり、人生はゼロサムなのです。」

「そうですか。何もかもよくご存じの経験者である、あなたが言われるのだから、たぶん間違いはないでしょうね。しかしながら、人と言うのは、あなたのように、脚光を浴びて、華々しく、活躍することを夢見るのですよ。」

「それは気持ちとしてわかります。しかし、姿かたちを失って、この世界にやってきて、現実の世界を見てみると、私は、自分が下した結論は間違っていないと思います。
近頃つらつら考えるのですが、神様は、人が思うように人間に差をつけて、世に送り出されたとは、思えないのです。」

(5)
僕はっとして、我に返った。
底の見える「化粧の井戸」にたまった水面には、所帯やつれした中年女性が姿を映したまま、しゃがみ込んでいる。
最初は彼女の口から言葉が出ていたように思っていた。また事実、彼女の声に間違いなかった。ところが途中から彼女の姿はフエードアウトして、いつのまにやら、僕の視界からは消えていた。

しかし奇妙なことに、話し声だけは聞こえている。うまく表現できないが、彼女の体内に収まっていた小町が、彼女の身体から抜け出して、フエードインして透明人間になり、彼女をおってけぼりにして僕と夢中になって会話をかわしていたのだろう。僕は目よりも耳の方に集中していたから、小町の姿は例えそれが現身であろうが、魂だけの透明体であろうが、問題ではなかった。
要するに、僕は彼女の語る真相のみが知りたくて、追い求めていたのだった。

井戸にしゃがみ込んでいた女は急に立ち上がったが、足下ががたがたとふらついた。彼女はちょっとめまいがしただけといって再びしゃがみ込んだ。
僕は彼女をそのままそこに座らせておいて、今まで交わした会話を頭の中でもう一度繰り返してみた。
なるほどそう言う話だったのか。

一人合点したが、世間には老いさらばえた絶世の美人の老残の姿を小野小町老衰像(補陀洛寺)卒塔婆小町座像(随心院)として残っている。
最盛期の美女の姿をたくさん残してくれればいいのに。

この老婆の小町を見ると若き日の水もしたたる美女の姿を思い起こすことは出来ないだろう。むしろこれらの像はなかった方が良かったのではないか。いやそうではない。冒頭に書いた彼女の最も有名な歌
<花の色は移りにけりな、、、、>の中にすでに盛りを過ぎて
老境へ向かう彼女の心境が読み込まれている。いやこの歌だけではない。絶世の美女と老醜。この対比が人の生涯を物語るようで、何ともいえない気持ちになった。

女の生涯を考えてみると、つぼみや花の命は短くて、時の経過と共に衰えていく容姿を引き戻す、すべはない。
人生の約束事を非情だと思わずにはいられない気持ちになった。
彼女は続けて歌う。
<面影の変わらで 年のつもれかし よしや命に限りありとも>

<哀れなり我が身の果てや浅みどり つひには野辺の霞とおもへば>

<九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる>

<我死なば 焼くな埋めるな 野にさらせ 痩せた犬の腹こやせ>

蝶よ花よともてはやされて、そのときの瑞々しい気持ちを詠んだ美女歌人も、年老いて老人になると、若い日との落差が大きいだけに、夢も希望もなくなって抜け殻人生になってしまうのだとしみじみと哀れを感じた。

そして同時に生涯逃れられない「生老病死」の四苦の教えが目の前に、大きくクローズアップされた。

随心院は今日も大勢の人で、にぎわっている。








ゼロサム続き

2009年06月21日 | Weblog
(4)

「ところで、小町さん。あなたは後世の人々によっていろいろな形に仕立て上げられていますね。絶世の美人に始まって、女流歌人、美女の代名詞として使われる00小町。小町から待つと言うことにひっかけて遊女、それに巫女や比丘尼。さらには薬師如来様や観音菩薩様の化身のように思われて、薬師信仰や観音信仰と結びついていますね。」

「いやはや、美人である、歌才がある、ということは恐ろしいことですね。世間でどんな物語が作られ、それがどんな風に流布伝承されていくか。そして時代や地域によってどのように変化していくのか。こういう流れは誰にも、とめられません。

小野小町というイメージが、時代や地域をふわふわと、さまよい歩くのですよ。こういうイメージによって、ずいぶんありがたい想いをして、得をしたようにも思いますが、同時に実際と、あまりにもかけ離れた誤解によって、口には出せないほど、傷ついたこともありました。今静かに、それらを思い返して、総合計してみると、冒頭に申したとおり、ゼロサムになります。人生はゼロサムになるように、作られているのですね。それは私一人だけではなくて、この世に生まれてくる全ての人に、公平に与えられている宿命なのです。
私は魂の世界にやってきて、ここから現世を見つめ直すと、特にそのように思います。」

