日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

寂光院8-4

2009年11月30日 | Weblog
寂光院

もう10年もなるだろうか。この寺は放火によって全焼した。それから寺の建物の規模は小さくなったらしいが、一応寺の体裁を整える迄になった。
大原の郷で有名な女人寺・寂光院である。

仏教の慈悲がどんなものか知らないが、全焼させた犯人を訴えることなく、犯人を許したと言う報道が頭の片隅に残っていて、過ちを犯した人に対する仏教の慈悲とはこんなものかと、釈然としない気持ちが今でも残っている。

寂光院は何回か訪れた。もちろん消失する前の建築物の外観は知っている。
そこを訪れようと思い立ったのは、吉川英治の新平家物語を読んで興味を持ったからである。
最後に建礼門院と義父の後白河院との出会いの場面がある。建礼門院の父・平清盛と敵対した天皇を義父に持つ建礼門院との対面はどんなものだったんだろうか、とその心中を思いやったこともある。

記憶をたどって少し解説を試みると
建礼門院は平清盛の娘・徳子である。
一の谷の戦いに敗れ、屋島に逃れた平家は源義経の追撃を受けて、壇の浦まで落ち延びる。そしてここで平家の命運は尽きた。徳子は高倉天皇との間に生まれた幼帝・安徳天皇を抱いて、今はこれまでと、瀬戸の海に身を投げる。

いかなる天の配剤か知らないが、徳子だけが助かって生き残る。幼帝も二位の尼も瀬戸の流れに流されて、再びこの世に姿を現すことはなかった。

やがて彼女は大原の郷に来て、実子安徳幼帝や壇ノ浦で瀬戸の藻屑と消えた平家一門の菩提を弔うために、出家する。彼女は以後菩提を弔いながらこの尼寺で生涯を終えることになる。

何しろ悲しい話である。だから寂という字がついたのであろうか。いかにも尼寺を連想するにふさわしい名前の寺である。

何時のことだか忘れたが、私はこの寺に、平家物語の冒頭部分に出てくる名句「祇園精舎の鐘の音、、、、、」の部分を作曲して、それをカセットテープに入れて、寺の境内で小さな音で鳴らしてみたことがある。

その時私の頭の中は平家物語の文章が一杯詰まっていた。先ほど書いた建礼門院と後白河院との出会いの場面が目の前に浮かんだ次の瞬間、声が聞こえた。「今から考えると、人間の生涯なんて一陣の風。はかないものである。」それは女声だった。

目に浮かんだその人の姿は、頭から白い布ですっぽり覆い、身につけている物は黒染めの衣である。明らかに尼さんの姿である。
張り巡らされた柴垣を箒で掃いている。そして誰に言うともなく、先ほどの言葉を独り言のように、つぶやいた。

やっぱり・、、、僕の使った平家物語序章…祇園精舎の鐘の声、、、は誰が書いたのか知らないが、あの名文の中にある仏教の無常観が平家物語の、いや人生の栄枯盛衰の理を表している。
それは人々に向かって、人生のなんたるかを、説いているように思える。生者に対しても、死者に対しても。

もし仮に死者にも語りかけているとすれば、それはお経と言うこともできるだろう。お経の持つパワーに感応されて、魂の世界に帰って行った建礼門院がいま自分が生涯をすごしたこの寺の境内に立ち現れても、不思議ではない。とすれば、先ほど目に浮かんだ女人は建礼門院だったのか。

平家については平家琵琶があるし、平曲がある。しかし西洋音階を使ってアンサンブルで歌唱するのは、おそらく私が初めてだろう。
その歌曲に建礼門院が耳を傾けて、私の心や思いに、共感してイメージの世界に現れ、つぶやいたとすれば、この曲は鎮魂的な要素も備えていると言うことになる。

私の頭は平家物語の世界に、いや平安時代末期の平家の世界のことで頭が一杯になっていた。寂しさが一層増す秋の夕暮れの寂光院にたたずんで、静かに人生のなんたるかを感じる事が出来たような気になった。

晩秋の太陽はつるべ落としである。さあ 帰ろう。私はは腰を上げた 。

神谷美恵子、魂の助言者

2009年11月29日 | Weblog
神谷美恵子、魂の助言者

今日の朝日新聞の夕刊に「神谷美恵子、魂の助言者」
と言う見出しで彼女のことが紹介されている。女史については「心の旅路」を読んでいたく感動した記憶が在る。それはハンセン病患者に対する思いである。医学が今日のように発達していなかった時代に、ライ病患者の人権は無きに等しいものであった。患者は現世ではなんの光明も見いだせず、隔離された閉鎖社会で生涯を終わらなければならなかった。いわゆる業病である。
ハンセン病療養所・長島愛生園で患者に触れて彼女が作った詩がある。

