日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

古関祐而記念館6-51

2012年12月31日 | Weblog
古関祐而記念館

もう20年ほど前になるが、郡山市にある古関祐而記念館を訪ねたことがある。印象深かったのは、先生の勉強部屋で、机と文房具とテープレコーダーと二,三冊の本やノートが置いてあったように記憶している。

先生は僕が追いかけたい作曲家の一人である。高い品格と叙情性あふれる作品が多く、何よりも先生のお人柄に惹かれる。
表面はおとなしく穏やかでいて、心の芯には真っ赤に燃える創作意欲がたぎっている。
先生の代表的な作品は早稲田大学、慶応大学の応援歌、阪神タイガースの応援歌六甲おろし、実に爽やかな名曲ばかりである。
それとなく先生の事について調べてみると

「気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。作曲した曲は五千曲に及ぶという。作曲の作業には楽器を一切使わずに頭の中だけで行ったといわれる」
とある記事に出くわした。

成る程。道理で。
記念館の先生の作業場にはピアノもオルガンもなかった。初めはどんな楽器を使ってあんなに素晴らしい曲を作られるのかと、関心を持ったが、先生はご自身の心の中の楽器を使われたのだ。おそらくメロデイは心を含めて身体全体で作られたのだろう。

僕は楽器は何も使えない、演奏できないから作曲はひとえに自分の心に頼るほかはなかったのだが、先生も楽器を使わずに作曲されたのかと嬉しくなった。ただし先生は演奏出来なかったのではなくて、ピアノやオルガンが先生の身体の中にしまってあったのだ。僕の場合はホントに演奏が出来なくて頭の中を流れるメロデイを楽譜に書き留めているだけである。これは楽器を使わないで作曲するといっても、雲泥の差がある。

年末の整理

2012年12月30日 | Weblog
年末の整理

気がつけば周りには使われなくなったものばかりに取り囲まれて生活している。皆捨てて、さっぱりしたほうがいいに決まっているからそうしようと手をつけた途端、あれはその時のものだ、これも捨てると思い出がなくなるなど、といろいろ惜しい気がして手づかずになった。

本に至っては、朱線や書き込みがしてあるので、とても売れるし代物ではない。それに書物は一回読んだぐらいでは、よくわからないものだと思っているから、 50年来の本が所狭しと、部屋の大部分を占めている。

子供にやろう思うが、マンション暮らしでは置く場所がないと断られた。さらに本の大部分は偏った高度な趣味のものばかりで、一般向けがしないから引き取り手はまずない。
売るに売れない。読むに読む時間がない。捨てるには勿体無さ過ぎる。そこで処分に困る。

本や音楽テープ、スピーカー、ステレオセット、など持て余している。
地獄までも同行して欲しいものばかりで、そのまま死ぬまで同居することになるだろう、おそらく手付かずで。


10-1自民党と原発

2012年12月29日 | Weblog
自民党と原発


自民党は原発容認、場合によっては推進という立場をとる。彼らが作った原発政策から安全神話が作られたのに、また原発をやる気でいる。
原発についての報道は、原発マネーで抑えられていた印象を受けた。
1976年から今日まで電力9社が、安全神話、を吹き込むために使った金が2兆4,000億だという。
これは媒体を通してつまりマスコミには、これだけの金が流れたわけだから、心底では、危険だから反対だと思っていても、正直には、口外できないような事情あったのではないか。
電力会社は電力の安定供給というのが、それは電力の安定供給だけであって、再び事故が起これば、場所にもよるが、日本が住めなくなるなくなるような状況も生まれてくる可能性がある。そういうを不安に対して政府も、業界もなんら答えていない。

原発相が福島から第一声を発すと言うのは、魂胆が透けて見えて滑稽ですらある。お役目とは言いながら、何ともお粗末なパフォーマンスである。

原発は本当に安価なのか。まだ後始末の方法は、費用、場所など、どんなものも確定していないのに平気で電発は安価であると嘘をつく。
改めて後処理はどうなるのか、解決策を提示してもらいたい。
都合の良い所だけを、いいとこ取りして、再稼働や新設を認めようと前のめりになっている。それが私に見えるので、自民党政治は危なっかしく思える

己は東京にいて、被災してないから、こういうことが、国家のために、というデタラメな大義名分をつけようとするのだ。自ら被災し仮設住宅に住んでから、つまりあの悲惨な状況を身に受けてみると、言う事も変わって来るだろう。