「そうでしたか。よく恋の花を味わっておかれたことだ。
明日のことが知れない、人の身には、今日現在、只今のことが、いちばん大切かと存じます。
お互いに燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世には存在しません。そして、あなたは恋の美味酒に酔いしれたわけだから、お二人とも、この恋には悔いはないでしょう。この世に人として生まれ、あなたのように、美貌や才能に恵まれて素晴らしい恋に陥るなんて。この世に生まれてきたすべて人々があなたのように恵まれた境遇に生きるということは、おそらく少ないと思います。」

「そこなんです。人生というのは。
美人だから、高貴の生まれだから、金持ちや名門の令嬢だから、素晴らしい恋や人生の幸せが、約束されている、あるいは保証されている、と言うわけでは決してありません。青春時代にどのような素晴らしい人生を送ろうとも、花の時代が過ぎ去って中年になれば、人生の悲哀の身がうっとうしくなります。ましてや老残をさらす身には、世間の冷たい風が、直接吹いて来ます。そして、人生は恋の賛歌を歌っている花の時代は短くて、そのあとには、長い冬の荒涼とした時代と寂寥感が続きます。

私の人生を振り返ってみて、喜びの時代と、悲しみの時代を合計してみると、ゼロになります。世間では、人生はゼロサム、と言うらしいが、まさしく人の一生は、ゼロサムですよ。
可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴びて、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じです。つまり、人生はゼロサムなのです。」

「そうですか。何もかもよくご存じの経験者である、あなたが言われるのだから、たぶん間違いはないでしょうね。しかしながら、人と言うのは、あなたのように、脚光を浴びて、華々しく、活躍することを夢見るのですよ。」

「それは気持ちとしてわかります。しかし、姿かたちを失って、この世界にやってきて、現実の世界を見てみると、私は、自分が下した結論は間違っていないと思います。
近頃つらつら考えるのですが、神様は、人が思うように人間に差をつけて、世に送り出されたとは、思えないのです。」

(5)
僕はっとして、我に返った。
底の見える「化粧の井戸」にたまった水面には、所帯やつれした中年女性が姿を映したまま、しゃがみ込んでいる。
最初は彼女の口から言葉が出ていたように思っていた。また事実、彼女の声に間違いなかった。ところが途中から彼女の姿はフエードアウトして、いつのまにやら、僕の視界からは消えていた。

しかし奇妙なことに、話し声だけは聞こえている。うまく表現できないが、彼女の体内に収まっていた小町が、彼女の身体から抜け出して、フエードインして透明人間になり、彼女をおってけぼりにして僕と夢中になって会話をかわしていたのだろう。僕は目よりも耳の方に集中していたから、小町の姿は例えそれが現身であろうが、魂だけの透明体であろうが、問題ではなかった。
要するに、僕は彼女の語る真相のみが知りたくて、追い求めていたのだった。

井戸にしゃがみ込んでいた女は急に立ち上がったが、足下ががたがたとふらついた。彼女はちょっとめまいがしただけといって再びしゃがみ込んだ。
僕は彼女をそのままそこに座らせておいて、今まで交わした会話を頭の中でもう一度繰り返してみた。
なるほどそう言う話だったのか。

一人合点したが、世間には老いさらばえた絶世の美人の老残の姿を小野小町老衰像(補陀洛寺)卒塔婆小町座像(随心院)として残っている。
最盛期の美女の姿をたくさん残してくれればいいのに。

この老婆の小町を見ると若き日の水もしたたる美女の姿を思い起こすことは出来ないだろう。むしろこれらの像はなかった方が良かったのではないか。いやそうではない。冒頭に書いた彼女の最も有名な歌
<花の色は移りにけりな、、、、>の中にすでに盛りを過ぎて
老境へ向かう彼女の心境が読み込まれている。いやこの歌だけではない。絶世の美女と老醜。この対比が人の生涯を物語るようで、何ともいえない気持ちになった。

女の生涯を考えてみると、つぼみや花の命は短くて、時の経過と共に衰えていく容姿を引き戻す、すべはない。
人生の約束事を非情だと思わずにはいられない気持ちになった。
彼女は続けて歌う。
<面影の変わらで 年のつもれかし よしや命に限りありとも>

