日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

独居は寂しい二人居花お寂し

2018年01月27日 | Weblog
作曲家山田耕筰先生の言葉である。

独居が寂しいのは常識として理解できるが二人居はなお寂し、ということはちょっと理解しがたい。

そこで考えた。物理的にすぐそばに二人が居ても、性格的に、あるいは価値観などが違えば

二人がそばにいると言っても、それは全く疎遠な人間関係である。

独居と何ら変わらない以上に、意思疎通ができない方が寂しさの実感は身にしみるものであろう。
おそらく先生は心の中で、いつもこう感じておられたのだろう。

そばにはいつも奥様がおられたのだけど。

古本

2018年01月23日 | Weblog
狭い部屋にぎっしり詰まった本箱が三つもある。

何十年間かかかって読んだ本を捨てもせず、大切にしまってあるので、本だらけになった。。

古本屋に売りに行ったら、1冊10円だと言う。原価は1500円以上しているのに。

1回目を通した本はそれで価値はほぼ0になる。この現実を知ってから、本を買うのがばからしくなった。

読みたい本は図書館で借りてきて読む。これが僕の読書の現状だ。

トップに立って最高の風景を見なさい

2018年01月22日 | Weblog
映画を見た。

なんもなき1地方の女子高校生が全米チアーダンスでトップに立つまでの努力の過程を描き

実際にトップに立った現実を映画化したものである。

努力のプロセスはろうにゃくなんにょの山を乗り越えて感動を読んだ。

夢を実現するためには夢ノートの効力がどれほどのものか。

強い意志と信念に基づいて行動は奇跡を生む。

夢を持つ人間が夢を実現に向かって進む時、大いに参考になる。

刺激を与えてくれた久々の良い映画だった。


馬鹿と言いたくなる

2018年01月22日 | Weblog
車中で出産で母子とも健全だと知ったら、誰でも良かったと喜ぶと思ったのに、これを批判する人もいるらしい。

曰く胎児を含めて自己管理が甘すぎたために最悪の車中出産となった。自己管理が甘い結果こういうことになったのだ。

こういう意見について人を思いやる心が欠落している馬鹿人間だという意見もある。

妊婦の立場に立って考えると、医師の許可も得て電車に乗ったのだが、途中で自分も考えたことのない出来事だったというのが正直なところだろう。

この出来事は単に妊婦の責任だけではないようだ。というのは、人間が生きている限り予想外のハプニングが起こりうるという「不確かさ」は誰にもわからないからだ

そして常識のある人だったらこの辺の事情が、大人の常識として持っているので、

この出来事を非難した人のことをばかだといったのだ。そしてそれは大人の人の大多数の意見だろう。

車中でお産

2018年01月20日 | Weblog
走行中の車内で出産が始まった。隣に座っていた元看護助手の女性が機転の利いた助産婦役をして柏駅につくと、

生まれた赤子と母親を無事に救急隊に渡して、事なきを得たと今日の夕刊は報じている。


走行中の電車の中で出産が始まったという話は、滅多に聞かない。

幸運が重なってハッピイエンドに終わったが、このニュースは心を温かくした。


同じ夕刊には、福井の3歳児の遺体がDNA鑑定で本人だと書いてある。

心温まる話もあれば、言葉では言い表せない悲しい話もある。

つくづく人間というものについて考えさせられた。

へッドライト0

2018年01月16日 | Weblog
            へッドライト

こんにち、車に乗っていてスピード違反を一度も経験した事ガないという人はまず、いないだろう

運わるく、スピード違反取締りの警官につかまったか、いないか、は別にして、車の流れに沿って走るなら最高速度制限時速40Kmでは.もたもたしていて、とても走れたものではない。

誰が車の流れを作るのかわからないが.4OKmの速度制限を無視した形で、一群の車は流れている。夜間か昼間か、空いているか混んでいるか、

色いろな道路状況にもよるが、まぁ普通50Kmから60Km ぐらいで 走っているようである。これはスピード制限をうわまわっていることは事実である。しかしこれが自然な車の流れみたいである。


猿が高い所へ登りたがるのと同様に人間は、出来るだけ早いスピードを出したがる本能みたいなものを持っているらしい。

事実、直線道路で前方が空いていると、いつの間にか50Kmをオ一バーしているがこれ人間の習性ではなかろうか。しかし諸般の事情を加味してスピード制限を科学的に割り出してみると、安全速度、4OKmということになるのだろう。

この科学的数字として表示される速度と、人間の本能もしくは習性によって来るところの速度、あるいはそのときの道路状況の判断による速度との食い違いは、時々ネズミ捕リという不人気な方法でもってしても是正する必要があるのだろう。

