日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

今年の重大(10ではない)ニュース

2013年12月31日 | Weblog
今年の重大(10ではない)ニュース

日本国内から世界に目を向けると、実に多くのニュースがあった。
国内に限ってみても手足、足しても数え切れないニュースがあるが、その中でもといわれたら、僕は今年の天候異変を取り上げてみたい。

1今年は猛暑が続いた。四万十市では41度〔43度ともいわれる)という高温で、そこだけがあついのかと思ったら全国で35度以上の日が続いた。

2,豪雨が京都嵐山を襲った。橋を越える水流の中で渡月橋が無事健在だったのは救われた感じだが、両岸のホテルや旅館は水につかった。こういう光景を見たのは生まれて初めてである。

3,栃木では竜巻が吹き抜けて、多くの被害が出た。竜巻はアメリカ中西部にはよく発達するが、日本でこの規模の大きい経験したのは初めてではなかったか

4,台風26号による伊豆大島の土砂災害。40名近くの死者を出し、未だに3人の行方がわからないという。大島は火山噴火で全島避難の経験があり、今回また山津波に飲み込まれた。それでも人々は大島を離れず島に住み続けている。先祖伝来の土地というのは子孫の血の流れの中に組み込まれているのだろうか。とてつもない災いをもたらすところでも「我がふるさと」なのである。

5,フイリッピンを吹き抜けた台風は風速90mに達したとか。高潮は7mに達しすべての建物を飲み込んだという。その結果400万人の人々が未だに家に住めないでいるという。気の毒な話だ。
これだけ被害が大きくなると、救急援助隊もなすすべがないのではないか。
後は残された住民達が辛苦をなめながら、自己努力で立ち直るほかはない。
日本から被災者の置かれた立場を見てると絶望感に襲われる。

確かに異常気象である。天が怒っているのだろう。人類の無制限な環境破壊がこういう現象を引き起こしているのだろうか。罪な話である

聴覚を失った中で音を紡ぐ

2013年12月30日 | Weblog


聴覚を失った中で音を紡ぐ

ベートーベンが晩年聴力を失った事は、広く知られていることだが、現代の日本にも、聴力をうしなって交響曲を作曲する人が現れた。
作曲は聴力と重大な関係があり、聴力を失う事は即作曲を不可能にすると常識では考えられている。
しかし僕は自分が作曲することについて考えてみると、元はイメージであり音は関係ない。言葉から来るイメージや、もっと広い範囲からやってきて心をふるわせるものが音群となってメロディーを構成する。
僕が作曲する場合極度に精神を集中させイメージに沿った音群を絞り出し、それを楽譜に書き留め、楽器を使って音を確かめ、不自然だと思う所を編集して曲を完成させる。
この延長線上で聴力を失った作曲家、佐村河内守氏の作曲のケースを考えてみると、心の琴線によるオーケストラか、それとも実音を伴うオーケストラかの違いはあっても曲は存在しうる。

そうはいつでも管弦楽法や和声学や対位法などなど諸々の技法が身に付いていないと交響曲は書けない。
やはりある種の天才だろう。ちなみに彼のCDは10万位売れたそうな。クラシック畑では稀有なことである。

優しさとか 思いやりとか

2013年12月30日 | Weblog
優しさとか 思いやりとか

優しさとか思いやりということは言葉の上では理解できる。
少なくとも気持ちはわかる気がする。これらの言葉は実際に行動に移してはじめて、優しさや思いやりが現実のものとなる。

ところで実際に行動に移すに際しては「そういう気」にならなければ行動に移せない。この部分が難しい。そして「そういう気」になるには自分が実際に体験することが最も手っ取り早い。

すなわち、他人に対して同情や共感と言う感情的共有があることが必要不可欠だなのである。そのために、おうおうにして苦労して苦しんだ者だけが現実的に優しさや思いやりの心を持つのである。

自分が苦労して苦しんだ分、他人にも苦労を要求することもあるが、人間っておかしなもので、自分が味わった苦労や苦しみは自分だけでよく、他人には味わわせたくないとも思うのもまた事実である