<哀れなり我が身の果てや浅みどり つひには野辺の霞とおもへば>

<九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる>

<我死なば 焼くな埋めるな 野にさらせ 痩せた犬の腹こやせ>

蝶よ花よともてはやされて、そのときの瑞々しい気持ちを詠んだ美女歌人も、年老いて老人になると、若い日との落差が大きいだけに、夢も希望もなくなって抜け殻人生になってしまうのだとしみじみと哀れを感じた。

そして同時に生涯逃れられない「生老病死」の四苦の教えが目の前に、大きくクローズアップされた。

随心院は今日も大勢の人で、にぎわっている。








ゼロサム続き

2009年06月21日 | Weblog
(4)

「ところで、小町さん。あなたは後世の人々によっていろいろな形に仕立て上げられていますね。絶世の美人に始まって、女流歌人、美女の代名詞として使われる00小町。小町から待つと言うことにひっかけて遊女、それに巫女や比丘尼。さらには薬師如来様や観音菩薩様の化身のように思われて、薬師信仰や観音信仰と結びついていますね。」

「いやはや、美人である、歌才がある、ということは恐ろしいことですね。世間でどんな物語が作られ、それがどんな風に流布伝承されていくか。そして時代や地域によってどのように変化していくのか。こういう流れは誰にも、とめられません。

小野小町というイメージが、時代や地域をふわふわと、さまよい歩くのですよ。こういうイメージによって、ずいぶんありがたい想いをして、得をしたようにも思いますが、同時に実際と、あまりにもかけ離れた誤解によって、口には出せないほど、傷ついたこともありました。今静かに、それらを思い返して、総合計してみると、冒頭に申したとおり、ゼロサムになります。人生はゼロサムになるように、作られているのですね。それは私一人だけではなくて、この世に生まれてくる全ての人に、公平に与えられている宿命なのです。
私は魂の世界にやってきて、ここから現世を見つめ直すと、特にそのように思います。」

「そうでしたか。よく恋の花を味わっておかれたことだ。
明日のことが知れない、人の身には、今日現在、只今のことが、いちばん大切かと存じます。
お互いに燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世には存在しません。そして、あなたは恋の美味酒に酔いしれたわけだから、お二人とも、この恋には悔いはないでしょう。この世に人として生まれ、あなたのように、美貌や才能に恵まれて素晴らしい恋に陥るなんて。この世に生まれてきたすべて人々があなたのように恵まれた境遇に生きるということは、おそらく少ないと思います。」

「そこなんです。人生というのは。
美人だから、高貴の生まれだから、金持ちや名門の令嬢だから、素晴らしい恋や人生の幸せが、約束されている、あるいは保証されている、と言うわけでは決してありません。青春時代にどのような素晴らしい人生を送ろうとも、花の時代が過ぎ去って中年になれば、人生の悲哀の身がうっとうしくなります。ましてや老残をさらす身には、世間の冷たい風が、直接吹いて来ます。そして、人生は恋の賛歌を歌っている花の時代は短くて、そのあとには、長い冬の荒涼とした時代と寂寥感が続きます。

私の人生を振り返ってみて、喜びの時代と、悲しみの時代を合計してみると、ゼロになります。世間では、人生はゼロサム、と言うらしいが、まさしく人の一生は、ゼロサムですよ。
可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴びて、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じです。つまり、人生はゼロサムなのです。」

「そうですか。何もかもよくご存じの経験者である、あなたが言われるのだから、たぶん間違いはないでしょうね。しかしながら、人と言うのは、あなたのように、脚光を浴びて、華々しく、活躍することを夢見るのですよ。」

「それは気持ちとしてわかります。しかし、姿かたちを失って、この世界にやってきて、現実の世界を見てみると、私は、自分が下した結論は間違っていないと思います。
近頃つらつら考えるのですが、神様は、人が思うように人間に差をつけて、世に送り出されたとは、思えないのです。」

(5)
僕はっとして、我に返った。
底の見える「化粧の井戸」にたまった水面には、所帯やつれした中年女性が姿を映したまま、しゃがみ込んでいる。
最初は彼女の口から言葉が出ていたように思っていた。また事実、彼女の声に間違いなかった。ところが途中から彼女の姿はフエードアウトして、いつのまにやら、僕の視界からは消えていた。

しかし奇妙なことに、話し声だけは聞こえている。うまく表現できないが、彼女の体内に収まっていた小町が、彼女の身体から抜け出して、フエードインして透明人間になり、彼女をおってけぼりにして僕と夢中になって会話をかわしていたのだろう。僕は目よりも耳の方に集中していたから、小町の姿は例えそれが現身であろうが、魂だけの透明体であろうが、問題ではなかった。
要するに、僕は彼女の語る真相のみが知りたくて、追い求めていたのだった。

