日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

大韓航空機にて

2007年12月30日 | Weblog
韓国という国が好きなわけではないのだが、僕は大韓航空機は好きである。もちろん、メンバーになっている。
チェックインしたのは11時半過ぎ。さっそ例のスカイパスを見て、うち込まれたマイル数を確認した。
やれやれ、これで帰れる。明日の朝はソウルだ。窮屈な座席で6時間近く辛抱しなくてはならない旅。だが、これは格安チケットだから、辛抱しなくてはならない。当然のことだ。

安堵感も手伝って、疲労が押し寄せてきた。しかし、今から自分の座席に着くまでが、ひと仕事である。いつものことだが、今日も自分の席に着くまでは、安心できない。僕は頭の中でそんなことを考えていた。

 日本人に比べると、どうも、韓国人は乗り降りのマナーが悪いようだ。いよいよ飛行機に乗るという段になると、並んでいても平気で、列に割り込むし、後がつかえていても、立ち止まって通せんぼ状態を作る。
後ろの人は、イライラしながら彼が前に進むのを待っているが、それでも平気である。
これがなければ、大韓航空はもっと快適なんだがなぁ。安いから仕方がないが、僕は我慢がまんと自分に言い聞かせた。

座席に向かって、乗客が我れ先にと殺到しだすと、僕も負けずに、
行儀もエチケットもあるもんかとばかりに、強引にヒトをかきわけて座席番号の方へ進んだ。
いつものように、チケットの半ぴらに書かれた座席表を見て、ホステスが指示した方へ重い荷物を持って、人をかきわけながら進んだ。

探していた番号をやっと見つけて、やれやれと思ったのも束の間、
アルファベットの記号が違う。 あれ、??違うじゃんか。
 入り口では確かに、23番と案内された。が、来てみれば記号が違う。
中に入ってくる人の列に逆らって、僕はその場に立ち止まってしまった。案内をしているスチュワーデスに、座席表を示しながら、イライラして、座席が違うじゃないかと声を荒げだ。そしたら、
「それは2階です。入り口の方に戻って2階に、おあがりください」という。
何? 人を押しのけてまで、ここまでやってきたのに。逆方向すなわち人の流れに逆らって、入り口に行きなさいだと。何たることだ。
僕ははいってくる乗客にぶっつかって、露骨に嫌な顔をされながら、入口へと人をかきわけて進んだ。

 おかしい。確かに2階はビジネスクラスで、エコノミーではないはずだと思ったが、今まで2階などに、上ったことがないので、ひょっとしたら2階にも、エコノミー席があるのかもしれないと思い、2階に上ったものの、エコノミークラスの座席は見当たらなかった。
やっぱり思ったとおりだった。やれやれ、また間違ったか。何度間違って案内すれば気がすむんだ。
僕は乗務員だったら誰でも良い。捕まえて、声をあげてしっかり案内せいと怒りたくなった。重い荷物を持ったまま。また下に送りなければならないと思っただけでもいやになる。

 幅がゆったりした座席には、フットレストも付いている。座席の広さも、エコノミークラスのそれに比べて1倍半は、ゆうにある。体を伸ばすと、床屋の椅子のように、楽な姿勢で寝る体勢だってとれる。数えてみると、30数座席。
 ダメもとで、僕は近くにいた、らスチュワーデスを捕まえて、僕の座席はどこかと、とぼけてきいた。
「1番後ろの窓側です。どうぞお掛けください」と彼女は案内した。
「いや、違います。僕の席はエコノミーですよ。」
僕は内心、お前さんまた嘘をつくのか、と反発した。
「本日はこの座席で結構です。お掛けください」。
「本当ですか。重ねていうが、僕の席はエコノミーで、この座席ではないはずです」が、
「いいえ、今日は特別サービスなんです。遠慮なくお座りください」。
一体これはどういう風の吹き回しだ。僕は信じられない。そう思ったが、黙ってしまった。
だが、いわれたままに指定の座席に腰をおろした。

 一生に一度くらいは、ビジネスクラスやファーストクラスに乗ってみたいと思っていたが、僕の予定では、いよいよこれで海外旅行もおしまいだという、最後の日にでも、乗ってみるつもりでいた。ところが、思いがけなくも、今日、今着席して味わうことができることになったのだ。
このことで、僕の心の中はがらりと変わった。気分が良くなったのである。イライラと、とげとげしい気持ちは、霧散した。
あははー、なんと単純な奴なんだ。この俺れは。
僕は自分の軽さに苦笑した。