原発相なんて基本的には卒原発に向けてどう取り組むかが本来の仕事ではないのか。
たとえばスイスでは安全対策費用を計算すると2,030年代には自然エネルギーのコストとほぼ同じになるという計算がある。加えてストレステストだってⅠ次だけで判断するというのが日本の立場である。
原発停止によって町民の雇用が失われるというだけで町民は賛成し再稼動という流れができるとすれば、安全は一体誰が責任を持つのか。原発をやろうとするなら、最大限の安全確保をもっと力を入れたらどうだ。
NCRのように徹底した情報公開、監督強化と独立性の確保などいくらでもあるはずだ。


僧的発想

2012年12月28日 | Weblog
僧的発想

今回の東北大震災に作曲家として何か役立つ事はないか、と誰しもが考えうることだ。
壊滅的被害を受け何もかも、肉親さえも、失った人々に何が1番役立つだろうかと考えると、大抵の人はまず慰め 、励ますことを考えて、そういう作品を作っただろう。
ところが今回もまた撲は全く違った発想で作品を書いた。
僕の心から飛び出してくるものは、犠牲者の慰霊の気持ち、すなわち鎮魂曲だ。計算して作っているわけでは無いのだが、普通だったらだれでも、慰め、勇気付ける、元気を引き出す作品をと考えるものだ。
そしてこの種の曲はたくさん生まれた。
だけど僕はまず鎮魂曲を書いた。最も悲惨なのは行方不明者であると僕は思う。葬式もしてもらえず、その魂は宙をさまよっている、と思うと、いてもたってもいられない。
多くのお坊さんが読経に参加されたのと同様に、鎮魂曲をお供えしたいと思って作った。
まだ公には発表していないけれども、思いは犠牲者とつながっていると
思っている。幻想かも知れないが。



<諸行無情

2012年12月27日 | Weblog
<諸行無情

NHKの大河ドラマ平清盛の制作スタッフにはこの言葉がしみ込んだのだろう。
最初に見た映像は暗く、薄汚く、それでもそのうちによくなるだろうと期待したが、改善されたようには見えなかった。
僕がそう感じたことを井戸知事が、ズバットいったからやはり同感の人はいるのだなあと思った。
どんなに史実や当時の習俗に忠実であっても、それは見るものにとって何の関係ない。
なんといっても見た目から受ける印象が1番強い。
当初制作側は強気の発言とそれを押し通したな結果は最低ランクだった。それみたことか。
なぜ視聴者の立場から見直すことができなかったのか。視聴者モニターはいなかったのか。
最低ランクに落ちたもう一つの理由として、人物関係が複雑すぎて、一般にはなかなか分からなかったと新聞には書いてある。
僕はそうは思わない。こういう連続ものは紙芝居と同じでその場面が面白く続きをみたいと思わせる仕掛けがあれば、人間関係の複雑でわかりにくい事は、飛び越えてしまうものである。
見た目つまり画面がいまいちで見る気がしなくなりと言う失望が最後まで続いたように思う。時々スイッチが入りてはみるものの5分とたたないうちに他のチャンネルに回すことが何回も続いた。
歴史ドラマの人間関係なんてどこでも似たようなもので誰と誰とがどうなってなどと追及するのはほんの1部の好事家だけである。
大多数は画面が綺麗つまり画面が明るくて映像がシャープであれば史実の現実さを追うような事は求めないものである。
僕はいまだに平家物語の映像は仲代達也氏の清盛が頭に残っている。
制作サイドの妙なこだわりが、一般受けしなかったことが、この最低ランクを招いたのだ。
あまり見なかった僕の率直な感想は以上のようなものである。



花は咲く

2012年12月26日 | Weblog
花は咲く

この歌を初めて聴いたとき、心が震える思いがした。
なんと美しいメロディーだろう。なんと叙情性のある歌だろう。上品で明日への希望に溢れる、このような歌は絶えて久しく聞いたことがない。

音が飛び跳ねて、それがなんとも心地よく響いてくる。明るさや、夢、希望に満ち溢れた歌詞は、心を温める。
リズムは踊るがテンポは中庸で、誰の心の中にも飛び込んでくる。