井戸にしゃがみ込んでいた女は急に立ち上がったが、足下ががたがたとふらついた。彼女はちょっとめまいがしただけといって再びしゃがみ込んだ。
僕は彼女をそのままそこに座らせておいて、今まで交わした会話を頭の中でもう一度繰り返してみた。
なるほどそう言う話だったのか。

一人合点したが、世間には老いさらばえた絶世の美人の老残の姿を小野小町老衰像(補陀洛寺)卒塔婆小町座像(随心院)として残っている。
最盛期の美女の姿をたくさん残してくれればいいのに。

この老婆の小町を見ると若き日の水もしたたる美女の姿を思い起こすことは出来ないだろう。むしろこれらの像はなかった方が良かったのではないか。いやそうではない。冒頭に書いた彼女の最も有名な歌
<花の色は移りにけりな、、、、>の中にすでに盛りを過ぎて
老境へ向かう彼女の心境が読み込まれている。いやこの歌だけではない。絶世の美女と老醜。この対比が人の生涯を物語るようで、何ともいえない気持ちになった。

女の生涯を考えてみると、つぼみや花の命は短くて、時の経過と共に衰えていく容姿を引き戻す、すべはない。
人生の約束事を非情だと思わずにはいられない気持ちになった。
彼女は続けて歌う。
<面影の変わらで 年のつもれかし よしや命に限りありとも>

<哀れなり我が身の果てや浅みどり つひには野辺の霞とおもへば>

<九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる>

<我死なば 焼くな埋めるな 野にさらせ 痩せた犬の腹こやせ>

蝶よ花よともてはやされて、そのときの瑞々しい気持ちを詠んだ美女歌人も、年老いて老人になると、若い日との落差が大きいだけに、夢も希望もなくなって抜け殻人生になってしまうのだとしみじみと哀れを感じた。

そして同時に生涯逃れられない「生老病死」の四苦の教えが目の前に、大きくクローズアップされた。

随心院は今日も大勢の人で、にぎわっている。








彼女は所帯やつれの女から

2009年06月20日 | Weblog
(3)
彼女は所帯やつれの女から、小野小町に変身している。

「えっ?それじゃあ、小町になり変わって、あなたが僕に話しかけているのですね。あなたが喋っているのは、あなたの思いや気持ちではなくて、小町の思っていること、しゃべりたいことを、あなたの口を借りて喋っているのですね。なんか変な気持ちがするが、、、、」

「いいえ。変でもなければ、不思議でもありません。今は姿かたちをなくした身だけど、あの時代に輝いていた私の魂は、何の影響を受けることなく、したがって何の変化もなく、もとの形です。
 
私の出自や生涯については、詳らかにしていない部分が多く、その分、時代や地方によっては、さまざまに語られていますし、また作家も好き勝手に、自分の想像によって、私を書いてくれます。私の事実と違うところもたくさん見つけますが、それをいちいち訂正してもらっても、どうなるものではないから、お好きなように想像して書いてくださって結構です。しかし私には自分のことだから、真実というものがありますよ。よくご存知の百人一首に読まれた
<花の色は、うつりにけりな いたずらに、わが身世にふるながめせしまに>
これは、古今集に載っています。読み人知らず、ではなくて、れっきとした私の作品です。」

「なるほど、あなたには、小町が乗りうつっているのですね。いや小町さんそのものですね。わかりました。今後、あなたがおっしゃることは、小野小町のことと心得て耳を傾けます。
じゃあ私の方からも、お尋ねしても良いですか。世界の3大美女の一人と謳われている、あなたは本当に美人だったのですね。」

「これは難しいお尋ねです。女は誰でも自分は美人だと、心の中で思うものですよ。だいたい、一般論として美人論はあるのでしょうが、これは主観の問題です。たとえば、顔一つをとってみても、おたふくのような下ぶくれの、笑みを浮かべた、丸顔を美人だと思う人もいれば、瓜実顔の細面のとりすましたような女性を美人だと、言う人もいる。こればかりは主観が大きく作用するので一概に超美人と言うのはどうかと思います。
 
とはいえ、世間からそのように、美人だと、思われることは、嫌なこと、迷惑なことである筈がありません。ただただ、素直に嬉しいことです。世間特に殿方に美人だと、認められていたせいか、多くの貴公子から想いを寄せられました。私としてはまんざらでもなく、多くの方々とお付き合いもしました。

