日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

民主党に期待をしたけれど

2010年07月31日 | Weblog
民主党に期待をしたけれど

財政再建を叫びながら、財源の裏付けのない
1,ガソリン税廃止
2,子供手当
3,高速道路の無料化
4,高校教育の無料化 など、

良くも国民をだましたものだ。無駄を削り予算の組み替えによって20兆円をひねり出せば上記の様な費用は捻出できるというのは真っ赤な嘘。だから予算がふくらんでまた借金が増える。これじゃ自民党より始末がわるい。

早く政界再編が起こる事を期待しておく。真に国家国民をうれいて借金を減らすことに専念する政党が現れてほしいものだ。

担当者と責任者をクビにせよ

2010年07月31日 | Weblog
担当者と責任者をクビにせよ

また悲劇が起こった。これほど児童虐待が叫ばれているのに、未だ性懲りもなく防げなかった言い訳をする。それがいつも決まり文句のように同じである。
「訪問したけど会えなかった」(だから救えなかった。で通用する話か。)僕は直接何の関係もないが、一人の人間として、命の重さや大切さが、この程度の言い訳や行為で、みすみす救えなかった悔しさに、はらわたが煮えくりかえる。

結果的には助けることが出来ないという事だから、職務を全うしているとは思えない。与えられた職務を全うできない奴にどうして給料を支払う必要があるのが。
まるで社会保険庁の親類みたいな話じゃないか。全員首にして本気で人の命を気があるのかどうか、再試験して不適任者は遠慮無く退職させるべきだ。
こういう一見過激なことでもしないと、また同じ悲劇がくり返される。

子供の命は社会全体で支えると言う理念の下に、子供手当は支給されているはずだ。子供の命の大切さが判っていないような連中にこの種の問題を扱わしていては何時も同じ問題が生じる。

火事の際には燃えさかる火の中にさえ飛び込んで行く消防士の姿を見よ。本気でやれば警察だって人命救助のためなら利用できるはずだ。三回も通報を受けて、現場に駆けつけながら、小僧の使いみたいなことをしやがって。それでお前ら一人前の大人か。頭を丸坊主にして亡くなった子供の霊前でお詫びをし、火の中に飛び込む覚悟を誓ったらどうだ。


 何事もバランス

2010年07月30日 | Weblog
 何事もバランス

お釈迦様は、物事の真理は、中道にあって、両極端にはないと、説かれたとか。
中道というと、たして2で割る式のことをすぐ考えるが、要はバランスがとれているか、どうかということだと思う。知情意いのバランス、心と体のバランス、知識と知恵のバランスなど 。   

高音質は不要

2010年07月29日 | Weblog

高音質は不要

歌には程度にもよるが基本的には高音質はいらない。歌には歌詞の美しさとそれを倍加する曲のフィット性の方が大切だと思えるからだ。器楽曲には高音質は不可欠である。
昔といっても言っても学生時代のことだが、高音に凝って秋葉の電気店へ幾たび足を運んだことぞ。

そして
山水のアンプと、BBC使用のグッドマンアキシオム80が自分にとっては一番素晴らしいようだと気がついた。会社員になってから少しずつ金をためて二つとも手に入れた。初任給の何倍もの金をかけた。

飽きたわけではないけれど興味が周波数特性から歌の美しさに代わった。弦楽器は別だが、人の声だったら22000ヘルツも必要がないので最近売ったら、買った金くらいで売れた
50年前と貨幣価値は違うが、なんか得をしたような気がした



死刑執行立ち会い

2010年07月28日 | Weblog
死刑執行立ち会い

落選した民間人法相が何を思ったのか、死刑執行にやっと踏み切った。
当たり前の話である。執行命令は法務大臣の職務だから 。
この度の執行には彼女自ら立ち会ったという。何の意味を求めて立ち会ったんだろう。全く意味が見いだせない。最大限譲ってパフオーマンスか。
見たくも聞きたくもないパフーマンスである。
立ち会ったのは初めてだと言うが、今後死刑反対議論を巻き起こすのに、資する為だとしたら、これも今後の自己主張に利用しようとしているのではないか。見苦しい振る舞いだ。