苦労が少なく、のうのうとして生活している者の優しさや思いやりは、言葉上或いは教義上の優しさや思いやりになりがちだ。
優しさや思いやりというのは中身の伴わない言葉上のものであったら、それは単なる観念に過ぎない。

身売り

2013年12月28日 | Weblog
「身売り

「身売り・なにそれ?」 「女性が金を取ってサービスすることだよ。」「遅れてるな。今はそんなこといわないよ 身売りなんていやなイメージじゃない?」「じゃ今なんて言うんだい」「援交」「何?猿公 猿じゃないか」「援助交際。判った!」 「?」。

現代は身売りという言葉は使わない。こんな言葉を使うのは、おそらく戦前派だけだろう。今は援助交際と言うらしい。

戦前だったら、身売りしていた筈の娘たちも今日では、高校や大学へいけるような世になった。だれが何と言おうと、物質的に豊かになることは最も喜ばしいことである。
このような結構な世になっても、身売りする娘がいるのは人間のもつ業ではないだろうか。女が身を売ると言う商売は最も古くからある商売らしいと言うことはこれからも最も長く続く商売であろう。

男は買う方で身売りはしないから、女の身売りの心理は理解できないかも知れない。そこで、女の身売りの世界を苦界と断定してしまうが、売る側は案外ケロっとしているのかも知れない。
女は男よりも生命力が旺盛だから、男が思うほど、悲惨でもないのだろう。
世の中ウマクできているもんだ。

利休に尋ねよ

2013年12月27日 | Weblog

利休に尋ねよ

映画を見た。何よりも頭いっぱいになったのは、天下人秀吉の横暴である。理由がなんであれ、自分の命令に背くものは命を奪うという理不尽である。
気の毒にも映画の中では利休の娘も、利休本人も結果的には秀吉によって命を奪われたのである。それにつけても北朝鮮の処刑にも気が飛んだ。

時代の風景を読んでいないから、この理不尽に憤慨するわけだが、人類はどこの国でもこのような光景が見られたのだろう。それがその地域の時代性というものなんだろう

堺には利休にちなんだ茶室があるし、利休井戸の跡もある。自転車で走れるご近所さんだが、まだゆっくりと拝見したことがない。歴史的に価値があり全国から観光客が訪れるのだから地元人の一人として、利休くらいは観光案内できるように、知識や現場訪問をしておきたいものだ。

インターネットで調べてみると、
鎌倉時代に臨済宗の栄西が中国より喫茶の風を伝えたとされているが、当時は薬用に用いたとある。戦国時代時代に盛んとなった茶の湯は村田珠光が4畳半の茶室を造り、侘茶の世界を仕上げ、彼の他界したあと、武野紹鴎 がわび茶を完成させることになった。利休はそれをさらに発展させ、禅の精神と相まって茶道は禅の精神に通じるものとしてもてはやされたようだ。
茶道についてこじつけを言えば、禅の精神は必要かもしれないが、僕のような庶民にはあまり関係ない。それにしても村田珠光のあとを武野紹鴎がその後を千利休がという歴史的な流れくらいは知識として持っておきたい。



オジンとおばんが うじゃうじゃ

2013年12月26日 | Weblog
オジンとおばんが うじゃうじゃ

高齢化といえば、恐ろしいほどのものがある。繁華街でも電車の中でも、中高年がうじょうじょしている。戦争が起こったら1たまりもないだろう。
いくら日本魂でも歳には勝てない。どうして急速にこんなことになってしまったのか。

介護や延命治療で従来なら死ぬはずの老人が生きるということもあるが、子供の絶対数が少ないから、余計に年寄りが目立つのだろう。

ロボットや機械化のせいで、老練な高齢者を必要としないのかもしれないが、人間でなければ…と言う面もあり、もっと社会の活動が必要ではないか。

いくら社会的ニーズが増そうとも、老人がうじょうじょ状態は変わらない。老人が一掃されてスッキリするにはあと50年かかるかもしれない
日本の行く先を案じると言ったら、頭がはげるぞと笑われた。