中でも、伏見の深草少将さまには、ことのほか、御執心賜りまして、ある約束をいたしました。伝説となっている、百夜通のことでございます。明日1日で、思いが届くという段になって、すなわち99日目に、死ぬことによってその話は、悲劇の幕がおりるという物語になっていますが、真実は少し違います。少将さまは、男ぶりもいいし、教養もある立派な殿方でした。そんな方から、絶大な思いを寄せられて、憎う思うはずもありません。
 
百日も、私のもとへ通ってこなくては、熱意が足りないなんて思うほど、私は傲慢ではありません。ましてや熱い思いを素知らぬ顔をして、素通りする、させるほどの木石でもありません。50日を超えたころには、その誠意に、私の心もとろけました。そして、幾たびか、逢瀬を重ねて楽しみました。もちろん男女の色恋というのは、人に知られないように、隠せば隠すほど、情熱的になろうというものです。私たちは幾たびも、燃えあがったことでした。
この頃の気持ちを詠んだ歌があるのです。それは
< 思ひつつ ぬればや ひとのみえつらん 夢としりせば
さめざらましを>
あえて注釈をすれば、
あの人を思いながら寝るので、夢にみえたのであろうか。このままずっと夢を見続けていたいものを、なんといとしい事よ 
という素直な思いです。またそのときの気持ちは次のようなものでもありました。
<秋の夜も 名にみなりけり あふといへば 事ぞともなく あけぬるものを>
逢瀬の楽しさはあっという間で、いくら時間があっても足りないものですが、人生もこれと同じで、花と言われる楽しい時間はいくらあっても足りない気がします。あっという間でした。
 いくら歌才があるといわれても、心の底に潜む思いを素直に歌い上げることは、火が出るほど、気恥ずかしいものです。自分の気持ちを恋しい殿方のおもいに沿った形に言い表す事は。
 
少将さまは男子の約束は、貫いて見せると、それはそれはご自身の意志の強さをおみせになり、私もそれを、ただならぬご決意と受け止めておりました。ところが、九十日を過ぎた頃から体をこわされて、百夜通いも病のために達成できなくなりました。
 
私の方としては、そこまでしなくてもと、幾度となくお伝えしたのですが、途中で約束を違えるのは、男の恥と申されますので、私の出番は、なかったのです。
物語では、九十九日目に、夢を達成することなく、この世を去られたことになっていますが、実は、九十日を過ぎた頃から、病が篤くなり、立ち居振る舞いもままならない状態でございました。無理をなさらないように、と申し上げてはいたのです。が、病は篤くなる一方で、全復されるまでには、それから3年もかかりました。

さしもの情熱も月日の流れに流されたと見えて、いつの間にか縁は遠くなり、紅い糸が切れてしまいました。その後の消息ですが、詳らかなことは、私の手元には届いておりません。たぶん出家でもされたのではないでしょうか。その後のことは、洋としてわかりません。ただ思い出すのは、幾夜かの逢瀬の楽しい思い出だけですよ。」

「そうでしたか。よく、恋の甘酒を味わっておかれたことだ。明日のことが知れない人の身には、只今のことが、大切かと存じます。
燃えあがって、恋の花を咲かせる瞬間ほど美しいものは、この世にはありますまい。僕などはこの恋の蜜をすっただけでも、この世に生まれてきた価値が在るものだとおもいますよ。
そして恋などと言うものは当人同士しかわからないもので、外野席は文字通りカヤのそとです。

外野は自分勝手に想像をめぐらし、おもしろおかしく、また悲劇の主人公をいとも簡単に作り上げてしまいます。だから僕は才女のあなたに本当のことを聞きたいのです」

「なるほどね。私は世間で言うところの美人だったんでしょう。多くの殿方から、お誘いをうけました。こんな私のことを、よく思ってくださるなんて考えただけでも、うれしい話じゃありませんか。

気があるか、ないか、好みであるか、ないか、そんなこと超越して、私は好意を寄せてくださった殿方には、それなりに丁寧に、応対したのです。それは私の気持ちだから、私自身にしかわからないことかもしれないが、その真心の応対が誤解されて、浮き名を流す多情な女との評判が生まれたのでしょう。

またある時は、余り多くの人に言い寄られるので、どの方ともおつきあいを遠慮したことが在りました。そうしたら世間でなんと噂されたと思いますか。あれは女ではない。女の顔をしているが、きっと身体のどこかに欠陥があるのだろうといわれたのです。
全ての方々に気を悪くされないように、こちらが振る舞えば、こういう噂が立つのですね。

彼女は男嫌いだという噂ならまだしも、身体の欠陥まで想像されて
まことしやかに語られるのは、じつに悔しいことです。
世間の人々は私を外見だけで判断してました。世間というものはそんなものですかね。」
こういう話をしていると、僕は小野小町が完全に姿形をとってこの世に存在して、そして僕は今彼女と対座してリアルタイムで会話を交わしていると言う気になっていた。
 