死刑は国民の85%以上の人が望み、人を殺したらどのような報いを受けるのか。
社会全体の人々が了解し、希望していることである。

考えて見るがよい。犯罪者が死刑になるまでにはどれほど多くの人が関わっているか。被害者の苦しみ。遺族の悲しみ。犯人逮捕に苦労する警察。長々と続く裁判、検察官や裁判官、刑務所職員。最近では裁判員。 どれほど多くの人々が関わって死刑が決定されるのか。それらは全て金銭に換算することが出来る。死刑判決が出るまでにかかる金額の負担は少なくはないはず。

それを無視するかのように、執行書にサインをしないで自己の主張を強引に通す。法務大臣になれば死刑執行書にサインするくらいのことは事前に分かっていた筈だ。それを承知で法務大臣の職を引き受けたのだから、職責を果たすのは当然の義務である。そこに恣意的な主張を挟む余地はないはず。法律に則って粛々とやれば良いだけだ。大臣が死刑に立ち会うなんて何の意味があるのか。訳の分からんことおびただしい。落選するのは当たり前だ。

夫婦善哉7-58

2010年07月26日 | Weblog
夫婦善哉

大阪南にある法善寺横丁の水掛不動にお参りした。
お参りしているさなか、夫婦善哉という言葉が頭をよぎった。

夫婦善哉と言えば、織田作之助の名作である。早速図書館で借りて読んでみた。何回読んでも、もう一つ、イメージが湧かないので、何か良い方法がないかと思いを巡らせていると、この名作は映画になったはずだということに気がついた。映画であるならば、DVDになっているにちがいない。

ツタヤに走った。本日は貸し出しの特売日で、1週間借りてたった100円。入会金210円で、合計310円支払った。

早速鑑賞したが、大阪弁のニュアンスが、江戸っ子にどこまで伝わったか。同じ日本人ながら、関西と関東では、そこに流れるものが違う。大阪に住んでいると、言葉と言葉の間合いから、心情が読めてくるので、わかりやすい。
おおざっぱに言えば、東京人は格好つけるのに対し、大阪人は格好よりも本音を出してものをいう。そこに流れるのはギラギラした金銭感覚である
その分、江戸っ子から見れば、関西人は下品にうつるみたいだ。

大阪の下町の庶民生活から生まれる浪花節人情が、むき出しにされて、品はよくないが、その分リアルである。
そういう浪花人気質を森繁と淡島の名演技が、余すところなく、浪花人の腹に収まるから、この作品は、冒頭の画面に出た芸術祭参加作品の名にふさわしい名作だ。
制作されてから50年の歳月を経て、今なお、私世代の人々に、時代のずれを感じさせないのも素晴らしい。

ところで、この映画に出演する浪花千栄子さんの姿を見て息をのんだ。
五〇年以上も昔の話になるが、彼女から直接お小遣いを手渡しでもらったことを思い出したのだ。

当時、苦学生だった僕に、励ましの奨学金であった。ポチ袋には浪花千栄子と印刷されている。
中を見ると、3000円(当時昭和38年)入っていた。

中身はとっくの昔になくなったが、ポチ袋には、金額と、日付を記入して、今も大切に保管している。
にこっと微笑まれて、「頑張りなはいや」と、例の歯切れのよい、口調で、やさしく声をかけられた姿が、目に浮かぶ。
無言のうちに、「人は人物がすべてで、出自や学歴ではないこと」を人柄を持ってつくづく教えてくれた人である。
以来浪花さんの期待にそうように心がけてはいるが、どれほどの人物が出来上がったがと問われると、お恥ずかしい次第である。
僕がまた誰かの力になって、浪花さんのこの行為を伝えていかなければいけないと思う。

彼女の自伝を読んだわけではないが、生きていくことの聡明さはピカ一で、彼女ほど磨きのかかった人はそう多くはない。苦労して人格を磨いた人は後ろ姿まで輝いている。すれ違いに等しい時間であったが、後ろ姿には後光が射しているように思えた。苦労人同士でしか分からない共感する部分を感じるのだ。

山田耕筰先生が、右手の親指の付け根を、天眼鏡で眺められて「君の苦労は今にきっと生きてきますよ」
と言われたことが手相を見て予言をするという次元のことではなく、真実を言い当てているとつくづく思う。