作曲家の小林亜星氏は、歌詞から叙情性がなくなると美しいメロディーが、失われていくと言われたが、全く同感である。
美しい叙情詩情が美しいメロディーに直結する。
人の心の中にある、何かに触れるような作品は、叙情性があふれている。どんな人でも、老いも若きも、男でも女でも、普遍的なもの、それは魂が持つ叙情だろう。

この歌は無条件に僕の懐に飛び込み、やさしく明るい思いを目覚めさせてくれた。僕にとっては久々の名曲と言える。




関西の家電企業

2012年12月25日 | Weblog
関西の家電企業

三洋はパナソニックに吸収された。シャープ#とパナソニックの損の合計は1兆円を軽くオーバーする。
どうしてこんなことになったのか。韓国のサムスンやLGは絶好調だというのに。

近頃思うのだが、日本製は多機能すぎてはいないか。
付加価値を追い求めて、それを宣伝して、より高価な商品にするが、消費者はこれらの多機能や高品質を果たして求めているのであろうか。
もしそういう戦略ならば、国内で製品が高価格のために売れない時、海外でどんどん売れるとは思えない。
日本では国を挙げての特需が去った時に、強烈な販売不振が生じる事は予想できたはずだ。
補助金需要は正しくカンフル剤で、薬がきれると下の不況に戻る。
補助金制度は企業体質には恩恵とはならなかった。大企業は一体何を考えていたのか。
空きを突かれた形で韓国に先をこされた。再び原点に戻ってシンプル、イズ、ベストを地でいって欲しい。
高価格でもそれに見合う機能があれば、売れると言うのは消費者マインドを知らない企業のドクマである。



関西の家電企業

2012年12月25日 | Weblog
関西の家電企業

三洋はパナソニックに吸収された。シャープ#とパナソニックの損の合計は1兆円を軽くオーバーする。
どうしてこんなことになったのか。韓国のサムスンやLGは絶好調だというのに。

近頃思うのだが、日本製は多機能すぎてはいないか。
付加価値を追い求めて、それを宣伝して、より高価な商品にするが、消費者はこれらの多機能や高品質を果たして求めているのであろうか。
もしそういう戦略ならば、国内で製品が高価格のために売れない時、海外でどんどん売れるとは思えない。
日本では国を挙げての特需が去った時に、強烈な販売不振が生じる事は予想できたはずだ。
補助金需要は正しくカンフル剤で、薬がきれると下の不況に戻る。
補助金制度は企業体質には恩恵とはならなかった。大企業は一体何を考えていたのか。
空きを突かれた形で韓国に先をこされた。再び原点に戻ってシンプル、イズ、ベストを地でいって欲しい。
高価格でもそれに見合う機能があれば、売れると言うのは消費者マインドを知らない企業のドクマである。



我執

2012年12月24日 | Weblog
我執

思いかただが、人生は苦しみのるつぼだと僕は思う。意のままにならないうえに、さらに重荷を背負わされるような出来事が日常的に起こってくる。

それを無視するか、 軽視すればよいのだが、それほど僕は人生を達観してないので、目の前に生起することにとらわれてしまう。それが苦の始まりでもある。

職業が何であれ、時々書物の中には達観している人を見かけるので、その真似をするのだが、我執にとらわれているのだろうすぐ元の我に戻ってしまう。
そこで近頃は、我執で苦しもうとも、我は我の生き方をしなくてはならぬと考えている。このままではいつまでも、るつぼの中に浸っているほかはあるまい。人生とはそうした物だと、頭では判るが、身体全体では、血肉化されていないから、同じ所をぐるぐる回っているだけだ。



10-35中国進出企業の将来

2012年12月23日 | Weblog

中国進出企業の将来

思い当たるママに書いてみると
1、中国以外にも進出する
2、中国で今まで通り企業活動をする
3、中国から撤退する

1、について

中国一辺倒ではなくて対日感情の良い東南アジアにも進出する。シフトする度合いに応じて、中国における企業活動がやりにくくなると思われる。中国にとって日本企業が重荷にはなっていない間は、つまり中国にとって利益のある企業であれば、存続は可能であろうが、比重が中国から他国へ移っていくとなると、黙って静かにはしていないだろう
何らかの要求は突きつけてくるだろう。 今回の尖閣問題の中国側の対応を見ればおおよその見当がつくだろう。計画的執拗に因縁を吹きかけてくるだろう。この面は1、2、3共通事項である