 先方がよいというから、この席についたまでの話で、それ以上のことは詮索する必要は何もないのに、席に着くや否や、僕は何故こうしてビジネスクラスに、乗せてもらえるのか。その理由を考え始めた。
エコノミークラスが、オーバーブッキングになり、溢れたエコノミー乗客を何人か選んで、この席にしたのかもしれない。その際この幸運の中に、僕がいたのかも。
韓国は今、海外渡航自粛で、ビジネスクラスの乗客は偶然にも、誰もいなかったので、スカイパス利用者に融通したのか、それとも、僕はバスの会員として、すでにマイレージで、2万マイルほどたまっている。これをベースに特別サービスをしてくれたのかもしれない。
理由はともかくも、格安キップで6時間もこんな扱いをうけるのは初めてで、非常に気分がよい。自分の無邪気さがよみがえったような気がした。
ああ良かった。たまにはこんなことがあっても良い。僕は先ほどからのくしゃくしゃした気分をすっかり忘れて、ルンルン気分になった。

 座席に座って、荷物の整理をしているときは、空席だった隣の席に、50歳ぐらいの見るからに品のない韓国人女性が座った。彼女は席に着くなり、座席の前のフットレストの近くに置いてある僕の荷物を足でさし示し、早く楽片付けるようにと目で合図した。僕はむっとしたが、
こちらの荷物が相手の感情を害しているのだからと思い、急いで窓側に移した。
失礼な奴だ。僕はフカみたいに太った礼儀知らずのこのオバハンは一体何者か、オサトがしりたくなった。
真っ赤な口紅と同じものを足の指にぬっている。マニキュアも家庭婦人のそれではなく、その風体からして、一見しただけで、おミズ系統の女だと思った。本来ならこのビジネスクラスに似合わない無教養な人間ではないのか?。
あつかましい。およそ気配りの気の字もみせず、人の迷惑も考えずに言いたい事を言い、やりたいようにやる。それが開き直って恥も外聞も、失った、どあつかましい女だと僕の眼には映るのだ。せっかくビジネスクラスの座席に座ってルンルン気分になったのに、いやな奴がきたもんだ。僕は、不運を嘆いた。するとまた先ほどの忘れたはずの不愉快な気分がよみがえってきた。

 何を思ったのか、彼女は僕の不機嫌を無視して、急に英語がしゃべれるが、と英語で聞いてきた。
「すみませんが、」そのくらいの前置きができないのか。またいらついた。もともと僕はこの女に好感を持っていない。そこでぶっきらぼうに少しだけと言ってやった。
 彼女は、急に「変な匂いがしませんか。臭くないですか」という。
予想外の質問で、ちょっとびっくりしたが、僕は特別匂いも感じなかったので、「はあ?」 と意味不明の愛想のない返事をした。
それにしても、いったいこの女は、自分のことを何様とだと思っているのだ。お前中心にこの世の中が回っているんじゃないんだ。そう。少しは考えて、ものいったらどうだったらどうだ。僕は心の中でそう怒った。ところで臭いにおい?。僕はこの席に着いてから、異臭を感じたことはないし、まさか上等の席に悪臭を放つものなど置かれているはずもない。また自分としても、昨夜は宿で何回もシャワーを浴びたから、汗臭くわないはずだ。自分自らが臭いものを持って載ってるんじゃないのか?。
 そういえば、韓国人は、ニンニクを常食とするから、ある種の体臭を出していることがある。
僕が初めてソウルへ行ったときに、駅に着いて2階に上がった途端、名城し難いある種の、強烈なにおいに圧倒されたことがある。
体臭は日本人はないはずだ。何をいちゃもんつけているんだ。第一印象が悪いものだから、ちょっとしたことが癪のたねになる。ムキになりすぎていると思うが、それでも腹の虫は収まらない。折角ビジネスクラスに、乗せてもらって、ルンルン気分だと言うのに。これじゃ台無しじゃないか。このばばあ。
急に怒りがこみ上げてきて爆発しそうになったが、僕は言葉を飲み込んだ。
 しばらくするとやホステスが飲み物をサービスし始めた。オバハンはホステスをつかまえて、臭い臭いと、においのことを連発している。
ホステスも当惑した顔をしながら、あいまいな返事をしている。彼女は二人の乗客を怒らせないようにうまく質問に答えているが、腹の中では困っているのが、僕には手に取るようにわかった。
オバハンはそんなあいまいな返事で、納得するような女ではないが、
前からサービスを終えたワゴンが来たので、ホステスはそのまま後へとひっこんでしまった。
 飛行機のこの狭い空間の中で、においを問題にしてどうなるというのだ。ここは上等の客が乗るところだ。もっと上品にしろ。がたがた言うなら下に降りて、エコノミーに行ったらどうだ。喉元まで、日本語がでかかったが、韓国語や英語では言い方が分らないので、ただ黙る他はなかった。実にはがゆいに思いをしたが、それは仕方がなかった。