思えば彼女が在世したのは、仁明天皇の時代だから、9世紀の中頃である。今から1200年余り昔の事である。その時間を超えて、こうして心の中で、会話を交わすことは、常識ではあり得ないことだ。しかし僕の耳には彼女の話し声が聞こえ、こうして会話をしているのだ。人間世界には不思議なことがあるものだ。僕は一人つぶやいた。

つづく

ゼロサム (私見小野小町)1

2009年06月19日 | Weblog

        ゼロサム (私見小野小町)
( 1,)

「可もなく、不可もなく生きた人の人生も、私のように、脚光を浴びて、華々しく、舞い上がった人生も、総合計すれば、みんな同じです。つまり、人生はゼロサムなのです。こちらの世界から眺めると、すごくよく、そのことが分かりますよ」

「なるほどね。人生ってそう言うものですか。あなたほどの美貌と才能の持ち主が、そう思われているとは思いませんでした。僕は自分の人生を振り返ってみると、ゼロサムだという結論達していたのですが、あなたもそうだったのですか」
人生と言うのは案外公平に作られてものだと、僕は意をつよくした。

花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる 
 ながめせしまに。」  百人一首
有名な小野小町の詠んだ歌である。

小野小町。巷間では、世界3大美女のうわさが高い超美人。また
古今集や百人一首にその名をとどめている有名な歌人で、六歌仙の一人。宮中に仕え浮き名を流したとある。
平安前期の女性ながら、その詳細は不明であるという。

 人生の絶頂期を過ぎて下り坂にさしかかった心境を見事に描き出した、この歌人に私の心はとらえられて、凋落の身を嘆いた得もいえぬ詠嘆の情に酔いしれて、私はある日、彼女の出身地であるといわれる、京都は山科区にある随心院を訪ねた。

 京阪電車を三条駅で降りて、地下鉄に乗りかえ、小野駅で降りた。生まれて初めて訪ねる土地だから、方向が皆目分からない。
後で地図で調べてみると、地下鉄は三条駅を出て、しばらくは東向いて走るが、蹴上を過ぎるころから、大きく右折し南下して、その行き先は、醍醐寺の方向を目指し、近くには奈良街道も走っている。

小野駅で、下車して随心院を目指すのだが、方向が分からず、プラットホームに立ち止まって、地図を見ながら、後ろから来た女性に声を掛けた。
この人は、車内で何回も目が合った女性だった。
彼女も一人で今から、随心院に行くので、同行しましょうという。

 絶世の美人の誉れが高い、小野小町に比べて、こういっちゃ彼女に失礼だが、その容姿は、月とすっぽんで、比べ物にならない。
色は黒いし、顔には生活臭が漂い、所帯やつれが出ている。
髪は、パーマが当たってはいるものの、形くずれを起こしかかっているし、お化粧も、肌荒れのためか、しわをうまく隠していない。
どうみても30後半から、40代の中年女性だ。だが、目の光は鋭く、そのオーラは、神秘な雰囲気を漂わせている。それは、どことなく霊媒師のようなものを感じさせた。

 彼女に声をかる以前、地下鉄の中で目があったときにも、目の中に何か神秘なものを含んでいたが、話の内容もまた、常識では解せぬところがあった。

「あなたは車内で、私を何回も見つめていたでしょう。」
いきなり、彼女はびっくりするようなことを言った。
「はあ?。そうでしたっけね。特に意識していたわけではありませんが、」
よく覚えているな、この人は、と思った。確かに何回か彼女と目をあわせたが、それは特別な意味は何もなかった。ただの中年女性で、これといって目立つところなど何もない、そこらそんじょの主婦。どこにでもいる家庭の主婦といった感じで、特別注目する様なことは何もなかった。

「私は、あなたが今から随心院を訪ねることを知っていました。」
「へえ。どうして。そんなことが分かるのですか。あなたとはいま初めて出会い、言葉も交わしたことがないのに。」
「いいえ、私にはわかるのです。あなたが小野小町を訪ねることを。私は知っていました。
だから、プラットホームで、あなたがあたしに声をかけたとき、来たなーという感じがしました。」

彼女がこう話したときに、僕は彼女がどこか別な世界からやって来て偶然、僕と出会い、会話を交わしているのだという気がした。
「そうですか。私にはあなたの言うことが理解できないこともあるが、、、、。まあいいや。ご存知なら案内してください。あなたは今から随心院を訪ねる予定なのですね。」
「そうです。いいですとも。参りましょう。私もあまり詳しくは無いのですが。」