2、について

 今後人件費上昇は避けられない。今後の日中関係において、市場性拡大は望めるだろうか。中国国民の腹のそこには、常に歴史教育による反日感情が沈潜している。事あるごとに不買運動が発生するだろう。それに耐えられるか。それに中国国内の経済が困難な状況になったとき無法要求をごり押ししてくるのではないだろうか。
加えて人件費の上昇は今まで以上に過激に要求されるのではないだろうか。しかしこれには限度がある。
賃金アップストライキは慢性的になるだろう。


3、について
そのまま素直に撤退できるとは思えない。企業活動閉鎖による損害要求が生じると思われる。最悪すべてを投げ捨てて撤収できれば、マシな方で撤退または閉鎖によって、損害を被るとして、途方もない要求を突きつけてくる事態も発生するだろう。基本的には自己利益だけで動くのは自然なことで、平気でルール破りをするお国柄からすると、一筋縄では行かないような気がする。
日本国内での工場閉鎖や縮小とは全く次元の違ったありがたくない事態が起こるのではないか。
以上が杞憂に終わるのであれば、めでたしめでたしであるが。

10-36私から見る現代の中国は

2012年12月22日 | Weblog
私から見る現代の中国は

1000年の長きにわたって日本人は、中国の聖賢の教えを忠実に守り、言動の基本を、そして道徳を学んだ。また教えてもらった。もともと日本人は野蛮人ではないと思うが、中国の教えによってどれほど品性が高められたか、日常の立ち居振る舞いをちょっと考えれば判る。

それに比べて現代の中国の品の悪さは一体どうなっているのだろう。これで世界の大国と言えるだろうか。日本をはじめ東南アジアでは海洋進出を強引に行い、近隣諸国と摩擦を起こしている。徳をもって世界に大国として君臨しているとは思えない。革新的利益とは他国と領土争いをして武力でケリをつけようというのか。それは野蛮人のすることだ。
真の意味での大国意識とはとても考えられない。そういう覇権主義が世界平和を乱すのだ。
どうしてこういう品性の悪い国に成り下がったのだろうか?13億人をまとめて治めることに、DGPや国富だけを重視するのは、表面を繕う悪ガキを生み出すみたいなものだ。世界に冠たる聖人はもう中国から出ることは不可能なのだろうか。
僕は中国には古代に劣らず現代にも聖賢はいると思う。それが表に現れてこないだけだ。
おそらく社会全体が金儲けだけに走り、品格を重んじない社会を作り出しているのだろう。
やっていることを、見ていると、どこに共産主義が定着しているのだろうか。それは単なる統治機構としてしか残ってないのではないか。つまり中身は共産主義からはみ出して超資本主義的拝金の考えが蔓延しているように思えて仕方がない

中国よ。経済大国もいいけれど、もっと徳のある国家建設にも力を入れたらどうか。
それが成功した暁には中華思想を受け入れる国が出てこよう。今の現状はただ浅ましい国ということだけしか日本人の僕には映らない。




心空和尚の人生往来手形6-52

2012年12月21日 | Weblog
心空和尚の人生往来手形

右のもの、あの世より縁あってこの世に生を受けました者ゆえ つまりはこの世の間借り人であります。
されば3度の食べものにも文句を言わず、美味しいと褒め、人と気まずいことがあっても我が身のいたらぬせいと思いなし、愚痴なく、怒らず、貪らずほどよくこの世に暇乞いして元のあの世に帰るものゆえ、親切大事に願います。
                  平成   年    日

西国第29番青葉山 松尾寺

松尾心空氏は堺出身で私が堺に住んでいるというご縁で知遇を得た。
心空師は西国33ケ所巡礼、一巡するのに1400kmほど歩かなければならないが、それを何回もくりかえされ、今ではおそらく1万kmを踏破しておられることだろう。一人で孤独に耐え、ただひたすらに、黙々と歩く姿を想像するだけでも、尊敬の念が湧いてくる。雨の日も風の日もわらじがけで、もくもく歩くということなど、私には想像を絶する難行に思えるからだ。
師は京大の哲学科で勉強されたせいか、人生に対する思いが深い。
この世を仮の宿だと達観できるのは、こういう裏付けがあって初めてできることで、それゆえに言葉には説得力がある。
言われればそうかなと思うことはあっても、人生が仮の宿だから、生き方を考えよという言葉は胸に刺さる。
遥か彼方のことのように思えることから帰納して、現在のあり方を説かれる師の説には説得力がある。

