日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

明日は師走

2017年11月30日 | Weblog
明日は師走。寒くなった。周りの紅葉は散り始めている。
冬が近いことが肌で感じられる。
冬が来ると落葉樹は丸坊主になる。
一年の終わりを  確実にしめしている。
四季の移り変わりをしって改めてまた年をとることが実感させられる

生むというのが作曲法だ6-29

2017年11月25日 | Weblog
生むというのが作曲法だ

私は作曲するというよりは生むというのが作曲法だ  山田耕筰百元集より



普通作曲というとピアノに向かって座り、弾きながら音符を書き連ねて

1つの曲を作るというイメージがある。

つまり楽器に頼り音を出してあるいはコードを弾いてその中からメロデイを作っていくというのが、誰もが納得する作曲法だと思う。

しかし作曲というのは楽器に頼って作るものじゃないと僕は思う。

楽器に該当するのは詞から得られた感情を音で表すのであるから、楽器は特別に必要とはしないと考えている。

だから作曲する場合には詩が大切なのである。確かによい詞からは必ずメロデイが生まれる。

僕は作曲する場合には詞には頼るが楽器には頼らい。

ただし編曲するときには楽器の助けを借りるのは当然のことだと思っている

 特に鍵盤楽器は編曲には不可欠だと思う。

山田耕筰先生の「山田耕筰百言集=非売品」の十七番目に

「作るもではなくて、生むと言うのが私の創作上の信条である」と書いてある。

火花

2017年11月24日 | Weblog
芥川賞受賞作品の映画だか期待して見に行ったが、期待外れだった。

ストーリー展開がいまいちわからない。

この映画はまず本を読んで物語の内容を頭に入れてから見ると映画もわかりやすい。

素地がないとこへ突然見たわけだ。だから場面の意味がつながらない。

その結果はだめ映画という判定になった

熊本慈恵病院0

2017年11月22日 | Weblog

コウノトリといわれた慈恵病院では125人の赤ちゃんが救われたそうな。

先生はいう。赤ちゃんは社会の宝だと。

熊本市の役人は一個人病院や、自治体ですることではない。全国規模で考え実施すべきだと

子供を社会的存在と考えるなら、まっとうな意見である。

国民全体で考える命の問題だ。

生活のクオリテイとレベル

2017年11月20日 | Weblog
自分の好みによって生活のクオリテイは変わってくる。

生活レベルやクオリテイを高めたいと思えば、それ相応のことをしなければならない。

それがちぐはぐになると、苦の原因になる。

必要以上のレベルや、クオリテイを求めないことが賢く生きる知恵でもある。

投稿

2017年11月20日 | Weblog
今まで世間の耳に触れる作品は表に出さないで自宅にストックしたままだった。

YouTub武田朱仙 を使ってどんなジャンルの曲が好まれるか調べてみると  

演歌系が好まれることが視聴数の上で確認された。歌謡曲系はいまいちである。

日本人には演歌は血肉化されたものであり、日本人の心の風土には最も

受け入れ易い歌なのだろう。これから開拓していこう。

山田耕筰先生はなんとおっしゃるか

2017年11月18日 | Weblog
山田耕筰先生はなんとおっしゃるか

1、君は素晴らしい作曲才能がある。

2、心の中に美しいものを持っているから、それを歌にし作曲しなさ。い

そういわれてから、50年がたった。まじめにしっかり勉強した。

先生の言われたように、心の中の美しいものを表したつもりだが、

果たして先生はこれでOKされただろうか。

見えるものと見えないもの

2017年11月18日 | Weblog
見えるものと見えないもの

心はあるがその姿は見えない

心臓は血液を送り出すポンプで実物を見ることができる

姿は見えないが心の存在については我々は確信を持っている

目に見えるものと見えないものがある

心と同様に魂とかではその姿を見ることはできないが存在することは自明の理として受け入れられている

そうでないと言うなら墓は何のためにあるのかと尋ねてみるがよい

もし納骨する場所だけだと言うのなら墓地も墓石も必要ない共同のでっかい納骨所を作りそこへいくつを取り込めばそれでことすむ
それで果たして人間として納得ができるであろうか


延命十句観音経0

2017年11月17日 | Weblog
延命十句観音経

お経を歌曲に作曲しました。

古賀政男先生が言われたように難しいけど,詞の中身がお経だけに,精神を集中して祈りの部分を表現したつもりです。

尊敬する声楽家吉武先生に歌っていただき,感動する観客を見て作ってよかったおもいました。

労働センター(七百人)でのコンサートで披露したが、曲が終わると、一瞬沈黙が続き続いて,

歓声と拍手の大波が会場をに満ちあふれた。非常な感激でした。


何はともあれ、お経を歌にしたのが珍しかったのか、歌声が良かったのか曲が気に入ったのか。

僕の予想を外れて多くの視聴があった。これは驚きである。なお

遠藤実先生作曲のお経「般若心経」のテープは薬師寺で売られています.

台風一過

2017年11月16日 | Weblog
台風は爪痕を残しオホーツク海へ抜け温帯低気圧に変わった。

台風が去ると何もかもが吹き飛ばされて空は透き通るのだが、今日の空模様は

吹き飛ばした様子はなく何かが引っかかっている感じ。

晴れてはいるが雲が多すぎる。

台風一過のあの空ではない


お経に作曲

2017年11月15日 | Weblog
お経に曲をつけるのは僕の趣味みたいなもので、これほどまで一般受けするとは考えてもみなかった。

延命十句観音経、舎利礼文、法句経、などこれらを ユーチューブ武田朱仙 に乗せたら予想外の視聴があった。

仏教関係では、聖徳太子賛歌を動画でアップした。弘法大師賛歌、叡尊上人賛歌、法然上人御作の短歌に曲を付けた。

どうして関心がこの方面に向くのだろう。音楽の喜びは魂の法悦まで高められなければならないと、山田耕筰先生から教わった。

僕の作曲の原点がここにあるから、宗教関係のことに目を向けるようになったのだ。勿論鎮魂曲もたくさん作った。

音楽界から坊さんになった人もいるが、僕のような俗人が宗教に目を向けてそれを題材にして作曲する人も珍しい。

延命十句観音経6-13

2017年11月14日 | Weblog
延命十句観音経はお経である。江戸時代に白隠禅師が作られたものと記憶している。

文字通り十の句でできている、短いお経である。

作曲家の古賀雅夫先生は歌謡詩の貧困を嘆かれて、お経を作曲したほうがましだといわれた。

ご自身川崎大師賛歌を作曲され、近江俊郎さんが歌っている。

僕は延命10句観音経を歌曲風に作曲した。さいきんユーチューブに載せたがこれが予想外に多くの視聴があった。

何故反響があったのだろうか。お経を声楽家が歌われたその美しい響きに引き付けられたのだろうか。

それともお経に節をつけるということが珍しかったのだろうか。



何はともあれ、コンサートでこの曲を披露した時には僕が感激することが起こった。

ピアノが最後の音を鳴らして終わるのだが一瞬七百人の聴衆は沈黙した、十秒ほどたって大歓声が上がった。

よくブラボーという言葉が叫ばれるが、ブラボーではなくて一瞬の沈黙とそのあとに続く大歓声こそが

感激した聴衆の本音だったのだろう。