10-45茶の湯

2013年12月25日 | Weblog
茶の湯

あるお寺から初釜のご招待状が届いた。喜ばしいことだが、欠席欄に丸をつけて丁重にお断りした。
恥ずかしいながら、茶道に関してはこれっぽちの知識もないし、経験もない。今までお茶を楽しんだのは西大寺の大茶盛りくらいで、テレビやその他の映像でみる茶器類には一切触れたことがない。

点てたお茶を一服口に含み、上品な和菓子を口に入れると、お茶の香りとお菓子の甘さが口いっぱいに広がって得もいえぬ気分になり幸せを感じるらしい。そしてそれがお茶の醍醐味らしい。誠に優雅な催しである。

一昔前には華道茶道はたしなみの一つとして、娘さんの嫁入り道具の1つであった。
現代は師範の免状を持って嫁入り道具の一つとしている人なんかいないのではないか。

戦国時代千利休の茶碗一個が一国に値するなどともてはやされたらいい。
茶のたしなみは武士の必須科目みたいだった時もあるらしい。
現代でも茶の湯を楽しむ人はたくさんいると思うが、生活レベルの違う僕にはこのたしなみが、自分に合うとは思えない。
明日の命もわからない時代に、武士が茶の湯を楽しんだ心境って本当のところはどこにあったんだろうか。

NHK紅白歌

2013年12月24日 | Weblog
NHK紅白歌

年末恒例のNHK紅白歌合戦。2004年に初めて40%(第2部)を下回って以降は、視聴率40%台をキープできるかが焦点となってきた。

昨年は42.5%を記録したが、今年はドラマ『半沢直樹』(TBS系)の42.2%を抑えて年間1位の視聴率をとれるかにも注目が集まっている
今年の紅白はE-girls、泉谷しげる、NMB48、サカナクション、Sexy Zone、クリス・ハートら9組が初出場。

『半沢直樹』を上回る視聴率をとれるかは微妙なところでしょう。
音楽番組とドラマの比較というのはおかしいが、視聴率競争においては半沢の方が上ではあるまいか。
出演者の顔ぶれを見ても、また曲を見てもどれ一つとして僕の興味を引く歌もない。
唯一の見どころは北島三郎の紅白引退ぐらいかな。
今回、NHKサイドとしても複数の大物アーティストにオファーをしたようだが、いい返事をもらえなかったという。
アーティスト側からすれば、落ち目の紅白に出るメリットは、はっきり言ってありませんから」というのは当たっている。
 ここ最近は、紅白でしか見られないような大物の出演はほとんどないと言っていい。それなら演出を工夫するしかないのだが、
「美輪明宏の出演など、音楽の演出の試行錯誤は随所に見られる」としながらも、こんな指摘をする。
視聴率アップを狙うなら、なりふり構わずそんな手も使うべきです」


この主張には反対だ。まるで麻薬を打つように出し物を考えているといつかは疲れ果ててネタ切れになる。紅白はその年にふさわしい名曲を出して勝負すべきで奇をてらうべきではい。


賞味期限の切れた紅白はとっくの昔に死んでいるということです」
という前にNHKは良い曲をじっくり育てるべきだ。
勝手に出てきた物をちゃっかり横取りして、それを並べて紅白だというのはおかしな話。

これまで幾度となく廃止論まで出てきた紅白だが、今後については、前出・富沢氏はこう厳しく指摘する。
その年を代表する歌手が出場し、その年の代表曲で1年の締めくくりとなってきました。だからそれだけ注目を集め、国民的番組といわれたわけです。今では、その年の代表曲がない歌手も出場し、過去のヒット曲を歌う歌手も珍しくなくなった。本来の紅白の主旨とは変わってきています。


歌謡界で今年は注目の的になるような唄が生まれたであろうか。これじゃ出し物がないのは当たり前。紅白をやる時間帯に半沢直樹をやったらきっと視聴率において紅白は負けるだろう。
高視聴率をとりたかったらもっと努力をしなくては駄目だ。
来年はこれらの曲を育て作りあげていく努力が不可欠だ。
僕はNHKの努力不足と音楽が分かる真のプロヂューサーを探し出そうとしない怠慢に、我慢がならない。