夫婦善哉。さあこれをどう料理するのか。ここが腕の見せ所であると言う宿題がのこった。


















心の中身が反映されて

2010年07月25日 | Weblog

心の中身が反映されて

作曲家の心の中身が作品になって反映される。
低俗な欲望でも高級な欲望でも陰に陽に反映する。
人格は気品の有無を表す。
夢ほのぼのとした、あるいは逆に、夢をなくした暗い心、心の平静さ、心を取り囲む現実。、
いろいろな心の状態が反映されて作品が出来るわけだが、その際一番大切なのは気品だと思う。

演歌には気品が無くて、クラシック音楽のみに気品が有るように偏見を持っている人がいるが、数こそ少ないが気品ある作品はたくさんある。古関祐爾さんの作品を聞くとき、このことを何時も思う

元北朝鮮工作員

2010年07月24日 | Weblog
来日

元北朝鮮工作員の女が日本政府チャーター 機でやってきた。
消費税を15%にしないとと外からアドバイスを受けるほどに借金の多さにひやひやする国民の思いとは裏腹に、金をかけてこんなつまらないことをする政党や大臣こそ事業仕分けにかたらどうか。

これが拉致被害者とどう関係があるのか。彼女を日本に招いたら被害者の帰国に繋がる何かがあるとか、展望が開けるのか。

じゃ一体何のために今度のショウが行われたのが。どう考えてみてもまともな答えが出てこない。このショウをするために国民の税金が使われたことだけは確かである。

1,彼女を呼ぶことによって当時のようすが鮮明に判っても、それが今後の問題解決にどう繋がるのか。そんな事は日本の警察が事情聴取しているはず。特段来日によって新事実が暴露されるはずもない。
2,彼女を来日させる事によって拉致問題を呼び起こし、国民の関心を引きつける。 こんなショウを繰り広げてまで国民の関心をよせつけなくても、拉致問題には近頃食傷気味だ。北朝鮮の動きを見てみると、拉致問題はまるで眼中にないかのようである。外交においては彼の方が遙かに上手である。あの国は世界を敵に回してでも、自己主張する性悪な国家集団だ。それは拉致問題が発覚してから今日までの経過を見ればよく分かる。

何の国益にもならないようなものに、どうして金を使うのか。この対価は一体なになのか。合理的でまともな解答が浮かばないのは決して僕一人ではないはず。ではどうして彼女を呼んだのか。こういう事を企画して金を使って喜ぶ奴がいたとしたら、そいつは非国民の謗りを免れないだろう。

日本政治の問題点

2010年07月23日 | Weblog
日本政治の問題点

1,800兆円を越す財政赤字をどのようにして借金払いするのか。国民
一人当たり700万円の借金をどのように返済して行くのか。
世界を眺めるに経済的にはアメリカもヨーロッパもへたっている。ひとり中国だけが気勢をを上げているが、これが日本経済の回復に 繋がるとは思えない。
というのは中国経済にもよくない事情が有り矛盾を内包しているからだ。
特に1980年代に生まれた働き盛りの工員のストには悩まされるどころか、中国政府にも手に負えなくなるのではないか。断言できることは中国が世界の工場足るためには中国人の生活水準が余り上がらないことではあるまいか。しかしこんな事を中国人がいつまで我慢が出来よう。中国集中ではなくて、生産工場は今のうちに世界にばらまいた方が良いのではないか。

国内的に生長分野とされる介護医療分野が800兆円の借金払いをするほど生長するとは思えない。経済成長は日本においては内需より外需というのが本筋だろう。
金がもうかったときに、貯金することをしないで、訳のわからない大判振る舞いをし、経済大国だと自慢したいた政治家官僚。これを報道したマスコミ。これらの大アホどもが国民を欺いた。一般国民にとって経済大国という後ろに莫大な借金を抱え込んでいる事実の影は薄かった 。
どうして識者はここまで来るまでに警鐘を鳴らさなかったのか。
昨日テレビで日本はギリシャの2のマイを踏むことはないと断言していたが、
「お前程度の頭と知識で解きようが判ってたまるものか。君がそう信じるのは自由だけど」と テレビに向かって叫んだ。」

