日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

インフラの維持管理

2013年04月30日 | Weblog
インフラの維持管理

上水道下水道、橋 高速道路 トンネルなどの日常生活に欠かせない
物が耐用年数を迎え相当な費用が見込まれている。建築したり設置したりして50年もたてば耐用年数が過ぎて、単に老朽化では済まない状況が近づいて来ているそうな。
建築したり設置したりする際には後のメンテのことを考えて作るよりもその当時の利便性を優先させてきた。時あたかも高度成長期である。精神的には後のことメンテのことなどお構いまいなしに便利さのみを求めて来たツケがここに来て一挙に出てきたようである。
作ったものはいつか壊れる運命にある。こわれたの再度作り直すか,それとも回収して命を長らえさせるかどちらかである。いずれにせよこれには膨大な金が掛かる。それが今このときだという。建設当初から寿命は判るのだから、積立金でもしておかないと、手が回らなくなのではないか。お札を増刷してそれに当てようとするのだろうが、高度成長期のような力ないから、新設は我慢して とりあえず補修改修に力を入れなければならない状況が来ている。便利さにかかる公共コストは事業を始める前に計算しておかないと、一度に老朽化のなみが押し寄せてくると対応が大変難しい。あらゆる物にメンテ費用が掛かるのだ。

山口選挙の結果

2013年04月29日 | Weblog
山口選挙の結果

民主党は、山口県連による候補者擁立が難航する中、海江田代表ら党執行部が無所属推薦の形で元法相を擁立した。他の野党にも支援を呼びかけ、参院選での野党共闘につなげる狙いがあったが、日本維新の会やみんなの党との共闘は実現せず、参院選に向け課題を残した。

これが敗因の主たるものだとは思えない。要するに何を訴えたいのか。それがわからないのだ。今の民主党は何を考え、何をしようとしているのかさっぱり見えてこない。だから投票しようにも民主党に入れようとは思わない。海江田代表も口は達者だが、人物的には大した人物でもないので、集票力には結びつかない。国民の心に訴えるものなくして選挙ともなれば、自滅以外に道はない。党自身が空中分解をするのではなかろうか。自民党に行くもの、維新やみんの党や社民党に吸収されて消滅してしまう気がしてならない。




核不使用声明にに署名せず

2013年04月28日 | Weblog
核不使用声明にに署名せず

被爆国の日本が核の不使用声明に署名しないというのは確かにおかしい。だが考えてみると日本はアメリカの核の傘の下に入っている。
北朝鮮情勢が核の危険をますなかで、核の下に入っている日本が正面切って反対できるだろうか。
「いかなる条件でも」という文言がはいらなかったから署名するに至ったらしいが、これは現実的な対応である。
被爆地は失望と批判が渦巻いてるが、北朝鮮の事情を踏まえると「いかなる条件でも」とはいえない状況が足下にある。これは現実的にはヤムを得ない措置ではないだろうか。

原発原価は腑に落ちない

2013年04月27日 | Weblog
原発原価は腑に落ちない

例えば下記ののようなコストは原価に含まれていないとすれば
現状で使われる原価ほど不確かな物はない。
電力会社はこの点をはっきり明らかに示して貰いたい。以下の諸費用を原価に織り込んでいないとすれば、現在の原価とされている物はまやかし原価である。
1,事故発生したときの費用
2,福島の経済的損失 当該立地県の損害、経済的損失
3,政策経費 交付金や開発研究費
4,追加安全対策費用
5,廃炉費用
6,損害賠償費用
7,核燃料廃棄ゴミの処理費用」用地買収、施設建設費 など

日中韓の歴史問題

2013年04月26日 | Weblog
日中韓の歴史問題

「過去の大戦に鑑みて歴史を直視し未来志向で両国の発展をする」
この文章ほど曖昧で中身のない文章はないと僕は思う。
中国や韓国が言いたいのは、自分たちは被害国であるから、加害国日本は 常にその立場を忘れないで未来志向をしなければならないと言う事であるが、加害国と被害国の歴史認識なんてまるで逆であるから、共通の歴史認識なんてありえない。

その立場を乗り越えてと言うのなら未来志向へ焦点を当ててモノを言う以外に永遠に交わるところはないだろう。

これは完全に子供のまやかしである。極端な言い方をすれば日本は被害を他国に与えたのだから、常にその償いの立場を忘れずに未来に向かって協力をしていかなければならない。そう言いたいのだろうがそんなこと日本は受け入れるわけがない。それは過去の問題の話であって未来志向はそーゆー事を含んだ上で未来志向に重点を置くということでなければ話は折り合うはずがない。