 視線を感じて振り向くと、オバハンはちょっと笑みを浮かべたような顔をして、こちらを向いて英語で話しかけてきた。聞きたくもないと思ったが、英語だったら少しは話が通じるので、いやいやながら、相手をした。彼女が言うには、
「韓国からカナダに移住して、もう45年にもなる。5歳の時だからやっと物事が分かる・物心がつきはじめたころで、移民の私はろくすっぽ、教育を受けないで、ただがむしゃらに働いた。そのおかげで母国は非常に経済状態が悪いが、こうして何十年ぶりかで里帰りもできる。いつもはエコノミークラスで、こんな上等の席に座ったことがないうえに、自分はこのようなランクの所では、どのように振る舞えばよいのか分からないので、ふさわしい振る舞いができなくて悲しい。だからめったにこういうところには乗らない。
 ところが、今韓国は経済的に大変だということで、それじゃこの機会に少しでもお役に立てばと思い、今日はこのクラスにした。直行便だったら早いし、安いことは分かっているが、ちょっと旅行もできる身分になったので、バンコク見物をして、韓国に帰るのだ」。と彼女は言う。
隣の席の僕には気配りができていないが、この人は異国で頑張って一旗あげて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。教育も受けずに生活基盤のない異国で、生きることは生易しいことではないが、彼女はどんな苦労したのか知らないが、彼女なりの成功をおさめて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。
僕は彼女の無礼も忘れて、彼女の身の上話に耳を傾けた。
礼儀作法も知らない。教養もない。しかし生活面では成功している。おそらく欠食したこともあっただろう。しかし歯を食いしばって、努力に努力を重ねてここまでやってきたのだ。ここまでなるには、おそらく大変な思いをしたことだろう。

僕は問わず語らず足らずで、彼女が先ほどからクチにする英語の会話の流ちょうさ関心を持っていた。なるほど。
さっきから英語を聞いているが、非常になめらかで、上手だ。僕はしばし彼女が45年間の間にカナダで身につけた英語の美しい発音に聞き惚れていた。

 「あなたの靴じゃないかしら」
突然彼女は話題を変えた。僕ははっとした。先ほどから、それとなく、悪臭の源を心の中で、いろいろ探していたが、思いあたるのは、靴下と靴以外には考えられない。シャワーは、浴びたが、靴までは洗っていない。そうかもしれない。悪臭、とか、臭いとか、彼女が言った臭いの発生源は僕の靴かもしれない。
そして事実。彼女が指摘したとおり、悪臭の源は僕の靴であった。
さっきのちょっとした身の上話で、心が通じ合っていたので、僕はこれが源かもしれないと率直に認めた。彼女は原因が分かったので、それ以上どうして欲しいとは言わなかった。たた僕の方は、ちょっと気恥ずかしい気持ちになった。しかし、怒りの感情はどこかへ霧散していた。会話によってお互いに多少とも、心が通いあったので、僕は再び元の気分を取り戻して上等席に、座って偉くなったような気になった。
気分はちょっとしたことで、ころころ変わる。僕は気分屋だな。そう呟いて、苦笑をしたが、僕はそれはそれで良いと思った。
なんの悪戯かしらないが、頂上の気分から一転して谷底へ、そしてまた頂上へ。人間は感情の動物だというが、実にその通りで、今回の旅で、それを思い知らされた。と同時に、これは自分の頭の中だけの揺れで、もし実際にこの飛行機がダッチロールを繰り返したら、どうなることか。僕の頭の中のように揺れていたら、地獄を見ることだろうなと恐ろしい気もした。
 ビジネスクラスの席で、僕の気分は先ほどからダッチロールを繰り返していた。それで良かったのだ。



なかば、軽蔑

2007年12月27日 | Weblog
働きまくって死んでいく。そんな人生が果たして良い人生か。

我々は働く為に生まれてきたのではない。生きるために生まれてきたのである。
もちろん、働くことも生きることの一部には違いないが、さりとて、諸外国と労働時間に、大差がつくほど働いて、[仕事中毒の働きバチ]と半ば軽蔑されている現状には、首をかしげざるを得ない。

そんなふうに働く事一色の世の中のおかげで、GNPは、世界有数のものになった。今日テレビも、車も、海外旅行も、珍しくなくなったが、その裏付けが働き中毒のおかげだとすれば、働きすぎるのもまた良いことかもしれない。
しかしだ。車を買うために、地道をあげて働いている間に、我々は、もっともっと大切なもの失ってはいないだろうか。

金を稼ぐ方と使う方

2007年12月27日 | Weblog
男は金を稼ぐ。せっせと働き頭を垂れて、金を稼ぐが、どんなに大変なことが実感しながら金を稼ぐ。
女は概して金を使う側に回る。金を使えば、相手は大抵の場合頭を下げてお愛想のひとつも言ってくれる。間違っても頭を下げて、金を支払うようなことはしない。