感謝について考える

2013年12月23日 | Weblog
感謝について考える

1、人生の目的は、幸福感に包まれて暮らすことである。
2、幸福感とは、過不足なく心が満たされて、心がほのぼのとした情感に包まれることである。この時の心理状態は満たされて、いうことがなく何物にも感謝したくなるような心境である。

3.感謝とは「ありがたい」と感じている時の心理である。

4、この世の中で一番あいがたいことは、親の恩である。
無私、献身、我が子の生命を守り育てる為に、親が払うわが命さえもいとわない自己犠牲は何よりも大きいものであり、その愛があるからこそ、今の我が存在し得るのである。

5、子は親に、親はまたその親に,・・ ・・・と塑っていくと神仏にぶち当る。、
だから感謝の対象は直接的には親であろうが、それが一般化されると神仏と いうことになる。

現代の城

2013年12月22日 | Weblog
現代の城

小高い丘にある20階建てのマンションは遠目にはお城のように見える。それはそう見えるだけで、戦国時代に建てられた城とは中身が全く違う。

戦国の世の城は、合戦に備えての建物である。白壁には銃口の穴がたくさんあいており、本丸に到着するまでには、いろいろなカラクリや仕掛けがあり、容易には近づけないようにできていた。配下の武士を守るために、建てられた建物だからそれは完全に要塞である。

丘の上に建つマンションは、夜になると一軒一軒明かりがついて、家庭団欒が始まる。
武士団の様に、命を守るような緊張は、全くない。それに比べて現代のお城は家族全員がくつろげる「我が城」である。
夜になると明かりが灯るだけでも心が温まる。蜂の巣のような一軒一軒に明りがともって軍艦飾のようなマンションになる。
そしてそこは今日いちにちの疲れを癒す所だけではなく、明日への活力を養う所でもある。
夜目にも美しい姿をしているこの現代のお城が、全戸にそして全員に平和と幸せをもたらす様にと、祈りたくなった。

死から生を見る

2013年12月21日 | Weblog
死から生を見る

生まれた時から、時間というベルトコンベアーに乗って死に近づいて行く。 死に近づいていくその過程は100人100様で。 その100様と言う有様の中味はどうなっているのであろうか。

ある人は曰く。それは自然だから、レッセフエールである。
またある人は言う。神様が定めた道を歩くのが人の道である。
そしてある人は曰く。プロセスは人間の力でどうにでもできるものだから、自分の好きなことをして精一杯生きる事が、生から死に至るプロセスの中身である。と

そして人生というのは言うのは、うまく作られていて、そのプロセスを味わう頃になると、えん魔さんのお呼びがかかる。

暖系、寒系

2013年12月20日 | Weblog

暖系、寒系

学生時代をおくった東京には約10年ほど住んだが、その10年ををのぞくと、ずっと関西か、九州で過ごしたので、東北や北海道のような寒いところには、とても住めない。
雪が1m以上もつもるところはどんなに寒かろうと身震いがする。でも東北地方では人々はそれになれて耐えてきた。暖系地方の人から見ると、ただただ感心するのみである。

東北地方の人々がどんなに忍耐強く生きているか。それは大震災の日にしっかりと示された。3/11はとに冷え込む日だった。宮城や青森地方では気温がマイナス5度だったと記憶している。そんな寒さなのかで海水につかり、ずぶ濡れになりながらも、雄々しくしくしく、立ち上がった。その我慢強さは、そして人柄の立派さは世界の賞賛のまとになった。
僕なんか到底生きてはいないだろう。そういう寒さに鍛えられていないから、おまけに海水につかってという災難が襲うとひとたまりもない。

東京にいたときに、東北人の我慢強さや、粘り強さは話に聞くだけじゃなくて、大学の寮生にも東北出身者がいたから、実感を伴って理解できだ。寒系は強い。

今日は大阪も冷えた。天気予報によると、明日は気温はもっと下がるらしい。秋田山形などは、吹雪いている。明日はまた厳しい気温や天気になるだろう。あちらに気を向けると
「十分暖かくしてお休みなさい」と、思わず心でつぶやいた。