何故私たちでなくてあなた方が?
貴方は代わってくださったのだ。
代わって人としてあらゆるものを奪われ
地獄の責め苦を悩み抜いて下さったのだ。

島行きは私の実践として、自分の思想を生きるところとして、是非とも必要なのだ。あそこで通用しうる思想しかほんものであり得ない。というのが私の迷信なのだ。あそこで生まれあそこで生きられた思想をかくこと、それが私のなすべき事ではないか。と日記に記しているそうである。

社会的弱者への深い理解や愛情にあふれ、悩み、病み、苦しむ人とおなじ目線で共に歩む。そんな「魂のカウンセラー」が神谷だった。彼女は激務から病になって愛生園を去る。と新聞は紹介している。

彼女の思想や実践はマザー・テレサや、壺阪寺の長老故常盤勝憲師と軌道を同じくして、その人類愛には尊敬、敬仰以外の何物でもない。己をむなしうして他人に奉仕する魂のすばらしさは称賛以外の何物でもない、と思うと同時に私は憧れる。少なくともそう言う気持ちを持って生きたい。

人間としてみた場合、なんと崇高な魂の持ち主か。と私はただただ感嘆する。こういう崇高な人は滅多に現れるものでないが、日本人では幸い、一人は生身の人間として、そして一人は著書でこの世に存在したことを知った。

日本だけでなく、世界特にインドのハンセン病患者1000万人を救おうとして、立ち上がり、そのための組織を作り先頭に立って、慈悲あふれる活動をしたのが、奈良県にあるお里沢市で有名な寺・壺阪寺の故常盤勝憲和上である。釈迦の説いた慈悲を施すために生まれてきたようなお方である。
現在の日本の福祉の原点は戦後まもなく彼が厚生省に交渉してはじまった。つまり福祉の原点の種をまいた人と言っても過言ではない。その発想は寺が経営している、盲老人ホーム・慈母園での経験が生かされている。

新聞の夕刊は本当に読むところがなく、このような記事に出逢って久々感動を新たにした。

生も死も実感できない

2009年11月28日 | Weblog
生も死も実感できない

生まれてきたときに、今生まれたとこの世に出た瞬間を自覚出来ただろうか。母胎からこの世に出る瞬間、生まれ出る当人には今生まれたという自覚はできないと言うのが僕の実感である。

それと同様に今自分はは死んだのだと実感できるのだろうか。特に意識が薄れていく過程で果たして死を実感できるのか。

弘法大師の著書、秘鍵ホウヤクに書かれた、生に暗し、死に冥しと言うのは、人間が持つ感知能力の限界の自覚を促しているように、僕には思える。

老人の行く末

2009年11月27日 | Weblog
老人の行く末

世間常識では老人は
1、健常者として好々爺になるか
2、老化して衰弱してよぼよぼになるか
3、寝たきりになり介護を受ける病人になるか
4、ぽっくり死ぬか
これが自然である。とされている。人は誰でも本音を言えば、老人にはなりたくない。

魂と言う次元で生命とらえるならば、磨かれた魂か、そうでない魂かと言う問題になるかと思う。
世間常識は確かに、体力をなくしつつある老人の姿を言い立てているものの魂の世界まで踏み込んで、言っているわけではない。

ただ肉体的老化は基本的には避けることが出来ないが、心がけ次第では老化のテンポを遅らせる事は出来る。
今後30年間は、日本は老人社会に向かって突き進むだろうが、そんな傾向よりは、要は個人の心がけである。それによって老人の行く末はきまってくる。



自然の一部

2009年11月26日 | Weblog
自然の一部

2月15日  涅槃の日 僕は京都東山にある清水寺に居た。障子を通して見える冬景色は透き通っている。
枝振りの好い松はすでに雪がうっすらと積もっている。曇った空からは牡丹雪が舞い降りてくる。僕は座敷に黙って座っているだけだのに自然は雪を降らせ雪景色を作ってくれる雪景色を見て僕は自分が自然の一部であることに気が付いた。

自然に包み込まれて、自然の中にいて自然の一部を構成している。自然のコウセイメンバーである。今まで自分がいて自然があると想っていたが二者対立的な存在ではなくて一体混然とした融合体であることを知った.