 対向車がさかんにライトを点滅させてこちら側に何かサインを送ってくれているのに気がついた。  

ハッとしてブレーキを踏みスピードをおとし制限速度内の40Kmすれすれにした。

どこに警官がひそんでいるのか、見渡したが姿は見えない。だが、道路の端の方に細いコードが這っていたから、恐ら合図を受けたあたりだったんだろう。スピードを落した地点あたりが、見張りの警官が居たところに違いない。
 
やられた、と思ったが、パトカーや机を並べて十人ちかくの警官のいる前を呼びとめられることなく通過出来た。

見れば、3、4人が机の上の書類にむかって不気嫌な顔をして何かを記入していた。 いずれ五千円以上の金を指定金融機関に支払いに行くことになろう。
法治国家において、自分が法律違反をして罰金を払うのは当然だが、腹の中はもっていき場のない悔しさや腹立たしさで一杯だろう。

と、思った途端、ライト点滅によって事前にネズミ捕りを教へてくれた行きずりの対向車の運転をしていた人の親切心に感謝の気持ガわいてきた。

御礼の言いようもないから.私はこの感謝の気持を対向車線で.ネズミ捕りを発見した時は必ずライトを点滅させてサインを送ろうと思った。

警官を向うにまわして取り締まられる立場にある市民が協力して.ネズミにならないようにする、これ、生活の知恵とでも言うべきか。


それにしても全く不特定の市民が協同して警察の網にひっかからないようにすることは.共同戦線をはったというよりはそこに何か人間らしい温かさのある連帯感を感じるのは、恐らく私一人だけじぁあるまい。


法を守る精神を持つのは、市民として当然の事ではあるが、法に縛られて身動きが出来ない、つまり人間の自然の情までも法によってガんじガらめに縛りつけるのは如何なものだろうか。

他人に重大な影響を及ぼさない範囲で.順法精神を忘れずに、ある程度の弾力性を持たせて法を理解するのが市民生活の知恵ではないだろうか。 
 少なくとも私はこう考えて生活している。赤信号みんなで渡れば怖くない、というのではない。

私の場合は赤信号を見ると安全性を必ず確認して危険がないと確信が持てたときしか赤信号を渡らない。

               


教師の心理

2018年01月15日 | Weblog
いじめが発生したとき、教師の心理はどう働くか。

いじめは正義に反するとして突っ込んでいくか、それとも基本的に煩わしい事だから逃げようという心理が働くか。

ここは人にも依るが、ほとんどの教師は現に起こっている問題から逃げようとする心理が働く。

とうぜんのことながら、いじめはそのまま放置される。

傷が深くなってからでも消極的にタッチするようになる。これは教頭であれ、校長であれ似た様なものである。。

こうしていじめ問題は完全にエアーポケットにはいってしまう。これは学校の限界だろう。

だから自殺事件が発生する。これは悲しい結末だけど、なるべくして成っているのである。

こういう現実を誰が暴露するのか。これは現場を踏んだ教師しかわからないだろう。

知らないのか、目をつぶっているのか、どちらかだろうが、これからも自殺は起こるだろう

学校という環境を変えてみる必要がある。つまり担当者を学校から警察に変えてみることだ。

それでもいじめはなくならない。なぜならいじめは本能に基づいたものだから、

口頭で注意したくらいで収まるものではない。かなりの強制力でもって押さえつけないと処置なしである。

1嘔吐

2018年01月14日 | Weblog
センター試験2日目である。試験場の雰囲気に飲み込まれたのか、試験途中に嘔吐した学生がいた。
たぶん実力は発揮できなかったことだろう。点数が足りないと

このことだけで浪人になるかもしれない。お気の毒である。

IT革命のスピード

2018年01月13日 | Weblog
IT革命のスピードが速くなってきた。これから30年先というと想像もつかない。

特にAIの発達は気になるところである。どこまで進むかわからない。開発が進んで

ひょっとしたら、人間を超すかもしれない。これは恐ろしいことだ。

人間に勝るAIが人間を支配するようなことになると、悪い科学者がいて、有害な情報を組み

込んで、人に害を与える可能性は十分考えられる。主客転倒だ。

ピントはずれ6-11

2018年01月12日 | Weblog
   ピントはずれ


起きては成らぬ事件が起きた。青年指導員が注意した少年に殴り殺された。
今月16日の夜、公園での出来事である。

 たばこを吸っている少年4人に注意したところ、つかみ合いになり突き倒されて死亡した。犯人は16歳の高校生や無職の少年達で、彼等は中学の同級生である。
これにたいし次のような意見が識者の声として新聞に載った。
   