男が知的で、女が情的だと言われるが、大勢の男たちの中に立ちまじって、われを抑えることを強いられる男と、そういう訓練や強制の場がない女とでは、おのずと考え方が違ってくるのは当然だ。
女が社会的に力を持ちえない最大の要因は、社会的に訓練を受けるということが少ないという事だ



高千穂夜神楽

2007年12月27日 | Weblog
前回素通りしてしまったので、今回こそはと、高千穂神社で行われる夜神楽を見に行った。

夏休みで観光客が多かったのだろう。会場内は満員で、立ち見が出た。

神楽は33番まであり、そのうちの4番が、観光客向けに演じられるものだが、そのどれもが実に分かりやすくて面白かった。
私の隣にいた。アメリカ人も、言葉が通じなくても、舞の意味が分かったらしく、大声をあげて笑っていた。
とりわけ、感じ入ったのは、ご神体の舞というものである。男の神様と、女の神様とが酒を作り、浮気心心をのぞかせ、それで家庭円満におさまっているの、身振り手振りで、おかしく舞ってみせる。

これは、神楽のイメージとはずれていて、パントマイムと言った方がふさわしいような気がした。楽器は、太鼓と、太鼓につるした鉦の3種である。単調なメロディーで、この神楽では、リズムの緩急が、舞の仕草と結びついて重要な意味を持つ。

心の荒廃がひどい現代の都会人に一服の清涼剤として、現地に立って、この神楽を見てもらいたいなと思った。

夜神楽を見て、その新しさに驚いた。古代神話の時代のイメージで、神楽もまたそうだろうと一人合点していたので勘が狂った。
神楽にはユーモアがあり、命を躍動があり、現代に通じる生活感があった。

昭和の神楽歌など、と自作を自認していたが、こちらの神楽の方が、私のそれよりはよほどナウい
私のは新鮮さがあると言えば、それまでだが、真面目で固い。音楽としては新しいのかもしれないが、中身はそれほどまで新しいとは思えなかった。

神と野獣の共存

2007年12月27日 | Weblog
人いろいろというが万人に共通していることは人間はその肉体の中に神と野獣を同時に持ち合わせているということです。だからときには神のように神々しいときもあるし、またあるときは野獣のように醜い面をだします。これが人間の本質的な部分です。宗教人は信仰の力をだして野獣性を抑圧し、一般人は常識力で醜い面を抑えているが押さえきれなくなって動物丸出しの状態になります。これは避けようがないから、私を含めて人生何事もなくということも至難の難しさを伴います。つまり人生に間違いはつき物です。常識という最大公約数で眺めなくてはならないと同時に心のうちに潜むアニマリテイにも十分目を向けて生きたいものです。間違いを犯すことを恐れては何も出来ません。これが正常な人間だと思って自己肯定をし、明るく積極的に生きて人生を楽しみたいものですね。

10-74 また霊感商法か

2007年12月23日 | Weblog
悲惨な事故や事件が起こる。何が原因でこんなことが起こるのか。これに対して人は何もわからないから、運が悪かったで片付ける。 しかしこれでは何の解決にもならないだけでなく原因究明にもならない。

そこでぼくは考えるのだが。
この世のことは、すべて原因があって結果があるのだ。原因にある種の力が働いて結果が起こる。と思うのである。
たとえてみると水(原因)があれば波(結果)が起こるということはない。
風という力が働いて初めて波が生じる。そこで問題になるのは原因に働きかけ
結果を生む,ある種の力である。

このある種の力のことを仏教では縁という。つまり因縁果の法則によってすべては生成消滅するというのだ。
となれば、縁とはどのような力のことか 。僕の理解ではこれは超人間的なもので
人間の力では如何ともしがたいものである。ということはこのこの摩訶不思議な力は神や仏に属するものである。

だから縁に関して何らかの欲望なり、希望なりをもって神仏に働きかけてもらいたいということになれば、人間は神や仏に向かって何らかの働きかけをしなくてはならない。

われわれが神仏とのコンタクトを持つのは「祈り」の1語に尽きる。祝詞か、お経か。

ここで思い出すのはラフカデイオ・ハーンの怪談[耳なし芳一]の話である。
芳一は毎夜現れる壇ノ浦で死んだ平家の亡霊に悩まされたが、あるとき、高僧からそれを防ぐために、体中にお経を書いて、亡霊を寄せ付けないようにせよと教えられる。すなわちお経の持つパワーを身につけて自分を守れというアドバイスを受ける。
芳一は教えられたとおり体中をお経で覆い埋め尽くしたが、ただ一箇所耳に書き込むのを忘れていた。ある夜芳一のもとに現れた亡霊どもは体中に書き込まれたお経の力によって寄り付くことは出来なかったが、ただ一箇所耳だけはお経が書いてなかったので、ここぞとばかりに、耳をそぎ落として、暁の鶏の声とともに帰っていった。