過去の歴史を鑑みてというのは、日本を対等に扱っている言葉では無い。日本国に常にハンディーを背負わしながら日中日韓関係を有利に進めたいという意図が露骨に示されている。その上で未来志向と言うのなら、日本人からすれば支離滅裂としか言いようがない。未来志向というのは過去は過去として未来に向かってどうするかという問題なのである
未来に過去を結びつけてやろうとしたところでどだい無理な話である。当然じゃないか被害者と加害者の立場が違う事は。
だからいつも歴史問題はそれを持ち出しては、いちゃもんをつけるような感じで日本に持ってくる。
ここで日本は両国に対し毅然たる立場をとる必要がある 。過去を引きずりながら未来志向なんて現実にはあり得ない話だ。

踏切番

2013年04月25日 | Weblog
踏切番

明治40年、踏切に迷い込んだ幼女を助けるために、自分の命を犠牲にした踏切番がいた。幼女はこの人のおかげで助かったが、子供の命を救った彼は帰らぬ人となった。
このことを知った大阪商工会議所会頭杉道助と十河信二国鉄総裁は栄誉を称え、またこの話を後世に伝えるために彼の五十回忌を記念して昭和三十七年に大阪駅構内の近くに碑を立てた。道の脇にあるから、おそらくほとんどの人が気付くこともあるまい。
ふと見た石碑の中にこんな話が隠されていたのを知って私は非常に感動した。
我が命と引き替えに1人の命を救った人がいたということ、そして五十年の時を経て、彼の功績を見逃さずに顕彰する優れた2人の指導者がいたということ。このことに私は非常に感銘を受けた。

どんな時代にも、どんな所にも、美しい花は咲いているものなんだなぁ。それに気がつくか、気づかないか。ぼんやりしていると、ひっそり咲いている美しい花を見逃してしまう。

心温まる

2013年04月24日 | Weblog

心温まる

「壬生というのはこの辺りですかいな」
「ハイ。そうどす」
「昔、屯所がありましたな。それはどっちへ行けばええんですか」
「まっすぐ行きなはったら、幸福堂というオマンヤハンに突き当たりますそれを左へ行ったら、南東がそこですわ。」
「ああ、そうですか。おおきに!」
「あんさんお寺知ってはりますか。」
「いいえ」
「さよか。それやったら、わてが側まで案内してあげまっさ。所でどこからおいでやしたん」
「大阪ですねん」
「ほんなんやったら京都、しらはれへんのとちがいまっか」
「そうでんねん。地図を持ってきてな、印つけて歩いてまんねん」
「おうおう。それはたいそうな。あてがあんないしますさかい、安心してついて来なはれ」
「オクサン。それはなんぼなんでも気の毒や」
どこまで行っても途切れることなく会話は続く
下心の見えない親切は心を温める


異議あり

2013年04月22日 | Weblog
異議あり

1960年代まで日本の人口は大都市圏に集中を続け、それが高度成長の源泉になっていた。しかし70年代から急速に人口集中率が下がり、成長率も下がった。これは一般には石油危機にともなう不況が原因と考えられているが、増田悦佐氏は逆に、田中角栄以来の地方に公共事業を集める政策が都市集中を阻害して成長率を下げたと論じている。

特に今後の人口減少時代には、全国に満遍なく公共事業をばらまく「国土強靱化」なんて、もっての他だ。必要なのは、3大都市圏と地方中核都市に人口を集中し、公共投資やインフラ整備もコンパクトシティに集約して効率化することだ。この点で、アベノミクスの中で一番バカにされている公共事業にも重要な役割がある。
インターネットから引用

これ以上都市に人口集中させてどうするつもりか。国土の均整を取れた発展とは、地方をまんべんなく活性化することである。大地震を控えて
いかにして大都市集中型を分散型に変えようかという現実をどう考えているのであろうか。
私見では東京大阪名古屋に人口や社会機能が集中しすぎ、国土の均整とれた発展が阻害されているというのが現状だ。
過疎化しつつある地方をどのようにして活性化して均整のとれた国土を再生させていくかという現実的課題に 逆行する意見には賛同できない。
詳細ヘッダー
異議あり

1960年代まで日本の人口は大都市圏に集中を続け、それが高度成長の源泉になっていた。しかし70年代から急速に人口集中率が下がり、成長率も下がった。これは一般には石油危機にともなう不況が原因と考えられているが、増田悦佐氏は逆に、田中角栄以来の地方に公共事業を集める政策が都市集中を阻害して成長率を下げたと論じている。