社会評論家
 いまの若者は喧嘩の仕方も知らない。
いい格好したいと言う気持ちが強く歯止めが利かない。
1対1なら事件に成らぬ。
   
心理学者
 大人の存在が軽すぎる。
子供の精神と肉体のアンバランスがひどくなると’この種の事件が起こる。こわい時代になってきた。
  
 教育評論家
 年は16でも判断力は7、8歳程度。
社会的な性格形成に欠ける
グループ外人間を排除。
   
大学教授
 社会的訓練が欠如、セルフコントロールがきかぬ
この事件は少年が大人に突きつけた決算書
感性を生かしてやる手段を考えよ
のびのび育てるネットワーク作りが必要。
     
市の対策
 指導員がひるまないように緊急会議を開く。
    
 僕の意見
 社会のルールを守れない腐った根性は容赦なくたた きのめして自己規制の確立をはかる。肉体的に苦痛を与える。要するに昔流に殴るのだ。

そしてやっていいことと、悪いことを体で覚えさせる。あまやかされすぎた今の若者にルールを教えるには、口頭や、頭では無くてルール破りは痛い目に遭うと言うことを骨の髄までしみこませる。

自由放任主義を是正する。なにが子供の人権か。
 加害者の人権が過度に尊重されて被害者の人権が軽んぜられている風潮を改める。結果の分析はするが対策や提言が有効でない。あまりにも現実からかけ離れた、いわゆるピントはずれの意見だ。
 
指導員はひるむだろう。これは 当たり前だ。自分の身を守るためには其れも仕方がない。実際に関わる人間の立場に立って物を言え。とうまきにして自分の頭でしか考えない連中の意見は緊急時には糞の役にもたたん。

少年は何事も自己責任で処理するという自覚を持たせるのが本人の自覚を生み人格形成に役立つ。それが教育というものだ。

現代の風潮として、人間として生きるルールにたいして、けじめをつけないか、あるいは曖昧にする。この灰色が最も悪い結果を生む。其れが同時に悪循環する。
 
今回の件で私ならどうするか。自己防衛の為に見て見ぬ振りをする。
其れが現代ではわが身を守る方法だから。

東南アジア旅行

2018年01月11日 | Weblog

東南アジア
 インドでは生死の問題について考えた。特に生きること、漫然と生きることではなくて命のほむらを燃やして、一生懸命に生きることを真剣に考えた。
  
ベトナムではフランスに代わって、アメリカ流のビルディングが建ち初め、サイゴンはそこに住む人々の発するエレルギーの溢れんばかりの大きさに、気後れすると同時に積極的に勇気づけられた。


カンボジャでは無実の中で、無残に殺されていった百万人以上の人々に、同情の涙を流し、タイ、バンコックでは日本以上の経済成長に目を見張った。
 五十階建てのビルがあちこちに散見されるので、大阪以上の経済力かと評価したが、それはバブルであったことが近ごろ分かり、これから先、十年の苦難が想像出来る。


総じて、僕が歩く東南アジアは二一世紀に向けて元気がよい。押し寄せる大波の地響きのようなあの活気が感じられるが、それが何ともいえない魅力である。その活気やエネルギーを身にうけて、僕も大いにやる気が出るのである。すくなくとも日本に帰り着いて三ケ月間は、やる気が体内に充満している。三月は持つ。その間に取材の整理をして、それからまた出掛ける。治る事のない海外旅行病にかかっているのかもしれない。いやきっとそうだろう。 