自然の大きな流れの中に僕が居るが僕と意識したときにのみ自分がいて意識しないときは自然一部になっている


サムシンググレート、

2009年11月25日 | Weblog
サムシンググレート、

私というものが、何か大きな力サムシンググレート、宇宙全体の中で、自分の日々の営みを動かすエネルギーによって生かされている。

60兆の細胞の一つ一つが、宇宙とか自然の中の一つの細胞として、輪廻しつつこの体を支えている。再生しては消え、また生まれている。命の中に死と、輪廻を抱え込んでいる。

帰るべきところへ還って行くのだから、死というような消滅の概念ではない。ふるさとに行くと言うのか。人間の命のふるさとへ。

浄土とは清らかな場所というよりは、浄化する力ではないか。汚れた魂をも浄化する場所

天命というのか他力の計らいによって、生きる。

宇宙のエネルギーの元、それに意志があると考え、物理的なエネルギーと否定。だけではなく、意志があるのだ。との生命だと、考える。大きな生命体、これを神といった仏と言ったりするのではないだろうか。

感じられるということはそれを感じさせるものがあるのだ。
感じてはいても余計な知識や常識が、その感覚を包み隠しというのではないか。

逆らいがたいもの、自分の力を超えたものがあるという感覚は、どこにでもある。

自分の良い行いも努力も、死の順番を変えることができない。まったくの不公平であり、理不尽であり、もちろんなくすことはできない。自力の入り込む余地は無い。

死期の順番を変えたり、生き延びたり。自分の死期を知るという最低限度のことさえ、人には出来ない。


イタチが家に住んでいる。

2009年11月24日 | Weblog

イタチが家に住んでいる。

天井を歩く。足音は2年に何回かしか聞かないが、巣を作り そこで大小便を垂れ流すので臭くてかなわない。
天井に巣作ると部屋は動物園のような独特のにおいがする。 ここで神経質に、イタチを追放する側に回るか。それとも、イタチも神の作りともったもの、仲よく共存するか
それが問題である。


ソウルの雑踏の中で

2009年11月23日 | Weblog
ソウルの雑踏の中で

私はある種のにおいを嗅いだ。つうーんと鼻を突くにおいがする。これがこの町に住む人々の生活臭というものだ。地下鉄に乗ろうとしたが、臭くて汚い。蒸し暑く汚れている。急に50年前の浅草の地下鉄を思いだした。
日本でも銀座もあれば浅草もある。だけれども、ソウル全体と東京全体を比較するならば東京のレベルに達するためには後三十年がかかることだろう。

ソウルの裏通りを歩いた。今日はここで泊まることにする。
ポリボックスに飛び込んだ。英語で安全なホテルを紹介してほしいと頼んだら、若いお巡りさんがある荘を紹介してくれた。親切にも彼はその荘まで連れてきてくれた。

「カムサハムニダ」といったら帽子を取ってお辞儀をしてくれた。荘のおばさんは日本語が全く通じない。身振り手振りのボデイランゲージ。これが原始的ではあるがもっともよく意味が通じた。

山賊問答

2009年11月22日 | Weblog
山賊問答

山賊
今日の収穫は、金持ち老人だった。なんの抵抗もなく、一獲千金だ。ハっハっハー。これだから山賊稼業は止められない。

じいさん
こりゃ、こりゃ。また、悪いことをしおって。いつになったら、こんな稼業から足を洗うのだ。

山賊
足なんか洗うものか。こんな山奥で、これ以外にどんな稼ぎがあるというんだ。

じいさん

そういえばそうだな。この稼業は、この山の中の村の住人にとっては命綱だからな。田もない。畑もない。山の恵みもぐっと少なくなってきたしの。

山賊
この村を横切る1本の道を通らないと、町へ通じる道がない。旅人はすべてこの道を通らねばならん。そこが獲物をとる最大の場所だからさ。
一般通行人には、難所に違いないが、この村の住人にとっては、最大の御恵みの場所だ。

じいさん
昔、われらの時代は、山賊などやらずに、その代わりに、樵をやったものだ。食うや食わずの貧しい生活だったが、それでも、平和に暮らせた。

山賊
じいさん。時代は変わったとるぜ。俺達だって生きていくためには、他人の物を無法に奪ってでも、命をつないで生きていくしかないじゃないか。
そのために、心を鬼にして、通行人の金品や命を奪ったり脅かしたりして、日々の暮らしをしている。それは世に言う道徳の範疇を超えているが、生きていくためには、悪いこととは思うが、仕方のないことだ。

