日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

ノーハンドレストラン

2020年03月25日 | Weblog
ノーハンドレストランというのがラマ4世通りにある。

両手で食事をしなくても、美女が、箸を使って、食べ物を口に入れてくれ、さらに加えて、セクシーなサービスもするらしい。

世の中には、すごい所もあるものだと感心したが、表面の華やかさとは裏腹に、その舞台裏に隠れた貧しい小屋のような住まいを見るたびに、人生これで良いのか、と思わざるを得ない。本当にスラム街である。

確かに人生には、都合の悪いこと、恥ずかしいこと。そういうものを裏側に隠して表面をきれいにつくろう。

人間のしている日常生活は、その連続である

裏側は時として往々にして犯罪的なものであるか,あるいはほんの少し気を遣うものなのか、それはいろいろある。

どんなものにも表と裏がある。そして人間生活には、その両方が必要なのである。

表には表の、裏には裏側の役割というものがあるんだ。

ただ、裏側ばかりを見る必要がないのと同様に表ばかりに気をとられることもない。

表を見なければ、ならないときには表を見、裏を見なければならないときは裏を見る。

そのバランス感覚が大切なのだ。

ケセラセラ

2020年03月25日 | Weblog
ケセラセラ

1,訪日外人客の増加や高齢化によるお年寄りの利用増もあり路線バスの需要は高まっているだが深刻な運転手不足に陥っている

2,米中の対立が単なる貿易摩擦から先端技術をめぐる世界の覇権争いに様相を変えた

目の前の問題だが微力の我が考えたって どうしようもない。
ケセラセラ。これも立派な解決法だと我の微力を思い知らされた。

お大師様ありがとう

2020年03月22日 | Weblog
歩き遍路であれ車遍路であれ,遍路をされた人の体験談を読んでみると必ずと言って良い程,御礼とか感謝とかいう言葉が出てくる.

旅とは違ってこれは物見遊山気分ではできない旅である

ある人は1200キロを歩き通し,またある人は例えマイカーで巡拝すれにしても、山門や本堂の軒下で野宿をするようなきつい旅行をしている人たちが多い.

その人たちが御礼とか感謝とかいう言葉を口にするのだから、我々が日常会話で使っている言葉の意味とは少し違うように思う..

普通の観光旅行と違ってかなり厳しい条件の旅をしつつもどうして御礼とか感謝という言葉が出るのであろうか

.普通の常識からいうとそこに何か違和感がある.

しかし私が違和感を抱こうとそういう遍路をされている人は心の底から

気持ちを込めてそれらの言葉を口にされるからそれは真実の言葉なのである.

四国88カ所遍路して回る旅は、ひとつには自然とのふれあいであり

また四国の人々の暖かい人情に触れることでもある。

そこで何を発見するのか。

普段は心のをそこに閉じこめられでしまって心のそこで眠ってしまっている感謝という言葉や気持ちを思いだしたりして、人間本来の素直な気持ちになることからいう言葉が出てくるのであろう