感謝

2010年07月22日 | Weblog
感謝


人生の目的は幸福感に包まれて暮らすことである。幸福感とは過不足なく心が満たされている心がほのぼのとした情感に包まれることである。

この時の心理状態は満たされて、いうことがなく気なにものにも感謝したくなるような心境である。感謝とはありがたいと感じている時の心理である。

この世の中で一番ありがたいことは親の恩である。無私、献身、わが子の命を守り育てるために、親が払う自己犠牲はなによりも大きいものでありその愛があるからこそ今の我が存在しうるのである。子は親に、親はその親に、、、、とさかのぼっていくと神仏にぶち当たる。だから感謝の対象は直接的には親であるが、それが一般化されると神仏ということになる。
祈りー幸福―感謝―親、神仏

戦後ニッポンの大掃除

2010年07月21日 | Weblog
戦後ニッポンの大掃除

爆撃によって壊滅的打撃を受けた日本の産業で、まず始動しだしたのは繊維産業であった。平和産業とも言われ壊滅的打撃を受けた、軍需産業はすぐに立ち直るのが難しかった。
幸か不幸か昭和25年に朝鮮戦争が勃発して、その間特需景気が続き次の産業への橋渡しをした。
30年代に入ると繊維に代わって家電産業や自動車産業がばとんをついだ。代表格はテレビを含む三種の神器であり、マイカーであった。この間世界に冷戦構造あり 、輸出産業にとって有利環境や状況が続いた。
そしてその次は環境ビジネスや、医療介護ビジネスが国民経済を支えると言われている。時間がどのくらいかかるか判らないが、産業構造の転換がうまくいかないとしわ寄せは国民生活に及ぶ。

経済不況によって国民は耐乏強いられる。社会的弱者はますはじめに淘汰される。そしてそれが急激に来ると社会的パニックが起こる。当然社会は混乱する。

この国を大掃除する為にはこのパニックを経験する必要があるのかも知れない。それまでの社会秩序をがらりと変えて秩序の再構築をするのだ。
これは明治維新のような動乱を引き起こさないだろうが、かなりの犠牲者が出る事を覚悟しなくてはならないだろう。

今の日本には明治維新に出た勝さんや西郷さんや大久保さんや彼らの精神的リーダー吉田松陰先生に該当する人物が見あたらないんで、この大掃除は危険が伴う大変な事には間違いがない 学者経済人政治家どれを見ても腹の据わった有能人物は見あたらない。その程度のリーダーに国がリードされたときに国民は困ることは目に見えている。

神谷美恵子に思う4-50

2010年07月20日 | Weblog
神谷美恵子に思う

誰に勧められたのかはもう忘れたが、神谷美恵子の「こころの旅」
読んだところ、想像もしない感動を受けた。
神谷美恵子。前田多聞元文部大臣の娘で、医師。
岡山県のハンセン病療養所長島・愛生園で患者の治療に当たる。
その時に読んだ患者への思いの詩
「何故私たちでなくてあなたが?あなたは代わって下さったのだ。
代わって人としてあらゆる者を奪われ地獄の責め苦を悩み抜いて下さったのだ」
普通の人はこんな事は思わない。そう言う業病にかかったのだから仕方がない。と言う程度の受け止め方で通り過ぎてしまう。ところが神谷さんは違う。

本来だったら私が受けてもいい業病を、あなたたちが代わって受けてくれているのだと受け止める。まるで自分が負い目を負っているかの感覚である。そのような受け止め方をする人の心情はいかなる者であろうか。おそらく患者の一言一句を全身全霊で受け止めたことだろう。そしてそう言う心がけの人が、どういう思いで、患者に接したか。
悩み苦しむ患者に共感して我の疲れも忘れてる。
「神谷さんと一緒にいるだけで至福の時間がずっと続いていくと思う人が多かった。」と高橋理事長は言うが、多分そうだっただろう。
社会的に弱い立場の人への深い理解や愛情にあふれ、悩み、病み、苦しむ人と同じ目線で、共に歩む。それは魂の救済者、魂のカウンセラーと呼ばれる人だ。

神谷先生の先輩に当たるのが、お里沢一で有名な壷坂寺・中興の祖・故常盤勝憲師だ。同じく長島愛生園の光田園長の話を聞き、この悲惨な現状を見て何とか救いたいと立ち上がり、自坊に慈母園を作り、京大の宮崎博士が日本航空のニュデリー事故で亡くなられた跡を継いで、インドでハンセン病患者1000万人の救済に立ち向かい実行しつつ過労のため58才でこの世を去られた人類の師匠だ。マザーテレサとも交流され、彼女のノーベル賞受賞を心から喜んでおられた。