ここで重要なことは、お経がガードの役目を果たしたということである。神仏の威力は超人間的であるから、こういうことが出来たのだろう。

さてこの作品の考え方を援用して、毎日の生活にとりいれたらどうだろう。
即ちお経を唱える事によってわが身をガードする。言い方を換えれば、お経を唱えることによって、悲惨な事故や事件の犠牲になるのを遠ざける。悲惨な目にあわないようにする。お経の持つ不可思議なパワーによって我が身を守って貰う。
人間の力を遥かに超えた、神仏の力を借りることによって、わが身を災いから守るという考え方である。
また神や仏の誓願を信じることによって、この考えかたは生きてくる。

因縁が悪いからお布施をたくさんしなければならないとか、お礼をたくさんしなければたたりがあるとか、ばかげた、たわごとにイトも簡単にだまされて、金を巻き上げられた事件が後を絶たない。

 基本は金と宗教の関係だ。

 金が有効なのは生きている人間どもの話で、実体のない神仏が金をもらってどうするのか。この世でしか使えない円やドルを神仏が使ったためしがあるのか。
お礼を供えたら、祈願料を納めたら、それを受け取るのは神仏をかついている人間に決まっているじゃないか。
そんな輩に金をむしりとられるなんて非常識もはなはだしい。バカもいい加減にしろと叫びたい。


自分と神仏の間にどうして金銭を介在させるのか。

霊感というものは確かに存在する。何回も自己体験がるので僕は霊感や霊能者の存在を信じる。だからといって霊能者に多額の金を渡して、自分の欲望の実現を図るというのは、邪道であると思っている。
 
渡すのは神仏に対して、自分の心の中にある感謝の気持ちだけであって、神仏との仲立ちをしてくれた霊能者には、常識的な御礼の金額でよいはずである。千円も渡せば十分じゃないか。

金額の多寡によって神仏の恩寵の多少が違うという愚かしい迷いごとは、西洋の宗教改革の発端となったあの事件 教会が免罪符を売りつけて金集めをしたことでもよくわかる。
 なぜならば神仏を語って金を集める、儲ける。それ自体が間違っているからだ。

 知識が比べ物ならほど豊富になった現代人が免罪符的なものを求めて、挙句の果ては霊感商法にひっかっかり詐欺の犠牲者になるというのは、欲むき出しの無知のなせる業で、お笑い話にもならない。

ちなみにぼくと宗教とのかかわり方には、自分で基本条件を設定している。

1、信仰に金は不要である。信仰とは己と神仏と向き合う関係以外の何物でもない2、入会を勧誘する宗教団体はいかなるものでも受け付けない。断る。よしんば入会したとしても、そこには入会も脱会も完全な自由が保証されることが不可欠。
3、自ら進んで寄進するのは個人の自由である。催促や強制は一切受け付けない。

今回の霊感商法の場合、警察官の名詞を利用したというじゃないか。うまい小道具である。彼らは神仏を語って神仏を欺いた。天罰てき面であってほしい。

天にまします、われ等が神仏よ。今こそ正義の剣で成敗して、そのご威光を示したまえ。

アンコールワットのデバター

2007年12月21日 | Weblog
アンコールワットのデバターは、背丈が1メーターくらいの女神像である。

実在の女官がモデルだったらしい。女は彫像として残った。男は彫像としては何ものこらなかった。彫刻師である職人たちはたくましく生きて、あっさり去っていった。

回廊や楼門の壁などに、残されたのはおびただしい数のデバター像である。



ガイドブックにはプノンバケンと書いてあるが、現地の人はプノンバカイという。

ぼくにはそう聞こえた。

アンコールワットの前の道を、バイタクで五分も走れば、道の左側に小高い丘が現れる。

それがこの地方の3聖山の1つ、プノンバカイなのである。

夕日がきれいだという評判で、大勢の人がこの丘に上って、遥かかなたに沈む夕日の美しさを見ようと待ち構えているのだ。

ところがこの日は、あいにく、雲がかかり美しいはずのサンセットはついに、見えず仕舞だった。丘の上は宮殿か寺院の跡らしく、石造りの遺構が残っていた。

さあ帰ろう。僕はこれを見納めとばかりに遺構を1周して帰り道に着いた。



なんと言っても、今日見学した中ではアンコールワットは圧巻であった。女神であるデバターの数が多いこと。数ある中には見るデバターあり、触るデバターあり、祈るものありで

ちょうこくに詳しくない僕にとっては、所詮女にしか見えない。女なら見るより触る方がいいに決まっている。何とかが顔を出し始める。

女性を見るというのであれば、ます顔である。それからボデー・ラインや色の白さなどに目を向けるだろう。ところが触るとなれば、まず男は(女でもよい)女の体のどこをさわるか。それは多分乳房が焦点になろう。なぜであろうか。乳房すべての命を