特に今後の人口減少時代には、全国に満遍なく公共事業をばらまく「国土強靱化」なんて、もっての他だ。必要なのは、3大都市圏と地方中核都市に人口を集中し、公共投資やインフラ整備もコンパクトシティに集約して効率化することだ。この点で、アベノミクスの中で一番バカにされている公共事業にも重要な役割がある。
インターネットから引用

これ以上都市に人口集中させてどうするつもりか。国土の均整を取れた発展とは、地方をまんべんなく活性化することである。大地震を控えて
いかにして大都市集中型を分散型に変えようかという現実をどう考えているのであろうか。
私見では東京大阪名古屋に人口や社会機能が集中しすぎ、国土の均整とれた発展が阻害されているというのが現状だ。
過疎化しつつある地方をどのようにして活性化して均整のとれた国土を再生させていくかという現実的課題に 逆行する意見には賛同できない。

故郷

2013年04月21日 | Weblog

故郷

故郷の山に向かい、言うことなし故郷の山はありがたきかな
石川啄木

人は誰でも故郷を持っている。その故郷は東京や大阪のように大都会である場合もあれば、野山や河に恵まれた田園地帯である場合もある。
。往々にして故郷は田舎である。もちろん大都会には大勢の人が住んでいるわけだから大都会そのものが故郷と思う人もいる。
生まれ育ったところが故郷であるというのは自然な言葉遣いであるが、大都会の真ん中で生まれた人はその場所を故郷と思うだろーか・
故郷というのは幼き日をお過ごしで大きく育った場所である。土地そのものを言う場合もあるが、心に故郷というのがあるように、頭の中にはイメージによって作る故郷もある。

漠然として日本の故郷はという場合にはまず東京を指す事は無い。奈良や京都を指す場合がおおい。何かしら人々の心の奥底には日本人の原風景として都のあった奈良や京都ををイメージするのであろうか。例えば修学旅行で訪れた奈良の大仏さんや若草山や猿沢の池は思い出として胸にこびりついていると、やはりそれが故郷という概念に結びつく。
故郷は懐かしむところである。涙をながすような感傷に浸れるところである 。

葬儀屋の宣伝

2013年04月20日 | Weblog
葬儀屋の宣伝

近頃テレビで葬儀屋の宣伝をやっている。ひと昔前なら考えられないことである。葬儀のイメージなんてうす気味わるいものだからテレビ画面から目をそらしちゃう

近頃親類のおばあさんが亡くなった。告別式をするまで三日待ちにあった。その上うまく霊安所は見つかったが満杯であったなら、仏さんは自宅でお祭りしなくてはならない。いくらドライアイスがあってへ冷やせだとしても遺体の保存は3 4日が限度ではあるまいか。
今後30年間に2 3,000万人がなくなるだろうから、 4 5日待ちは常態化するのではないや。火葬場の増設なんて住民が認めないだろうから団塊世代の死亡が始まると、死後のスタンバイがさらに増えることになる。ここままで考えた時に地下鉄で消費者の宣伝を思い出した。いやあんな宣伝だと思っていたがこの宣伝がお役に達こともわかった。

民主党の未来

2013年04月19日 | Weblog
民主党の未来

民主党から脱落者が出る。
次の選挙のことを考えると、不安になるのだろう。、
自民党に政権を渡したが、民主党政権はいか無能であったか、そのために国民が民主党から離れていったということだ。
民主党はダメだった分、政権交代後の自民党政治は光る。
安倍総裁は矢継ぎ早に、経済政策を打ち出したが、それが受けている。
アベノミクスのおかげでひょっとすると、日本が昔のような繁栄を取り戻すのではないかと幻想さえ抱く。
自民党は基本的に保守政党だから次々と新しい政策を打ち出すというよりは従来の延長線上で考えてる施策が多い。

民主党は耳目を集める新しい政策を出したが、それはあくまでイメージの段階で、何ら具体的な成果を上げもしなかった。いわゆるから鉄砲を打ったのだ。最初は目新しいものだから、心を奪われたが、実態や成果を知ると落胆した。こういうことが国民は民主党はダメだと言う烙印を押したことになり、党内の人心も党から離れていった。
残る人も去る人も、その点はわかっているが、民主党は何のアピール政策もない。「言うだけ番長」が重鎮となるようでは、国民はみはなす。
夏の参院選でどれだけ数を減らすかが、みものだ 。