かって私は師の計らいで、慈母園で唄と講演をする機会があった。
聴衆は60才以上盲老人50名。
唄は患者さんが若い日に覚えた童謡やラジオ歌謡を選曲して演奏したが
途中で声楽家が涙にくれて、唄が止まってしまった。勿論ピアニストもストップ。一瞬困ったなという思いがよぎったが、患者さんのみならず職員も皆泣いている。次の瞬間ぐっと涙がこみ上げて私も泣いた。話が言葉にならない。
この会場にいる人全員が感動の涙を流したのだ。どんな話をしたのか、今は思い出せないが、ほんの一瞬でもこれだ。

そう言う自己体験と神谷さんの本の味わい深い言葉や常盤先生の淨行を重ねあわせると、私は死ぬまで2人の先生を決して忘れることはないだろう。

人生でもっとも値打ちのあることは

2010年07月19日 | Weblog
人生でもっとも値打ちのあることは、

自分が生きたいように生きること、気楽に生きることである。意に添わないことを無理にやって神経をくたくたにし名誉を勝ち得たとしても、それがどうだというのだ。

世に名門という家有り。名門を継承していくためにどれほどの犠牲が意に反して強いられることか。この世でよりよく生きるということは、何者にも拘束されない自由意志で、自分の思うとおりに生きることである。

それが一番価値あることである。人は世評に惑わされてはいけない。自律的に生きることだ。

何かをするのも自分、何かをしないのも自分。だが自分がやりたいことを通して社会に貢献する義務を背負ってこの世に出てきているきていることだけは忘れては成らない。

思うようにならぬ人の世で、できる限り思うようにに生きること、それこそ人間の理想であり目標である。  

交通事故

2010年07月18日 | Weblog
交通事故

せっかく生まれてきたのに、とうとう来ちゃったんだよ。がーんというおとが消えるのと同時に、生の世界から死の世界へ飛び込んだ。

死の世界は静かだ。色がない。色が目に映らないんだ。唯一人で来る道は淋しいが、来た道は戻れない。たくさんの欲望から解放されてスットとした。しかしその代わり、手のひらに乗せられるほど小さくなったよ。これからいつまでこの石と同居するのか知らないが焼かれて、石炭がらみたいになった。

自分の体は、風が吹けば、四方に飛び散るだろう。、1メートル四方に飛び散るだろう。洪水がくると川底に沈み、果ては海の底へ行き着くだろう。

永久に太陽を見ることがない。だから色がないのだ。沈黙と静寂。すっとした。
ある日、私は、瞬時にして、この世界に飛び込んだ。

死ぬ瞬間とはこんな感覚なのだろうか。死の自覚という意識がないから。誰も証言できない。


民主党敗北の原因

2010年07月17日 | Weblog
民主党敗北の原因

寸前になって菅首相が消費税について思いつきで発言した。確固たる計算に基づいて発言したのではないから、言葉がぶれるのは当たり前である。IMFは日本の財政赤字について消費税を15%上げるべきだと勧告した。
誰が見ても今の日本の財政状況は異常だという言葉で表せないほど異常である。日本国民の世論も税率アップの方向に傾いている。勿論反対の人も多いが。
誰しも思う事であるが。民主党はマニフエスト公約をどれほど実行できたのか。大げさに言えば全く信用できないはったり公約ばかりじゃないか。民主党支持者でさえも、これには我慢が出来なくてみんなの党に投票したのだろう。公約違反は予想以上のものであった。与党になってな中身を見ると、ほとんどがばらまきの類であった。

金がないというのに、高速料金をただにするとか、子供手当を出すとか、農家の個別保証をするとか金のかかることばかりを言うが、その財源たるや、何もない。せいぜい無駄をなくすと言うくらい。
こうして民主党の公約と実績をながめるとき、この政党ではとても国を任すかすわけにはいかないというおもいが強い。
自民党が増えたのは、敵失だ。昔と何ら変わらない自民党が将来に亘って存続するとは思えない。時間と共に自壊作用が続くだろうから政界再編に動くだろう。民主党を応援してきただけにこの期待はずれを演じてくれた責任は重い。いっそ早急に政界再編に進んだ方が良い政治が行える感じがする。