 彼女とつれだって、大きな道を横断して、左に折れ、右に折れして、随心院まで歩いた。ものの10分もからなかったように思う。

彼女との出会いは、降って湧いたような話だった。まさか、小町の化身のような人が、私を誘ってくれるとは、思っても見なかったが、会話によると、あたかも私が、小野小町を訪ねることを知って待ち受けていたかのようである。
( 2)
 随心院は京都山科区にある真言宗善通寺派のお寺で、本尊は、如意輪観音である。門跡寺院だが、これは江戸時代に九条、二条の宮家が入山され、再興されたことに由来する。
ここ院内は、小野小町の居住跡のあったところといわれている。
またこの付近一帯は小野一族の土地であったらしい。
院内には小町に関係のある、化粧の井戸や五輪塔のような
小町塚。文塚。それに、深草少将が百夜通いしたときに、渡されたというカヤの実が植えられたと伝えられる、大きな1本のカヤの木が残っている。

 総門を入ると、右手に梅園があり、そこは、別料金になっている。それを見過ごして、長屋門から庫裏まではさくさく音のする砂利路がある。ほんのわずかな距離だが、さくさくに合わせて、気持ちがシャキシャキして軽くなる。その砂利道を踏み分けて、庫裏に行き、400円の拝観料を二人分払って、靴を脱いで上がり、建物の中に入った。

それから書院、奥書院、本堂へとわたり、本尊に軽く会釈をして、手を合わせた。
今日は小野小町を目的にして来ているので、いつものお寺参りのように、願い事をしたり、お礼参りはしなかった。

書院も本堂もサッと通ったくらいで、記憶にとどめたり、メモをとったりしたものは何もなかった。
薬医門を出て左折し、化粧の井戸の案内立て看板を見て、化粧の井戸を訪ねた。

ここは小町の住居跡と伝えられている。化粧の井戸へ向かって、階段があり、石段を降りていくと、底の見えた浅い井戸がある。そこへ行くまでは無言だった彼女が、井戸へ降りていく途中の石段で、急に口を開いた。
「小町がささやいた声が聞こえた」という。

「何があろうとも、人の生涯というものは、一生を通してみると、プラスマイナスがあり、それを合計すると、みな平等に、ゼロになります。
華やかな青春時代の私の活躍も、過ぎてみれば、一陣の風。
そして、華やかなことが大きければ大きいほど、それ以上の悲哀がその裏側に付きまとう。私の生涯を振り返ってみると、多くの貴公子に取り囲まれて、有頂天の時は、我が身の美しさと才能に、我ながらほれぼれとしていたものです。」
 
彼女の声のトーンは先ほどと変わっている。地声がひっくり返って、若い女の甲高い声がビンビン響いてくる。

「あなた。それ誰に言っているの。もしかして、僕にですか。それともひとりごとを、つぶやいているのですか。」
彼女のにわかの変化に、僕は怪訝な顔をした。

「あなたが、今日ここへ来ることを私は知っていて、待っていた。随心院の小町を訪ねたいとあなたが思った瞬間私にそれが映ったのです。だから、今日ここへ来ることを待ち構えて、心の思いのたけを話そうと思っていたのです。」

つづく

穴場はどこだ。

2009年06月18日 | Weblog

穴場はどこだ。



毎年のことではあるが、相変わらず、初詣は大勢の人出だ。初詣が多い神社を見ると、いつものように、明治神宮の355万人を筆頭に、川崎大師が317万。住吉大社が283万。ラストが、京都の伏見稲荷で、223万人。
全国では、7742万人の人々が初詣に行ったと新聞、テレビが報じている。それでも去年に比べて、216万人減ったそうである。理由は、3ケ日に降った雨のせいみたいである。

いったい何を求めて、こんなに大勢の人々が、初詣に出かけるのだろうか。生まれてこのかた、こうすることが、習慣となって、ただ何となく出かけるのか。それとも御利益を求めて初詣するのか。
人々は、濃淡の違いこそあれ、現世利益を求めて初詣するのだと私は推測している。

 現世利益。
あの世ではなく、今生きて生活しているこの世で、御利益を授かり、日々の生活を安穏なものにするということは、人々共通の願いである。私も人後に落ちず、1日から3日までの間に、現世利益を求めて何カ所かに初詣に行く。

 我が国には、神無月というのがある。その神無月には、神さま方は、みな、出雲に集まり、全国の神社は空っぽになる。この時ばかりは出雲は別にして、全国津々浦々どこの神社に参っても、御利益はなさそうだ。ご当人の神様がお留守だからである。