はぐくむ母性の象徴だからである。

三体のデバターの合計、六つのオッパイは黒光りしている。誰かが、先鞭を付けその後をみんなで、なぞっているのである。どこの国でも男ならやっぱり触るところは同じか。僕はそう思った。あたりをさっと見渡したが誰もいない。

これを幸いに、僕もしっかり触った。

熱帯の太陽に間接的に、てらされてほの温かい。しかし直射日光でないので

やはり石の冷たさは、残る。

ところが不思議なことに、彫像であるにもかかわらず、この女神の、乳房が人の肌の、ように温かく感じられる。変だなあと思っていたら、デバターの顔が、大阪においてきた彼女の顔と二重写しになっている。

ええっ? ぼくは驚いて、しっかり気を入れて見つめると間違いなく、彼女の顔だ。彼女の微笑が、そのまま目の前にある。

そして、僕の右手は柔らかい乳房を愛撫している。彼女はじっと、ぼくのなすがままに身をゆだねているし、息遣いが伝わってくる。乳房に、触れた手には脈拍が伝わってくる。確かに、人肌のぬくもりである。僕はしばらく目をつぶって、彼女の体の感触を味わった。

人の声がしたので、はっとして、現実世界から遠のいていた意識を取り戻して、目を開けてみると、彼女はもうそこにはいなかった。 一重の像が二重になりまた一重になった。

じっと見つめていると、彼女の体は飛天のようにデバターから離れていった。そしてそこに残ったのは紛れもなく、アンコールワットの数あるデバターの姿だけだった。

でも、触れている乳房は、生温かい。 おお!!。 これはこれは。

僕はやっと正気に戻った。アンコールワットのデバターは、彼女そのものだったのである。


年賀状

2007年12月17日 | Weblog
わずか200枚にも満たない年賀状の中で、今年はなんと10通余りが、「喪中につき年始のごあいさつを差し控えます」という内容だった。ほんのささやかな市民生活を営んでいる私にとっては驚くべき枚数だ。「星霜は移り、人はこの世を去るのだなぁ」。とちょっぴり寂しくなった。

元日を迎え、なによりも楽しみなのは、年賀状である。
1日1回しか配達されない年賀状が待ち遠しくて、何回となく、郵便受けをのぞく。
配達された年賀状を手にすると、年賀状をくださった方々の体温の温もりが伝わってくるみたいだ。私はこの1年、親しい関係にあった方々に努めて、年賀状を出すことにしている。
年末の押し迫った20日過ぎ、年末の慌ただしさに、落ち着きを失いながら、年賀のあいさつのほかに、近況など一行を書き添えるのだが、相手のことを思い返しながら、付け加えるこの一行には、心温まる思いがする。
あけて1日、私の出した年賀状は私に変わって、友人、知人、先輩、恩師に挨拶をしてくれる。
さて…どうだろう。
 先さまは、どんな思いで私の年賀状をごらんになって下さっているのだろうか。元日に手元に届くというのはおそらく、去年の20日前後に出して下さった年賀状に違いない。こちらが出すから返事を出してくださるのとはわけが違う。先方様は去年のうちに、私に下さっているのである。つまり、これらの都合に関係なく、挨拶をしてくださっているわけだから、年賀状をいただいたわ、こちらは出してないわ、では相済まない気持ちがして、何となく気まずい思いがする。心の中が見透かされたような気がするのは、思い過ごしというものであろうか。年末に年賀状に宛名をかかなかったということは、なんだかんだ言っても、はっきり言えば、先方の事情に関係なく、今の私には、人間的には疎遠な関係の人たちである。常日頃から心を通して、お世話になったと思っている人には、自然に筆が進むから、こちらから宛名を書かなかった人は、それだけのつながりしかなかったという人である。だがしかし、この論法ですべてが割り切れるかというと、そうもいかない。例外的なものはいくらでもある。
 目下想いを寄せ合っている恋人同士ならば、ハガキのスペースは恨めしくなるほど小さく感じ、同じ出すなら封書ということになりはしないだろうか。あるいは、秘密の恋を家族に知られたくないために年賀状出すのはわざと差し控えるなどということはありはしないだろうか。
ともあれ、去年まで続いた人間関係を今年の始まりに当たる元日に心の中で再び温めて、今年1年、知らない人、またはよく知ってる人の間を縫いながらながらさらに新しい人間模様に染まっていくというのが一般的。庶民の生活ではなかろうか。1枚10円だったはがきも、40円になり、さらに50円になった。250枚出せば1万円は吹っ飛ぶ。年賀はがきともいえる御時世だが、私は心して、年賀状の挨拶だけは続けたい。選挙目当てに、送りつけられる政党や政治家から送られてくる年賀状とはわけが違うのだから。