山田耕筰先生の思い出

2013年04月18日 | Weblog
山田耕筰先生の思い出

僕と先生の年の差は50年である。先生は77歳になられたときに、先生に喜寿のお祝いをお伝えしたことがある。
呂律もままならない先生に電話に出て頂く事はとてもできなくて、お手伝いさんに喜寿の祝いのお言葉を申し述べて、先生にお伝え頂くように頼んだ。
先生は苦労人である。ぼくもまた人並の苦労をした。
だから相通じるところがあって、僕は先生にとても親しみを感じていた。
何回か目から火が出るように、怒られることがあったが、精神エネルギーのレベルの違う2人の人間だから、その分は仕方がない。
先生は60代になって左半身の手足が不自由になり、あの弁舌爽やかな喋り口調の中にも、呂律が回らなくて発音が不明朗であるところがあった。

甘い考え方を先生に話すと、目の玉がまんまるくなると思いきや、すごい剣幕で怒られた。先生の集中した精神エネルギーが目を通して形のない矢のように僕の心に突き刺さった。後で考えてみるとそれは先生のおっしゃる通りなので、反論などしたことはなかった。生意気な年頃の僕でも反論どころか、先生のあの勢いには押されっぱなしであった。
猛獣的バイタリティーとファイト。この2つは先生の信条であったように思う
時代は確かに移り変わっていく。音楽大学を卒業した専門家の卵達も、、山田耕筰先生の名前を知らない人がぼつぼついる。僕らの年代には神様のような存在であった。音楽室には先生の写真が掲げてあったものだ。
先生との出会いがあってから、50年の歳月が流れた。その歳月を振り返ってみると、僕の生き方が、いかにいい加減なものであったか、生半可なものであったか、不徹底なものであったかがわかる。
今年喜寿を迎えた僕は、そういう感想を持っている。
今となっては目をむいて怒られた先生の、あの懐かしい顔が目に浮かぶ。
























いつでも愛はそよぐ葦

自分なりのコメント

2013年04月17日 | Weblog
自分なりのコメント

1,友が皆我より偉く見ゆる日よ花を買いに来て妻と親しむ

世に認められたいと一心になっているけれども、一向にも認められる様子がない。そういう時は自分よりも友人の方がえらく見えて落ち込んだ。そのように落ち込んだときには、妻と花を飾って心を慰める

2,叱られてわっとと泣き出す子供 その心にもなりてみたきかな

啄木の詩は一つ一つが子供心である。その純粋さが読む人の胸を打つ

3,悲しみといわば言うべき物の味 我のなめしはあまりに早かり

彼は14歳で与謝野鉄幹の 門をくぐる 。そこで将来の妻・堀合節子と知り合う。中学年のときのストライキの参謀が啄木である。このとき16歳
18歳で啄木を名乗る。20歳で結婚盛岡に住む 。小学校の教員をやるけれどもするのやめて新聞社に入る。 24歳の時に東京朝日新聞の校正係となる 。要するに生活に困るようなお金しか稼げなかった。だがしかし彼は歳若くして大人の社会を知った。それはまさしく人生の苦しみのるつぼであった。そういう体験と戦いながら心情が詩となって生まれたのだろう

何と言うことだ

2013年04月16日 | Weblog
何と言うことだ   今日の出来事より

1,ボストンマラソンで2回爆発が起こる。爆弾テロが。
死亡者3人、負傷者144人 うち17名が重体。

2,北朝鮮は韓国に対し、最高指導者の侮辱行為を謝罪せよと激しい口調で韓国を非難。

3アフガニスタンとイランの国境で大地震発生。 40 人以上が死亡との事

4,日本では屋根に居座った男女。 7時間後に逮捕。

花は咲き

2013年04月15日 | Weblog
花は咲き

岩井俊二さん作詞 菅野よう子さん作曲の歌である。
東日本大震災復興支援の歌だそうであるが、そういう次元を飛び越えて人びとの心に飛び込んでくる
特に印象深いのは花は花は花は咲き言う部分である。
いちど聞いた人は、ほとんど覚えるだろう。
ソドシドレドレミソドシラのフレーズはNHKの宣伝もあるがまずこの歌の中心であろう。

素晴らしく叙情性に富んだ歌詞に、それに勝るメロデイがついて夢の世界にいるような気分にする。
近頃にない名曲である。僕の趣味から言うと出だしの部分は最高に叙情性があり、当世こういう叙情性と品格のある綺麗な歌は滅多にお目にかかることがない。またそうざらにでるものでもない。
若い人から年寄りまで、またソロから合唱までいろんな幅広い取り上げ方がされているが、どの方向から取り上げても、この名曲の素晴らしさは浮かび出てくる。いい歌がないと嘆く人たちよ。こういう美しい叙情性を持った詩人や、作曲家がいることを知って欲しい。まれに見る叙情名曲である。