 ところで、私は近頃とみに出雲に集まる神々の会議の様子が知りたくなった。というのは、会議の内容を知ってこれにうまく、対応すれば、御利益がたくさんもらえるような気がしてきたからである。つまり、穴場を知りたいのである。

 推測するに会議のメインテーマは民衆の欲望に、どうこたえていくか。如何に満たしていくか。その辺のことだろうと思われる。
そしてこのテーマに関しての役割分担を決め、御利益の配分の仕方について、いかに万人に公平に、行き渡ら出せるか、について協議されているように思われる。
 と言うのは、人々の初詣を見れば分かるように、人間の神さん詣では、現世利益が中心だからである。神様としても、これを無視するわけにはいかない。人々の要求にこたえていかなければ、誰も初詣にこなくなるからである。

 つまり、人々の素朴な願いを無視すると、人気が落ち、神社の存立そのものが、危なくなるからである。無限に近いと思われるう御利益を袋に一杯つめておられる神様でも、対応を誤ると、人気にかかわってくるから気を使われることおびただしい。

 私は先ほど出雲に、集まる神々たちの会議の様子を知りたいと書いた。じつをいうと、この欲望は抽象的な願望をいうのではなく、もう少し現実味を帯びたものなのである。すなわちテープレコーダーを使って、神々の話を盗聴して、記録しておきたいのである。
 どの神がどれだけの御利益の詰まった福袋を持っておられるのか。
どこの神社に参れば、余計に福がもらえるのか、もし平等に福が詰まっていると言うのなら、あまり大勢人がお参りする神社を避けた方が良い。また逆に、お参りは少ないが、福袋の中身はぎっしりという。つまり一人当たりにすると福の配分が多い神社ならば、それこそ、穴場だし。それなりの目見当をつけるために、いろいろ予備知識として頭の中にインプットしておきたいのである。

 それに加えて人々が実感している御利益話しにも、聞き耳を立てて情報を整理してみて、穴場をあらかじめ推定しておくと、たとえ、どこの神社に参るにしても、心構えが違うから、人より余計に福をもらえる確率が群を抜いて高くなると計算しているのである。

 例年通り、我が家も家族全員、初もうでに行った。誰がどういう福を頼んだが、そんなことは知らないが、私が手を合わせてね一生懸命に御利益を頼んでいる最中に、神が現れて次のようなことを申された。
 
 「いつものことながら、欲を道連れに初詣に来たのだな。それはそれで良い。今年も、それなりの福は、授けてやろう。だが、お前は自分の足元をじっくり見たら、神のすばらしいプレゼントに気づくだろう。

 お前をこの日本に生まれさせたのは、ほかならぬ神のなせる業なのだ。いま日本で何か困ったことが起きているか。何もないだろうが。
国民はウサギ小屋に住んでいても、経済は世界1で、治安も医療水準も世界の中でもトップレベル。この後半の半世紀には国民が互いに殺し合う戦争も一切なかった。平和そのものの社会じゃないか。
しかもその平和を背景にして、国民生活は中流意識に彩られて、ほかのどの国よりも暮らしやすい国であろうが。
神がお前ら人間特に日本人にこたえている最大の御利益とは、人生が大過なく過ごせるような平和を与えていることだ。
そのことに目をつぶって、自分の目先だけの御利益を願うと言うのは、ある意味では神に対する侮辱だとおもわないか。

 特にお前は、こすずるく福袋の中身さえも探ろうとして、テープレコーダーで神々の会議の様子を盗聴しようとしているではないか。熱心なのはそれは、それでよい。しかし、行き過ぎたのは困る。己の限度というものをわきまえて、神と付き合うというのが、人間と神の正しいあり方ではないか。これは決してお前に説教しているわけではない。神と人間の関係のあり方の常識を申しているだけである。そこのところをよく理解して、その上に立って、盗聴するのは、まあまあだがねぇ」

神様は以上のようなことを話された。目を覚まして考えてみると、神様の言われる通りである。
それを超えて己一人の現世利益を願うのは、やはり厚かましいというほかはない。言われるまでもなく、やはり自分でも、これは行き過ぎたと、思わざるを得なかった。

 先ほどまで、あれほど盗聴したいと、思っていた気分は、神様のこの一言によって、どこかへ引っ込んでしまった。
穴場。それは、神の福袋の中身分配の事ではなく、実際に足元に、転がっている神の恵みを知るということ。それが現実の穴場であると、僕は考えた。盗聴など不遜なことを事を考えはしたが、これでひとつ、かしこくなったような気がした。