いずれの年からか私もまた菅笠や2白装束の遍路姿ににあこがれを抱きバイク遍路を始めるようになった

確かに肉体的には楽な旅ではないが、精神的には今まで経験したことがないようなすがすがしいさを感じる。

もちろんお大師さまには心を寄せて同行二人という安心はあるものの、初めての遍路の旅ということもあって心細い感じもした

私が四国遍路を思いたった理由のひとつに先祖供養ということがある

今は亡き父母や父方や母方の祖父母の菩提を弔うために写経をしてそれを本堂と大師堂に納経する

ために遍路したいのである

簡単なことではあるが、写経100枚はそれなりに我慢のいることであった。

100枚目が終わったときに、私はまずありがとうという言葉が口から出た、

さあ出来た。やれやれ。これでいけるという前に、ありがとうが出たのだ。

何故だかわからないが、ごく自然に腹の底から出た言葉であった。


ひょっとしたら お遍路さんは今の私のような状態でごく自然に御礼の言葉が出たり感謝の言葉が出たりするのではなかろうか。

意図していう言葉ではない。自然に口をついて出る言葉である

もちろん遍路には人それぞれの目標がある。それが成就されたときには、感謝の気持ちが湧いてきて当然だ。

そして目的成就を考えてみるとそこには同行二人つまりいつもお大師さまが側にいて

、付き添ってくださりそのおかげで満願成就したという実感もある。

理由はなんであれ物欲に振り回されいつも飢餓状態に置かれている現代人が、幸せのもとである感謝の気持ちを取り戻した、あるいは自覚したというのなら、

現代人にとって遍路することこそ幸せへの近道ではないかそんなことも考える。

さて私は8月末の天候にはいらいらしている。

あんなに暑かった日照りの続いた今年の夏は早衰えて秋雨前線が2、3日おきに雨を降らせている。

バイクで走るには雨の日は都合が悪い。雨で写経がぬれて字がにじんでしまうことも考えられるし、なによりも道が滑って危ない。

そこで私は天気の日を選んで巡ろうと思っている。

それにしても長いあいだ忘れかけていた感謝の心を教えて、とりもどさせてくれた四国遍路には感謝したい気持ちでいっぱいである

お大師様ありがとう。四国遍路ありがとう。









9-25コロナウイルスでどうなることやら

2020年03月18日 | Weblog
常識1

長く日本国民の肩を押さえ付けていた3大不安(雇用・賃金・老後)は水面下に沈んだ。

来年7月に開かれる東京五輪を日本の自負心と先端技術力を世界に知らせる機会にする計画だ。2020年の東京五輪時には成田空港と東京の選手村を結ぶ自動運転バスとタクシーを運行することにした。

日本最大の経済団体を率いる中西宏明経団連会長は「バブル経済崩壊からほぼ20年間成長のない時間を過ごしたが、いまや安定的成長基盤を用意した」と話した。

体感景気のバロメーターとされる東京都心はオフィス不足に苦しめられている。

日本経済の不安要因が完全になくなったのではないとの指摘もある。先進国のうち最も低い経済成長率と物価上昇率、期待ほどには増えない賃金と家計所得、低調な内需景気などは依然として弱点に挙げられる。

金融緩和を通じた低金利と円安誘導、拡張的財政政策、法人税引き下げと規制緩和が核心基調だっ

ソニーはテレビメーカーではなくイメージセンサーとコンテンツ会社に変貌し、パナソニックも電子企業ではなく世界最大の自動車バッテリー企業であり、大手自動車部品メーカーに生まれ変わった。



  とまではいいがコロナウイルスでいったいどうなることやら

純烈がうけている9-3

2020年03月08日 | Weblog
嘘かほんまか知らないけれど,

中年男の歌手の集団・純烈の人気が沸騰して切符を入手するのが困難だということだ。

僕はこの現象ある意味当然と思っている。おそらくこの傾向は長く続くだろう。

つまり純烈が紅白に毎年お目見えするということは続くのではないだろうか。

それはなぜだろうか。考えてみると中高年女性が歌える歌が全然なかった。

常に若い人ばかり向きの歌、サーカスまがいの、バックグランドを持った歌。

そんなものが中高年に受けているはずはない。

テレビのプロヂューサーていうのは、だいぶレベルの低い連中で、

世の中のことが読めていない 。彼女たちが求めているものがわかっていない。

NHK を含めて全員このプロデューサーディレクターを入れ替えないと、新しい歌が定着

することはまずないだろう

要するに彼らは今さえ点数を稼げばそれでいいのである。

10年後の歌がどうあろうとも関係ないような感じである。

果たしてそうい歌が今現在受けるのだろうか。

僕の見ているところでは全然受けていないにもかかわらず、反省することなく同じことを

何回も繰り返して視聴率をどんどん下げている。馬鹿げた話である。

歌は若者だけのものではない。中年でも高年齢者でも、歌には良し悪しの判断は別にして、

ノスタルジアがこびりついている。だから自分たちが歌った歌を、年を経てまた歌いたくなる。

そういう歌が必須の歌である。その場限りの歌なんて、鼻紙と同じもので全く文化の匂いはしない。。

芸術の匂いはもってのほかだ。

にも関わらずそんなものばかりにうつつを抜かす。現代のテレビの歌はどんどん衰退していくに違いない。

ところで純烈がなぜモテているのか考えてみればすぐわかる。

中高年の歌を、特に女性に対してそういう歌を、彼らが提供しているからご婦人がたが熱狂するわけである。

新しい歌がない時代だからこそ、彼女たちが求めている歌を提供するのが放送マスコミの

使命であって、視聴率ばかりで物を考えようとするとこが根本的な間違いだ。

是をたださねば、歌番組も、歌そのものも衰退をつづけるだろう。

現状を見るに 腹立たしくて悔しい思いが募る。