前略

2018年01月10日 | Weblog
K様

初めまして。作曲家のTともうします。

本日の朝日新聞の記事拝見、すごく共感を覚えました。

歌は人々の生活に根ついた物で大衆の心を歌ってこそ、歌といえるのです。

だからグループで派手に踊ったり、サーカスまがいのパホーマンスなど一切不要です。

人生の苦悩や故郷や青春へのノスタルジアを思い起こさせない歌やパホーマンスは歌といえる代物ではないのです。

つらい思いを経験する大人の心を癒やし勇気つける歌こそ、いつの時代にも必要不可欠の物です。
ところが現在の音楽はいったい何者でしょう。

グループでやる踊りもパフオーマンスの中に歌がある(あれは歌ではなく)BGM化した 心なき単なる音の羅列に過ぎません。

一部の未熟者を除いて大多数の大人はあれらを歌とは認めていないでしょう。だからテレビのスイッチを切ることになるのでしょう。

歌でないものを歌として取り上げる低レベルなプロヂューサーががんになってますね。

彼らを一掃して歌の本質がわかる新しい感覚のプロヂューサーが求められているのです。

昔NHKには後藤田純生さんという名プロヂューサーがいた。四十年前に彼が選んだ歌は今でも歌われています。

考えるに日本人の心情を最もうまくとらえているのは演歌だと思います。

演歌がなくなれば日本人の心の歌はなくなります。世相の移り変わりや、時代の流れに影響されながらも、基本は演歌の心です。

だから我々作曲家は平成の歌作りに邁進しなくてはなりません。


お互い評論家であってはいけません。次世代に受け継がれる素地を作って若い人にバトンタッチをすることが使命です。


はれのひ

2018年01月09日 | Weblog
成人式は一生に一度しかない。式用に準備したはずの衣装も、セットもできない。

これは一体どういうことだ。この会社の社長は切腹しても当然だと思うが、雲隠れして姿を現さない。

その被害にあって、成人式に参加できなかった娘さんとそのお母さんの悔しさはいかがだっただろうと

おもうと、この社長を許すことはできない。

200人以上の気の毒な被害者は忘れようもない成人式になったが、ハプニングとあきらめるほかはないという現実はなんともやり切れない。

人の迷惑も考えず、雲隠れするような腐った人間は、社会から追放すべきだ。えーい。他人事ながら腹が立つ。

良いプロヂュウサーの発掘と育成6-10

2018年01月08日 | Weblog
良いプロヂュウサーの発掘と育成

NHKみんなの歌  初代プロぢゅーサー 後藤田純生さん 十年以上担当

61年似始める みんなの歌 親子で楽しく歌える歌

向き合って口ずさめる歌 できれば合唱がいい

民衆に息ずく歌

小学生のための 歌とあそびの広場(1) 世界各国から集めた70の手遊びリズム遊び編

日本 民謡 わらべうたによる児童・女声合唱曲集 会津磐梯山. 2007/7/1

パートナーソングを楽しもう(1) パート練習が必要でない合唱体験を

NHK「みんなのうた」40周年ベスト(1) 山口さんちのツトム君 / さとうきび畑

NHK「みんなのうた」40周年ベスト(1) 山口さんちのツトム君 / さとうきび畑
?アーティスト: TVサントラ,川橋啓史,杉並児童合唱団,真理ヨシコ,森みゆき,堀江美都子,山田美也子,MOJO,大倉正丈,東京放送児童合唱団,仁科竹人
?出版社/メーカー: 日本コロムビア発売日: 2001/06/21

1. 朝いちばん早いのは
2. アイスクリームのうた
: 3. ドロップスのうた
4. クラリネットをこわしちゃった
お化けなんてないさ
5. お化けなんてないさ
6. 地球を七回半まわれ
: 手のひらを太陽に
7. 手のひらを太陽に
1. 夕日が背中を押してくる
2. ちいさい秋みつけた
10. 山口さんちのツトム君
11. トレロ カモミロ
12. ひげなしゴゲジャバル
13. 五匹のこぶたとチャールストン
3. 小犬のプルー
15. 勇気一つを友にして
16. オブラディ・オブラダ
7. オナカの大きな王子さま
18. 今日の日はさようなら
19. さとうきび畑
20. 大きな古時計
おおまき場は緑  チエコ
誰も知らない   中田 谷川俊太郎作詞
慌て床屋
どじょっこふなっこ
トロイカ
母さんの歌 インターネットより引用

後藤田様
すばらしい歌を日本全国に配信された二人といない名プロヂューサー。

あなたのおかげで日本人の心にすばらしい歌が刻まれました。

良歌の発掘はあなたの偉大なる功績です。現在日本にはあなたが配信したような曲がありません。

歌が粗雑なために民心が歌から離れてしまって、また歌心を取り戻さなくてはなりません。

退職される時点でNHKはどうして後藤田純生さんの後継者を育てておかなかったのか不思議に思います。

これのような名プロヂューサーがいたら現在のような悲惨な状況は生まれなかったはずです。
歌は彼くらいの才能と行動力、選曲の質の高さを持った人でないとまともな歌番組は生まれません

私はあなたと同じ方法で愛される歌を再発掘することに微力を注ぎたい。

時勢がいかに変わろうとも、いい歌は人間にとって必須のものです。

誰かがいつかやらないと日本の歌は滅んしまう。あなたを師匠と仰ぎ協力できなかったことを悔やんでいます。

幽冥を境にして、あなたのご冥福を祈ると同時にあなたの功績を心からたたえます。ありがとうございました。




ニュースしか見ない

2018年01月07日 | Weblog
ニュースしか見ない毎日である。あまりにもばかげた番組ばかりだから見る気がしない。

芸人は自分の芸を発表しているのだけど、心におもしろさが伝わってこない。要するに馬鹿笑いを演じているだけのことである。

こういうことがまかり通るのは、テレビが悪いのである。それ番組を作る制作者の頭のレベルを表している。

視聴率の減少を見て己のやり方が悪いのではと反省しないのだろうか

国民を良き方向にリードしてほしいのに、その方向性が理解できていないのである。

そこで安易に横にらみで番組を作る。健康にも人生にも何の足しにもならない物を見て時間を費やすというのは、もったいない。

誤解ないように言っておくが、テレビを見ないのは見ても役に立たないからだ。

お金と交響の器を使うのなら、もう少し社会に役に立つような番組をつくってほしい。

できなければさっさと降板だ。