毒ガス・サリン

2013年12月19日 | Weblog

毒ガス・サリン

化学兵器には、どんな殺傷能力があるのか知らないが、今回のシリアの内戦で使用されたサリンについては、すでにわが国において経験済みである。地下鉄サリン事件では、その毒性や殺傷能力は実証済みである。

この麻原一派の狂気によるこの犯罪は5,000人の死傷者を出した。あの忌まわしい事件からもう何年経ったのか。記憶も遠のいたが、今なお多くの人が後遺症で悩んでいる。

シリアの内戦では化学兵器使用によってこのような悲惨な状況が生まれているに違いない。こう言う野蛮な兵器を使ってでも、勝利したいのか。アサドはこの件について当然責任を負わなければならない。

麻原は死刑判決を受けた。何のために彼を処刑いないで、生かしておく必要があるのだろうか。
カレを生かしておく事は社会的な損失である。さっさと処刑するがよい。その方がこちらのストレスが溜まらなくて良い。
被害者の身になれば、恨んでも、死刑が執行されたなら、気持ちの整理が出来るのではないだろうか 。


人生の勝利者

2013年12月18日 | Weblog
人生の勝利者

結論を先に言えば僕の場合、結局訳の分からないままに、日々を過ごしてきたという事である。
生まれて来たからには、人生を楽しみたいものである。我が欲望に沿って日々を満足で埋め尽くしたいものだ。それは今になっても満足の日々を送っていないと事の裏返しでもある。端的にいえば後悔の残る日々毎日である。
この世にいる人びとは一体どこまで自己満足をしながら生きているのだろうか 。どうせ人間である限り、その辺はちょぼちょぼだろうよ。
後白河法王が梁塵秘抄の中で「あそびをせむとやうまれけむ」というがその哲学には憧れる。が、現実にはそうは問屋が卸さない。
食べるのに追いかけられた日々であるから、とても遊び等脇目をふってはいられない。小さい時分から食うのに追われて生きてきた。とても遊びどこじゃない。

そこで遊びの中味である。平安貴族のような色事中心の遊びの中から生まれた詩歌や物語の創作や鑑賞を遊びという事も在るし、自分の好きなことに没頭するという遊びもある。
人生を酔生夢死というならば飲食の遊びもあるし、酔生夢死人生そのものが遊びとも言えなくもない。
良くても悪くても人生にとっては、遊びを毎日の生活に取り込んで楽しんだ人が、人生の勝利者だといえそうだ。

10-46お宅どちらさんですか

2013年12月17日 | Weblog
お宅どちらさんですか

頭がボケて、妻や家族など親しい人に、こーゆーのがいちばん嫌で恐ろしい。
先輩は飲みにいくたびに、こうなることを真剣に恐れていたらしく、同じことを何回も力を込めて言った。彼に限ってそんなバカなと僕は思ったが、結果的には80歳を超えたある日から徐々に進行は進んだらしい。そしてまったく人を識別できないようになってこの世を去った。

僕は彼を尊敬していた。僕が平社員の時、彼はパリパリの重役で、会社や仕事にかける情熱は、半端ではなかった。
特に先輩後輩と言うことで、かわいいがってもらったし、僕は彼のいつも心の中に燃えたぎる青春に憧れていた。
酒が入ると上下関係は吹っ飛んで、思っていることを正直に言ったから、多分気分の悪いこともあっただろう。それについては彼は嫌な顔をしなかった。
もともと太っ腹で、ものに動じない人柄だったので、僕も心を許して、図にのって失礼は多々あった。
中でも、彼の夢はサラリーマンになることではなくて、医者になることだったと聞いた。
父の強い勧めもあって経済学部を選んだということで、心の底には医者になるための哲学があった。特にその哲学が好きで、僕も先輩のような哲学を持っていっぽん筋を通して生きたかった。そーゆーことにも惹かれていて、話はよく合い、尊敬の念はますます高まった。
そんな人となりを思っていたのに、最後は彼が最も嫌がっていた「お宅さん誰ですか」になってこの世を去っていった。
人生って分からないものだ。