楽しまなくちゃ

2007年12月16日 | Weblog
私は、作曲するために、作詞をするために、エッセイを書くために、この世に、生まれてきたのでない。
よりよく生きるために、生まれてきたのである。出来る限り苦痛を少なくして、より多くの快楽を、より多くの嬉しい事、楽しいこと、気分の良いこと、心地の良いことを楽しむために生きているのだ。
よりよく生きること。与えられた命を楽しむこと。それが私がこの世に生まれ出たことの目標である。
百年の命を持つ芸術作品を残すために、人生のあらゆる楽しみを犠牲にするなんて。まったくばかげている。そう言えば誰か言ってたな。地位や名誉何するものぞ、今飲んでいるうま酒に勝るものがあろうかと。

女二人

2007年12月16日 | Weblog
日向・宮崎県の高千穂で夜神楽を見に行く途中で、二人の年配の女性と知り合った。
偶然だが、明日の朝、車で阿蘇山に上り、それから、山鹿の灯籠を見に行くという。私が神仏の歌を作っては奉納するという話をしたことから、彼女たちは、自身の信仰の話をしてくれた。

親鸞の教えを堅く信じていて、金粉は何回も経験したという。仏壇にまいっていると、金粉が降り、経机の足の部分だけが、金粉のないまま足跡として残ったという。すごい話である。ぼくも金粉がでる事は何回も経験してはいるがそれは手のひらで時たま光るものが有りそれが虫眼鏡でのぞくと金粉であることが分かる程度だ。経机の脚以外に金粉が降り注ぐという話はこれで2人目だ。

この人じゃないが、僕の知人は金粉を集めてチッシュに包んで見せてくれた。場所は2階から1階に下りる階段で、きらきら光りながら舞い落ちてきたという。

金粉の出現はある日突然でしかも場所を選ばない。家へ書き物をしているときも、電車の中でも、ひどいときには額にもくっついている時だってある。だけど僕の金粉は1mmの半分くらいの大きさのものが1つだけである。集めるなんて事は到底出来ない。

彼女は学校へやってもらえなかったことが未だに残念で、結婚するまでは恨んでいたという。今は、離婚して、一人働きながら、生活をして、今回久しぶりに車で、友人と二人で旅に出たという。

阿蘇駅近くのレストランで、3人でカレーライスを食べコーヒーを飲んでさようならをした。若い人が代金を払ってくれた。高千穂から、高森。 高森から、阿蘇山頂上まで、どうしていこうか。と思案中だったから、この同行3人の旅は渡りに舟で本当に助かったし、楽しかった。

景色、車の便 阿蘇山の雄大な姿 白髭のように立ち上る白煙。目を景色から心に移して見ると、そこには親鸞への信仰と金粉の話。
そのどれもが脳裏に焼き付いた。

意外なところで意外な発見があるものだ。目に映る阿蘇の雄姿も良いが、人各人が持つ心の風景を知ることだって負けず劣らず、素晴らしいものだ。
それは身につまされることあり、全く同感であり、意外な発見であり、喜怒哀楽の世界をさらに広げようとする。


悲しみ

2007年12月13日 | Weblog
悲しみになれ染まってしまっているのだろうか。染み付いているのだろうか。影のように付きまとう。

悲しみに染まってしまうと、人間というやつは、それから抜け出られないらしく、いつも心の中に、悲しみの風が吹く。悲しみのない方ががむしろ不自然な感じさえする。考えようだが、釈迦様の言われるように、人生とは、四苦八苦の連続で、それが底抜けに明るい人間も、灰色の人生観をもつものに変えてしまうのだろう。それにしてもだ

人生、いちどきりしかない人生をブルーですごすか、ピンクですごすか。
つまり、情報の氾濫の選択が自由にできる場合には、あくまで自分にとって都合の良い面ばかりを見て,少しでも、悲しみ面を少なくするというのは生活の知恵である。

交通事故

2007年12月13日 | Weblog
せっかく生まれてきたのに、とうとう来ちゃったんだよ。がーんというおとが消えるのと同時に、生の世界から死の世界へ飛び込んだ。死の世界は静かだ。色がない。色が目に映らないんだ。唯一人で来る道は淋しいが、来た道は戻れない。たくさんの欲望から解放されてスットとした。しかしその代わり、手のひらに乗せられるほど小さくなったよ。これからいつまでこの石と同居するのか知らないが焼かれて、石炭がらみたいになった。

自分の体は、風が吹けば、四方に飛び散るだろう。、1メートル4方に飛び散るだろう。洪水がくると川底に沈み、果ては海の底へ行き着くだろう。永久に太陽を見ることがない。だから色がないのだ。
沈黙と静寂。すっとした。
ある日、私は、瞬時にして、この世界に飛び込んだ。