じいさん
自分が生きるために、他人を殺して金品を奪うか。、、、釈然としないわい。

山賊
じいさん。もう、あんたたちの時代が過ぎて、俺達の時代になっている。そこのとこ、わかってくんな。

じいさん
うーん。、、、、自分が生きるために、悪事をはたらくか。、、、
困った世の中になってしもうたのう。


















ソウルの雑踏の中で

2009年11月21日 | Weblog
ソウルの雑踏の中で

私はある種のにおいを嗅いだ。つうーんと鼻を突くにおいがする。これがこの町に住む人々の生活臭というものだ。地下鉄に乗ろうとしたが、臭くて汚い。蒸し暑く汚れている。急に50年前の浅草の地下鉄を思いだした。
日本でも銀座もあれば浅草もある。だけれども、ソウル全体と東京全体を比較するならば東京のレベルに達するためには後三十年がかかることだろう。

ソウルの裏通りを歩いた。今日はここで泊まることにする。
ポリボックスに飛び込んだ。英語で安全なホテルを紹介してほしいと頼んだら、若いお巡りさんがある荘を紹介してくれた。親切にも彼はその荘まで連れてきてくれた。

「カムサハムニダ」といったら帽子を取ってお辞儀をしてくれた。荘のおばさんは日本語が全く通じない。身振り手振りのボデイランゲージ。これが原始的ではあるがもっともよく意味が通じた。

お釈迦様は中道を説いた

2009年11月20日 | Weblog
お釈迦様は中道を説いた

人は美しいものにあこがれる。と同時に汚いものにもあこがれる。尊いものにもあこがれるし、卑しいものにもあこがれる。
人は正反対の両極端にあこがれる。ということは両極端まで受け入れる許容範囲の動物。それが人間なのである。
ただし人間らしく安穏に暮らそうと思うと、一定のルールを守る必要がある。そのルールを与えるのが宗教ではないだろうか、

顔の表裏

2009年11月19日 | Weblog

顔の表裏

人は誰でも表の顔と浦の顔を持っている。それは昼と夜とが一つをなしているのと同じで、自然の摂理である。
表の顔しか見せないというのは、不気味である。

自然は陰陽一対の法則によって成り立っている。
そしてほどよく、両者のバランスがとれているのが望ましい所だが、現実にはそこには明らかに、 乖離がある。

人間は知恵があるから具体的には知性と情、建前と本音をうまく使い分けている。だからこそ、平穏無事に生きられるわけで、本音をむき出しにして生きることを避けて、よしんば本音を出すにしても、オブラートに包んで上手に出す。
それが人間というものである。

貧乏人の国ほど

2009年11月18日 | Weblog
貧乏人の国ほど

人々はエネルギッシュに生きている。三十五度を越す中50-60キロもあろうかと思われるドンゴロス袋入りの穀物を担いでトラックに積み降ろししている。

夏の盛りに肉体労働をすることのつらさは佐土原時代に十分経験済みである。頭を使うか、肉体を使うかだけだけど、まあよくやるなあと眺める。

極限に近い生活状態の中からは、見事なエネルギーが湧出するものだ。


その湧出したエネルギーによって人はこんなに過酷な労働も厭はないのだろう、
バンコクのチャイナ・タウンの雑踏の中でフット思った。93.4.8

あらまほしきこと

2009年11月17日 | Weblog
あらまほしきこと

1. 臨終のハンセン氏病の子供の患者を思わず腕に抱きかかえ人間の体温の暖かさの中から黄泉の国へ旅だったせたかかった 壺阪寺常盤勝憲和上

2.ガン研の病院に入ってくる人は気も動転せんばかりに、死の恐怖におびえている人たちばかりである。

そんな心理状態にある人に冷たい手で触った患者はどう思うか。。僕は温かい手で患者に触れるようにいつも心がけてカイロで手を暖めておくのです  
黒川ガン研付属病院長

3.僕が発明するのではない。神が作った多くのものを一番最初に発見するからです  東北大学総長 西沢潤一博士 

割引金融債は

2009年11月16日 | Weblog

割引金融債は

三千万円以下だったら名前も住所も明らかにする必要はないので、脱税や犯罪に利用されるらしい。たしかに、名前も住所も知られず金を隠せるのなら預けたくもなるか、私には預ける金がない。
ワリシンもワリコーも所詮私には無縁なんだということに気が付いた。