去年電話を頂いたが、巡礼先からで、疲れも見えず青年のパワーあふれる声であった。もうすでに80歳を越しておられると思うが、矍鑠たるものである。

有言なら実行だ6-61

2012年12月20日 | Weblog
有言なら実行だ

発言の裏には実行、実現するということが、議員にはが裏付けられてなくてはならない。

行動する責任がある。口先だけなら何とでも言える。政治家は夢だけを語れば良いはずがない。庶民が持つ あらまほしきこと を実現してくれるのが政治家である。選挙の時はそう言ったはずだ。俺がこうやるからみんなおれについてこい、とは言わなかったはずだ。

実行実現の裏付けがないと極端に言えば無責任きわまりない発言ということになる。いわゆる言葉の遊びである。

実現可能かどうか。不確実なとき、それは単に夢を語るにすぎず、その事を鵜呑みにしたら、国民はひっくり返ることがある。マニフエストを実行しないだけならまだしも、

政治屋なんて、口から先に生まれたような人種で、しゃべらせれば、一丁前の口を聞くが、その中身はと問えば、はなはだ心もとないものが多い。
決して彼らに完璧を求めているわけではないけれど、国を動かす力が与えられるのだから、それ相応のことをする義務がある。
今からだと言うが、本当に国民に消費税アップを求めたのだから、今度は己の身を削る事を行動で示して貰わないと。国民の負託には応えたことにならない。やりやすい公務員の給料はカットして、自分たちはぬくぬくとという事は絶対に許されない。大体00チルドレンとかXXガールズというのが、本当の政治家か?  単なる数あわせじゃないか。逆に言えばそういう連中の数だけ減らせば、それだけでも経費が助かる。この程度では身を削るとは到底言えない。大まかに2割とか3割とか言っているけれど
モット国民が納得する数だけの削減は必ず実行して貰いたい。


株が上がった

2012年12月19日 | Weblog
株が上がった

安倍さんが日銀法を改正して、市中に金を流して、不況デフレを脱却しようと発言した。
今の民主党政権ではどうにもならない事は分かっているが、そのどうしようもない状態に、風穴を開けると言う、夢でも見たのか、株価が9,400円になった。自民党圧勝という結果に終わったこのたびの選挙の結果を受けて、株価は9,900円まで上昇した。今日は何と1万円を突破した。

やってみないのに、どうなるかわからないのに、株屋は提灯に灯をともす。
要は何か口実をつけたら、それで株屋は良いのだ。
それに乗るか、乗らないかは、こちら側の問題だ。

この文章を書いていてふと気がついた。株を持たない人間がなぜ株価を気にするのか。頭の中でバクチでも打っているつもりなのだろうか。
アホらしくなってきた。


今回の選挙

2012年12月18日 | Weblog
今回の選挙

自民圧勝だ。自民がそんなに良かったのか。僕はそうは思わない。いわゆる敵失が全部自民党に流れただけだ。自民の訴えた政策が良かったとは思えない。

民主党が惨敗するのは前もって判っていた。民主の風が吹いて大勝した3年前から今日までの民主党の中味を覗いてみると、マニフエストがあっだけに 失望感もおおきい。もう一度民主党に等というセリフはどこから出てくるのか。不思議である。

小異を捨てて大同につくという旗印の下に維新の会は、太陽と一緒になったが、これは日本維新の会の足を引っ張ったように思える。主張の違う政党が、何の魅力があってくっついたのか。石原氏の力を借りると橋本氏は言うが、どんな御利益があったのか。おそらく先々この党はもとの2つに分裂するだろう。

さて自民党の政策だが、今を重視しすぎてツケを将来に残す結果には終わらないだろうか。公共事業なんて古い自民党の常套手段じゃないか。これが成功するとは思わない。そんなことよりエネルギー革命や医療介護などに目を向けた方が将来のツケがすくなくてよい。景気をよくして増収でというのは,言うはやすしだが、簡単な事では無い。次の世代をになう様な産業の芽が見つかっているか。言葉では聞くが,税収を生むまでには時間が掛かる。

自民党が主張する経済政策が、景気を心底からかさ上げするとは思えない。現状から見ると消費税も焼け石に水で税率を倍くらいにしないと財政は立ちゆかなくなる危険性をはらんでいる事を考えれば、疑問に思いつつも、自民党の政策に頼らざるを得ない。なんとも釈然としない選挙結果ではある。