奈ー良の大仏っつあん

2007年12月12日 | Weblog
クリーム色の横長の紙に、墨で縦書きにされた。4行詩がどうして私の手元にあったのか。今もって分からない。

それはともかくとして、目に飛び込んできた奈良東大寺長老、清水公照師作の
「奈ー良の大仏っつあんー、心象五景]をひと目見たとき、これはいける、ものになる、と直感した。
案の定、いつもの調子ですらすらと出来上がった。詩の中にリズムがあり、テンポがあるからだ。

 猊下と尊称される天下の東大寺の大僧正という厳しい肩書とは裏腹に、なんとユーモラスな詩なんだろう。師の絵が、墨跡が、エッセイが引っ張りだこになる秘密がここにあるのだろう。まさに師そのものがそこに浮かび出ている。

おおらかさ。春風駘蕩ののびやかさ 、童心 なじみやすさ 、庶民性、それでいて博識で、威厳があり、人を引きつける。

「奈ー良の大仏っつあん」は 「奈良の大仏さん」ではなくて「 ナーラのだいぶっつあん」 である。

日本全国民から、特に関西人から敬愛を受けるこの大仏さんは「だいぶっつあん」 で親しまれ「大仏さん」ではかたぐるしい。

ナーラとなると、童べ唄を連想し、子供のイメージが強く、浮かび上がるが、子供一色ではなくて、「寂の影踏み肉(しし)盛り返す」という難句もあるところを見ると、やはり大人の童謡というべきだろう。

幸福感

2007年12月12日 | Weblog
幸福感に身が包まれているとき、祈りたいような気持ち。少なくとも抵抗なく手を合わせる気持ちになる。祈り。それは、感謝ありがとうである。
したがって、幸福感を味わいたいと、思うならば、ありがとう を連発すればよい。

幸せを感じるときとはどういう時だろうか。

幸せ感とは、満ち足りたときに、心も体も安らぎで、暖かく感じる。あのときのものであろう。

心が満たされ、口からは、ありがとうという言葉が自然に飛び出てくる。

さらに一歩つっこむと、感謝の気持ちが満ち溢れてきて、祈りたい気持ちになるときこそ 正に幸せを感じているときである。

それゆえに、幸せになろうと思えば、まず「ありがとう」ということだ。 ありがとう、ありがとうで、どんな小さいことにも感謝していると、それは

やがて祈りに変わり、さらには、身も心も暖まってくる。心が暖かく感じるようになればしめたものだ。それは幸せの真っただ中に入ることにほ

かならないからである。

ありがとう。それが祈りになり、そこから幸せ感が湧いてくる。

              新しい見方とは


新しい見方とは、あるものを時系列隠して、トレンドの中で、それを理解することではなかろうか。



未だに忘れないこと8-38

2007年12月11日 | Weblog
よーし、見ておれ、必ずD大学以上の一流大学へ行ってやるから。そして見返してやるから」
私はこの無念な気持ちを信念にまで高めた。
しばらくして、私は、この小さな会社の下請け会社の社員をやめて、田舎へ帰り体を壊しながらも、受験勉強を続けた。この無念さと、憤りに支えられて、私は念願どおり、大学に合格し卒業した。

今考えてみれば、この馬鹿みたいな意地も憤りも文字どおりうまく使えばエネルギーを生み出す原動力となりうるものだ
その意味からすると、私はいまだにけしからんと思い続けているあの支店長に感謝しなければならないのかもしれない。
そしてもしや彼がこういうことを予期して逆説的に私を励ましてくれていたのなら、私は心をこめてお礼を言わなくてはならないだが、明らかにそうではない
彼は自社の新入エリート社員と下請けのこの社員を見て明確に差別しただけのことである。このような差別的発言は、私は今も許せないと思っている。もっと年齢を重ねて世の中がすべて灰いろに見える頃になると、この憤りは輝きを失うだろう。しかしそのときまで感情の赴くままに心の傷として時にはうずくだろう。
そして一方では、早くこのようなマイナス感情を消してしまいたいと願っている。この先こういうものにこだわっている限り、私はいわゆる小ものの世界に自分を閉じこめておくことになるから。要するに、今の私はこの支店長とドングリの背比べをしているのである。言葉を変えれば、同類なのかもしれない。
人間は人間そのもの。その人の人となりによって判断すべきで、大卒高卒は人を判断するに、問題にすべきではないという信念は今も少しも変わらない。会社という組織に入れば入れば区分けすることによって会社の組織構成を成立させてはいるのだろうが。それはやむを得ないものとしても、たかが学歴くらいで人間が判断されてたまるものか。学歴だけで判断できるほど人間は単純には出来てはいない。